団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

苦しみ悲しみへの私の対峙法 坐禅・モヤシ・トイレ掃除

2018年01月30日 | Weblog

①  坐禅

②  モヤシ教

③  トイレ掃除

①   最初の結婚が29歳で破綻した。今の妻と44歳で再婚するまでの15年間は、前の結婚の後始末の泥沼に入り込んでいた。二人の子供の面倒を見て、事業を経営した。最初の2年間は朝3時に起きて車で1時間の寺へ坐禅を組みに毎日通った。坐禅が私を鍛え直した。苦しければ苦しいほど坐禅は、私自身がすべての原因であると攻め込んだ。何とか自分を取り戻して失敗に終わった結婚から新しい出発に切り替えようと考え始められたのは、坐禅を始めてから2年が過ぎていた。あの時坐禅がなければ、今の私があったかどうか疑わしい。

②   二人の子供を住んでいた町から長男は他県の全寮制の高校へ、長女はアメリカの私の先輩の家庭に預かってもらった。二人への仕送りに収入のほとんどを当てた。自分の生活費は米、味噌を買うぐらいしかなかった。モヤシは私の強い味方だった。安くて栄養を与えてくれただけではなかった。やがて私はモヤシ教の信者になった。教祖は母だった。母はよくモヤシをきれいにしていた。買ってきたモヤシをハサミで根を切り、ゴミを取り除く。その作業が坐禅のような効果を私にくれた。子供たちと離れて暮らす寂しさ、金のないひもじさ、じぶんを責め続ける苦しさ。モヤシ一本一本根を切り、ゴミを取る単純作業。何でこんな事をしなければならないのだ、という傲慢さがすべてを放り出させようと試みる。モヤシは一袋200グラムで250本から300本入っている。その一本一本を手に取る。その一本一本が私に語りかけ、教えを垂れる。モヤシの世界に浮遊する。水をはったボールに入ったモヤシは、シャッキとする。最後の一本をきれいにする。今日も最後までできた、達成感に浸った。モヤシを豚肉の切り落としと炒めて一人の食事を済ませた。そうして15年の歳月が過ぎていった。

③   再婚するまで一人で住んでいたアパートのトイレは簡易水洗式だった。母は月一度自分が休みの日に自転車で一時間ほどの私のアパートに来て掃除や洗濯をしてくれた。母は言った。「どんな暮らしをしてもトイレだけはいつもきれいにしなさい。そして二人の子供を育てなさい」と。母が帰った後、ピカピカのトイレを見て、浜口国雄の詩『便所掃除』を思った。「・・・便所を美しくする娘は 美しい子供をうむ といった母を思い出します 僕は男です 美しい妻に会えるかもしれません」 そしてついにその日が来た。すでに妻と再婚して26年になる。

私は最近「色即是空」 「苦は楽の種、楽は苦の種」のささやきを、寄せては返す波の音のように聴いている。私が死んだ後、妻は・・・。どんなに考えてもわからないことだ。だから私は今日もモヤシを仕込むか、トイレ、流し、洗面を掃除する。そうしていれば、私を時間というしばりから解放してくれる。


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冷暖房 我が家の贅沢(住宅編)

2018年01月26日 | Weblog

①  風呂場 TOTO浴室暖房乾燥機

②  書斎 寝室 ダイキンエアコン

③  トイレ TOTO暖房付きトイレ

①   今月22日から23日にかけての関東地方の大雪の後、シベリアからの大寒波襲来で寒い日が続いている。昨日の朝6時40分にマイナス2度。今朝もマイナス2度だ。今住むところを終の棲家に決めたのは、冬長野県ほど寒くならないからだった。心臓バイパス手術を受けた後、手術を担当した医師に「これからは、できるだけ暖かいところで暮らしてください」と言われた。このところ長野は、マイナス10度近辺を記録している。

