団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

遺品整理

2015年10月29日 | Weblog

  遺品整理と言っても私はまだ生きている。私が辞世した後に遺品になる所有物と言うべきか。私は生きているが私の所有物には命がないので私の辞世後も存在し続ける。

  先週の月曜日から本格的に所有物の整理にかかった。なぜ整理を始めたか。妻の母親と私の母親のお蔭である。以前書いたが、私の母は私に「私が死んだらあの風呂敷包みを処分して欲しい」ともう数十年前に告げた。見事に身辺整理をしてあった。仏壇、布団、小さな旧型のテレビ、ラジオ。部屋には家具も物もない。90歳を超した今でも妹家族が住む大きな家の1部屋に達者に暮らしている。一方妻の母親は骨折して入院して歩くのが困難になった。一人暮らしはもうできない。病院に1ヶ月入院してリハビリを続けたが歩行困難は治癒できなかった。結局病院が経営する老健施設に入所してリハビリを続けている。医師から一人暮らしはもう無理とも言われている。

  妻は頻繁に実家に帰りいろいろな事務手続きを進め実家の整理をしている。敷地200坪建坪60坪の平屋建てである。家の中は物で溢れている。台所だけ専門業者に頼んだ。約30万円かかった。たった6畳ほどの台所にどれだけの物が詰め込まれていたものか。他の部屋も妻は妹夫婦の助けを得て片づけているが、いつ終わるかのめどは立っていない。

  実家から帰宅するたびに疲れ切った妻を見るのがつらかった。妻は以前から母親に家の中を整理して片づけるよう言っていた。そのたびに母親は「私が死んだらあんたがやりな」と答えた。母親は亡くなっていないが、言葉どおり妻や妻の妹が片づけることになった。妻が言うには彼女の母親は物を捨てられない人らしい。

  妻の姿を見ていて私は思った。こんなことを私の死後にも妻にさせるわけにはいかない。私は決意した。理想は私の母の風呂敷包みひとつである。時間はかかるだろうがそこまでやってみたい。先日私の知人から便りがきた。彼の母親は107歳になったそうだ。以前一緒に彼の母親を訪ねたことがある。彼女は毎日片づけをしようと押し入れから行李を出して開けて畳の上に中の物を広げる。押し入れの中のいくつかの行李は彼女の全私物なのだ。整理しようと品を手に取り捨てるか捨てないか考える。いつしかその品の思い出にどっぷり浸り一日が終わる。また行李に物をしまい押し入れに戻す。その連続ですと彼女が笑った。いまでもお元気で同じことを繰り返しておられるに違いない。私の義兄の母親も105歳まで生きた。100歳過ぎても針に糸を通して縫い物をしたそうだ。身辺を整理して持ち物は少なかったと聞いている。確かにゴミ屋敷で100歳を迎えると言う話はあまり聞かない。長生きする人は片づけ上手なのかもしれない。

  私は長生きしたいとは思わない。できない事を知っている。だからこそ妻に私の所有物で迷惑かけたくない。去年はできなかった。今回は違う。本、写真、手紙、新聞の切り抜き、服、車、自転車。手放すことが未練なくできた。本だけでも段ボール箱に12あった。

  昨日最後の運び出しが終わった。業者の人が帰ると家の中は今までより空間が広がった気がする。夕方の西から差し込む光線が本棚に当たった。本を取り出した後、レモンオイルを塗った。ピカピカに光っていた。


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M知事

2015年10月27日 | Weblog

  スーパーへ夕食の食材を買いに行った。町のスーパーは2つの店を買う物によって使い分けている。魚類の品ぞろいが良いよい店。野菜と果物の種類が豊富な店。前者は小規模店で後者は大規模店である。ダイエット中なので魚を買うことにした。

 刺身を選んでいた。1970円の盛り合わせは私たち夫婦には多すぎる。かといって760円の方には1970円に入っているホウボウがない。迷っていた。ググッと肩掛け鞄を押された。私は一歩左側の横に動かされた。何が起こっているのか確かめようと右側に目を向けた。男性がショッピングカートを私に接触させていた。

 赤と黒と白のめの細かいチェックのシャツにダークグリーンの網がやけに面積の広いカメラマンベストを着た男性だった。背は私より低い。スタイルも服装もどこにでもいるオッサン風である。この店のショッピングカートは旧式の金属製の重いタイプのものだった。内心失礼なオヤジだと思った。口から「押さないでください」と出そうになった。男の横顔どこかで見たことがある。そういえばこの男性を大規模店でも見かけたことがある。この辺に別荘があるそうだ。

