団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

夫婦 二人だけの世界

2014年11月27日 | Weblog

  相良直美が歌った『世界は二人のために』(作詞 山上路夫 作曲 いずみたく)をこの歳になって想い出した。2番の歌詞に年齢のせいか惹かれる。「♪空 あなたとあおぐ 道 あなたと歩く 海 あなたと見つめ 丘 あなたと登る♪」とある。近ごろの私と妻の日常に聞こえる。付き添いが要る。一日24時間のうち自分以外の人間と共に過ごす時間は妻が98%を占める気がする。

 私は最初の結婚を9年で終わらせた。その後長男長女の子育てで13年間やもめ暮らし。44歳で縁あって再婚できた。『世界は二人のために』の歌詞1番の毎日だった。再婚してすぐ妻の海外勤務に配偶者という立場で赴き12年間日本から離れた。途中チュニジアで狭心症になり、私だけ帰国して心臓バイパス手術を受けた。2002年のことだった。死を意識したが、最新医学のお蔭で助かった。そして2005年日本に帰国して10年が過ぎた。再婚して23年たった。心臓バイパス手術以後、オマケの人生と感謝して手術前とは違った価値観を持って生きている。

  老化は進む。車の運転も自信がなくなってきた。特にバックがうまくいかない。物忘れも激しい。眼が疲れやすくテレビを観るのが苦痛である。座って静かにしているとすぐ寝入ってしまう。体の開口部のすべての筋肉がゆるんできていて勝手にチョロリンコと液体や空気が漏れ出る傾向が強い。食欲も細くなった。肉類や脂っこい食べ物に箸がむかない。ご飯も茶碗に半分で十分である。行きたいところも買いたいものもない。二人の子どもにも孫たちにも会えない。彼らは仕事と子育てと学校生活と学校外活動に追われている。友人知人とも以前ほど頻繁に行き来できない。たまに会えれば大きな喜びではしゃいでしまう。

  私の日課はシンプルである。朝5時に起きて朝食を食べ出勤する妻を駅に車で送る。7時から夕方6時30分までは一人で留守番をする。大時計のネジを巻く。本を読み、書き物をして机に座って時間を過ごす。昼食はいたって簡単。好きなシリアルに牛乳と蜂蜜をかけて食べる。トマトを必ず一個食べる。午後は昼寝をする。長さはまちまち。4時まで読んだり書いたりする。4時からラジオを5時30分まで聴く。その後夕飯の支度をする。6時18分に家を出て車で妻を迎えに駅へ行く。夕食から寝るまでは一日のうちで一番好きな時間である。妻が話し私が聞く。私が話して妻が聞く。9時からは猛烈な睡魔に襲われる。

 ゲーテ曰く「人生で一番楽しいのは誰にも解らない二人だけの言葉で、誰にも分からないことを語り合っている時だ」 私たち二人の世間は知れたものだ。誰にも注目されていない。二人だけの時間がたっぷりあることに感謝する。私は過去にいろいろな人に迷惑をかけ、酷いことを言い、騙し、悪いことをしてきた。過去は変えられない。前を向いて、残りの時間は妻と今の調子で“二人だけのゲーテが言う世界”を保ち最後を迎えられればと願っている。“終わり良ければすべて良し”と自分に勝手に言い聞かせる。


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ナビと隣の人間ナビと団塊世代の運転者

2014年11月25日 | Weblog

  3組の夫婦と沼津ゴルフクラブでゴルフをした。1組は東京から当日、直接ゴルフ場へ向かった。私たち2組は一緒だった。

 私の車のナビが壊れていて使えない。取り換えるのに32万円かかると見積もられ諦めた。私たちは以前このゴルフ場に来たことがある。無事たどり着けるか自信がなかった。慎重をきして、友人の車にはナビが付いているので先導してもらい後に従った。