東京で21センチの積雪を記録した日、私が住む所は積雪ゼロ。こんな事で一喜一憂する自分が情けないが、私の弱ってきた心臓には負担があまりかかっていないようだ。できるだけ暖かいところと選んだ場所でも、冬は寒いと感じる。特に風呂場、湯舟は良いが、上がって着替える洗面所は寒い。ヒートショックが恐い。そこで数年前車をリースにして費用を捻出して、風呂場にTOTOの浴室暖房換気乾燥機を天井に取り付けた。着替える洗面所にはデロンギのオイルヒーターをつけた。浴室暖房をつけるために100Vの電源を200Vに変えた。工事費用がかさんだが、車をリースにしたことで経費が激減した分で十分賄えた。

②   2LDKの分譲集合住宅の1軒を購入した時、エアコンは2台あった。ところがこのエアコン、能力が低く冷房はほとんど役に立たなかった。その上、2台とも水漏れまでし始めた。最初に見積もりを頼んだ工務店は、壁を除去しての工事なるので1部屋100万円以上かかると言われた。あきらめていた。友人にそのことを話すと業者を紹介してくれて、2部屋のエアコンを50万円でとりつけてもらえた。壁を壊すこともせず、冷暖房能力も格段と良くなり、その上エコと消費電力は依然よりずっと少なくなった。エアコンは切ったり入れたりせずにずっと使っていた方が電気代はかからないといわれるが、疑い深い私はリモコンのタイマーをこまめにセットして使っている。確かに電気料金はエアコン使用時に高くなるが、ヒートショックで命を落とすよりはマシと思っている。

③   風呂場に浴室暖房換気乾燥機を設置した時、風呂場の隣にあるトイレにも暖気を入れられないかと工務店に相談したが、無理だと言われた。TOTOのウオシュレットはやはり数年前に機種変更した。いろいろ新しい設備について説明を受けたが、右から入って左に抜けていた。説明書を見直した。ルーム暖房という項目があった。携帯電話でも何でも新しい機器は、触ることもないボタンやスイッチが多い。ウオシュレットもそうだった。便座のシート暖房は知っていたが、まさかルーム暖房がついていたとは。早速使ってみた。密閉された狭い場所なので、ウオシュレットに内蔵された小さなヒーターで十分効果がある。以前のように体が震えるような寒さはなくなった。

 何もかもにお金をかけることはできない。ええかっこしいの私は大きくてパワフルでカッコいい車に乗りたい気持ちを封印した。その経費で風呂場、エアコン、トイレの改善ができた。目立たない場所への投資だが、使うたびに贅沢と感じ、ヒートショックを防いでもらっているのだという感謝が湧く。今まで散々に無駄遣いをしてきたが、やっと正当なお金の使い方ができるようになってきたような気がする。遅い感はあるが、手遅れでないことを願う。


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我が家の贅沢 (食べ物編)

2018年01月24日 | Weblog

①  わさび

②  コシヒカリ玄米

③  刺身

①   長女がアメリカの大学を卒業した時、日本は就職難だった。ましてや海外の大学を卒業した者には更に厳しかった。私は長女にアメリカで就職先を探すよう進言した。しかし結局長女は、帰国した。理由を聞いて驚いた。アメリカにいると納豆が食べられないから。食べ物の影響力は大きい。

 私たち夫婦は、13年間海外生活を続けた。私に糖尿病の持病があったので、できるだけ和食系統のものを食べるようにした。どこに住んでも食べ物の調達に苦労した。日本食の特異性が原因である。値段も高い。賞味期限は切れていて当たり前。2年に一度の日本への帰国休暇は、海外での我慢と忍耐を報いてあまりある至福の時だった。帰国休暇前に日本で食べてくるものを表にした。そして帰国するとその表にある食べ物を一つずつ制覇していった。休暇が終わって任地に戻ると、海外不適応症候群に陥った。

 日本に帰国した。夫婦二人で誓い合った。これからは他の出費を抑えて、ずっと食べられなかった食べ物に贅沢しようと。

 わさびは、海外で入手困難だった。ロンドン、パリなどの大都市の日本食品店でチューブ入りの合成品を買うしかなかった。チューブ入りのわさびは、ほとんど西洋わさびが原料で日本のわさびとはまったく別物である。着色もされている。わさびを買っても刺身につけるのではなく、長く保存可能な箱に入った豆腐を食べるとき使うぐらいだった。