 再びカートが私を押した。男性は1970円の刺身の盛り合わせを目に近づけて見ている。眼光鋭い。私は咄嗟に口に言葉を発するのを止めさせた。その目つきで、この男性が誰か分かった。

 私の父は10歳の時、小学校中退で羊羹屋へ奉公に出なければならなかった。学歴はなかったが父は子どもたちに小さい時から躾が厳しかった。その中で他人の体に触れるな、触れたら謝れがあった。カートを私に押し付けた男性は東大卒で秀才だったと聞いている。どんな秀才であれ、どれほど偉い人であれ、品性は自分でどうにかなるものではなさそうだ。

  黙っていないで私は何か彼に言うべきだった。そして彼の反応をみて彼がどんな人物かを見極めればよかったのかもしれない。

 私は店を出ることにした。その場を離れようと歩き出そうとすると5,6メートル先にダークスーツを着たガタイのいい男性が私にカートを押し付けた男性よりさらに眼光鋭く私を見た。SPか。そうに違いない。もう一人が反対側にいた。SP二人か。経費凄い額だな。この店にダークスーツで買い物に来る客はほとんどいない。私はSPを睨み付けた。「あなたが守っている人は、他人に意味もなく触れても謝ることさえできない。それに私のような小市民を疑いの目で見るあなたはもっとかわいそう。せいぜい今夜はご主人様と1970円の刺身をつつきなさい」と思ったがもみ消した。

 何も買わないで店を出るのも勇気がいる。万引きしたと疑われる。でも私はたとえ疑いをかけられてもかまわなかった。気分が悪かった。一刻も早く店から出たかった。レジの前を通過する時、私は要人の方を見た。彼はまだ1970円の刺身の盛り合わせをとっかえひっかえ選んでいた。庶民的なのか?そのふりをしているのか、わからない。とにかく小市民は選挙という制度で小市民とかけ離れた階層の“偉い人”をつくりだす。

 車に入って深呼吸した。何故か亡き父親を想った。「他人に触れるな。触れたら謝れ」「あいさつをきちんとしろ」「他人に迷惑かけるな」「強い者につくな。弱い者につけ」「自分あて以外の手紙や書類を開けるな」「他人と自分を比べるな。他人を羨ましいと思うな」父から多くのことを学んだ。そのほとんどを守ることは出来なかった。

 カートで押されたことを、これほど不快に感じる私は、間違いなく父に育てられたと自覚する。欠点もあり全てを肯定できないが、小学校も満足に行かなかった父が偉くみえた。


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アガサクリスティと釣瓶落とし

2015年10月23日 | Weblog

  私たち夫婦は午前5時に起きる。まずラジオニッポン放送にスイッチが入って放送が始まる。以前は好きな声の一人高島秀武アナウンサーの番組で軽快に朝を迎えたが、番組の編成替えで彼の番組は一時間遅くなってしまった。ラジオはただの目覚まし時計の一つになっている。少し経つと目覚まし時計が鳴りだす。私は朝に弱い。反対に妻は朝に強い。妻は朝だけでなく一日中強い。最近妻が言うのは「まだ真っ暗。明るくなるのどんどん遅くなるね」である。

 半年ほど音信不通だった友からメールが入った。「今は亡きおふくろが、言っていた『60過ぎたら釣瓶落とし…だよ!』光陰矢の如しと同義語。この間、刀剣店に立ち寄ったら、馴染みの店員に釣瓶落としを勧められたので買った。人生なんて、あっという間です」 写真が添付されていた。美しい。60歳はとうの昔に過ぎた私は“釣瓶落とし”の語感に顔をそむけたくなるが、写真の芸術品“釣瓶落とし”に心を奪われる。「お高そう」の邪心もあまりの手彫りの見事さにかき消された。

 確かに歳を取るにつれて時間が過ぎるのを早く感じることがある。先日マンションの共同風呂でこんな会話を耳にした。老人二人が湯船につかり「毎日ヒマですな~」と一人が言い「一日は長く、一年が短く感じるのは冥土行きが近づいているってことですな~」と返す。そして二人は浴室の天井にコダマさせて「ウォホホ」「ハツハツハ」と笑った。時間とは不思議なものだ。自分がいなくなれば自分の時間は消える。でも時間は自分なしでも続く。

