団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

「ここ、通れますか?」

2021年11月30日 | Weblog

  先週、散歩の途中、橋のそばで白髪の老婦人とすれ違いそうになった。婦人は立ち止まった。そして私に言葉をかけてきた。私は今までにあったことがない見知らぬ婦人なので、道を尋ねられると思った。婦人「ここ、通れますか?」 私「工事中なので危険ですよ」 婦人「やはりね」そう婦人は言って、再び歩き出した。私は婦人が当然向きを変えて、引き返すのかと思った。

 今年の7月3日、豪雨で私が住む集合住宅の前の川が増水して決壊した。川沿いにある道路の半分以上が流された。下水管、水道管がむき出しになった。春には多くの人々が、桜を見に訪れる。その桜並木の桜も3本流されてしまった。2本がかろうじて残ったが、根元がむき出しだった。

 決壊して以来、道路は通行止めになった。いつ工事が始まるかと待ったが、11月22日からやっと建設会社の人が出入りするようになった。工事は3月まで続くという。パワーシャベルやクレーン車などの建設機械も運び込まれた。川の中に入ったパワーシャベルで川原の石を移動させ、決壊場所の手前で川の流れをせき止めた。流れは、今までの反対側に変わった。日中、重機が岩や石を動かすたびに、重機の金属と擦れる。黒板にチョークで擦って出す、あの不愉快な音を何十倍にしたような音のようだ。

  この市道は、川沿いにあり、上下にある橋で川の反対側にある県道につながる。通行止めになる前、この桜並木のある市道は、私の散歩コースに含まれていた。集合住宅の住民にとっては、生活道路である。県道と比べたら、通行量はずっと少ない。不便ではあるが、市道の決壊が、あの程度で収まってくれてよかった。もっと大規模に決壊したら、集合住宅にも被害が及んだであろう。最悪の事態を回避できたのだから、不便で遠回りになっても、私は受け入れている。

  私は散歩を続け、橋を渡って県道に入った。歩道が川にせり出したようになっている。歩道から川の反対側、私が住む集合住宅前の市道がよく見える。集合住宅の玄関の前あたりに通行止めの看板が立てられ、ロープで市道は、封鎖されている。そこに人影が。頭が白い。まさかあの老婦人。ロープを片手で持ち上げて、潜り抜けようとしていた。動きがぎこちない。よろける。何とか体制を戻した。足元がおぼつかない。スタスタ歩きに程遠い。ロープの次は、決壊の一番酷い場所。1メートルぐらいの幅を残して、鉄棒を立て、ロープが張られている。歩行者の為ではない。作業員の安全確保のためのものである。白い髪の女性は、その狭い隙間を、ヨタヨタと進む。30メートルくらいの決壊場所を通り抜けた。そしてロープで封鎖された場所で、ロープを持ち上げて、不器用に通り抜けた。私は、反対側の歩道から、その一部始終を見ていた。

  私には理解できなかった。なぜあの老婦人は、私に「ここ、通れますか?」と尋ねたのだろうか。私は「通れません」と言うべきだった。それにしても私が見た限り、『通行止め』『人も車も通れません』の看板をモノともせず、平気で通り抜けるのは圧倒的に老人たちである。同じ老人として恥ずかしい。私は、何人もの若者が、看板を見て、引き返すのを見ている。老人で引き返した人はゼロ。老人にとって、危険は回避するものではないようだ。多くの老人は、自分が年老いたという自覚が、ないのかもしれない。それか70年、80年と散々に苦労して生きてきて、こんな危険なんぞは、危険のうちに入らないと思っているのか。君子、危うきに近寄らず。私は、君子に程遠い人間である。しかし『年寄り、危うきに近寄らず』を最後まで実行していたい。


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サソリ

2021年11月26日 | Weblog

  平均年間雨量が1ミリのエジプトの南部の都市アスワンが1112日、信じられない豪雨に襲われた。温暖化による異常気象が世界中から報告されている。このニュースは豪雨だけで終わらなかった。豪雨が去るとサソリが異常発生した。エジプト保健省の発表によると503人が刺されて3人が死亡したという。

 砂漠を舞台にした映画には、サソリに襲われる場面が出て来る。私もチュニジアの砂漠でサソリを実際に見た。姿かたち色すべてが恐怖と直結する生き物だ。サソリに追い回される悪夢は、首筋に冷や汗ものである。