 現在最高の贅沢は、本物の生のわさびをサメ肌のおろし器でおろして刺身につけて食べることである。

②   日本米も特別な米である。米はどこでも買えるが、日本米はない。アフリカに暮らした時、市場で日本米を見つけた。なんと日本政府がその国に援助の一環で贈った米だった。質はあまり良くなかったが、久しぶりの日本の米を食べた感想は、懐かしくもあり釈然としなかった。アメリカからアフリカの任地にカルフォルニア米を船便で送った。待てど暮らせど到着しなかった。アメリカの郵便局が米をあろうことか日本へ送った。日本の郵便局は航空便で転送してくれた。

 日本に帰国して米は、コシヒカリを健康のため、三分付きにして食べる。贅沢!

③   今住む終の棲家は港に近い。新鮮な魚を刺身にして食す。ほぼ毎日食べる。

 不自由で物がない場所で暮らしたからこそ、今が幸せ。わさびの鼻にツーンと抜ける独特の辛さは、至福の涙に変わる。


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東京駅ステーションホテルとホテルランキング

2018年01月22日 | Weblog

①  タイ オリエンタルホテル

②  稚内 プチホテル ジョイ

③  東京駅 ステーションホテル

①   高校の同級生のN君が大学教授を退任する頃こんなことを言った。「退職祝いに東京ステーションホテルに泊まってみたい」と。私は東京ステーションホテルってそんなにすごいホテルなんだと思った。自分には縁のないホテルだとずっと思っていた。ところが1月15日に招かれてそこに泊まることができた。

今までに多くの国で多くのホテルに泊まった。その中で一番印象が良かったのは、タイのバンコクのオリエンタルホテルである。建物はどこのホテルも似ている。問題はそこで働いている人たちである。タイのオリエンタルホテルの何が凄いって従業員の一人ひとりの質の高さである。この人たちはホテルで働くために生まれてきたのかもしれないと思ったほどだった。まず客の名前を覚える。玄関のドアボーイは、私が出入りするたびに「○○さま、行ってらっしゃいませ」「○○さま、お帰りなさいませ」と声をかける。部屋の担当係も打てば響くように応対してくれた。洋服のほころびを直したくて針と糸を頼んでも即、対応してくれた。そして常に微笑みを絶やさない。現在のオリエンタルホテルも同じであるかはわからない。

②   ロシアのサハリンにいた時、函館とユジノサハリンスクを飛んでいたアントノフ機に乗るのが恐くて、できる限りコルサコフー稚内の東日本フェリーが運航する船を使っていた。稚内では最初に偶然泊まった『プチホテル ジョイ』を定宿とした。小さなビジネスホテルだった。高級ホテルはいくらでもある。なぜプチホテル ジョイが私のホテルランキング2位かというとそこのオーナーのMさんに惚れたからだ。当時私は心臓バイパス手術を受けたばかりで、重い荷物を持つことができなかった。しかし、生活物資が不足していたサハリンへ稚内からたくさんの荷物を運ばなければならなかった。Mさんは、そんな私のために荷物を部屋に嫌な顔一つせずに助けてくれた。サハリンに帰る日は港まで来て荷物を積むのを手伝ってくれた。サハリンの生活は、息が詰まるよう毎日だった。そこから抜け出して訪れた稚内は、楽園のようだった。加えて優しいMさんのおかげで元気を取り戻し、妻の待つサハリンへ戻った。

③   レンガ造りの東京駅の丸の内駅舎が2012年に復元工事を終えた。1914年に完成した駅舎がその原型をよみがえらせた。ホテルも2012年10月に営業を再開したとのニュースは知っていた。まさか自分がこの東京駅ステーションホテルに泊まれるとは思ってもみなかった。建物、設備、防犯安全対策などホテルとしては、素晴らしく申し分ないものだ。しかし残念なことにホテルで働く人々に難がある。おそらく優秀で激しい競争を経て、JR東日本に就職できた人達であろう。どちらかというと役人のような人である。おそらく英語や外国語にも堪能であろう。外国人客が多いので、そつなく外国人には対応できていた。日本人客への対応は、まるで市役所の公務員のようで味気ない。建物や設備が良いだけに残念だった。レストランでもいかにもどこかから引き抜いてきたような腕のよさそうなシェフたちがいたが、何か抜けている。自然にあふれる笑顔と優しさがない。

