団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

ラグビー実況放送に物申す

2019年10月30日 | Weblog

 26,27日に行われたラグビーワールドカップ準決勝は、いずれも好試合だった。スポーツの実況中継が大嫌いな妻が、ラグビーのワールドカップのほとんどの試合を実況生放送で観ているから驚きである。ルールも知らない、やったこともないスポーツに妻を魅了しているラグビー恐るべし。

 ラグビーは実況の放送だけで十分楽しめると、私は思っている。日本のテレビは、たけし軍団、石原軍団、ジャニーズ事務所、吉本興業、特定の宗教信者グループなどによって支配されているのが“つまらない番組”の原因だと思っている。それらの組織団体が、“聖域”を設け、日本の映画、テレビドラマが核心に迫れない原因をつくっている。番組の構成は、どこの局でも金太郎飴。原形は大みそかの紅白歌合戦に類似する。日本は個人が活躍できる国でなく、何がしろの組織に組み込まれないと中々テレビに出ることもかなわない。朝のニュース番組、どの局もまるで桃の節句のひな壇のように男女を並べてスタートする。

 今回のラグビー中継は、NHKと日本テレビが放送権を獲得した。試合前になくても構わない式典が放送される。NHKは五郎丸歩元日本代表選手と東宝シンデレラの山崎紘菜、日本テレビはお笑いタレントの上田晋也、ジャニーズの櫻井翔と石原軍団の舘ひろしが出てきた。彼らがどんなに喋っても何をやっても、空回り。ラグビー選手の収入と飾り芸人のギャラの格差に驚愕。私に話を聞こうと言う気さえ起こさせない。侵害でしかない。邪魔でしかない。

 試合が始まれば、国の名のもとに一つのチームを構成する色々な背景を持つ今まであまり名を知られなかった選手たちが主役である。それを見守り応援する何万人という大観客。私の妻さえ熱狂させるラグビーという道具をつけない選手の肉体だけのぶつかり合いが始まる。ラグビーの試合を支配するのはレフリーである。チームのコーチは、グランドから離れた観客席にある高い場所に隔離される。指令はすべて無線を通じてウオーターボーイに伝えられる。この伝令内容を知りたいとは思わない。

 知りたいのはレフリーが放つ言葉全てである。アナウンサーの実況も滑舌の悪い解説者の意味不明話もカットしてくれ。前座の飾り芸人もいらない。いるのはレフリーの一言一句を同時通訳するプロだ。これが実行されれば、観ているあまりラグビーを知らない人でも、今の実況放送よりはるかにラグビー観戦が面白くなること請け合いである。ラグビーのレフリーは、常に試合の動きを注意深く見ている。アドバンテージはその表れの一つである。加えて最近のビデオ判定制度が、ますますラグビーをより公平なスポーツにしている。レフリーから見えていなかった反則行為を3方向から写した映像をスロー再生して的確な判断をレフリーが下す。最初私はスポーツの判定は、たとえ間違いがあったとしても審判の判断に任せるのがスポーツだと思っていた。今は違う。ラグビーのような下手をすれば人命に関わるような反則や、体格の違いによる一方的な力まかせの行為にも厳しい目を光らせることができる。レフリーは、常にキャプテンを呼びつけて、警告注意を出し続ける。「お前の7番は今度反則したらシンビンだからな」 NHKも日本テレビもこれを同時通訳していない。金を使うところを間違えている。それとも知っていてもできないのか。

 日本の国にもラグビーのレフリー並みの計らいができる制度や組織や人が必要だ。レフリーが言っていることに周りは耳を傾けなければならない。脱税したり、しようとする芸人を呼びつけて注意勧告する。マスコミや野党に難癖つけられるような発言を指摘訂正させる。車の運転に問題が出てきた老人運転手に警告や代案の喚起。子供の虐待、生徒同士や先生同士のいじめの加害者にペナルティを与え、被害者に救済のための特権を設ける。必要なのは、規則ではない。規則を守る人を保護する。破る人にそれが間違っていることを知らしめる。厳格で優しい判定。力や権力だけで他を倒せない。それこそがラグビー精神の神髄であり、ラグビーを通して人間が築こうとする社会の姿だと私は思う。


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加齢臭とコーヒーの香り

2019年10月28日 | Weblog

  テレビのコマーシャルでニオイに関するものが多く驚いている。日本人はどうしてこれほどまでにニオイを気にするようになったのだろうか。

 私自身はカナダへ留学する前にしばらく軽井沢のアメリカ人宣教師の家に住み込んだ。トイレを使うと、そのうちの子供に「日本人のウンコは臭い」と言われた。これがトラウマになり、カナダの学校では真夜中に誰もいないトイレで用を足していた。カナダでの生活になれ英語も理解できるようになった。友達もでき、彼らに日本で宣教師の子供に言われたことを話した。彼らは笑って「世界中、どこ探したって臭くないウンコはない」と言った。それからやっと私はほとんど境がなく10人が横一列に並んでいるトイレを皆と同じように使うことができるようになった。いろいろなニオイの中で堂々と用をたした。