 私は前の晩、地図帳とネットでゴルフ場への行き方を調べておいた。ゴルフ場が載せているアクセス地図をプリントアウトして友人夫婦に出発する前に渡してあった。もうすぐ目的地と順調な成り行きに安堵した。複雑な道路の交差と解りにくい標識に毒づきながら先導車に従った。「足高公園」の標識が見えた。先を行く友人夫婦の車が「足高公園」への分岐路に入らずに道なりに直進を続けた。そして東名高速道路に入った。

 私も助手席で人間ナビをしてくれていた妻もただならぬ展開に唖然とした。人間ナビは「携帯電話で先導車の夫婦にどこへ向かっているのか問いただしたほうが良いよ」と言う。私は「彼の車にはナビが付いているんだ。きっと新しい分岐点ができたんだ。第二東名、伊豆縦貫道とこのところ立て続けに開通したから」と人間ナビに知ったかぶり。しかし先導車は東名を名古屋方面にひた走る。時刻は8:32。スタートは9:36である。動きがあった。先導車がウインカーを左折点灯。愛鷹サービスエリアに入った。先導車の隣に停車。窓が開く。「すみません。間違えました」 友人が言い、車を降りて「中で道聞いて来ます」と小走りして行ってしまった。車内に残された夫人は「絶対に私の言うこと聞かないんですよ。もう自分だけが正しいって。頑固で嫌になっちゃう」とふくれていた。 友人が戻る。「富士インターでUターンできるそうです。10分ほどで行けるそうです」 再び車を出す。10分と言われたが中々富士インターに着かない。時刻は8:51。やっと富士インターに到着。料金所を出る。Uターンしてまた料金所を通過して東京方面へ。先導車がスピードを上げる。隣の人間ナビは、職業柄か緊急事態にも落ち着いている。「スピード出さないで。恐いから。遅れてもいいからあわてないで。スピード違反で捕まったらもっと大変よ」

 無事沼津インターで下りて料金所を出た。9:03。ところがである。また先導車は「足高公園出口」を通過して沼津下田方面へと向かう。友人は“足高公園”が目的地のゴルフ場方面であることが分かっていないらしい。一般道路に出たところで先導車が止まる。私も路肩に停車。私は「付いてきて」と発車させた。この時の私の頭の中にはさっき見たばかりの「足高」の標識の方向が焼き付いていた。Uターンして複雑な交差を進んだ。「あれ」と思ったが手遅れだった。再びさきほど間違えた東名の料金所。友人は優しい人である。料金所手前に駐車してゲートに行きインターフォンでどうすればいいか尋ねてくれた。指示に従い一旦右端の料金所を通過してUターンできるところで反対車線に入り料金所を出た。「足高公園」に入り無事ゴルフ場に9:25に到着。隣の人間ナビの言葉に救われた。「良いことしたね。これでNさん奥さんに責められても、あなたが半分軽くしてあげたもの。団塊世代は付き合いがいいね」


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小遊三師匠かスパイダーマンか

2014年11月21日 | Weblog

  日本テレビの人気番組『笑点』に出演している三遊亭小遊三師匠は、番組の中で自動販売機の下に落ちているコインを拾う話を売りにしている。

 先日鎌倉の勉強会を終えて帰宅するため横須賀線から東海道線に乗り換える駅のホームで電車を待っていた。ホームは閑散としていた。10分ほど乗り換え電車を待つことになった。自動販売機2台にはさまれた8人かけられる背中合わせ2列のベンチに日光浴を楽しもうと、陽が当たっている側に座った。右手側の自販機の前を何気なく見ると人が倒れこんだ。倒れ込んだというより床体操の選手が演技をしていると言ったほうがよいかもしれない。年齢4,50歳の男性である。上下黒。黒いワイシャツに黒いズボンおまけにスニーカーまで黒。体操の選手というよりはどう見ても普通のオッチャンタイプ。病気とかで倒れ込む感じは全くなかった。両手をホームに突いている。体はホームと平行。脚は片方を伸ばし切っている。もう片方の脚は膝を立てている。頭を地面に平行に倒しているので顔は真横になっている。どこかでこのフォーム見たな、と考え込んだ。閃いた。映画『スパイダーマン』のスパイダーマンがよくとる蜘蛛もポーズである。