 招いてもらって文句は言えないが、自分のお金でもう一度泊まる気にはならない。良いホテルとは、客を気持ちよくさせて、またここへ来て泊まろうと思わせる居心地を提供する場なのかもしれない。等級も価格もそこで働く人々の学歴も関係ない。N君に東京セテーションホテルに泊まったことを伝えるか迷っている。


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不整脈とメディカルチャック

2018年01月18日 | Weblog

①  チュニジア在住時のホルター心電図検査

②  心臓バイパス手術前のホルター心電図検査

③  古稀のホルター心電図検査

①   専門家らはトランプ氏について、発言にまとまりがない、ろれつが回らない、古くからの友人の顔が分からない、同じ内容の発言を繰り返す、細かい動作をする能力が下がった、読んだり聞いたり理解したりするのが困難、判断力や計画立案、問題解決、衝動抑制の能力が疑わしい、最近目に見えて語い力が低下したといった所見を挙げている。

 トランプ・アメリカ大統領は私より1歳年上の71歳である。にもかかわらず、世界最強国アメリカ合衆国の大統領を勤めている。専門家というのがどういう人たちなのかはわからない。マスコミは、どんな発言であれ、情報操作できそうなものは、実にうまく利用する。当然トランプ氏が大統領選挙に立候補した時点で厳しい健康検査を受けている。つい最近もトランプ大統領は、健康検査を受けた。結果はすこぶる健康であると発表された。するとマスコミは、上記のような年齢による認知症の所見があると騒ぎ始めた。しかし大統領のメンタル面での検査の公表は、法律で保護されている。今回の健康検査では、メンタル検査は実施されていない。

 トランプ・アメリカ大統領と私を比較してもしょうがない。それでも言わせてもらう。専門家が挙げた所見、それほとんど私に当てはまる。

 私が自分の心臓の異変に気付いたのは、チュニジアのチュニスに住んでいた時であった。近所の市場で買い物をして重い買い物かごを持って、家の玄関前の階段を上がると心臓が締め付けられるようになり、息が苦しくなった。夜帰宅した妻にそのことを言うと、次の日地元の病院へ連れていかれた。弁当箱のようなホルターという24時間の心電図を記録する箱を持たされ、胸の数か所に電極パッチを貼り付け、細い電線と箱とつないだ。結果は狭心症と診断された。チュニジア人医師はバイパス手術を自分の病院で受けるよう勧めた。妻は日本で再検査してからと言った。

②   私は一人で帰国した。長野日赤病院で再検査。ホルターを24時間つけた。チュニジアでつけたホルターと同じく大きくて、電極パッチはベトベトだった。結果はやはり狭心症。それもすぐにバイパス手術を受ける必要があるだった。

③   古希を迎えて初めての正月を迎えた。トランプ・アメリカ大統領の健康ぶりに嫉妬を感じていた。ある日、心臓の異変を感じた。不整脈の症状に一致した。加えて時々、スーッと後ろ髪を引かれるように意識が遠のくこともあった。めまいも時々おこる。16日病院へ行った。ホルターをつけて24時間の心電図を録ることになった。驚いた。以前とは別物である。(写真参照)小さい。軽い。接着面の不愉快さがない。現在も装着されているが、まったくそれを感じさせない。

  ホルターによる心電図の結果はまだ出ていないが、昨日の心臓超音波検査では、3つの症状が指摘された。気の小さい私は落ち込んだ。でも信じる。ホルターだってここまで進化している。日本の医学、科学、産業技術のさらなる発展に期待しよう。私は、トランプ・アメリカ大統領のような健康の天才ではないが、現代科学英知の力を借りて、せいぜいもう少し生かさせてもらう。