 

 今回大量のサソリが出たエジプトではサソリは、お守りになっている。古代エジプトの神話にセルケトという女神がいる。頭にサソリをのせている。古代エジプトでもサソリは、人々から恐ろしい生き物だと思われていた。古代エジプトでは、この女神が、砂漠の毒を持つ生き物から人々を守ってくれると信仰された。今回の異常発生は、この女神セルケトさえ驚いて目を覚ますのではないかと思われるほどの大発生だったらしい。

 

 毎年世界ではどれくらいの人々がサソリに刺されているのかの統計がある。世界全体で1500万人が刺されて2600人が死亡するという。北米では事故1,000件中死者が1人、中南米では40万件中210人、アジアでは25万件中650人、中東~北アフリカでは55万件中1,600人、アフリカでは20万件中80人、ロシア・ヨーロッパとオーストラリアでは数件中死者0人。統計上でもやはり中東~北アフリカの数字が突出している。

 

 日本ではサソリの被害はない。しかし似たような生き物で、ゲジゲジやムカデがいる。ゲジゲジは毒を持たないが、ムカデは毒を持つ。私が住む集合住宅は、前が川で裏が山である。人間以外の生き物の数の方が多い。ムカデやゲジゲジも多い。時に異常発生する。妻はこの手の生き物が苦手である。妻が叫び声を上げるのは、間違いなくゲジゲジかムカデを発見した時である。私は本を読んだり、ネット検索して侵入を防ごうとするが、いまだに効果は出ていない。ゲジゲジやムカデで妻は、この大騒ぎなのだから、サソリに遭遇したら、おそらく気絶するだろう。

 

 サソリは、砂漠を舞台にした映画によく出てくる。サソリが出てくる時は、恐怖を掻き立てるような音響効果が使われる。音とサソリの姿。黒光りするサソリのハサミが、ズームアップされる。主人公は、何も知らずに寝ている。あッ刺される。と思った瞬間、誰かがサソリを退治する。見ている方は、ハラハラドキドキ。映画だからいい。もし自分が寝ている時、サソリに刺されたら。ここは日本だから大丈夫。でもムカデに刺される可能性はある。さらにムカデ対策を講じなければ。

 

 チュニジアには、ムカデを乾燥させて海外からの観光客に売る商売がある。日本人を見つけると「義理の母にサソリを」と言って売り込む青年がいる。サソリは標本にもならないくらいお粗末なしろものである。私ならレジンでサソリを閉じ込めてキーホルダーにして売るのにと何度思ったことか。「義理の母にサソリを」は、感心した。誰が教えたにしろ、上手い。私もサソリではないが、何度か「義理の母に〇〇を」と一瞬思ったことがある。

 


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最高の番鳥

2021年11月24日 | Weblog

 栃木県栃木市の住宅地で孔雀が目撃されたというニュースを見た。日本のあちこちで、本来、日本に生息しない動物の目撃の報告がある。これもそんなことかと思った。ただ「マホー」と大きな鳴き声を上げると書いてあった。目撃者が「大きな声で鳴くので驚いた」とも言ったそうだ。

 チュニジアに住んでいた時、大きな農場を持っているチュニジア人と親しくなった。よく農場に招かれて行った。農場の中の建物の前にロータリーがあって、半径10メートルぐらいの円形の植え込みがあった。高さ2メートルぐらいになった夾竹桃だった。そこに約10羽の孔雀が放し飼いにされていた。私は農場主が相当なハイソ願望を持っているのかと思った。そんな私に彼は、「孔雀は犬よりずっと役に立つ番人です。だから犬も飼っていますが、防犯のために孔雀も飼っています」と説明してくれた。「孔雀は危険を感じると、とにかく大きな鳴き声を上げます。10羽いたら、その鳴き声はもの凄いです。泥棒も逃げ出します」 孔雀が犬より役立つ番鳥だと、チュニジアで初めて知った。

 小学生の遠足で小諸市の懐古園へ行った。公園の中に小規模な動物園がある。私はそこで生まれて初めて孔雀を見た。運よくオスの孔雀が羽を大きく扇状に開いた。この世の物とは、思えないほど綺麗だった。将来の夢という作文に「大人になったらたくさんお金を貯めて、家の庭で孔雀を飼いたい」と書いた。それほど私は孔雀の美しさに魅入られた。