 最近は集中力低下で読書も映画もテレビも長時間続けられない。時間や老化に否定的な思考が多くなってきた。だからであろう、短い的確な表現に心惹かれる。私を力強く思い直させてくれる短い言葉に今日も出遭った。アガサクリスティの言葉である。「An archeologist is the best husband any woman can have.(考古学者は女性が持ちうる上での最高の夫です)The older she gets the more interested he is in her. (彼女が歳をとればとるほど、彼女への彼の興味は強くなるから)

 私は妻に申し訳ないが考古学者ではない。もちろん最高の夫でもない。「彼女が歳をとればとるほど、彼女への興味は強くなるから」は私にとって現実である。矢島渚男の『船のやうに 年逝く人を こぼしつつ』俳句ではないが、友人、知り合い、家族、親戚が私の周りから“こぼれる”ように消え離れて行く。こぼれる数が増えるにつれて、時間の経過は速度を増すようだ。そんな中、妻は毎日私の身近にいる。それも半径2メートル以内と接近している。他の誰にもできないことである。

 私は「この人と話し続けたい」と感じた時、結婚を意識した。すでに26年が過ぎた。まだまだ話し足りない。妻は私にとって考古学者が発掘した埋蔵品と同じである。わからないことばかり。でも宝物。ああじゃないか、こうじゃないかと26年かけても彼女に関する報告書は書けない。妻にとって私にとってお互いは最後にこぼさなければならない存在である。だからこそ大切にしたい。

 友が送ってくれた“釣瓶落とし”の写真は間違いなく真っ逆さまに私を人生の深みに落としてくれた。感謝。


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電車内「パッチーン」何の音?

2015年10月21日 | Weblog

  電車に乗った。10月初旬は雨がよく降った。やっと晴天が続くようになった。10月といえば行楽シーズンである。上り電車は空いていた。誰も座っていない4人掛けのボックス席を見つけた。進行方向の窓側に腰をおろした。海がキレイだった。青い空、碧い海。私はこの組み合わせが好きだ。できるならば窓を開けて空気を車内に入れたいと思うほど外の天気は清々しかった。

  「パッチーンパッチーン」 車内で何かがはじけるような乾燥した音。私は座高がある。尻をずらして頭を下げた。ピストルか?最近は日本も物騒になった。ナイフだピストルだと恐ろしい事件が続いている。走行中の新幹線の車内で焼身自殺して見ず知らずの他の乗客を巻き込む事件さえ起こった。何が起こるかわからない。それに携帯電話の着信音にもおかしなのが多い。まさかピストルの発射音を携帯電話の待ち受けに使っているのでは。(帰宅して家で調べてみると確かに大砲をはじめとした銃火器音も無料でダウンロードできる。)

  再び「パッチーン」 恐る恐る首をもたげて前方に視線を向けた。2つ前のボックス席山側に男性の後頭部が見えた。不自然に頭が上がったり下がったりする。「パッチーン」の音と同時に小さな物体が通路に飛び出たのを私の目は確認した。窓から差し込む陽光に反射して小さな物体が輝いた。私は咄嗟に「爪を切っている」と内心で叫んだ。男性は足の爪を切っていた。車内で爪を切っている。私は初めて遭遇した。お化粧する女性はよく見かける。爪の手入れをしたりマニュキュアを塗る女性さえいる。足の爪を車内で切るとは。

  それにしても健康状態のよい人らしい。私が爪を切ってもあのような澄み渡った音はでない。私の爪は乾燥していないのか、グニャと音もなく切るというより割く感じがする。爪に問題があるのか爪切りに問題があるのかわからない。

  先日ジャガイモの皮をピーラーで剥いていて、左手中指の爪を3ミリほど傷つけた。血が出た。もう26年間糖尿病の合併症である心筋梗塞や脳梗塞を防ぐ血の凝固を防ぐ薬を飲み続けている。切り傷などで出血すると止血しにくい。妻に教えてもらった通りの処置をして妻の帰りを待った。帰宅した妻の有り難いお説教を聞き流しながら治療を受けた。「10日もすれば元通り」と言われた。

  爪は妻が言った通り10日ほどで元通りになった。髪の毛は伸びるけれど抜ける数のほうが優る。歳を追うごとに薄くなる一方である。ヒゲは相変わらず活発に生えてくる。爪も子供の頃と変わりない速度で伸びる気がする。自分の体の一部なのにまったく自分の意志は通じない。「髪の毛はこれ以上抜けるな」「ヒゲはいらない」「爪は伸びなくてもこのままでいい」 そう自分の頭で考えて、たとえ命令を発しても髪の毛もヒゲも爪も言うことを聞かない。

