歌舞伎作者、河竹黙阿弥の曾孫にあたる演劇研究家の河竹登志夫さんが5月6日亡くなった。河竹さんのような知識人が亡くなるたびに故人が蓄積した知の財産の損失を残念に思う。私のような凡人であっても河竹さんからいただいた教えを大切に生かしたい。以前私の書いた本『サハリン旅の始まり』を読み、わざわざ手紙を下さった。人となりが溢れる手書きの便箋3枚の手紙だった。不慣れな出版で精も根もつきていた私を河竹さんの手紙は感涙させた。これがきっかけで『失われた墓標』の著者小林多美男と親交があった河竹さんから小林多美男に関する話や資料をいただいた。私はそれを元に小林多美男をモデルにした小説『マカク』を書き上げた。もう河竹さんの肉体はこの世に存在しないが、多くの著書や教え子が残った。私もいただいた多くの本を学んで、これからにつなげたい。誰にも終わりが来る。私のまわりに居てくれる知の巨人から少しでも多くを直接聴き取り学びたい。ひとり一人が持つ才能知識をほうっておくのは、あまりにモッタイナイ。河竹登志夫先生に敬意をこめて追悼し、深い感謝とともに頭を下げる。
「『サハリン旅のはじまり』を、暫く時を得て完読いたしました。樺太と呼ばれていた頃から地理では知っていたものの、御著で初めてその実際を拝見したように感じ、新鮮な感動を受けました。厳しい自然と社会状況の中で生きる主人公の堂々とした生き方、その有様をみごとにとらえて再現してくれているカメラの的確さと美しさ。御文章も、何の飾り気もなく、しかも明快に彼地の人と生活と、素直に同感し、感謝する著者の真情が、そのままに読者に伝わってきます。日毎に進みすぎる文明に毒されて行く我々よりはるかに人間的な生き方が、ここにあったことを改めて知ることができました。
そうして何よりこうした貴重な“自然と人間”の姿を、写真と文により記録されようとした著者の熱意と、実行された御努力に、ふかい感銘受けました。これには勿論奥様の一方ならぬ御協力があられたことでしょう。
以上言葉は足りませんが感じたままを記しました。失礼の段は何卒御許容下さいます様。御健勝祈り上げつつ。
二〇〇七年十一月十五日
河竹登志夫」