 高校生の時、エリザベス・テイラー主演の映画『クレオパトラ』を観た。話はほとんど覚えていない。ただクレオパトラが宴会に招かれたシーンに孔雀の丸焼きがあった。丸焼きには見えなかった。なぜなら生きた孔雀のように羽がついていたからだ。孔雀を食べるなんてと不快だった。孔雀の丸焼きは、王様や貴族は、好んだらしい。英国の国王ヘンリー八世は、孔雀の肉が好物だったという。国王のために、調理場で孔雀の羽を取り、焼いてその後で再び羽を元通りにして供されたという。国王の威厳を保つために贅を尽くしていたのであろう。

 丸焼きは、豪華な料理の代表だ。私が住んだことのある国々で、招かれた家庭でも、そういう歓待を受けた。カナダではニワトリの丸焼きが、よく出てきた。感謝祭やクリスマスには、大きな七面鳥の丸焼きに、度肝を抜かれた。妻の赴任地のベオグラードでは、子豚の丸焼きがよく出てきた。昔観た西部劇で、テキサスの農場主が、娘の結婚式に牛の丸焼きを、使用人に作らせるシーンがあった。いくらテキサスでも、話が大きすぎると思ったが、テキサスではあり得ることだと聞いた。

 今週末アメリカは、感謝祭の祝日がくる。アメリカ中で、たくさんの七面鳥の丸焼きで祝われることだろう。クリスマスも七面鳥。七面鳥は、臆病な動物で、恐怖が迫ると心臓麻痺を起こすとか。1羽が倒れると、連鎖して他の七面鳥も死んでしまうと、カナダの七面鳥農家に聞いたことがある。これでは、七面鳥はとても番鳥にはなれない。

 私の庭で孔雀を飼う夢は、実現しなかった。この先も夢が叶う可能性はない。だが体調がよくストレスも低い夜、孔雀が羽を開く夢を時々見る。孔雀は私の健康の番鳥である。


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18歳以下10万円給付

2021年11月22日 | Weblog

  数量政策学者の高橋洋一氏が、ユーチューブの自身の番組で、岸田首相を批判していた。「しょぼい、とろこい、グダグダ岸田内閣」(とろこい:どんくさい、のろい) 高橋氏が言うように、新政権も、その政策にスピードが感じられない。

 

 公明党は、先の衆議院議員選挙での勝利への貢献の代償として、自分たちの公約だった18歳以下への10万円給付を、ごり押ししてきた。自民党は“バラマキ”になると、すんなりと受け入れることはなかった。すったもんだして、結果が出た。受給世帯主の所得制限を設けること。5万円は現金、あとの5万円をクーポンで給付することで決着した。党利党略の色が濃すぎて、私にはウヤムヤ感だけが残った。

 

 2013年に東日本大震災の復興資金として、保有する民営化した日本郵政の株を売却することによって、政府は4兆円を捻出することを決めた。すでに3兆円分を売却している。政府は10月6日に、保有する日本郵政の株の残り27%の売却を決めた。今回の売却で総額4兆円になる。

 

 私は政府保有の株、もしくは政府が新規に国策会社を設立して、その株式を給付金にできないだろうかと考えた。日本の公立の小中学校で、金融に関する実践的な教育は、なされていない。

 

 私が子供の頃、父親は私に「相場には手をだすな」と教え、いかに多くの人が相場で財産を失ったかを話した。父は相場に手を出すことなく、人生を全うした。しかしほとんど何の財産を残すこともなかった。私は父の教えを守っていない。夢をみて、孫3人にミニ株を贈ってある。

 

 私はカナダに留学して驚いた。多くの人々が株式投資を、当たり前のようにしていた。現在、日本では国民の10%しか、株式投資をしていないという。アメリカ、カナダ、ヨーロッパでは国民の50%以上が何らかの投資をしているそうだ。

 

 まだまだ日本では株式投資は、まともな人がすることでないと思われている。以前、日本国の財務大臣が「株屋っていうのは信用されてないんだよ」と発言して物議をかもした。しかしそう言った本人だって、大臣の資産公開で多額の株式保有が明らかになった。

 