  自分の体は不思議に満ち溢れている。妻は「医学は、まだわからないことばかり」だと言う。医者にさえわからない。私にわからなくて当たり前だ。私にできることは、切り傷のあとにできたカサブタがいつの間にか取れていてそこに薄いピンクの新しい皮膚を見て感動することぐらいである。それも永遠ではない。

  爪が伸びた。切る。英国紳士は一日に1時間は爪の手入れをすると聞いた。爪の手入れをしながらちょっぴり紳士気取りも悪くない。私は電車内ではできないけれど、家ならこうして誰にも見られずにのんびり時間をかけて爪にかまけられる。あっ、深爪。そしてまた日が暮れる。


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面倒くさい? 消費税 軽減税率

2015年10月19日 | Weblog

  麻生財務大臣が軽減税率を「複数税率を入れるのは面倒くさい。それを面倒くさくないようにするのが手口だ」と言った。谷垣幹事長は麻生大臣の「面倒くさい」を批判して「煩雑」と言い直すようにと発言した。言葉遊びである。現在の日本の一般庶民の置かれている立場が鮮明に表わされている。政治屋や役人が軽減減税によって被るであろう“面倒”を論じても税金を払う側の一般庶民を代弁することはない。封建時代から脈々と日本に続く、お上と下々の関係そのものである。下々は、お上の言うことを聞いておればよい。下々は、お上を余計な作業で煩わせるな、が見え見えである。一番意見を聞かなければならないのは納税者からだ。財務省でも経団連でも新聞社でもない。

  私が50年前、日本の高校からカナダの高校へ転校して、一番驚いたのはカナダの高校では日本の高校が面倒くさがっていることを当たり前のように受け入れていたことである。例えば、選択科目。日本で選択科目は学校側の都合で決められ、生徒の希望通りにはいかなかった。やれ希望人数が少ない。担当教師がいない。教室がない。ところがカナダの学校ではたとえ希望者が一人でも生徒がいれば選択は叶えられた。テストを受ければ、日本では○と×と点数だけが書かれたテスト用紙が教師から返されたが、カナダでは日本の添削教育会社顔負けの書き込みがあるテスト用紙が返された。私はその“面倒くさい”ことを丁寧にこなしている教職員に感心した。

  消費税はヨーロッパや北アメリカで経験した。これから日本が導入しようとする軽減税率も多くの国々で経験している。消費税先進国はコンピューターが今より普及発達していない時から日本の政治屋や官僚や事業主が“面倒くさい”と捉える計算をして消費税を消費者に納めてもらっていた。そこにカナダの学校で当たり前のようになされていた“面倒くさい”ことに共通する社会のシステムを感じる。いまやコンピューターの時代である。どんなに複雑な軽減税率であろうと複雑なら複雑なほどコンピューターは面倒くさがらずに答えを出す。スマートフォン用に日々新たなアプリが登場する。ゲームの世界はすでに私の想像を超えているほどソフトは進化している。ゲームソフトやアプリのプログラムがこれだけ開発されているのに軽減税ぐらいのプログラムができないはずがない。

  私は優秀だと言われる日本の官僚、特に財務省の官僚が消費税、軽減税率に関して“面倒くさい”“導入するには時間がかかる”などとごねるのは何か魂胆があるからだとみる。いったい何をしようとしているのか、私には皆目見当がつかない。

  軽減税率の指定を受けようと経団連、日本商工会議所、業者などの駆け引きが活発である。新聞も躍起になって新聞が軽減税率の適用を受けられるよう自社紙面を使って訴えている。私に提案がある。納税者に軽減税率を受ける品目を選択させるのである。一人10品目などとして納税者が指定された品目の中から選べるようにする。マイナンバーまで導入しようとする国である。“面倒”と決して言うことのないコンピューターはマイナンバーと組み合わせていとも簡単にシステムを構築してしまうに違いない。

  私は“面倒くさいことをあえてやる”こそ日本を救う、変える鍵だと信じてやまない。


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あの男は病気だよ

2015年10月15日 | Weblog

「あの男は病気だよ」これはサッカーのポルトガル代表でプレーした元同僚のデコがレアル・マドリードのクリスティアーノ・ロナウドを評した言葉である。

 この部分だけを聞くとロナウドが何か精神的に問題を抱えているかのように受け止められる。デコはロナウドほど熱心に練習に打ち込み、最高のパフォーマンスを出さないと気が済まない完璧主義者はいないと言う。最高の褒め言葉としての“病気”である。