 


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Shithole と「日本人のウンコは臭い」

2018年01月16日 | Weblog

①     「日本人のウンコは臭い」

②     「ジャップ」

③     「日本人はバカだから夏休みが短い」

①      トランプアメリカ大統領がある委員会で「Shithole」 (まだアメリカに下水処理施設がなく、開拓者や農家のトイレが屋外にあり、板に穴が開いただけの簡易なものだった時代の呼び名)という言葉を使ったことで世界中が大騒ぎになっている。私はトランプ氏がアメリカ大統領になった時、私が知っている軽井沢のキリスト教宣教師の悪ガキがアメリカ大統領になったのかと思った。カナダへ留学する前、言葉巧みに騙され、しばらくの間、その宣教師が運営する聖書学院の寺男のようなことをさせられた。ちょうどそのころその宣教師の次男が東京清瀬にあるアメリカンスクールを退学になって軽井沢にいた。彼はアメリカンスクールの寮を夜間に出て清瀬市内の車100台以上をパンクさせ警察に逮捕された。(つい最近も東京でナイフを使って車をパンクさせる事件が起こっている)その次男と一緒にいろいろな作業をした。彼は私と同年代だった。つまりトランプアメリカ大統領とも同じ年齢だ。キリスト教の宣教師の子供がどうしてこれほどの不良になれるのかと理解できなかった。アメリカ英語の下品なスラングを彼の口からたくさん聞かされた。

 私が学んだカナダのキリスト教の学校では、入学と同時に日本の運転免許証のように持ち点が与えられ、違反すると減点された。10点で退学になる。一番厳しいのが男女交際で次は言葉遣いだった。つまり一歩学校を出れば、軽井沢の宣教師の次男やトランプアメリカ大統領のような下品な言葉を多用する人があふれている。だからこそ学校は必死にそれらを学校内に持ち込ませないようにした。どんな宗教でも人間を清廉潔白な聖人にすることができないようだ。

 アメリカ大統領にまで上り詰めたトランプ氏だが、日本人は彼が大統領なのだから言葉遣いにも大統領らしさを求める。しかしトランプ氏がそもそも大統領になれたのは、アメリカ人の多くが彼と同レベルだからこそ当選したのだ。

 宣教師の次男に「日本人のウンコは臭い」と言われ、私はそれがトラウマになった。世界の多くの国々を訪ね、暮らした。どこの国の人のウンコも臭かった。日本人のが特別臭いわけではない。

②      カナダでもアメリカでも1960年代、よくジャップと言われた。差別はどの人間の心に中にもある。それをどう出さないかが、その人の人格であろう。「・・・ごときが」と考えてしまう、うぬぼれがその人の徳をゆがめる。2000年代アフリカで私は、アフリカ人たちに「シノワ」(もともと中国人の意だが、アジア人への蔑称)と言われた。世界はちっとも変っていない。そして人間は、どの人種にも差別する心がある。今回トランプ大統領は、ハイチやアフリカ人に「Shithole」を使った。彼らは怒る。でもシノワと言われた私は声をあげて抗議できなかった。

③      「日本人はバカだから夏休みが短い」と言ったのは、例の軽井沢のキリスト教宣教師の三男だった。子供は親が家庭で話していることを家の外で話す。きっとあの宣教師の家庭では、日本人をコテンパンにこき下ろしていたのであろう。本人たちにとっては何気ない言葉でも、言われた者は傷つく。私は宗教に幻滅した。

 

 吉野源三著『君たちはどう生きるか』マガジンハウス刊にこうある。「しかし、コペル君、たとえちゃんとした自尊心を持っている人でも、貧乏な暮らしをしていれば、何かにつけて引け目を感じるというのは、免れがたい人情なんだ。だから、お互いに、そういう人々に余計なはずかしい思いをさせないように、平生、その慎みを忘れてはいけないのだ。」