 祖母から電力会社の株を、生まれたお祝いに贈られた知人がいる。27歳で結婚した時、その株は2千万円を超えていたそうだ。ビル・ゲイツが、シアトルで個人の家を廻って、自分の会社マイクロソフト創業への、100ドルの投資を勧誘していた。その100ドルは、32年後に1000倍の10、000ドルになったという。

 

 株式投資は危険を伴う。しかしきちんとした教育を受けて、体験を積めば、資産を増やすことができる可能性がある。10万円の現金の代わりに、政府所有の株を給付する。即お金が必要なら、証券会社などに持ち込み売却する。さきの10万円給付の、ほとんどは貯蓄に回った。今時、貯蓄したところで利子はないに等しい。0歳の子に給付された10万円の株が、その子が結婚するとき、何倍にもなっていたらどうだろう。夢がある。今の日本に夢のある話が少ない。

 

 高橋洋一氏は更に最近のユーチューブ番組で、岸田首相を「シブチン岸田」と言った。節約とか倹約の意味ではないと思う。国の将来、子供たちの将来を見据えているなら、シブチンでは首相はつとまらない。パンとサーカスではあるまいし、一般市民は、シブチンな一時金に惑わされてはならない。首相たるもの、国民に“しょぼくない”太っ腹な、夢を“テキパキと”与えて続けて欲しいものだ。

 


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石よもてえ

2021年11月18日 | Weblog

  散歩を兼ねて、歩いて食料の買い出しにリュックを背負って出かけた。家から5分程歩いて、ちょうど橋の上を歩いている時、「あれ!コーヒーマシンのコンセント抜いたっけ?」と気になり始めた。まずコーヒーマシンの電源を切り忘れた時のマシンが異常に熱くなった感覚がよみがえる。妄想が全身を駆け巡る。火事が発生して集合住宅が火に包まれる。家の中のあれもこれも火と煙に包まれる。消防自動車が集合住宅の前にずらっと並んで消火活動をする。家の中の物が消火のための放水でビショビショになる。集合住宅の住民が、私を責める。心配が恐怖に変わる。万歩計を身に着けて、一日5千歩を目指す今は違う。わざわざ家に今戻れば、少なくとも500歩は加算される。よし、戻ってコンセントを確認しよう。コンセントは抜かれていた。晴れ晴れとした気分で、さっき引き返した橋を通過した。

 

 いつものスーパーはポイント5倍デーのせいで混んでいた。買い物リストを見ながら買い物を進めた。「セロリ」とあった。最近妻は疲れていて元気がない。今夜はビーツとセロリで煮込みを作ろうと考えていた。セロリ、セロリと頭の中で繰り返しながら探した。最近は何でも小分けにして売っている。セロリもバラして1本単位で置いていると思った。ない。セロリの入荷がないのか。特売コーナーの場所にあった。でも株のまま。でかい!2キロは超える。でも安い。1株399円。カゴに入れた。重い!次に牛乳。何か今日は重い物ばかりだ。買い物リストの他の物と一緒にレジに並んだ。会計を済ませて、リュックに詰めた。担ぐと足元がふらつくほど重かった。

 

 散歩を兼ねての買い物なのでバスには乗れない。歩き始めた。肩に肩掛けのベルトが食い込む。足元が落ち着かない。背中のリュックの重みが、脚の運びのリズムに時間差を加えるような感じ。こんな時ネパールで出会った荷物運びの人を思い出す。ネパールのカトマンズの商店街には、荷物運びの人が客待ちしている。重い荷物を肩や背中に背負って家まで届けてくれる。車、リキシャもあるが人が一番安い。多くの運ぶ人は、裸足だった。体は小さくて痩せていても力持ちである。いちど金属製の大きな洋服ダンスのようなものを運んでいる人を見た。あの洋服ダンスと比べたら、今日の私のリュックの重さなど、と自分に言い聞かせる。あの運び人と何か共感できそうな気がした。いつもの倍の時間をかけて家に戻った。

 