  コキニ(古稀+2歳)の私はすっかり自分のニオイに鼻が麻痺していて自覚していないが、確実に加齢臭を放っている。人間は40歳を過ぎるころから男も女も加齢臭を持つと言う。主成分はノネナールとペラルゴン酸だという。他人のニオイは気になるが、自分のニオイの存在にはダンマリを決め込んでいる。ニオイは差別の原因になると何かの本に書いてあった。私もそれを軽井沢の宣教師の家で体験した。確かに人種や国や文化によってニオイに対する受け止め方が違う。日本人にとって良いニオイでも外国人にとったら異臭でしかないこともある。人は自分のニオイに鈍感だが、他人のニオイには敏感である。

  私の好きなニオイは、炒りたてのコーヒーの香りである。コキニの加齢臭もこのコーヒーの香りにかき消される。ネパールで大停電があって、買いためてあった冷凍庫の貴重な日本からの食料品が腐ってしまった。冷凍庫の中身を捨て洗浄したがニオイが取れなかった。隣に住んでいたネパール人はコーヒー園を持っていて、彼からコーヒー豆を買っていた。そのコーヒーを入れた後のカスを脱臭剤として使っていた。冷凍庫に1週間ほどコーヒーのカスを入れて密封しておいた。すっかりニオイが消えてまた使用できるようになった。嫌なニオイも良いニオイによって消されることを知った。

  私が暮らした海外の国々にもそれぞれのニオイがあった。嫌なニオイもあったが、良いニオイを探せば、いくらでも見つけることができた。特に食べ物にそこに住む人々のニオイの好みが表れていると思った。ハーブを使い分けることによってニオイも味も豊かなものになる。人は長い時をかけ、ニオイを研究して生活に取り入れてきている。私は料理をする時、ハーブをできるだけ多く使うようにしている。それぞれのハーブに歴史を感じる。そしてそのハーブを多用していた国々での生活を思い出す、良いニオイは記憶を戻す起爆剤となる。

  嫌なニオイの記憶はほとんど薄れていて思い出せない。良いニオイはたくさんある。母ちゃんの風呂上がりの石鹸のニオイ、豆腐屋の子供が遊びに来た時に感じた茹でた大豆のニオイ、誕生日にしか食べられなかった豚肉の入ったカレーのニオイ、朝食の味噌汁のニオイ、金木犀の花のニオイ、ジャスミンの花のニオイ。

  加齢臭が漂う年齢になった。ここまで生きられたことを感謝する。毎日下着を取り替え、風呂に入って体を洗う。できるだけ他人に私自身のニオイで不快な思いをさせたくない。

 朝のコーヒーの香りが今朝も私は自分では嗅げない加齢臭を優しく包み、消してくれたようだ。


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火葬か土葬か

2019年10月24日 | Weblog

  連日報道される台風19号の被害地の映像で心を痛めるのは濁流によって墓石が押し倒され折れ重なり、水浸しになった光景である。私は思う、墓の中のお骨はどうなってるのかと。東日本大震災でも多くの墓地が破壊された。災害は生きている人間だけでなく埋葬された人間にまで魔の手をのばす。墓を見るといつかは自分の身に起こる死を思う。墓も決して安住の地ではなさそうだ。私は墓に入れてもらわなくていいと思っている。

  私は土葬を望んでいた。土葬ならいつかは土に戻れる。わが身を焼かれる必要を感じない。妻の父親が私に言った。「死ぬのは仕方がない。でも火葬は熱そうで恐ろしい」と。そんな義父も亡くなり、火葬にされ骨壺に納まった。土葬という話はなかった。私は日本で土葬は法律で禁止されていると勝手に思い込んでいた。何故、とずっと思っていた。私は4歳で母を亡くした。母ちゃんなしではいられない母ちゃんっ子だった。その母ちゃんが火をつけられて燃やされていた。火葬場の小さな覗き口から母親が荼毘にふされるのを身動き一つしないで見続けた。終わると骨壺に焼け残った骨が入れられた。母ちゃんが私の世界から消えた。私に残ったのは、らせん状に渦巻く死生観だった。母ちゃんの骨は、墓に入れられた。母ちゃんが土葬されていたら、きっと私は死んではいるけれど母ちゃんを身近に感じていたと思う。

  調べてみると日本の法律で土葬は禁止されていない。ただ自治体や墓地の経営団体によって禁止されている所もある。キリスト教ではイエス・キリストが再臨すると死者は復活する。だから火葬しないでその日に備える。イスラム教はいまだに救い主を待っている。救い主が降誕するとやはり信者の死者は蘇る。だから火葬にしないで死者もその日を土の中で待つ。