 一方以前精神科医でノンフィクション作家の野田正彰氏が「大阪府知事(あの男:私の勝手な挿入)は『病気』である」と「新潮45」2011年11月号に寄稿した。野田氏は当時の橋下大阪府知事を「挑発的発言、扇情的な振る舞い、不安定な感情―それらから導き出せるのはある精神疾患である」とした。野田氏は橋下氏の高校時代の先生に取材をして「嘘を平気で言う。バレても恥じない。信用できない。約束をはたせない。自分の利害にかかわることには理屈を考え出す。人望はまったくなく、委員などに選ばれることはなかった」と書いている。私のことを誰かが高校の担任教師に尋ねれば、良いことを言ってもらえる可能性は非常に低い。また「これ以上私たちは、自己顕示欲型精神病質者に振り回されてはならない。演技性人格性障害と言ってもいい」と分析している。

  演技性人格性障害には(1)自己の劇化、演劇的傾向、感情の誇張された表出(2)他人に容易に影響を受ける被暗示性(3)浅薄で不安定な感情性(4)興奮、他人の評価、および自分が注目の的になるような行動を持続的に追い求めること(5)不適当に扇情的な外見や行動をとること(6)身体的魅力に必要以上に熱中すること、の6つの特徴がある。

  これを読んで私は映画『おつむてんてんクリニック』を思い出した。この映画はあらゆる恐怖症のビル・マーレイ(ゴーストバスターズ出演)演じる患者がリチャード・ドレイファス(未知との遭遇出演)演じる精神科医との関わりあいの物語である。患者があまりにも執拗に医師を追い回すうちに、あろうことか医師が精神症になって入院してしまう。患者も医師も紙一重。精神を病む可能性は誰にでもあると教えてくれた。私の名画リストの上位にある映画だ。

  私自身、自己顕示型精神病質者の6つの項目を自分に当てはめてみると大部分を完全否定はできない。正直私は精神病質者ではないだろうかという恐怖に捕われる。精神科医の野田氏が橋本氏を診察もしないで病気で『新潮45』の「『最も危険な政治家』橋本徹研究」特集にこれだけの記事を載せたくらいだ。精神科の分野はいくらでも難しくすることができるらしい。私は若い頃ノイローゼだと思って精神科に行った経験がある。その時の医師は「ノイローゼなんて自分がそうだと思えばそうだし、違うと思えば違う。だから自分は違うと思って他のことに気を向かせてみたら」と言ってくれた。素晴らしい診断だったと思う。それ以後、私はお蔭で現在まで自分の精神の答のない暗闇に自分を追い込まずに済んでいる。

  最近また精神科医の香山リカ氏が橋下氏を診察もせずに「病気」だと診断したそうだ。橋下氏には敵が多いらしい。個人的な恨みつらみがあるのかもしれない。「病気だと思えば病気だし、違うと思えば違う」 どうして橋下氏を病気にしたいのか私にはわからない。巷には先日の熊谷市での6人連続殺人のような危険な人物が野放しになっている。橋下氏を病気で危険な人物と決めつける前に精神科医にはもっとやらねばならないことがある気がする。病気は病気でもロナウドのような病気なら私も「あの男病気だよ」と言われてみたい。


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ISとトヨタ車

2015年10月13日 | Weblog

  イスラム過激組織「イスラム国」ISがトヨタ製の車両を使用しているとアメリカの財務省が調査を始めたというニュースをテレビで観た。

 以前から私はテレビの画面に映るISが何台も車を連ねて行進するのを観ていた。車はほとんどがトヨタ製だった。なぜトヨタ製と判ったか。その映像はISの宣伝ビデオで映像のプロが作成したに違いない。彼らがトヨタ車を使っているのには不快感を持つ。映像が鮮明で構図もいい。ちょうど赤い夕陽が車列を照らす。車のエンジングリルに取り付けられたトヨタのマークが光り輝く。通り過ぎる車のほとんどがトヨタ車である。トラックタイプの荷台には機関銃などの武器が設置されていた。大勢のIS要員が窓から身を乗り出し、荷台の上で気勢をあげている。

 おそらくアメリカでもこの映像は何度も多くのテレビ局で放送したに違いない。光輝くトヨタのマークを面白くないと感じた政府関係者もいたのだろう。トヨタはアメリカでもう何回もバッシングを受けてきた。今回の財務省の調査もイチャモンとしか思えない。大人げない気がする。アメリカの法律や常識がどこにでも顔を出す。トヨタ車は一般車両であって戦闘用ではない。もし戦車がトヨタ車と戦闘対峙すれば、トヨタ車はひとたまりもなく木端微塵に粉砕される。アメリカはISを全滅させると言うが、陸上部隊を送り込んでいない。空爆や武器弾薬をISと戦う軍や組織に供給するのみである。