 妻の父親に私の塾の仕事を手伝ってもらった。教材の印刷をしてもらった。器用で丁寧な人で印刷も未経験だったが、すぐに覚えて上手になった。教材は学年ごとにスチール製のキャビネットに分類して入れていた。ある時、そのキャビネットを移動させることになった。中の教材を出さず、入ったままだった。義父と両端を持って動かそうとした。動かない。持ち上がらない。その時義父が「こりゃあ、石よもてえな」と言った。長野の方言なのだろうか。でも上手い状況にピッタリな表現だ。あの重さを良く表している。石、動かせない程の重さ。“重い”より“よもてえ”の方が生活感や臨場感がある。

 

 リュックの重さを感じながら、ネパールの荷物運びの人たちのこと、もういない義父のことを思い出した。妻はその夜、ぺろりとセロリとビーツの煮物を一皿平らげた。明日、少しでも疲れが取れて、元気になって欲しい。

 


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一日一善一感動

2021年11月16日 | Weblog

  先週の日曜日、妻と隣の市の駅ビルへ、買い物に車で出かけた。駅ビルの立体駐車場に車を入れることにした。入り口の無人駐車券発券機のボタンを押す。券が出てくる。その券を首から下げているカード入れに差し込む。大事なものはこのカード入れに差し込んで紛失を防いでいる。

  還暦を過ぎた頃から物忘れが多くなった。以前駐車券を仕舞い忘れて、出口で立ち往生した。さいわい料金回収の若い係員がいて、ゲートを開けてくれた。私の車の後ろには、苦虫を噛み潰したような顔で、鋭いまなざしを私に向ける数台の車の運転手がいた。若い係員のお陰で助かった。券はあとから車のサンバイザーの裏のカード入れから見つかった。

  買い物を終えて、駅ビル管理事務所で買い物のレシートを見せた。私が持っている駐車券を機械操作して、2時間無料にしてくれた。その券を駅ビル専用駐車場の入り口で、再び無人事前清算機に入れようとした。「えッ」と思わず声を出してしまった。券の差し込み口にすでに券が入っていた。誰かが清算して、券を取り忘れたのかもしれない。あたりを見回した。それらしき人はいなかった。何しろ6階建ての駐車ビルである。おそらく数百台の車が駐車している。券を持って探し回るわけにはいかない。しかし券がなければ、その人は出られない。その車が出られなければ、これだけ混雑している駐車場が大変なことになる。何まごまごしているの、の顏をするエレベーター前の妻。私は券を抜いて、自分の券を差し込み、清算した。差し込み口に取り残された券は、わかりやすい場所に立てかけておいた。

  5階にとめた車に戻り、車を出口に向かって下へ進めた。2階まで降りて来ると、車がつながって止まっていて動かない。私は閃いた。妻に「出口の清算機へ行ってみて。券だったらビルの入り口にあると言って」と早口で告げた。「え~私が行くの?」 妻は不満そうだった。妻が清算機の方へ坂を下って行った。しばらくすると30代くらいの男性が小走りで坂を上がって来た。そして事前清算機に向かった。私の車は入り口の清算機が見える所にとまっていた。券をつかみとり、男性は、また来た坂を走り降りて行った。妻が車に戻った。

  「私が清算機の脇に止まっていた車に近づくと、中で男性が携帯電話で話していた。もうパニック状態で、私が券のことを言うと、車から出て走って行った。あまりにパニクッていて言葉を交わすこともなかった」 前の車が動き出した。これだけ車があっても、私以外の誰も行動を起こさなかった。不満顔だった妻も、車が動き出すと、やっと機嫌を直してくれていた。

  30代の男性から「ありがとう」の一言もなかったが、妻が「いいことしたね。きっと今日いいことあるよ」が嬉しかった。その日特別にいいことはなかった。でも自分の過去の失敗と、年寄りの豊富な経験からの推理が人助けになって嬉しかった。

 『一日一善一感動』 安積仰也 国際基督教大学元教授


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18歳以下一律10万円支給

2021年11月12日 | Weblog

  個人自営業の知人と先日話す機会があった。彼はこの数か月夜眠れない程、腹が立っているという。同じ地域の飲食業の人たちが、次々に車を買い替えていることを知ったそうだ。コロナによる営業自粛で補償金が出ている。自粛要請の長期化で補償金が積みあがってきたからだ。知人の職種には、補助金はない。しかしコロナによる影響は大きく売り上げは3分の1になったという。補償金や助成金の不公平さに知人は怒りをおぼえている。私もかつて個人事業主だった。自営業の難しさは、身を持って知っている。