 男性は自動販売機の下の空間にサーチライトのように注意深く鋭い視線を向けていた。その目ぢからは歌舞伎役者並みのものだった。あいにくコインは見つからなかった。男性は鳥が飛び立つように身軽くホームと平行だった体を垂直に立てた。日本体育大学の『集団行動』のメンバーの一人のように歩き出した。私の前を横切った。アルコールの臭いがした。左側の自動販売機の前で再び男性は板のように倒れ込んで体を地面すれすれに両手の手のひらをホームにピタリとつけて止めた。ベンチ劇場に観客が二人ほどいたせいか、男性の動きに一段と切れの良さが加わった。自動販売機の下を覗く。コイン見つからず、男性ばね仕掛けの人形のように立ち上がる。見事。私は拍手しそうになった。スタンディングオーベイションも考えた。私は男性がコインを見つけたらどんな動きでコインをゲットして、その瞬間どんな表情をするのか観察したかった。コインが見つからなかったので、その一瞬をとらえることができず、何か損をした気持ちになった。それにしても凄い。よほどの訓練をしなければこんな動作はできるものではない。もう一人いた私と同い年くらいの男性と目が合った。二人とも口がポカンと開いていた。「私には絶対できませんな」と目で語り合った。男性は万遍なくホームに設置されている自動販売機の下を一つひとつ探って行った。電車がホームに入ってきた。ついに男性は私が見ているうちにコインを拾えなかった。

 小遊三師匠でも私が見た黒づくめの男性のような動作はできないだろう。それにしても世の中にはいろいろな才能や能力を持つ人がいるものだ。

  今回の衆議院の解散は、日本の経済をよくするためだと言う。日本の経済がよくなることは歓迎する。願わくば、巷に自動販売機の下に落ちていたり、釣銭口に忘れられたコインを探さなければならない人が増えませんように。党利党略教団略とお手盛りを固守しても、議員定数削減の約束を守ることができない“先生方”から議員特権の座布団数を減らさせる、知恵と勇気と決断を歌丸師匠でも山田隆夫にでもない有権者に与えられますように。


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日記 5年か3年か

2014年11月19日 | Weblog

 2010年に書き始めた“5年日記”が今年で終わる。再婚してからずっと日記を書き続けている。すでに22年間経った。子どもの頃から飽きっぽく日記を元旦からつけると決心してだいたい1週間も続いたためしがなかった。何が起こったのか、再婚してから日記を続けて書けるようになった。

 今年老化が進んだ。鏡の私は老人性母斑が増えそれぞれ固く大きさを拡げて来た。顔の皺も更に深くなった。記憶力はまじめに衰退している。

  卓上カレンダーに支払予定日と金額を書き込んである。住宅ローンをみずほ銀行から地方銀行に借り換えて以来、3つの銀行から毎月の引き落としが発生する。一つの銀行にすべての支払引き落としをまとめようとした。引き落とし銀行を換える手続きを取ったが「引き落とし希望される銀行と当社は取引がございません」と2社と1役所から言われた。預金はひとつの銀行にしかないので毎月その金額をその銀行へ行ってATMで振り込む。

  海外生活に終止符をうって帰国してから家計を担当することになった。10年経った。振り込みをつつがなくこなしてきた。今年の夏4回引き落としが残高不足でなされなかった。卓上カレンダーに書き込んであるのにもかかわらず。妻は銀行取引に神経質である。「重要なお知らせ」など送付されてくると平静さを失う。強く注意された。

  メモ帖と卓上カレンダーは物忘れを防ぎたい私にとって必需品である。来年の卓上カレンダーを買いに行った。早めに来年1年間の引き落とし日と金額を書き込もうと思い立った。机の上に置くマットにもなる大判のカレンダーを買った。カレンダーコーナーの隣に日記帳が並んでいた。少し早いが来年からの新しい日記帳も買うことにした。