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石炭ストーブ 

2018年01月12日 | Weblog

①  小中高の教室にあったストーブ

②  暖炉

③  我が家のフェイクストーブ

①   NHK総合テレビの『ブラタモリ』でタモリさんが長良川の鵜飼いのかがり火を見ながら言った。「生火を見ていると、自分の過去の悪事を告白したくなる。火には不思議な力がある」というような事を言った。共感した。

 日本の暖房は、未だに非効率である。長野県で生まれ育った。盆地だった。夏暑く冬寒かった。幼いころは、しもやけあかぎれは当たり前でほっぺもひび割れ赤かった。寒い日は♪おしくらまんじゅう、押されて泣くな♪とやせ我慢した。寒さを暖房でしのぐことはなかった。家の構造にも寒さ対策がなく、冷たい隙間風が入り込んだ。部屋の暖房はこたつで、寝るときは湯たんぽか、自分の体温で布団が温まるのを待った。学校のストーブは温かかった。でも石炭はバケツ一杯だけ。終われば暖房がなくなった。小中高と石炭ストーブだった。カナダに渡った時、何が凄いって学校中がスチーム暖房され、体育館まで半そで短パンでいられた。あれから50年以上たつが、日本の学校の暖房は石炭から石油に代わっただけで進歩がない。

②   本当の暖炉を初めて見たのは、アメリカのペンシルバニア州でアルコール中毒の専門リハビリ施設だった。まるでホテルのようだった。広い敷地の大きな池が見えるホールに大きな暖炉があり、太い薪が燃えていた。美しい火だった。自分もいつか暖炉のある家に住みたいと思った。留学を終えて日本に戻り、結婚。建てた家に暖炉を作った。暖炉を知らない左官屋が作った。初めて火を焚いた時、家じゅうが煙だらけ。結局ただの飾りとなった。

③   今住む集合住宅は、火気厳禁である。台所の調理台もIHである。調理に一番適しているのは、ガスなのだが。設計者は、石油ストーブの使用をさえ禁止した。たった20軒の小さな集合住宅だが、住民の中には規則を守らない人もいる。先日、管理会社から注意書が出た。玄関ホールで石油をこぼした場合、清掃代の負担をしてもらうと。そもそも石油ストーブは禁止のはずだが。しかし最近、デロンギなどのオイルヒーターや電気ストーブが原因の家事も発生している。絶対安全な物はない、ということか。夢の暖炉は、とっくにあきらめていた。数年前フェイクの薪ストーブを見つけた。これが良くできている。まるで本物の薪が燃えているように見える。この炎を楽しんでいる。過去の悪事を告白したくならないのは、やはりフェイクだからか。

  心臓バイパス手術を2001年に受けた後、担当医が「これからは寒さと暑さには気をつけてください」と言われた。それを守って暖かい地で見つけた終の棲家は、ほとんど零下になることもなく、雪も降らない。冬、フェイクストーブの炎を見て、過去の悪事を一つひとつ反省する。穏やかな老後を願いつつ。


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カステラ切れ端 うどんのはじき

2018年01月10日 | Weblog

①   うどんのはじき

②   カステラ 切れ端

③   食パンのミミ

①    2018年の正月もひもじい思いをすることもなく、平穏に終わった。思えば豊かになったものである。豊かになっただけではない。科学・医学の進歩も目覚ましい。そもそも私が現在まだ息をしていること自体、医学の進歩のおかげである。2001年に開胸して心臓を一時止めて、人工心肺を使ってバイパス手術を受けた。左脚の内股から取り出して、心臓に移植した血管の4本は、結局1本も機能しなかった。しかし内胸動脈はつながった。手術後、たった1本残ったバイパス血管がピンセットでつまんだ箇所がクランク状になり、血液の流れが悪くなる恐れが出た。神奈川県の心臓専門病院で再手術を受けた。執刀医師が「これからの人生大切に生きてください。10年前にはこのような手術はできませんでした」と言ってくれた。あれから17年いろいろ体に不具合がでてきているが、それでも何とかまだ息をしている。