 話していて、散歩のコースにある一軒のスナックのドアが、目に浮かんだ。もう何年も前からそのスナックは、店を開けていなかった。コロナで補助金が出ると決まると、店のドアに県の通達が張り出された。すでに1年以上それが続いている。以前開店休業状態だった店だ。ドアにコロナ休業の貼り紙を出すだけで、休業や時間短縮の補償金が入る。

  行政の目は節穴らしい。税金の使われ方に厳正な監査が抜けている。補償金を出すのは構わない。それがきちんと役所に保管されている帳簿や記録によって実証されているなら。どうも違うらしい。飲食業というだけで補償金を申請できるのだ。納税証明書も決算書もいらない。消費税も消費者は払っても、受け取った側が全額国庫に納めていないと聞いている。日本の行政がいつからこのようにずさんになってしまったのか。私は根本に日本に蔓延する面倒くさがり風潮があると思う。

  更に個人自営業の知人が、今度の自民公明の18歳以下一律10万円支給にも言及した。ネットのニュース記事にこんなことが出ていた。彼の意見は、ほぼこの記事と同じだった。『公明党が「一律」にこだわる理由は―― そもそも、なぜ公明党は頑強に「未来応援給付」の実現を求めるのか。そこに「主な支持母体である創価学会と切っても切れない関係がある」と話すのは、ある公明党担当記者だ。 「支持母体の創価学会で力を持っているのは女性部。選挙活動で主導的に動くのは、女性の学会員たちだからで、学会の指導部や公明党も、彼女たちの意見を無視するわけにはいかないという事情があります。 伝統的に福祉や教育、子育て分野での給付金や助成を手厚くするべきだという声は女性部内には根強く、熱心に選挙を手伝う彼女たちに報いないわけにはいかないというわけです。 ただ、今回の『18歳以下の子供がいる世帯のみ』という給付金には世論の反発が根強い。最終的には、公明党も自民党の主張を飲むのではないかと思うのですが……」 岸田首相は、因縁の“公明党の壁”にぶち当たっている――。』 この記事が事実ならば、恐ろしいことだ。国家がいち宗教団体に振り回されている。自民党の不甲斐なさに失望する。公明党は、宗教政党から真の政治政党へ脱却すべきだ。

  今回の衆議院議員選挙で立憲民主党は、議席数を減らした。原因は共産党との共闘態勢にあったと言われている。共産党と組む以外に、宗教政党批判を展開した方が、議席を伸ばせたのでないかと考えてしまう。NHKをぶっ潰すと息まく政党があるくらいなのだから、そういう主張もありうるのではないか。

  私も知人のように眠れない程ではないが、日本の現状を憂いる。一時金で日本が良くなるとは思わない。何が「未来応援給付」だ。もっと先を見越した施政ができないものか。18歳以下一律10万円支給に4兆円の税金が必要だという。病院船が何隻建造できるだろうか。今の現金より、子供たちの未来に4兆円は使うべきである。


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コロナ孤独

2021年11月10日 | Weblog

  秋が深まりつつある。散歩しながら見上げる山々の緑色の領域が、日ごとに狭まっている。私の住む集合住宅の近くの寺の駐車場の柿の木も、ほとんどの葉をすでに落とした。去年のこの時期、来年にはきっと世の中は平常に戻っていると思った。あれから1年、コロナ感染者はやっと急激に減少してきている。緊急事態宣言が解除されたとはいえ、まだ私のコロナに対する警戒心は施錠されたままである。

 私の知人が先月84歳で亡くなった。私は74歳、コキシロウ(古稀+4)と名乗っている。知人の年齢まであと10年。やはりこのコロナによって奪われた私の貴重な2年間は、大きな損失である。一方、それ以前の何気ない日常の生活が、どれほど素晴らしいものであったかを思い知らされた。妻と二人だけの生活。それは妻の海外赴任で世界のあちこちを転々とした生活の再来のようであった。日本に居ながら、まるで見知らぬ海外の国で暮らしているようなのだ。家族や友人が訪ねてくれることもない。我が家に入った人は、みな工事や修理関係である。玄関までなら宅急便や郵便局の配達員も来ている。妻以外の人と酒を飲んだり、話したり、食べたことがない。