  5年日記を買おうといくつかの候補商品を手に取ってみた。しかし5年という年月が長すぎるのではと感じた。初めてのことだ。5年が実に重く負担に感じる。現在67歳である。5年たつと72歳になる。72歳といえば私の父親がすい臓がんで亡くなった年齢である。初めて3年日記というのを手にしてみた。3年が無理のない数字に思えた。自分の身の程にすっぽり収まりよく博文館横線3年連用日記A5(2900円+税)を買った。

  昨日俳優の高倉健さんが10日に亡くなっていたニュースが伝えられていた。健さんの所属事務所が発表したコメントに「生ききった安らかな笑顔で旅立った」とあった。健さんは最後までカッコ良かった。10日に亡くなっていたのも関わらず発表が18日と9日間も鵜の目鷹の目の芸能マスコミにスクープされることもなく密葬まで終わらせていた。

                                                                                         「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」                   

  健さんの座右の銘「・・・終わり悔いなし」だけでも我が人生あやかりたい。

(参照:高倉健さんに関して私のブログ『善光寺』2012年10月19日投稿)


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試食販売促進キャンペーン

2014年11月17日 | Weblog

  「モンキーバナナの試食をどうぞ~ぉ」白衣を着て頭を三角巾で覆った20代後半の女性が声を張り上げていた。日曜日の夕方5時、妻と買い物に行ったスーパーでのことだった。妻は雑巾を買うと言って生活雑貨のコーナーへ一人で探しに行ってしまった。一組の夫婦がモンキーバナナを一本ずつバナナ会社派遣された女性から受け取って食べ始めた。「いかがでしょうか?」と女性に尋ねられて夫婦は見事にハモッて「美味しい!」と言った。買う様子はなかった。女性は夫婦を見限って、すかさず私をターゲットにした。何事も優柔不断でハッキリしない私。女性はサット房からもぎ取ったバナナを私に差し出した。「間食はしないので」か「すぐ夕食ですから」と瞬時に答えられないもどかしさ。モンキーバナナはしっかり私の右手に握られていた。「ありがとう」と言ってはみたが、渡されたモンキーバナナに戸惑った。

 私が英会話の学校を経営していた時、常時2、3人の外国人教師を雇っていた。カナダ人オーストラリア人、ニュージーランド人、アメリカ人。契約が切れて新しい教師が赴任すると必ず前任者からの引継ぎ事項があった。教室が入っていたビルはイトーヨーカ堂の隣だった。「隣の食品スーパーの試食品コーナーを徹底活用すれば食費を軽くできる」 経営者の言うことは聞かなかったが、仲間教師の引継ぎはよく守っていた。彼らは頻繁に隣のイトーヨーカ堂に出入りを繰り返していた。彼らの国にも時々試食させるキャンペーンあったが、日本の試食ほど連日ではなく、クリスマスとか特別な行事近辺に集中していたという。日本では何のキャンペーン担当者でも気前が良くて驚くと皆一様に感想を述べた。私は「君たちが外国人だからだよ」と言いかかったが止めておいた。きっと彼らは帰国して日本のスーパーでは無料で食事ができるぞ、と宣伝してくれたことだろう。当時、日本はバブル全盛で試食品も太っ腹に振る舞われた。当時の勢いはないけれど、試食販売促進キャンペーンはデパートでもスーパーでも続いている。

 私がかつて暮らしたネパール、セネガル、セルビア、チュニジア、ロシアのいかなる食料品店でも試食による販売キャンペーンを見たことがなかった。日本の大量生産と薄利多売による過度な企業間競争は、豊かさの一現象なのだろう。チュニジアにいた時、チュニスの春で失脚追放されたベンアリ大統領の一族が初めて首都チュニスにフランスのカルフールのショッピングセンターを開店させた。大勢の客が押し寄せた。万引きもあっただろうが、一番私が驚いたのは、商品を食べてしまう者が大勢いたことだ。食べてしまえば、戻すことはできない。床に棚に食べた菓子の包み紙やバナナの皮が落ちていた。チュニジアではバナナは輸入果物で高価だった。

