日本に帰国して公園へ行ってもまずこのようなヨーロッパや北米の風景は見られない。老人がいても元気な集団であり、孫の子守りか犬の散歩である。ひとりでポツンとしている老人は見かけられない。西洋人と日本人の老人の違いは、個人と集団の違いだと思う。西洋人は個人の自由を得るために、家族から自立する。自由を得るために代償を支払う。それが老後の孤独だと思う。
日本では個人の自由は、尊重されない。多くの老人が家族の介護を当然のように受ける。 私の母は、公言した。「私の財産は、私の老後を看てくれる者に譲る」 それを妹が受け、土地建物の名義も書き換えられた。ところが二人の関係が今になってぎくしゃくしている。契約という観点から言うと、私の出番はない。
私の妻の実家へ妻と行って泊まった。私はそうしたことを後悔した。見たくないこと、聞きたくないことを多く見聞きしなければならなかった。義母は義父が亡くなったあと、一人で大きな家に住んでいる。妻が言う。「私はお母さんの家来なの?」 義母は明言する。「そうだよ。お前は私の家来だよ。子どもはみんな親の家来だよ。だから言うことを聞かなきゃいけないのよ。お前は私の面倒を看てくれなきゃいけない。ここへ帰ってこなければいけない。そうすればこの家屋敷はお前にやる」 妻、「私はそんなものいらない」 延々と接点のない、答のない話し合いが続いた。
ベオグラードの公園のベンチに座る老人達は、孤独である。じっと公園のベンチに座り、ものを思い続ける。日向ぼっこをしているわけでもない。何故なら彼らはずっと同じベンチにいる。太陽の光りの移動と動きをともにしない。朝になると公園へ来て、夕方には家へ帰える。犬も連れていない。孫も一緒ではない。ただひとり自立を全うしようと自分に言い聞かせているかのように。それを見ている若者達も、いつか自分もいまの自由の代償として、ああなることを自覚しているようだ。そこに大人の寂しくも毅然とした成熟をみる。まるで背中に「私にも青春があった。若くて躍動の若さがあった。楽しいこともたくさんあった。無茶もした。今度は君たちの番だ。私は毎日、私の青春をここで思い出し、なぞっているのさ」と書いてあるかのように私には思えた。
私は今年還暦を迎えた。私の今までの人生を振り返ると、ずいぶん勝手気まま、自由に生きてきた。私自身の老後を子ども達に看て欲しいとは思わない。思ってはならないと考えている。私が自由に生きた代償を支払わなくてはいけない。まずどう支払うかを考えたい。適当なカリメグダンのような公園が家の近くにはない。私は終の棲家として購入した今住む家の中の書斎で、ひとり考えている。考えるために自分の過去を思いつくままに書いている。そうしながら私は自分を納得させていこうと思う。自由の代償の重みを今になって強く感じている。