 いまや中東はアメリカ、ロシア、フランス、イラン、トルコを巻き込んで大宗派戦争に突入した。国家が存在しても国内は宗派によってグシャグシャである。アメリカはスンニ派のISとシーア派のシリアのアサド大統領を攻め、スンニ派の自由主義シリア組織を援護する。ロシアはスンニ派のISを攻め、シーア派のアサド大統領を援護し、スンニ派の自由主義シリア組織を攻める。シーア派のイランはスンニ派のISを攻め、シーア派のアサド大統領を援護し、スンニ派の自由主義シリア組織を攻める。フランスはアメリカに協力して空爆を助ける。サウジアラビアはスンニ派、トルコはスンニ派が大多数。今ドイツを目指す中東からの難民をなぜ中東諸国が受け入れないのか。宗派がその原因だと私は思う。

 以前リビアへ行った時、自動車販売会社の現地事務所で働く日本人からこんな話を聞いた。カダフィは4輪駆動車を輸入禁止にしている。カダフィの命を狙う者が4輪駆動車を使うことを防ぐためであると。また私は2013年2月26日のブログ『トヨタランドクルーザー』で多くの砂漠がある国でトヨタのランドクルーザーが「鉄のラクダ」と呼ばれていることを書いた。ISがトヨタ車を多く使っているのも中東のアラブ諸国での砂漠の走行にトヨタ車の評判が良いからであろう。アラブ諸国は宗派によってバラバラになっているかに見えるが、文化は似通っている。

 今回のアメリカの財務省による調査にトヨタは「中東における国際的な供給網や資金、物資の流れに関する財務省の広範な調査を支持している」と声明を出した。最近のトヨタに大企業病が猛威を振るっていると私は感じ心配し始めている。ソニーやシャープの二の舞を踏むことのないよう、またVWの過ちを繰り返さぬよう心からトヨタを応援したい。


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黒イチジクとサンダニエールの生ハム

2015年10月09日 | Weblog

  真っ白な大皿に真っ黒なイチジクがびっしりと隙間なく並べられていた。私たちのテーブルの真ん中に置かれた。イチジクを注文した覚えはなかった。黒いイチジク!熟しすぎではないのか。悪くなっているのかも。私が注文したのはこの店の女主人が強く薦めた前菜の生ハムの盛り合わせだった。生ハムとメロンが定番だったのでは。それに黒いイチジクは皮ごと皿に乗せられていた。それってレストランの手抜きではと、私の頭の中はイチャモンでいっぱいだった。

  女主人がエプロン姿になってカートを押してくる。身長は高くないが横幅はある。これぞイタリアの“マーマ”。カートの上に生ハムの大きな塊があった。塊の上部はスライスされ凹みになっている。女主人がカートを私たちのテーブルの横に止め、生ハムの塊に負けない脚を使ってカートの輪留めを押し下げた。生ハムカット用のフェンシングの剣のようなナイフを取り出し研ぎ始めた。ニッコリ笑った。私もけいれんするように微笑み返した。

  ナイフが生ハムの塊の上部を紙の薄さに見事にスライスされる。一気にである。切り方も、切られた透かしが入ったようなピンクの生ハムも芸術だ。女主人はナイフにひらりと生ハムを乗せ真っ黒なイチジクの上に並べてゆく。黒とピンクと白。並べ終わると女主人はエプロンの両端を指先でつまんでバレリーナのように片脚を前に出し後ろの脚を折り曲げた。私たちは拍手した。

  イタリアの白ワインで乾杯して宴が始まった。早速女主人に教えてもらった通りにイチジクを生ハムで巻いて口に入れた。絶妙。白ワインとイチジクと生ハム。

  あっという間に皿は空になった。女主人は厨房から皿を持って出て来て空の皿を下げ、新しい生ハムの皿を置いた。私たちは注文してない。私の顔は言葉より自分の感情を直球のように表す。女主人は「私からのサービスよ。私は日本人が大好き」と言った。