 モンキーバナナを手にどうしたものかと立ちすくんでいると「雑巾もう売っていないんだって」と妻がやってきた。モンキーバナナを見せ「そんなに物欲しそうな顔をしてるかな?」と言うと「この人なら買ってくれるそうだと彼女の直観が働いたのよ」と言われた。日頃、私はモノを買う天才と妻に言われている。

  モンキーバナナを妻のバッグに入れさせてもらった。手で持っていると店の商品のバナナをもぎってきたようで体裁が悪い。場違い。爪楊枝の先に刺さった小さな試食品ならその場で食べて完結する。バナナは手に余る。それでもモンキーバナナ1本のお蔭で、日頃忘れていた過去に巡り合えた。皮が黒ずみ始めていたモンキーバナナを夕食後食べた。夫婦で「美味しい」と見事にハモれた。


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超絶技巧!安藤碌山と超大国を標榜する中国

2014年11月13日 | Weblog

  8日の土曜日天気が良いのに誘われて以前から妻が観たがっていた静岡県三島市の佐野美術館へ行った。「超絶技巧!明治工芸の粋」展が開催されていた。駐車場の案内が分かりにくく美術館にたどり着くのに手間取った。案内板が小さく目立たず不親切な上に地図の方角が車を運転しながらではとても読みとることができない代物だった。相互通行ができないくらい狭い道路の奥にやっと駐車場を見つけた。

 出だしは悪かったがそんな機嫌もお目当ての安藤碌山作『竹の子、梅』(写真参照 美術館では撮影は禁止されている。絵葉書を購入して接写)を見た瞬間晴れ渡った。5月18日に放送されたNHK教育テレビ(最近Eテレと言うらしい)の「日曜美術館『明治の工芸 知られざる超絶技巧』」で初めて安藤碌山を知った。テレビ番組で観た『竹の子、梅』も素晴らしかった。

欲深い私は「いつか本物を見たい」と番組を観終わった時思った。時間が経ち、最近の私の慣例であの感動もきれいさっぱり忘れていた。妻が「静岡県の三島市で安藤碌山のあの『竹の子』が展示されているんだって」と嬉しそうに言った時、私は―――安藤碌山 どなただったっけ。安藤さんちから頂いた竹の子は展示されるほど立派だった?―――と考えていた。安藤碌山という名前は忘れていたが美術館で『竹の子、梅』を見た時、鮮やかにテレビで観たことを思いだした。

  実物は紙でできているのかと思った。材質は紙どころか象牙である。固い象牙がまるで紙のように見えること自体、安藤碌山の超絶技巧なのだ。私は『竹の子、梅』を10分間ずっと目を凝らしてあらゆる角度から観覧した。満足した。感動。他にも展示作品が数多くあったが展示会場を出た。妻はゆっくり全展示作品を一つひとつ観ていた。

  階下のホールの椅子に座って妻を待った。NHK教育の番組タイトル「知られざる超絶技巧」の“超絶”にも美術館の「超絶技巧!明治工芸の粋」の“超絶”にも私のへそ曲がりな拒絶反応があった。見たばかりの『竹の子、梅』は“超絶技巧”そのものだった。

  象牙といえば、中国の習主席がアフリカ訪問した時、外交官や軍関係者が現地で象牙を買い込んで習主席の専用機に持ち込んだと11月7日のニュースで伝えられていた。外交特権を悪用したのである。小笠原諸島近海での中国漁船の赤サンゴ密漁が問題になっている。中国の人々は官民そろって象牙や赤サンゴが好きなようだ。中国の北京で終わったAPEC首脳会議開催中に持たれた中国とアメリカの首脳会談を“超大国の二国による会談”と銘打った。