 妻が勤務に出てしまえば、私は一人家に残される。ラジオを聴いたり、漢字パズルをしてkilling time(暇つぶし)しているだけ。やらなければならないことは、たくさんある。ワカッチャイルケドヤメラレナイ。何事もコロナの所為にしている。そんな自分を嫌悪しながらも時間だけはどんどん過ぎてゆく。子供たちに会いたい。孫のたちの成長ぶりを見てみたい。孫たちが出るサッカーの試合の応援に行きたい。友人たちとあのことこのこと話したい、尋ねたい。こんな食材を使ってあんな料理で友人たちをもてなしたい。欲求不満が募るばかり。

 外に出るのは病院、歯医者、買い物に行くときだけ。体はあちこち不具合が出てきている。外に出ても気が晴れることはない。体に悪いが美味いものでも食べようかと思っても、コロナの感染が恐くて、店の前でやっぱり止めようと家に戻ってきて食べる。

  足腰、特に筋肉の衰えを感じる。歩いていてもアメリカのバイデン大統領の歩き方に似てきたと思ってしまう。階段を上がっていくと、最上段にさしかかる頃に、脚はゾウの足のように重くなっている。

  高校生の時、文化祭で所属していた英語班は、英語劇を演じた。私も端役で出演した。英語のセリフは、短いものだった。ドーランのようなキツイ化粧もしたように覚えている。父親の背広を借りて着て出た。私の父親は身長が低かった。腕の丈も股下の丈も短かった。でも父親を強く感じた。そんなことばかり覚えていて、肝心の劇の進行や他の出演者の事は全く覚えていない。ただ最後に老人が一人部屋に横たわって、外の音を聞いている場面が記憶にある。その老人の状況に自分がいるように思える。

  好きな英国BBCのテレビドラマ『New Tricks』の中で「孤独な部屋に耐えられる男は幸せだ」(パスカル)がセリフの中で使われていた。私は孤独な部屋にいる。しかしそのことを幸せだとは思えない。まだまだコキシロウはヒヨッコなのだ。


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赤いスープ

2021年11月08日 | Weblog

  散歩の途中で鮮やかな赤いケイトウ(鶏頭)が植えられているのを見た。綺麗だと見入った。7日の日曜日、妻と散歩することになった。いつものコースをやめた。なぜなら先日見た真っ赤なケイトウを妻に見せたかった。それと写真も撮りたいと思った。私が確かにケイトウを見たと思った場所へ向かった。しかしそこにはケイトウはなかった。あったのはあまり手入れがされていないセンリョウの植え込みだった。ケイトウとは似ても似付かなかった。老化による思い込みかとがっかりした。そんな脳が「もしや…」のヒラメキを発した。やはりそこだった。振り回された妻には悪かったが、妻も真っ赤なケイトウを見て感激してくれた。間違った場所へ行ったことで、認知症ではという思いも消えた。燃えるような赤い色のケイトウは、しばしこのところの嫌な気持ちを忘れさせてくれた。

  色というのは、不思議なものだ。黒い色を連想する食物は、何となく健康に良さそうに見える。最近では“黒ニンニク”が広く知られている。豚なら“黒豚”、牛なら“黒毛和牛”、“黒豆”、“イカ墨”、“ニシンの昆布巻き”。では赤い色は、どうだろう。黒い食べ物ほど赤い食べ物は、思いつかないが、赤い食べ物と言えば、まずトマトかな。トマトの赤も好きな色である。

  カナダの学校で私は、乳牛の世話をしたことがある。その学校は自給自足に近い学校運営をしていた。全寮制で学校関係者の子弟以外、全員が寮に入っていた。1日2時間学校の運営に関わる奉仕活動することが定められていた。また学費減額を希望する生徒は、更に2時間働くことができた。私は乳牛の世話とニワトリの世話の仕事を得た。

  乳牛は60頭ほどいた。それぞれの生徒に担当の牛が決められた。私が担当した牛は、私にとてもなついてくれた。ある時、近所の砂糖工場から砂糖ダイコン(ビーツ)の搾りかすが大量に持ち込まれた。牛も甘いものが好きらしく、搾りかすを与えるとヨダレをタラタラ流しながら、目を輝かしてむさぼった。私はその時初めてビーツを知った。