  1998年10月イタリアのヴェネツィア・ジュリア州サンダニエーレ村の小さなレストランでのことだった。

  日本に帰国してからもサンダニエーレ村での経験を思い出す。サンダニエーレの生ハムは成城石井で買うことができる。九州のイチジク農家が黒イチジクの栽培に成功したと以前知った。その農家に何度も注文してみたがいつも売り切れだった。ほとんどイタリアンやフレンチレストランが買い占めていると聞いた。今年10月に入って行きつけの果物店に『まぼろしの黒イチジク』と札に書かれて何だか黒っぽいイチジクが並べられていた。まさかと思って目を近づけた。「ビオレソリウス」  イタリアのサンダニエーレで生ハムと食べた黒イチジク(ブロジット・ネッロ Brogiotto Nero)に間違いない。神奈川県の足柄の農家が栽培しているとあった。4個で980円だった。別に1個売りで300円のものもあった。九州の黒イチジクは1個600円から1000円だった。

  早速家でサンダニエーレの生ハムで皮をむかないままの黒イチジクを巻いて食べてみた。多くの記憶は68歳の私の脳から消え去りつつある。甦った。美しいサンダニエールの村、小さなレストラン、女主人、黒イチジク、生ハム、白ワイン。料理はレシピも大切かもしれないが、それ以上に、いかに優れた適材適品(所)の材料をそろえられるかだと私は思う。研究熱心な農家に感謝の乾杯。

 (写真:黒イチジクと日本イチジク 左側の2個が黒イチジク右側が日本イチジク)


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猥褻

2015年10月07日 | Weblog

  タバコの臭いを感じた。一瞬父親かと思った。私の体の上に鉛の布団があるように重かった。でも父親のタバコの臭いとは違っていた。睡魔と覚醒が闘っていた。睡魔が深い底なしの闇に私を引きずりこもうとしていた。囁き声が耳元をなめた。「気持ちいいことしよう」 その声は男性音楽教師のKの声だった。覚醒が睡魔を突き抜けた。目を開いた。私の顔の数センチ先にKの顔が迫っていた。Kの体は私を抑え込むように密着していた。Kは通っていた中学校の教師の中でもずば抜けて身長が高かった。痩せていて首が長く顔の皮膚はいつもテカテカだった。そのKを私は跳ね飛ばした。運動着を寝間着代わりにしていた。普段足の遅い私が全力疾走して中学校の宿直室から家に真夜中の道を裸足で逃げた。

  猥褻事件が後を絶たない。犠牲者の多くは性とは無縁の生活を送っている幼子や少年少女である。私も性の目覚めを感じていたが性に関してまだうぶだった。たまたま犠牲になることはなかった。あの時Kにレイプされていたら私の今の人生はなかったであろう。

  私にも落ち度があった。Kは音楽のテストに出るヒントを特定の生徒に教えるという噂があった。Kは妹の担任だった。私は音楽のテストの結果が良くなかった。Kからテストに出るところを教えてもらいたいという悪い魂胆がなかったとは言えない。私が親しくしていた同級生がKからKの当直の晩、中学校へ泊まりに行くので一緒に来るよう誘われた。私は魂胆を持って了承した。Kと3人で懐中電灯を持って真っ暗な校舎を騒ぎながら巡回見回りをした。やはり噂は本当だった。会話の中でKはチラ、チラとテストの出題に触れた。「泊まりに来て良かった」と愚かな私は思った。そして悪夢が夜中に起こった。

  逃げてKの毒牙にかかることはなかった。それよりも何よりも同級生と一緒だったのに何故私が狙われたのかといぶかった。私がKにとって簡単にモノになりそうだという印象を与えていたのかと落ち込んだ。Kは私のクラスの音楽を担当していなかったのはせめてもの救いだった。もちろん私の教師を見る目が変わった。そして世の中は危険でいっぱいだと知った。あんな体験をしたにも関わらずやがて成長とともに性への関心は高まり、女性への恋心も出て来た。Kのこともいつしか記憶が薄らいでいった。

  最近の猥褻事件は、教師はもちろんのこと警察官、宗教関係者が関わることも多い。つまり人間なら誰でも犯す可能性を持っていることになる。“猥褻”を広辞苑で調べると『男女の性に関する事柄を健全な社会風俗に反する態度・方法で取り扱うこと。性的にいやらしく、みだらなこと。』とありまた“猥褻罪”は『公然と猥褻な行為をする罪。猥褻な文書・図画その他の物を頒布・販売・陳列する罪、13歳以上の男女に対して暴行・脅迫によって猥褻の行為をする罪などの総称』とある。『男女の性』と特定しているのが興味深い。

  この定義は何だかよくわからない。「ドラッグやセックスに対する根本的な欲望に刺激され、衝動に従って行動しているだけだ。行動の結果を、それが自分たちに対してであれ、傷つけた相手に対してであれ、正しく認識することができない。獰猛な獣と一緒だ。これは人種とは関係がなく、黒人にも白人にも同じことが言える」 (196ページから197ページ 『もう過去はいらない』 ダニエル・フリードマン著 創元社)のほうがストーンと胸に落ちる。