  “超”という銘は、けっして自ら付与するものではない。“超”を冠するには、それに値する万人が納得する道徳的精神的義務の遂行が具現付随されていなければならない。中国の大国意識は、先走りしすぎている感がある。台湾の故宮博物館には翡翠に彫られた『翠玉白菜』がある。『竹の子、梅』『翠玉白菜』ともに“超絶”が相応しい。象牙も赤サンゴも翡翠も原材料も原石も金さえだせば、誰でも買うことができる。象牙はワシントン条約で取引は全面的に禁止されている。原材料原石に手を加えて作品を創造するのは人間である。その“超”のつくごく限られた優れた人間は、生まれながらに持っていた才能ではない。毎日の辛い修行、試行錯誤の積み重ね、失意失敗の繰り返しを経て獲得したのである。美術館に並ぶ作品に値札は付いていない。これこそ最大の評価である。人間も国家も作品である。崇高なる尊厳と気品はうちから自然に湧くが如しに立ちのぼる。『竹の子、梅』が私にそれを教えてくれた。


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虫歯の詰め物がない

2014年11月11日 | Weblog

  右の奥歯に違和感があった。舌でさぐってみると何か火山のクレーターのような大きな穴発見。まさか虫歯。まだ前回歯医者で治療を受けてから数週間しかたっていない。こんなに大きな虫歯なら、歯医者が見逃すはずがない。それなら虫歯の治療に使った補填の金属が外れたのか。でも普段食事する時100回噛みを心がけている私が気が付かないのもおかしな話である。

 一旦気にしだしたら止まらない。自分ではそうしないようにブレーキをかけていても、舌は頻繁にクレーターに勝手に近づく。これでは気が散って書き物に専念できない。風邪を何とか悪化させずに6日のインフルエンザ予防接種も受けられそうだった。ダメもとでかかりつけの歯医者へ電話してみた。書き物の締切が28日に迫っていて、歯医者だって2週間後の再診というのを12月中旬まで延期してもらっていた。私の先延ばし体質がこの緊急事態を心の奥深くで喜んでいるのが憎かった。「6日の午後2時半に来て待つようになるが、それを承知していただけるならどうぞ」と受付の女性に言われた。もちろん二つ返事でお願いした。

 当日近所の病院でインフルエンザの予防接種を無事受けた。病院から駅へ直行して歯医者へ向かった。歯医者では20分も待たずに名前を呼ばれて歯科治療用の椅子に座った。担当の歯科医師が大きく開けた私の口の中を診た。「取れていますね。埋めてあった銀持ってこられましたか?」「・・・」(普通、取れたモノは持ってくるのか)と答えに窮した。「気が付かなかった?」「はい」 何か私の鈍感さを思い知らされているようで顔が熱くなった。「大丈夫ですよ。もう出てしまったでしょう」と歯医者は大きなマスクの上に出ているメガネの奥の目だけで笑っていた。(えッ、出た。それって私の喉、胃、十二指腸、小腸、大腸、直腸を通過して外に出たっていうこと)

 詰め物が外れたクレーターの中が虫歯になっているとのことで治療した。神経を抜いてあると思っていたが、しっかり生き残っていた。脳天を突き抜けるような音を出すドリルが時々神経に触れた。痛さは光の速さを超して全身を駆け巡った。プラスティックの詰め物をして噛み合わせを調節する研磨をしてもらう頃には目の前が霞んでそのまま眠りにつけそうだった。40分くらいで終わった。

 夜、帰宅した妻に歯科医師に言われたことを話した。「詰めてあった金属が尖っていれば腸を傷つけたりして危険だけれど、腹痛も何もなかったのだから大丈夫よ」と言われ安心した。しかし歯の詰め物の金属片が私の中を通過したという衝撃は後を引いた。口の中の異物に気が付かなかった自分にがっかりした。無事でよかった。日常生活の中にも自分の体の中にも危険があふれている。

 書き物は遅々として進まない。


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安倍首相の寝ぐせ

2014年11月07日 | Weblog

  十代後半に日本の公立高校からカナダの私立のキリスト教全寮高校へ転校した。日本人は私一人だけだった。まるで異星人のように他の生徒から一挙手一投足に注目された。私の髪の毛を触りたがる者もいた。「固い、針金みたいだ」の感想は忘れられない英語となった。確かに白人の髪の毛は細くてやわらかいらしい。シャワーやプールで髪の毛が濡れるとピタッと頭の肌にトロロ昆布のようにへばりつく。