 私は日本で火葬するのは病原菌などの衛生面と国土が狭く土葬すると広大な墓地面積を必要とするから役所がそれらを防ぐために法律を作ったと勝手に思い込んでいた。

 養老孟司著『身体巡礼』(新潮文庫 590円税別)を読んだ。そこに次の記述があった。「骨の保存に関して、日本と欧州では事情が違ってくる理由の一つは、欧州には石灰岩の地域が多いことである。パリが典型で、パリ市の地下には鍾乳洞がありくらいである。石灰岩はアルカリ性で、アルカリ性の土地では、骨が溶けにくい。だからパリ近郊からは化石も出て、…。逆にたとえば関東ローム層は酸性土壌で、百年もすれば骨が溶けてしまう。石器は出土しているのに、旧石器時代の人骨が日本で見つかりにくかったのは、そのせいもある。火葬が例外であるヨーロッパでは、墓地にどうしても骨が溜まってしまう。パリ市の場合には、だからは墓に溜まった人骨をときどき市がまとめて掘り出し、地下の石切り場に入れて整理した。それをカタコンベと称しているのである。」『身体巡礼』30ページ 私の長年の多くの疑問が解けた。読書はだからやめられない。

 私は世界で多くの葬式を見た。カナダでキリスト教の、ネパールでヒンズー教の、アフリカのセネガルでイスラム教の、東ヨーロッパの旧ユーゴスラビアではセルビア正教の、ロシアではロシア正教の、日本では仏教の葬式。見習うものはない。私は直葬で結構。

 子供の頃、私はこのまま人間が墓に埋葬され続ければ、いつかは日本中墓だらけになってしまうのではと心配になった。どうやらその心配はする必要がないようだ。日本ではどう埋葬しても酸性土壌、酸性雨が終いには土葬だろうが火葬だろうが、骨まで溶かしてしまう。

 私は墓の墓碑を読むのが好き。イタリアのローマで観た『次はお前だ』に感動した。私は“次はお前だ”と指名されている。こうなれば土葬、火葬どちらでもかまわない。ただ最後まで妻を大切に生き、妻に「ありがとう、次はお前だね」と言い残せたら、それ以上は望まない。


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どこに住めばいい

2019年10月22日 | Weblog

 10月12日朝6:59発信の東京に住む娘からのメールが入った。「パパ、無事ですか?」台風19号が私の住む地域を直撃すると気象庁で予測されていた。無事だと返信した。

 高校生の時、東京に住む華僑一家と軽井沢の教会で知り合った。父親は東京の新橋で大きな中華料理店を経営していた。子供が3人いた。何回か東京の田園調布にある自宅に招かれた。そこで父親から華僑の子供の育て方の話を聞いた。彼の長男は、小学生の時から華僑仲間の中華料理店で修業をしてすでに横浜中華街の大きな店で働いている。長女は中学を出てすぐ日本にあるフランス大使館の外交官一家のメイドとして働き、フランス語と生活様式、マナーを学んだという。次男は国際基督教大学の2年生でカナダの大学への留学が決まっていた。父親が言うには、彼ら華僑は、自分たちの経験から、いつどこで何が起こっても一家の誰かが生き残ることを考えて、子供を違う職業言葉住む場所にすると言った。この話が私の脳裏に焼き付いた。そのすぐ後、私はカナダへ留学のために旅立った。

 私はカナダから帰国して最初の結婚で二人の子供を授かった。しかし30歳になる前に離婚して二人の子供を引き取った。長男は日本の大学を卒業させようと思った。長女はアメリカの友人に預けた。華僑の知人が言った。言葉は12歳までに覚えた言葉が一生使える言葉になる。長女は10歳だった。間に合うと思った。アメリカの友人も快く長女を受け入れ、我が子のように5人の自分たちの子と一緒に育ててくれた。私は毎日手紙を書いて送った。やがてシアトルからカルフォルニアの大学に進学した。卒業間近になって、長女が手紙をくれた。日本に帰って就職したいと言った。寝耳に水。私は長女がアメリカで職を見つけ、これから先もずっとアメリカで暮らすと思っていた。長男が大学を卒業する時、日本はバブル真っただ中で挽く手もあまたの求人があった。しかしその5年後長女が帰国すると言った時は、就職氷河期で、ましてや外国の大学を卒業した女子の就職は皆無に等しかった。

 私は長女にアメリカに残って市民権を持って欲しかった。何故なら日本は災害の多い国なので、華僑の知人のように何かあったら互いに助け合えるように子供を分散させておきたかった。しかし結局長女は帰国した。最初の職場で英語が話せるというだけで壮絶な社内いじめに遭い、顔一面に精神的ストレスが原因の湿疹ができるほどだった。私は娘を帰国させたことを後悔した。それでも職を変えると嘘のように湿疹が消えた。やがて結婚して東日本大震災のすぐあと男の子を出産した。今はアメリカの会社の日本支社で水を得た魚のように働いている。

