① 坐禅
② モヤシ教
③ トイレ掃除
① 最初の結婚が29歳で破綻した。今の妻と44歳で再婚するまでの15年間は、前の結婚の後始末の泥沼に入り込んでいた。二人の子供の面倒を見て、事業を経営した。最初の2年間は朝3時に起きて車で1時間の寺へ坐禅を組みに毎日通った。坐禅が私を鍛え直した。苦しければ苦しいほど坐禅は、私自身がすべての原因であると攻め込んだ。何とか自分を取り戻して失敗に終わった結婚から新しい出発に切り替えようと考え始められたのは、坐禅を始めてから2年が過ぎていた。あの時坐禅がなければ、今の私があったかどうか疑わしい。
② 二人の子供を住んでいた町から長男は他県の全寮制の高校へ、長女はアメリカの私の先輩の家庭に預かってもらった。二人への仕送りに収入のほとんどを当てた。自分の生活費は米、味噌を買うぐらいしかなかった。モヤシは私の強い味方だった。安くて栄養を与えてくれただけではなかった。やがて私はモヤシ教の信者になった。教祖は母だった。母はよくモヤシをきれいにしていた。買ってきたモヤシをハサミで根を切り、ゴミを取り除く。その作業が坐禅のような効果を私にくれた。子供たちと離れて暮らす寂しさ、金のないひもじさ、じぶんを責め続ける苦しさ。モヤシ一本一本根を切り、ゴミを取る単純作業。何でこんな事をしなければならないのだ、という傲慢さがすべてを放り出させようと試みる。モヤシは一袋200グラムで250本から300本入っている。その一本一本を手に取る。その一本一本が私に語りかけ、教えを垂れる。モヤシの世界に浮遊する。水をはったボールに入ったモヤシは、シャッキとする。
最後の一本をきれいにする。今日も最後までできた、達成感に浸った。モヤシを豚肉の切り落としと炒めて一人の食事を済ませた。そうして15年の歳月が過ぎていった。
③ 再婚するまで一人で住んでいたアパートのトイレは簡易水洗式だった。母は月一度自分が休みの日に自転車で一時間ほどの私のアパートに来て掃除や洗濯をしてくれた。母は言った。「どんな暮らしをしてもトイレだけはいつもきれいにしなさい。そして二人の子供を育てなさい」と。母が帰った後、ピカピカのトイレを見て、浜口国雄の詩『便所掃除』を思った。「・・・便所を美しくする娘は 美しい子供をうむ といった母を思い出します 僕は男です 美しい妻に会えるかもしれません」 そしてついにその日が来た。すでに妻と再婚して26年になる。
私は最近「色即是空」 「苦は楽の種、楽は苦の種」のささやきを、寄せては返す波の音のように聴いている。私が死んだ後、妻は・・・。どんなに考えてもわからないことだ。だから私は今日もモヤシを仕込むか、トイレ、流し、洗面を掃除する。そうしていれば、私を時間というしばりから解放してくれる。