 私はいつも思う、自分は本当に素晴らしい時代に生を得たと。戦後間もない1947年に生まれた。団塊世代の先頭を生きてきた。何もかも疲弊不足していた。そして日本は、力強く復興して発展した。バブルさえ経験できた。子どものころは、貧しくひもじい思いをした。団塊世代は、貧しさや不便さと豊かさを適度なバランスで経験できた世代である。私の孫たちは、生まれた時からウオシュレットを使い、スマートフォンがあり、大量生産大量消費の生活しか知らない。

 私は小学生だった時、お使いで近所の師岡うどん店へうどんのはじきを買いに行かされた。配給米だと週4日しか6人家族だと持たなかった。あとの3日はうどんかすいとんでしのいだ。店には2つの列があった。一つは端切れを買う列。もう一つは、ちゃんとしたうどんを買う列。切れ端を買う列は、私に大きなエネルギーをくれた。いつかは普通のうどんの列に並ぶぞと。

②    年末、正月の買い物に行きつけのスーパーへ行った。『カステラ 切れ端』の表示を見つけた。カステラなど糖尿病を患う私には・・・と思いつつも「切れ端」に気持ちを鷲づかみされた。子どものころフランスベーカリーという洋菓子屋があった。父親が年に数回フランスベーカリーのケーキの切れ端を買ってきてくれた。『カステラ 切れ端』はスーパーのカゴに入っていた。

③    父親は戦前東京のパン製造会社に勤めていた。その売店に浪曲師三波春夫のおくさんが食パンのミミを買いに来ていたという。浪曲好きの父は、時々食パンをあげたと話した。国民的歌手になりオリンピック音頭を後に歌う人も下積みの時代があった。

 豊かな時代である。暖房も冷房もタイマーでセットでき、蛇口をひねれば、いつでもお湯が出る。冷凍食品を電子レンジに入れ、チンしてすぐ食べられる。うどんのはじきを買うために並ぶ必要もない。カステラやケーキの切れ端でなくても丸ごとイチゴがのるショートケーキも買える。パンのミミだけで食事を済ませることもない。生活が便利になっても、人の心はすさむ一方なのは何故だろう。


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正月の楽しみ

2018年01月04日 | Weblog

①     静寂

②     スポーツ観戦

③     新調

①      今年も夫婦二人だけの静かな新年を迎えた。私の長男も長女も結婚した配偶者の実家で年を越す。何かの記事に夫の実家で正月を過ごすか、妻の実家で過ごすか、のアンケート特集があった。私の子どもたちは、それぞれ配偶者の実家を選んだ。理由は簡単である。彼らの配偶者の実家には、日本古来の正月があるからだ。我が家では、餅つきもなければ『紅白歌合戦』も観ない。

 今年も静かな正月だった。1月2日の午後、妻が突然「人!」と言って、北側の窓を指さした。とっさに思ったのは、猿が横切ったのかな、だった。私は正月そうそう猿のお出ましか、と舌打ちした。妻が窓際に行った。臆病なようで肝が座っている。「自転車おじさんの孫たちが玄関前でバトミントンをしていて、シャトルが軒の植え込みに上がってしまい、それを取りに来たみたい」と解説してくれた。この集合住宅は、1階がホールになっていて、2階から6階までが住居になっている。一階のホールは、北側にせり出しがあり、そこは植え込みがある。

 自転車おじさんとは、集合住宅に4,5年前夫婦で越してきた人である。なぜ自転車おじさんと言うのか。それは、ほぼ毎日雨の日も晴れの日も集合住宅の正面玄関から玄関ホールを自転車で横切って裏の駐車場にある自転車の駐輪場へ行く。以前管理組合の総会で玄関ホールへの自転車の持ち込みをしないように決めた。その後も自転車おじさんもその妻も、何もなかったように自転車の持ち込みを続けた。他にも自転車を持つ家庭はある。皆、駐車場のシャッターをリモコンで開閉して自転車を自動車同様出し入れしている。どこの集合住宅にも住宅地にもやりたい放題の問題を起こす人はいるようだ。

