銀行と私は、相性が悪い。関わった銀行に良い印象がない。
終の棲家として購入した現在住む集合住宅の一区画を買う時のことだった。私たちは当時ロシアのサハリンに住んでいた。ある日妻が職場から日本経済新聞を手に帰宅した。「ねえ、この物件どう思う?」 新聞一面を使った集合住宅の販売広告だった。斬新だった。サハリンを含めて既に12年間5ヵ国を転々とした。ずっと官舎や貸室だった。でもどこも面積が広かった。日本経済新聞に載っていた広告の集合住宅は2LDKだが面積が日本のものとは思えぬほど広かった。東京から離れていて環境も良い。ちょうど休暇で日本へ帰る時だったので二人で見に行った。実際に自分たちの目で物件を見て、二人とも気に入った。いつかこんなところに住めたらいいと話した。サハリンの住居は、集合住宅で入り口に機関銃や銃で武装した警備会社の屈強そうな男が常に5人いた。気候も環境も私たちに厳しかった。そんな中、日本で見た物件が夢のように思えた。購入を申し込んだ。現金で購入できないので住宅ローンを借りることにした。販売会社がスルガ銀行を紹介してきた。実際に数回スルガ銀行東京支店のローンの担当者二人と会った。第一印象が悪かった。利息が当時の平均よりかなり高かった。二人の行員の偉そうな態度が気に障った。
結局みずほ銀行から借りて物件を購入した。ところがみずほ銀行の担当者が定年退職した後、彼がいた支店が閉店され、別の支店に統合された。そこの女性担当者がとんでもない行員だった。妻を何回か呼び出しては訳の分からないことを言い出した。「私は家を買うのに金を借りて買ったことがない」などなど。 その女性行員が書類で間違いをして、それを訂正捺印させるために妻を呼び出す。妻はわざわざ休みをとって、印鑑を押すために銀行へ行った。典型的な高飛車な金貸し体質の銀行員。妻は我慢できなくなり、やむなく他の銀行で住宅ローンを借り換えた。
私はまだ塾を経営していたころ、愚かにも知人の銀行借り入れの保証人になり、その知人が事業に失敗して夜逃げしてしまった。ちょうど前の結婚が破綻して離婚した時と重なった。あの時の銀行が私に取った態度は、忘れない。行員が言った。「あなたに残された道は、返すか死ぬか」だと。弁護士にも相談した。「逃げてやり直しなさい」と言われた。私は逃げなかった。全額返済した。家一軒買える額だった。それ以来、銀行と縁を切った。卑怯にも銀行のことは、すべて妻任せである。
スルガ銀行は女性専用シェアハウス「かぼちゃの馬車」の権利分譲所有者への融資2千億円の回収不能事態に陥った。スルガ銀行に関する報道記事を読んでいて、私たち夫婦が家の購入代金を借りようとした時のスルガ銀行の応対の様を思い出した。
よく銀行は「必要な人には貸さないが、必要でない人に貸す」と言われる。金は魔物である。金を手にすると自分が偉い者になったと錯覚する。銀行にある金は、銀行員の金では決してない。このような後ろ向きの経営で、一般群衆が付いてくるわけがない。現在日本の銀行はすべて経営不振である。これからますます統廃合が進む。栄枯盛衰。反して『クラウドファンディング』(一般群衆から出資を募る活動)が脚光を浴びている。シアトルの友人は、マイクロソフトのビル・ゲイツが起業する際、シアトル郊外の一軒一軒訪ねて100ドルの出資金を集めていたが、玄関でビル・ゲイツを追い返したことを悔やんでいた。その100ドルは後に数億円になったそうだ。あのビル・ゲイツも銀行でなく、自分の脚でシアトル市民から資金を集めて今日を築いた。
銀行は、焦げ付き融資の取り立て屋ではない。有能な人材、有望な企業を発掘して資金援助するのが本来の役目である。それを見極める能力が銀行員には求められる。資金が必要で、その資金を何倍にもすることができる人や企業が出て来てこそ銀行は栄える。人や企業を通して先を見通す。それができなければ、銀行は消える。私の心の中に、ざまあみろの気持ちもあるが、日本の将来を銀行に支えてもらいたい期待もまだ少し残っている。