  妻の髪の毛は私より太くて硬い。化粧をほとんどしない。香水もつけない。医者として患者に不快感を与えないために気を配っている。私も協力する。スーツを着た後、ブラッシングしてスーツの襟とシャツの点検もする。時々寝ぐせがひどいことがある。後頭部の跳ね上がりは自分では発見しにくいものだ。私は出勤前に妻の後頭部の寝グセによる跳ね上がりをチェックする。以前妻は髪の毛を長く伸ばしていた。熱いタオルを使い、ヘアドライヤーを使わなければならないことも多かった。最近妻はショートカットにしている。寝ぐせ直しはずいぶん楽になった。花王のリーゼという寝ぐせ直し専門のスプレーもある。

  私の父親はオシャレというか“エエカッコシイ”だった。頭の毛が薄くなって禿げてきてもポマードを使って整髪していた。普段子供の身なりに口も手もあまり出さなかったが、学校の卒業式などの行事の時は寝ぐせをわざわざヤカンで沸かした熱い湯にタオルを入れてから軽く絞って、私の頭をがっしりした手で力強く包み込んでしばらく押さえていてくれた。その後クシできちんと梳かしてくれた。熱いタオルを平然と素手で絞っている父の姿を目を見開いて見つめた。

 4日の国会の予算委員会のテレビ中継を観た。珍しく安倍首相が語気を強めて社民党の党首が「週刊誌の記事の脱税疑惑」に関する質問に答えた。その時私は発見した。安倍首相の後頭部の髪の毛が寝ぐせのように跳ね上がっているのを。安倍首相は髪の毛を固めるジェルのようなものを使っているようだ。サイドはバッチリその効果で整髪されている。安倍首相はスーツにフケや汚れシミが付いていることまずない。明恵夫人がケアしているのだろう。国会に出れば夫人の手は届かない。見た目や服装がその役職についている人の能力や業績に関係がないとは思うが、やはりできるだけ身なりもそれなりに気を配っていてほしい。

 テレビドラマ『白い巨塔』で財前教授の回診にゾロゾロひっついていく医者たちと婦長のように、首相の後を多くの官僚や秘書が追う場面がテレビに映る。『白い巨塔』では財前教授に気に入られようとゴマスリ目立とうとする者がわんさか登場した。皆優秀で頭の良い連中だ。ライバルを蹴落とそうとあらゆる機会を狙っている。“我こそは”の権力闘争の湯気が立ちのぼる。そんな雰囲気が財前教授の回診や首相官邸内の安倍首相を映すテレビから伝わってくる。あんなにたくさんの目が安倍首相の後頭部に注がれているのに誰も寝ぐせに気が付かないのか?それとも気が付いていても言えないのか?エリートだけが国を動かしているのではない。世の中にはありとあらゆる職分野が存在する。その道で修行研鑚を積みプロとなる。首相の身なり身支度を近くから目配り気配り手配りして見守り、世話できる人も探せばきっと見つかるはずだ。

 安倍首相は脱税疑惑の質問を「こんなことに時間を使うことに国民はうんざりしていると思う。いくら質問とはいえ、慎んでほしい」と締めくくった。異議ナシである。安倍首相は激務をこなしている。今回、安倍首相の寝ぐせをお偉方の全員が見逃したようだ。首相には多くのブレインと呼ばれる人がいる。それも必要だとは思う。制度そのもに抵抗を感じるが、英国の執事メイドのノウハウ心得には見習うことが多い。安倍首相には、リーゼのスプレーとヘアブラシ、スーツ用ブラシを隠し持ち影のように付きまとい、問題が発生したら直ちに人目につかない舞台裏で瞬時に対応して、首相を表舞台に送り出すことができるスタイリストが必要かもしれない。


