「詰め放題」「飲み放題」とか「食べ放題」は嫌いである。嫌いである理由は、どれも苦手というだけである。その私が行きつけのスーパーで“そら豆”の「500円詰め放題」に挑戦した。そら豆が好きということもあるが、まず値段に気を魅かれた。そら豆は普段1カップ500円で売られていた。1カップといっても数にして十数本である。大きなサヤの中に平均2,3個のふっくらしたお多福に似た豆が入っている。どれだけの数の豆が取れるかは分らない。本来射幸心の強い私は、サヤを開けてみなければわからない点に魅かれる。サヤごとのそら豆がワゴンの上に山盛りされていたが、詰め放題に挑戦している客は一人もいなかった。
まわりの影響を受けやすい私なので、ゆっくり静かに詰めれば相当な成果を上げられると踏んだ。当たりもしない宝くじの当落を知る直前の高ぶりに似ている。用意されていたビニール袋は縦35センチ幅21センチだった。普段の値段十数本で500円なら30本を入れることができれば上出来、と捕らぬタヌキの皮算用。
「お上手ですね。私もやってみようかな」とおばさんが私の反対側に立って袋を手に取った。まずい展開だ。私は一人静かになら何とか自分の欲を押さえ込めるが、ライバルが出てくると俄然闘争心に振り回される。おばさんはビニール袋をまず揉んだ。この人相当場数を踏んでいる。揉んだ袋を今度は、引っ張って大きくした。私はふと思った。「『お上手ね』とおばさんが言ったのは『あんた下手ね。私のやりかたが最高よ』との挑戦宣言だったのか」
おばさんの作戦は、一見優れているかに思えた。しかし強引に力でギュウギュウと詰め込むだけだった。一方私はゆっくりゆっくり時間をかけた。深さ35センチの袋にそら豆のサヤはすっぽり2段にして入れることはできない。すっぽり収まる1段目の上に重ねる2段目の身半分は袋の外にはみ出す。ビニール袋がパンパンにふくらみ、そら豆のサヤの先が今にも袋を突き破りそうだった。おばさんは「お先に」とスーパーのカゴの底に勢いよく放り込んで魚売り場の方へ行ってしまった。私は1段目を終え、2段目は1段目のサヤの空間を生け花で使う剣山に見立てて、そこにサヤを刺し込む。カニシャボテンの鉢植えのようにサヤが放射状に身をそらして開いた。崩れないように恐る恐るレジに運んで支払いを済ませた。
帰宅してサヤを数えると52本あった。普段なら2千円。ニヤついた。新聞の折り込みチラシを広げてサヤからそら豆を出し中型のボウルに入れた。サヤごと焼いても旨いが、私はサヤから出して豆だけを茹でて食べるのが一番好きである。帰宅した妻と茹でたてのそら豆をおつまみに晩酌を交わした。
詰め放題で得したような気がしたが、チュニジアに住んだ時、市場でならキロ単位200円ぐらいで山ほどのそら豆を買えた。値段だけが全てではない。季節ごとに旬の食材を楽しめるのも幸せである。日常生活の何でもないことによって錆びついた創意工夫機能に刺激を受けることができた。どう食べても剥きたての新鮮なそら豆は美味い。