 今回、自転車おじさんの孫が、我が家の窓の前を通過したのは、大きな問題である。なぜなら防犯上その軒先に上がるには、梯子をかけなければ上がれない。造園会社や消毒業者が作業するときは、梯子や足場が必要なのだ。自転車おじさんの孫が、簡単に上がってきたということは、どこかに抜け道があるに違いない。自転車おじさんにしても孫たちにしても迷惑という概念が欠如しているが、おかげで防犯上の盲点を発見できた。さっそく管理会社へ報告することにした。

②      正月のテレビ番組の多くは、悲しくなるぐらいつまらない。それを忘れさせてくれるのがスポーツ中継である。サッカー、ラグビー、駅伝など若者の熱い戦いの観戦が楽しみである。正月という独特の静けさの中で、ただ観戦に身をおける平和がありがたい。

③      子どものころ、正月元旦に母から新しい下着一式が子どもの枕元に置かれていた。おそらく新しい下着は正月だけにもらえた。小学校の体重検査で下着だけになるのが恥ずかしかった。正月に新調してもらったパンツは真っ白で輝いていた。

 新年を迎え、去年で書き終えた3年日記が新しい3年日記になった。新調って気持ちいい!


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新年の誓い

2018年01月02日 | Weblog

①     日課の履行

②     会話重視

③     よそ者の貫徹

①      2018年を美しい初日の出で迎えた。と言っても暖かい家の中でテレビの画面であったのだが。テレビの特番で日本各地の日の出を実況中継で見せてくれる。ヘリコプター、ドローンまで駆使して中々の見ごたえある日の出だった。今までは実際に日の出を見ていたが、最近不整脈が出るので、外の寒気になるべく接しないように気をつけている。そんな私に4Kとやらの更に美しい画面を提供してくれる技術のおかげで、わざわざ寒い思いをしなくても済ませてくれる。

 2018年も昨年同様に日課を繰り返していきたい。毎日同じ事を繰り返していると、頭がボケてきていても、体が動いて記憶をカバーしてくれる。歳をとると時間の経過が早く感じるというが、同じ時間に同じことをしていると、その感覚からは解放される。小学生のころあれほどやらなければならないことからあれこれ口実を見つけて逃げ出した三日坊主が、古稀を迎え毎日の日課をひとつ一つ丁寧に片づけてゆく。

②      最近目が疲れやすい。テレビも読書も以前ほどの時間をあてられない。会話を楽しむ。残念ながら話すことには、問題が生じている。言葉がなかなか見つからない。だから聞く。耳にも問題がある。おそらく目も耳もその機能をつかさどる部位の老化であろう。どんな機械だって70年も使えば問題が生じる。だから気にしないようにしている。妻は補聴器をつけるよう進言する。簡易増幅器を買った。耳が遠いと便利なこともある。聞きたくないことと聞きたいことの分別ができる。最近その切り替えが他の機能低下に反して新幹線並みに早くなった。

 妻と結婚したいと思った一つの理由は、この人となら一生話していたい、だった。残された日々がどれほどあるかはわからない。できるだけたくさんのことを正直に話し合いたいと願っている。話せない分は、ブログと日記でカバーしたい。

 交際する友人の数も年々減り続けている。嘆くまい。今目の前にいる妻、時々訪ねてくれる友を大切にする。会話を深める。私はきちんと話ができない分、料理にメッセージを込める。御馳走するために食材を求めて、あちこち歩きまわる。店になければ、ネット通販で購入する。便利な時代である。日程に合わせて受け取り日と時間を指定できる。どんなレシピの材料も今ではほとんど手に入れることができる。料理でもてなし、酒を勧め、友から聴きたい教えを、情報を、意見を手に入れる。

③      私は『よそ者』と言われるのを最初は抵抗を感じた。でも今は自ら『よそ者』でいたいと願っている。『よそ者』とは『変わり者』の別称かもしれない。私はあえて『よそ者』でいたい。思えばカナダでもネパールでもセネガルでもユーゴスラビアでもチュニジアでもサハリンでも、政治からも宗教からも組織からも『よそ者』であった。

 『よそ者』として今年も磨きをかけていきたい。


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