 どんなに親が子を思って子の人生に介入しても、思い通りにはいかない。それは自分の人生を振り返ればすぐにわかること。ある時、長女に尋ねた。「なぜ日本に戻ったの?」「納豆が食べたかったから」「アメリカでも納豆買えるでしょう」「日本ならだれにも気兼ねせずに堂々と食べられるでしょ」 私は“納豆かい”と言いかけたがやめた。親の思惑なんて納豆より弱いと痛感した。

 テニス選手の大坂なおみさんが国籍を日本に決め手続したとニュースが伝えた。理由はわからない。誰もが想像もつかない理由かもしれない。カツ丼が好きだからとか。ラグビーのワールドカップで見事ベスト8になった日本チームの31名のうち15名は外国人選手だそうだ。8名は帰化して日本国籍を取っている。彼らに日本は災害が多くて危険な国の認識はない。危険があっても、それでも日本に住みたい、ラグビーがしたい。その気持ちを試合で嫌という程見せてくれ、台風19号で打ちのめされた日本全体に感動と勇気を与えてくれた。

 確かに日本は災害が多い国だ。いつどこで災害に巻き込まれるかわからない。だからといって、よその国に行けば安全に暮らせるかと言えば、No、ノーである。世界で絶対安全に暮らせる理想の地があるはずもない。分かっていても災害が続くと不安になる。私はすでにコキニ(72歳)だから、何かあっても諦めがつく。子供達孫達には、生き延びて欲しいと願う。災害が多い日本で暮らすと決めたら、それなりに住む場所の危険度を調べて、災害に備えて暮らさなければならない。日本には過去から学んだ教訓がたくさんある。語り継がなければならない。被害から逃げる方法、逃げたら生き延びる方法。学校では教えてくれない。政府にも地方行政にも頼れない。日本に住む普通の人たちは、一人一人の力は小さいけれど、スクラム組んで災害と闘う。災害の強烈なタックルを何度喰らっても、起き上がりトライ(復興再起)を狙う。日本には災害が多い、でも実は、日本人は災害に強いのだ

 


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イスルとガヤン

2019年10月18日 | Weblog

  ラグビーワールドカップ、日本対スコットランドをテレビ観戦した。いい試合だった。日本がスコットランドに勝てるわけがない。そう思いながら1%の前回ワールドカップの南アフリカを破った奇跡を願って応援した。普段スポーツの中継を私が観始めると、いつのまにかいなくなる妻は、最後まで私の横にピッタリ座っていた。ティッシュの箱に時々手を伸ばしていた。何と前半0対7を逆転して21対7で終えた。試合の前の「どうせ…。でも力一杯日本チームを応援してあげよう」が「勝てるかも」に変わっていた。弊行して試合前に思ったことへの後ろめたさと自分の調子よさ変わり身の早さに呆れていた。

 あまりに興奮していたので、ハーフタイムになっても尿意はあったがトイレに行く気にもなれなかった。中継していたのは、コマーシャルのないNHKでなく民放の日本テレビだった。偏屈ジイさんは「ラグビーは40分間コマーシャルできないので12分間一気に攻めて来るだろうなスポンサーは」と顔をゆがめた。

 クボタの「壁がある。だから、行く」と画面にテロップ。いつもの長澤ひろみでなくネパールでよく見かけたような少年が登場。「トライするのが夢だった」の声。少年の名はイスル。なんだい、クボタもラグビーかい、とジイさんは難癖。話が進む。子供達がラグビーもどきの遊びをしている。イスルは小柄。トライを試みるができない。ガヤンという皆より首一つでかい子がいる。何やらドラえもんのジャイアンのようなガキ大将ふうである。きっとイスルはガヤンにいじめられるに違いない。爺の予想は短絡的。イスルが家に帰ると母親がきつい水運びを終え、家の中で倒れていた。イスルは遊べなくなり、母親に変わって水運びをする。ある日ガヤンが言う。「最近イスル来ねえな」 水汲みをしているイスルのもとにガヤンが仲間と水甕を持って現れる。イスルの家の大きな水甕に次々とイスルにトライのように甕がパスされた。もうジイさんダメ。隣では鼻をかんでいる。

 二人はネパールを思い出す。マラリア感染を恐れた人々は、蚊が生息できない標高の高い場所に住む。問題は水である。谷底の川まで下って子供が水を運ぶ。往復4,5時間かかるところもある。当然、子供は学校へも行けない。(写真参照:河原で石を建材用に割る仕事。子供も働いている。日当は良くて100円)ネパールではサッカーやラグビーで遊ぶ子供たちはいなかった。でも缶蹴りや輪っか転がしで屈託なく遊ぶ子供を見た。

 アフリカのセネガルでも同じような光景を見た。セネガルはネパールのような山岳地帯はない。しかし水を運ぶ子供たちは遠くの水汲み場まで頭の上に容器を乗せ運んでいた。都会から離れた村で、子供たちがただ布切れやビニールを丸めて紐で縛ったボールを使ってサッカーをしていた。