  私たちが根本的な欲望に刺激されず衝動的な行動をせず、相手に対して行動の結果を正しく認識して、性に向き合えれば人間らしいと言える。Kが自分だけの衝動で刺激を求めたことは「気持ちいいことしよう」に言い表されている。自分だけ“気持いい”のであって13歳だった私が「気持いい」と正しく認識すると思ったとしたらバカとしか言いようがない。行為そのものに至るには、言葉でお互いを理解しようと努めて、お互いの気持ちを高めてこそ到達できる境地である。Kは教師失格というより人間失格である。いったい何人の少年がKの毒牙にかかったことか。私はあの晩のことを警察に届ける勇気がなかった。Kは自分が訴えられることなどないと自信を持っていたに違いない。今も昔も大人の身勝手は変わらない。性がどういうものなのか知らない未成年に猥褻な行為をしたら相手の未成年がその先どれほどトラウマになるか認識できない。私はKのことを親にも学校にも警察にも話さなかった。あれからすでに55年の月日が過ぎた。懺悔の気持で、黙って墓場に持って行くはずだった自分の経験を明かした。大人の子どもへの猥褻事件は、毎日のように報道される。その度に私はいたたまれなくなる。


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美声、声質

2015年10月05日 | Weblog

  9月30日水曜日の夜だった。悲しい現実に落ち込み気味だった私はテレビの前にいた。歌声が聴こえてきた。美しい声だった。以前妻が言った。「最高の楽器は人間の声」 私は姿勢を正して画面を観た。

 日本テレビの『のど自慢 THE ワールド』という番組だった。歌っていたのはチリから参加した高校生のマカレナ・グアハルトさん。曲はZONEの『SECRET BASE 君がくれたもの』だった。曲名はチンプンカンプン、聴いたこともない知らないものだった。しかし声が美しい。音楽の才能はからっきしない私である。そんな私の身体を突き抜け心にしみわたるような綺麗な声だった。マカレナさんが歌い終わった。審査員の小室哲哉さんが言った。「大好きな声。大好きな声質」ミュージシャンの彼がそういうのを聞いて嬉しくなった。鈍感な私も同感できた。

 それにしても参加者はみなどうやって海外に住んでいて日本の曲を手に入れ聴いているのだろう。意味の分からない日本語の歌詞にどう気持ちを込めて歌うことができるのだろう。自分が疑問に思ったことをテレビやラジオに出演している人が、即、私に代わって相手に尋ねてくれると嬉しくなる。インターネットの普及が貢献しているのだ。世界のどこにいても瞬時に音も画像も手に入れることができる時代。参加者の多くは学校で日本語を学んでいない。ましてや日本へ留学もしていない。たまたま目にして耳にした日本のアニメ、歌手、俳優、曲、声に魅入られたことをきっかけに独学で日本語や日本の文化を学ぶ。インターネットの恩恵もさることながら、結局は個人の飽くなき憧れや惚れこみが努力の後押しをする。

 私が音痴なのは、耳が悪いからである。もちろん頭が悪いから耳も悪いのは当然である。耳が良いと語学の習得に役立つ。オペラ歌手や声楽家は外国語が上手になると聞いたことがある。音楽家は音感がいい。“絶対音感”という言葉を聞くと私なんぞはひれ伏したくなる。ピアニストの辻井伸行はまさにそんな存在である。

  音感も大切だが、さらに声質も重要である。イタリアの女性歌手フィリッパ・ジョルダーノが私の「大好きな声。大好きな声質」だ。映画『マンマ・ミーア』のアマンダ・サイフリッドの声もいい。

  このブログを書斎で書いていると、台所から妻の鼻歌が聞こえてきた。妻は流しで洗い物をしているのだろう。水道の蛇口から勢いよく水が流れている音がする。そうだ忘れてた。私が一番好きな声、声質は妻の声なのだ。機嫌がいいのだろう。妻が笑ったり歌ったりするのを見たり聞いたりするは嬉しいものだ。この1週間、私は心配で押しつぶされそうな時間を過ごした。重大決心もして、実行に移した。妻はそのことを知っている。それなのに台所で鼻歌を口ずさんでいる。

  これでいいのだ。私も歌おう、「♪これも馬鹿、あれも馬鹿、みんな馬鹿、僕も負けずに一番馬鹿♪」


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