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インフルエンザ、秋風邪

2014年11月05日 | Weblog

  先週の木曜日妻が熱を出した。結婚して22年妻が病気で寝込んだのは2回だけだ。一方夫の私はいくつもの持病を抱え老化も進んでいる。常日頃、自分は健康であると自慢する妻が咳き込んだり頻繁に洟をかむ。使ったティッシュが山になる。私は嫌な予感を持った。もしかしたらインフルエンザ。医者の不養生。妻は毎日電車で通勤して不特定多数の人たちと車内に閉じ込められる。病院では多くの患者と接している。妻が勤めに出ている間、私は独居老人なので他人との接触は、買い物で外に出た時以外ない。新聞やテレビのニュースではエボラ出血熱の報道があってもインフルエンザが流行っているとの報道はまだない。私たち夫婦が先陣をきるのか。不安な妄想が頭を駆け巡った。妻は薬を服用して早めにベッドに入った。私は妻に背中を向け、呼吸を浅くして寝た。

 金曜日の朝、目覚めと同時に私は喉に異常を感じた。体がだるい。あちこち関節が痛い。うつった。インフルエンザの予防接種は11月6日に予約してある。ワクチンがあって誰でも接種を受けられることはありがたい。60歳以上で受けられる肺炎球菌のワクチンも日本人の平均寿命に貢献していると聞いている。私もすでに接種を受けてある。インフルエンザの接種は申し込んだらすぐ受けられると思ったが、住む町では65歳以上の老人に補助金を出す都合上日にちを決めてまとめた人数にして接種しているらしい。まだ予防接種を受けてないので、もしインフルエンザだったらと不安だった。妻を駅に送った。イソジンでうがいを念入りにしてベッドに戻った。風邪で熱があっても妻は出勤した。私は自分で自分を病気にするのが得意である。持病の糖尿病のせいで免疫力が低いのは事実である。しかし何か感染症や食中毒などのニュースに素直に反応してしまう。病は気から、というが私の場合、病はニュースからのようである。

 三連休の11月1,2,3日だったが妻は土曜日出勤があったので2,3日だけの休みだった。妻の強い意志が風邪を封じ込めたらしく熱は下がり咳だけになった。私は鼻水をたらし喉の不快感、体のだるさ、関節の痛みを訴え続けていた。結局連休はほとんだ家の中で過ごした。私は何としても6日のインフルエンザの予防接種を受けたい。体調を整えて、当日体温が平熱でないと接種してもらえない。前回インフルエンザに罹った時は二週間床に伏した。高熱、頭痛、咳、だるさ、食欲減退、喉の痛み、関節の痛み、鼻水に苦しんだ。できればインフルエンザ感染は御免こうむりたい。

 11月末には8年連続して応募している文学賞の締め切りがくる。書いて訴えたいことはハッキリしているが、文章にそれが表せない。まだ3分の2しか書いてない。書いては読み、書き直す。毎日悶々とパソコンに向かう。ああだこうだと自分に都合のいい言い訳をつくっては、小学生だった時と同じように先延ばし作戦を計っている。

  小学校から夏休みの宿題日記の先送りサボリの常習犯だった。中学校では試験のずいぶん前から綿密な学習予定表をつくっては、毎日「明日から始めるぞ。だから今日は最後だ。思い切り遊ぼう」と逃げた。試験前日にきまって「今回の試験は、計画を実施できずに不本意ながら大した準備をするこもなく受験するが、次回には必ずやこの不名誉を挽回して好成績をあげる」と固く自分に誓って早めに床に就いた。成績は毎回如実に私の実行力のなさを反映した。

 そんな私の救いは、鈍才ゆえの粘りである。ある人は私が柳のような人間だと評した。私は自分がダメ人間と知っているから諦めない。倒れても吹き飛ばされても馬鹿にされても立ち上がる。だからインフルエンザにも負けたくない。今の私の目標は6日にインフルエンザの予防接種を受けて、月末までに小説を書き上げ提出することだ。こうして恒例行事を一つひとつこなして1年また1年と過ぎてゆく。


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