 クボタのコマーシャルの後、今度は三菱地所の「僕にしかできないことを」という日本のラグビー少年を題材にしたコマーシャルが流れた。やはりジャイアンのような少年が出てくる。クボタのものとよく似た内容に思えた。

 私は思う。世界にはスポーツどころではなく、毎日の生活に押しつぶされそうになって生きている子供たちが何億人といる。現在スポーツに打ち込める子供は恵まれている。ラグビーボールを触ったこともない子の中にきっと天性のラガーマンがいる。野球選手もゴルファーもサッカー選手もいるはず。「壁がある。だから、ここから前へ進めない」「僕にはできないこと」の声が聞こえてくる。現在のスポーツ界は、たまたま恵まれた国に生まれた壁のない、僕にしかできないことと言うことができる選手で成り立っている。ということはスポーツはまだまだこれから進化するに違いない。より多くの子供が彼らの夢のスポーツに挑戦できる日が来ることを願っている。

 


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土手と堤防

2019年10月16日 | Weblog

  台風19号は16日午前4時NHK発表で死者74名行方不明12名52河川の73個所が決壊して大きな被害をもたらせた。私の生まれ故郷の長野県でも、長野市で千曲川の堤防が決壊して大きな被害が出ている。私は千曲川の支流の一つ矢出沢川のほとりで育った。

 私にはYという保育園から高校まで一緒だった友達がいた。Yと私の父親同士の仲が良く、私たちも気が合って小学校中学校とクラスは違ったが多くの時間を一緒に過ごした。Yの夢は東大で土木工学を学び日本中にトンネルや鉄橋をつくることだった。私の夢は、未来列車の運転手になることだった。伊勢湾台風で長野県も大きな被害を受けたことがあった。ちょうどその頃、教科書にオランダの少年ハンスが堤防の決壊を見つけ、自分の腕を一晩中差し込んで防いだという話が載っていた。(注:メアリー・メイプスドッジ著『銀のスケート』から抜粋)Yと私二人で、どうしたら堤防の決壊を防げるか紙に絵を描いて考えた。

 その後、私はカナダに渡った。残念ながらYは、目標の東大に入学しながら中退してしまった。心の病気になった。そして亡くなった。

 今回の多くの堤防の決壊をテレビが映した。私はYを思い出した。そしてYと一緒に考えた決壊しない堤防の記憶をたどって描いてみた。(写真参照)堤防は土手とも呼ばれる。土手は石と土で人によって築かれた。現在でも工法は、あまり変わっていない。ただ重機などの普及で人力が軽減された。セメントや鉄筋を使うが、土が主な資材である。

 今回堤防などの土木工学の専門家が長野市の千曲川の決壊に関する見解を次のように述べていた。『国土交通省、長野県、長野市は、堤防決壊した地帯の堤防護岸工事を完成させていたが、千曲川の川床の掘削事業に着手していなかった。もし川床を掘削してあったら、あの堤防の決壊はなかった。』 私たち小学生二人が考えた川床に太いパイプを通しておくというアイデアは悪くない。日本での公共工事は、道路のように用地買収に費用がかかる。その費用が工事費そのものよりずっと高額になると聞いている。河川の場合、国有地なので立ち退きなどの用地買収に費用がかからない。川床の掘削をしても、川は上流からどんどん土砂を運ぶ。パイプを通せば、何十年間掘削の必要はない。土手や堤防が決壊するのは、水が土手や堤防を越えて、外側から下部を削りとり、川側とつながり、そこから決壊が始まる。頑丈そうに見える堤も大部分が土である。土は水に弱い。堤の中に大口径のパイプを埋め立てあればどうか。私たち二人が小学生の時描いた図をもう一度見て欲しい。堤の中にパイプが通っている。普段その中に水は流れていない。川の水嵩が増えてきたら、パイプの取水口を開けて水をパイプに流す。パイプは中に水が流れることで重くなり堤を超えようとする水力と抗う。ここまで私たちは子供の頃考えてはいなかった。ただハンス少年の話に心打たれ、自分たちも人の役に立つ大人になりたいと知恵を絞った。

 長野の堤防決壊で水に覆われた道路の溜まったゴミの中にリンゴが1個泥だらけになって映っていた。リンゴ農家の無念が伝わった。

 Yが生きていたら、彼は、堤と川床にパイプを通す夢を実現させて、あの堤防の決壊で流されたリンゴを農家が収穫できるまで枝についたまま守ってくれただろうか。

 


