9月27日女優竹内結子さんが40歳の若さで自ら命を絶った。遺書はなく、死を選んだ理由が不明である。竹内さんが出演した映画もテレビ番組も観たことがない。私は彼女のニュースを知った時、自分の母親のことを思い出した。私の母は、5人目の子の出産の時に死んだ。あの日母親は、「赤ちゃんを助けて…」と言いながら死んだ。赤ちゃんも一緒に死んだ。竹内さんには子供が二人いる。一人はまだ生後9か月である。私の母親が死の間際でも子を助けて欲しいと叫んだ。でも竹内さんは、出産して新しい命を得たのに、自らの命を絶った。私の心の中に、コールタールのようにへばりつく“なぜ”が消えない。
私は竹内結子さんが出演した映画もテレビドラマも観たことがない。日曜日朝7時から放送の日本テレビの『所さんの目がテン』でナレーターを竹内結子さんが担当していた。私はナレーターが上手い人は、良い役者でもあると思っている。岸田今日子、藤村志保、市原悦子、宇野重吉。竹内結子さんも、そのうちに私のベストナレーターランキングに入ってくると感じていた。
NHKテレビの『世界は欲しいモノにあふれてる』に出ていた俳優三浦春馬さんも7月に自らの命を絶った。30歳だった。爽やかな感じがした。嫌味がなく死ななければならない悩みを持つ人とは見えなかった。好きな番組の出演者が立て続けに自殺した。二人の自殺の理由は闇の中だ。本人以外の誰にもわからない。
小説『サーフ・スプラッシュ』(桜井亜美著・幻冬舎文庫)に竹内結子さんが解説を書いている。「帰る家は暖かい家庭そのものに見えたが、カギがかかった空間がいくつもあるような場所だった。足早に台所を通り過ぎる時、一人の人間として父が必要とした女の人が、彼女の子供達のために食事の支度をしている。番の食卓の賑やかな景色が、私にはガラス越しのものに見えた。……私は父に人生を好きに生きてくれたらいいと思っていた。連れ子という荷物がいることを面倒にかんじられたくなかったのだ。その思いが自分の心に無理を課していたとは気付かなかった。」
竹内結子さんも三浦春馬さんも家庭環境が複雑だったようだ。私も生みの親が死んだ後、母の妹が継母として父に嫁いできた。竹内結子さんが書いている情景は、自分が経験したことに似ている。“ガラス越し”“荷物”という言葉が私の心に刺さる。私はかつてガラスの心の持ち主と、ある人から言われたことがある。竹内結子さんが書いた文章に、私はガラスの心を感じた。
そんなガラスの心の持ち主が、本屋で日記帳を買った。もうダメだ。もうじき死んじゃうかもしれないと騒いでいるのにである。迷った末、買ったのは3年日記。今使っている日記帳は、3年日記という3年間連続で書ける日記帳である。3年日記を使う前、5年日記を買っていた。5年に時間の長さに何の抵抗もなかった。今の5年は、とてつもなく向こうに見える。1年日記だと夢がない。3年なら頑張れば、何とかなりそうだ。かつてのピリピリしたガラスのハートの持ち主は、すっかり歳と共に、図太くなった。いけしゃあしゃあと3年日記を、まだ10月なのに買った。竹内結子さんや三浦春馬さんに申し訳なく思う。私も複雑な家庭で幼少期を過ごし、離婚も経験した。多くの人々に助けられ、コキゾウ(古稀+3歳)になった。50歳代で心臓バイパス手術を受けた。失敗だったが、修復手術をしてくれた医師が「10年前なら、この手術はできませんでしたよ。与えられた命です。大切にして生きてください」と言ってくれた。おまけの命、医学の進歩に与えられた命。あと3年日記を書き続けようぞ。