  そして間もなく私もビーツを実際に口にすることができた。ウクライナからカナダに移民した家族の家に招待された。そこで真っ赤なスープが出てきた。その赤い色はビーツの色だと言う。私が世話をしていた乳牛が、あれほどビーツの搾りかすを喜んで食べたのだから、本体のビーツは、美味いに違いないとスープを口にした。味は悪くはなかったが、牛が喜んだ程ではなかった。ただその赤い色が強く目に焼き付いた。

  2003年に妻がロシアのサハリン(旧樺太)へ転勤になった。そこでボルシチというスープを知った。極寒の地では体を温める食べ物が多い。ボルシチもビーツを使ったスープである。冬、外は雪で銀世界になる。温かく赤いボルシチのスープは、寒さを和らげてくれた。ボルシチは元々ウクライナの料理だという。ここでカナダのウクライナ出身の家族に招かれた時出た赤いスープとつながった。

  ケイトウの赤色が、私の過去の思い出を引き出した。先日成城石井で下ごしらえされたパックのビーツを見つけた。便利になった。早速購入して赤いスープを作った。それはカナダのウクライナ人のものとも、サハリンのボルシチとも違うものだった。でもその赤さは、変わらず綺麗な赤い色だった。


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当選と合格

2021年11月04日 | Weblog

  選挙で投票所へ行くたびに、紙の投票用紙をやめて電子投票にならないものかと思う。今回も投票所には、地元の老人と市役所職員が10数名陣取っていた。日当を調べてみた。自治体や役職やバイトによって差がある。まず投票所で朝7時から夜の8時までだと3万円から4万円くらいだ。開票作業では、午後8時から終了までで7千円から2万9千円。政府はデジタル庁まで新設して、デジタル化を目指すと言った。選挙もデジタル化を進めるべきだ。今、選挙で美味しい汁を吸っている人たちは、反対するだろう。選挙があるたびにもらえる時間外手当やバイト収入が減ってしまうからである。

 今回の衆議院議員選挙では報道各社の事前予想がことごとく外れた。相当な予算や下調べの時間をかけたはずだ。最終獲得議席は自民:261 立憲:96であった。一方各社の予想はNHK(自民212253立憲99141,日本テレビ(238:114)、TBS239:115,テレビ朝日(243:113)、テレビ東京(240110)、フジテレビ(230130)。選挙特番も見ごたえのある番組の放送はなかった。お笑い芸人の暴走や政治を語れないアイドルやただ元NHKにいたという司会者の中にただ選挙の時は、各社の競争が激しく、いろいろな思惑が見え隠れして興味を誘った。

 選挙も入試も結果が全てである。私が入学した長野県立上田高校は、以前は広範囲から生徒を集まって来ていた。ところが小学区制になり、通学範囲が狭められると一気に大学合格結果が芳しくなくなった。一方、中高一貫教育で広範囲から生徒を集めるようになった私立の佐久長聖は、ぐんぐんと大学合格で結果を出し始めた。一時は以前の上田高校の勢いがなくなってしまい、上田市からも佐久長聖に通う生徒が増えていった。ところが最近どうしたことか、再び上田高校の合格結果が上向いてきた。佐久長聖の隆盛に陰りが見えてきた。2020年度の国公立大学の“現役”合格実績は、サンデー毎日 6月20日号によると上田高校(卒業生312名)146名 佐久長聖(卒業生358名)38名、東京六大学の5私立大学でも上田高校13名佐久長聖15名だった。私が上田で塾をやっていた頃と比較すると、上田高校は飛躍的に良い合格結果をあげている。佐久長聖は中高一貫で私立の特典を活かして特別授業をしている。何が起こっているのかわからないが、上田高校の変化を喜んでいる。良きライバルとして両校がますます良い合格結果を出せることを期待したい。

 選挙も入試も結果である。良い結果を出したければ、それ相当の準備が必要である。付け焼刃的な準備では、成し遂げられない。私は福岡9区の無所属で立候補して今回当選した緒方林太郎さんに注目している。落選2回の8年間地道に選挙活動を積み重ねてきた。世襲、党利党略、支持団体の有無が選挙で幅を利かせる中、自力で当選を勝ち取った緒方さんを賞賛し、これからの活躍に期待したい。彼に病院船のこと選挙の電子投票のことをメールで訴えてみた。さて返事が来るか。

 


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