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結婚記念日とノーベル賞

2019年10月10日 | Weblog

  昨夜、ノーベル化学賞に旭化成名誉フェローで名城大学教授の吉野彰さんが受賞というニュースが飛び出した。71歳だそうだ。いわゆる私と同じ団塊世代である。

 同じ日の午後、台風18号今週末、日本に接近上陸するかもしれない、と気象庁が特別会見して「自分の命、自分の大切な人の命を守ることを」と警告を発した。台風15号で甚大な被害があったので、日本中が何となく暗くなっていた。ニュースも関電と高浜町との汚い金のやり取り、NHKから国民を守る党の党首の自身の恐喝事件で書類送検され参議院議員を辞職して、すぐ埼玉参議院議員補欠選挙に出馬する不可解、神戸の小学校教員のいじめ問題など、気持ちが落ち込むニュースが私の心にコールタールのように溜まっていた。

 今回のノーベル賞に日本人が例年のように候補に挙がっていた。確か私が観たノーベル賞受賞予想候補者の中に吉野さんの名前はなかった気がする。旭化成東京本社からの中継が始まった。大騒ぎが始まった。今朝のラジオで上柳昌彦アナウンサーが「旭化成の本社、大騒ぎでしたね。ああやって受賞候補者を持つ会社や学校は集まって受賞を見越して発表を待って、ダメだと皆ガッカリするんでしょうね」と言った。面白い着眼。

 ノーベル賞は確かに権威ある賞である。でも日本人は騒ぎすぎる気がする。末は博士か大臣かは、私たち多くの団塊世代が子供の頃持った夢だった。小学校の何かの授業でそれぞれの将来の夢を発表した。驚いたのは内閣総理大臣と言った男子が3人もいたことだった。もちろん彼ら3人の夢は実現しなかった。私は国鉄の機関士と答えた。これも消えた。

 吉野さんは会見で化学者にとって必要なことは何か、と問われた。彼は「頭の柔軟性とあきらめない執着性」と答えた。私は頭の固さと飽きっぽさに幼いころから定評があった。

 今日10月10日は私たち夫婦の28回目の結婚記念日である。記念日が来るたびに思い出す。あの日妻の母親に「二度目なので何でもよくわかっている」と言われた。そう私はバツイチ。妻の母親は、最後まで私たちの結婚に反対だった。ある時、友人の妻にこの話をした。彼女が「私だって反対する」と言った。それを聞いて義母も普通の人なのだと変に納得した。目が覚めた。私だって私の娘が子ども2人いるバツイチの男と結婚すると言ったら反対するだろう。自分の事は、都合よくどんな悪いことでも取り繕って正当化してしまう。ノーベル賞を受賞するような天才的な知能やひらめきは持てなかったが、悪知恵だけは授かった。私たちの結婚を認め陰に日向に応援してくれた義父はすでに鬼籍に入り、あれだけ反対した義母も介護施設に入った。自分の娘の職業もどこに住んでいるかももうわからない。そんな義母が妻に私がどうしているかと気遣って数分おきに同じことを聞き返すという。嬉しく哀しい。

 吉野さんの会見を見ていて思った。吉野さんがノーベル賞を受賞できたのは、彼の功績も大きいが奥さんの陰の支えがあったからこその受賞ではなかったのかと。私は再婚して仕事を辞めた。世間でいう“髪結いの亭主”になった。

 妻は言う。「私が病気にならず健康で診療を続けられるのは、あなたがこうして家で待っててくれるから辛くても働ける。私はあなたのずっとファンでいたい」

 妻の『あなたのファン』は、私が生涯で得た唯一の賞である。私も妻のファンである。


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2019年10月07日 | Weblog

  好きな桃の季節が終わった。固い桃が好き。今年もたくさん食べた。桃が終わると葡萄。葡萄はシャインマスカットがいい。色が好き。種がないので食べるのが楽。皮も食べられる。葡萄と同じ頃梨が出て来る。日本の秋は果物が実に豊富に出回る。嬉しい。旨い。

 以前、京都の料亭で食事した。丁寧なお品書きの最後に“水菓子”とあった。何が出て来るのかと想像した。水羊羹のようなものだろう、と予測した。残念。出てきたのは、梨だった。でも“水菓子”は、いい名だと感心した。さすが京都。

 梨、日本の梨は、海外の梨とは違う。英語で日本の梨は、Japanese Pearが普通だが、Sand Pearと呼ばれることもある。おそらく戦後のアメリカの駐留軍やキリスト教の宣教師たちが、齧った時、砂を噛んでいるようだということでそう呼んだのかもしれない。

 海外で暮らしていると日本の食べ物が恋しくなる。鮨、天ぷら、かつ丼、カレー、ラーメン。私は果物、特に梨が無性に食べたかった。ネパールの市場で梨らしきものを見つけ、小躍りして買った。家で食べようと包丁で切ろうとしたが、硬くて中々切れなかった。味も渋く、日本で子供の頃、野山で採って食べた地梨(クサボケ)の味だった。アフリカのセネガルで梨は見なかった。東ヨーロッパのセルビアには洋梨がたくさんあったが、日本の梨はなかった。当番制の買い出しでオーストリアのウイーンの市場で日本の梨を見つけた。でもその梨には「Nashi Korea(韓国)」のシールが貼ってあった。リンゴも「Fuji Korea」 やっと見つけて入った鮨屋は韓国人が握っていた。今は韓国では反日の嵐が吹いているが、まだウイーンで韓国の梨、リンゴ、鮨もあるのだろうか。

 四国から人の頭ほどある大きな梨が届いた。新高梨(にいたかなし)という品種だそうだ。長野県の伊那からは長十郎、店で先日買った二十世紀もある。加えて洋梨とアボカド。5つ並べて写真を撮った。梨を口に入れて、歯で噛む、シャリッという。その後、みずみずしい果汁が流れ出る。スイカも同じ感じだが、シャリッの感じが違う。アメリカ人が言う砂を噛む感じは私にはない。シャリッは快い。

 日本ではラ・フランスを筆頭に西洋梨も普及してきた。以前、西洋梨は、日本でワールドカップが開かれる前のラグビーのように知られていなかった。いまやラ・フランスは、良く知られた果物である。本来、洋梨はデザートとして調理される果物である。しかし日本では生食が普通。ラ・フランスという梨の品種は、フランスにはないというのも日本らしい。

 妻はアボガドが好きだ。私は妻ほど好きでない。アボカドはメキシコ原産で英語名はAlligator Pear(ワニナシ)。形は梨(西洋梨)皮はワニの皮のよう。Avocadoアボカドは、アステカ語で“ふぐり”を意味する言葉が語源。

 メキシコで麻薬カルテルは、取り締まりが厳しく麻薬で稼げなくなり、今やアボカド産業にかつての麻薬カルテルが手を出しているという。彼らはアボガドをGreen Gold といまや呼ぶ。まさにアボカドの木は、金を生む。

 カルテルと言えば関電と高浜町は原子力カルテルではないだろうか。麻薬も原子力も使い方によっては人間を破滅に追い込む。メキシコのアボカドカルテルは武器を持ち、アボカド農家の人々を脅し誘拐して略奪を繰り返す。日本では利権を握ると、狡猾に金を掠めとる。両方のカルテルに言いたい。「おぬしも悪よのう」と。

 梨を旨い旨いと食べているだけならカルテルとは無縁でいられる。海外であれほど食べたかった梨が手の届くところにある。幸せである。


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ししゃも ピンキリ

2019年10月04日 | Weblog

  ロシアのサハリンに約2年間暮らした。2003年から2004年。すでに16年前である。厳寒地で真冬はマイナス40度を記録するほど寒かった。冬は閉塞感で押しつぶされそうになった。遅い春が来て、短い夏が過ぎあっという間に秋が終わり冬になる。春夏秋は山菜取り、魚釣り、貝獲り、カニ採り、キノコ採りという楽しみがあった。黒沢明監督の映画『デルスウザーラ』に出て来る主人公、ナナイ族の猟師デルス・ウザラのようなリンさんといつも一緒だった。拙著『サハリン旅のはじまり』清流出版に彼の事を書いた。

 先日、北海道からシシャモが送られてきた。シシャモを見て、サハリンでリンさんと一緒にシシャモ漁をしたことを思い出す。北海道のシシャモは、産卵期の10月頃から川を遡上するという。しかしサハリンのシシャモは、川でなく、海岸の波打ち際に海面がシシャモの大群で黒くなるほど集まってくる。そこへ入り込んで、網ですくう。網がたわむほど重い。リンさんは言った。「これぐらいでいい。後は残さないと来年のシシャモがいなくなる」と。私はリンさんがちゃんと資源保護を考えていることに感心した。

  ネットで調べると北海道広尾干しししゃも(メス20尾)4000円とあった。近所のスーパーで売っているシシャモは、1パック10尾で298円。シシャモにもピンキリがある。北海道のモノが本物で、他は種類が違うという。良くある話だ。昨日、テレビのニュースで関西電力の役員が高浜町の元助役から50万円と70万円のスーツ仕立券を贈られたと言っていた。スーツ仕立券!去年私は長男の誕生日祝いにスーツの仕立券を贈った。あるデパートのセールで見つけた2着2万円の仕立券だった。長男は喜んでくれた。私は昔国会議員で70万円以下の背広を着ないと豪語する人に会ったことがある。その時私は量販店アオキの背広を着ていた。

  長野県に生まれ、育った。この世の中にピンからキリがあることを長野県から離れて初めて自分の目で見て知った。高校まで周りは、ピンがなくキリばかりだった。皆貧しかった。格差を成績以外で感じたことがなかった。高校の途中からカナダへ行った。まず入ったのは、全寮制のキリスト教の自給自足する宣教師を養成する学校だった。贅沢に罪悪感を持つ、質素で慎ましい人ばかりだったのでピンはいなかった。

  日本に帰国して仕事をして収入を得るようになって、自分が段々物質主義に洗脳されてゆくようになった。しまいにどんなにもがいても超すに超えられない壁が世の中にはあるのだと知った。車、家、服、装飾品、食事、食材、食器。ピンキリなのだ。幼いころからキリの中で生きてきた。ちょっとでも高く、高級と呼ばれる物に心奪われる。戦後生まれで団塊世代と呼ばれる者の悲しい性である。しかし使える金には限度がある。キリには月賦というワナが仕掛けられる。月賦で首が回らなくなったこともある。見栄坊は実力も金もないのに自分の明日はもっと良くなると固く信じ込む。

  そして限界にぶつかって目が覚めた。コキジ(古稀+2)になって、残ったのは食欲だけだ。我が家のエンゲル係数はいまだに高い。私たち夫婦は、御題目のよう「いつもニコニコ仲良く美味しく現金払い」と復唱する。やっとピンキリの世の中を認め、キリにキッチリと納まった。納まるところに納まった。居心地抜群。関西電力の50万70万円のスーツ仕立券や3億円を超す賄賂も腹が立つけれど、違う世界、ピンの世界のことと顔の筋肉を引きつらせて笑う。

  リンさん、日本で今シシャモが20尾で4000円と知ったら腰を抜かすだろう。生活はキリでもリンさんの生き方はピンだった。


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膿を出し切る

2019年10月02日 | Weblog

  9月30日、菅原秀一経済産業大臣は、関西電力の役員20名が、福井県高浜町の元助役から3憶6千万円の金品を受け取っていた疑いが発覚したことに対して次のように述べた。「第三者の目から原因究明を行い、膿を出し切ってほしい」

 膿。私はこのたとえ違うと思う。膿とは、芭蕉の「夏草やツワモノどもが夢の跡」ではないけれど、膿が出るところは、戦場だったのである。細菌など体に害を与えるモノを攻撃する味方の細胞との、いわば戦争が行われた場所である。現代では抗生物質が広く処方されるようになってきたので、化膿することは少なくなった。

 私は、ネパールやアフリカのセネガルにかつて暮らした。世界の最貧国である。住んだ6年間、目についたのは体のどこかが化膿している人達、特に子供たちだった。都市から出て辺地に行けば行くほどそれが目立った。人ばかりではない。私たちが日本から連れて行ったシェパード犬ウィ(写真:毛がフサフサだったウィ)には、アフリカで官舎の庭の土から蝿の幼虫が皮膚を食い破って体内に入った。フサフサだった毛が抜け、違う犬種のようになった。体全体にハエウジ病が拡がり化膿した。週末、妻とウィの体中から蛆を指やピンセットで出した。妻が言った。「化膿するということは、ウィの体内で侵入した細菌とそれをやっつけようと戦った細胞の残骸なの。だからウィの体は必死に戦っているの」 普段虫を見れば、大声を上げ逃げ惑う妻が、素手で2本の親指と爪を使って蛆を押し出し、新聞紙の上に並べ潰した。

 何故私が菅原大臣の“膿”に執着するのか。私は「膿」に感謝こそすれ、悪いものと考えていない。確かに子供の頃は、膿は汚いモノ、気持ちが悪いモノと思っていた。辞書に書いてある『膿を出し切る=組織の荒廃などの原因になっている元を断つこと』は、どうしても膿は汚い悪いモノに思えてしまう。私たち生き物を守ろうとした結果、膿が出る。

 政治屋は、言葉の魔術師が多い。今回の関西電力と高浜町の元助役の関係は、私たち庶民には知ることのできない闇の世界である。膿は、命を守るための善と悪との闘いの結果生じるものだ。関西電力、元助役、町、県、国、マスコミ、警察のどれが善でどれが悪なのか。闘いなど初めから、なかったのである。ならば、膿はでない。大人の闇世界は、まるで地球の核のマグマのようだ。膿どころの話ではない。政治屋が絡む、森友問題、秘書暴行問題、省庁への口利き問題。何一つ“元”が明らかにされていない。膿が出るのは、善と悪が戦った証拠。原因になっている元と闘わなくては、膿は出てこない。

 菅原大臣自身も2013年に国会開会中にハワイへ旅行に出かけた。「政治経済事情視察」と申請書を提出していたが、実際はゴルフ三昧だった。同行してゴルフを一緒にした人に「嘘を申請したから大丈夫」と言ったとか。こんな人物に原子力というハレモノを管轄させる政府の中も得体のしれない闇がうごめく。生物体の中には、悪い細菌や病原菌が侵入してくると、善細胞がそれらに闘いを挑む。

 どうやら人間の闇の世界は、あの小さな善細胞さえやってのける悪いヤカラを攻撃して撃退させる仕組みがないらしい。だから膿は出てこない。「膿を出し切る」と言う前に、正常に膿が出る社会になるべきだ。


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