団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

年賀状 喪中はがき 疎遠

2016年11月30日 | Weblog

  郵便局ではすでに年賀状を売り出した。今年もひとつふたつと喪中はがきが届き始めた。いつの間にか疎遠になっていた知人の訃報を告示する家族からの喪中はがきには、罪悪感を持つ。しかし取り返しはつかない。自分では悔いのない付き合いをしたつもりでも、喪失感と懺悔は拭い去れない。

 現在まだ残されている付き合いも日ごとにしぼんでいく。望んでいるのではないが、どうしても向こうから、またこちらから疎遠の距離が増す。それはまるでグルグル回る遠心分離機に必死でしがみついている私たちが力尽きて手を放し、遠くに飛ばされていくようだ。すでに知人から年賀状は打ち切りというあいさつ状も何通か受け取り、また口頭で伝えられた。それも礼儀ある大人の態度だと私は受け止めている。人それぞれ考えがあっての決断で尊重したい。私自身も数年前から自分から年賀状を出すのをやめて、年賀状をいただいた方にのみ返事を書くことにしている。

 私は自分の若さをずいぶんと無駄にした。若くして結婚して、7年後に離婚した。会社や組織で働いた経験はほとんどない。初めから年賀状にはあまり縁のない人生だった。自分で経営する小さな事業主だったが、教育関係だったので仕事上での付き合いもなかった。44歳で再婚した。妻の仕事の関係で海外に同行して住むために扶養者になった。海外を転々としているうちに年賀状の存在さえ失いかけていた。日本に12年前に帰国した。まったく縁もゆかりもない地に終の棲み家を持った。それでも定住すると新しい付き合いがうまれ、年賀状もそこそこ来るようになった。

 離婚した後、いろいろ相談にのってくれた友人が私に言った。「人間五十前ならやり直しができる。だから今だ。五十過ぎたら間に合わない」その言葉を信じた。ガムシャラに復活再生を求めた。そのお陰で二人の子どもを大学卒業まで支えられた。何よりも44歳で再婚さえできた。54歳の時、狭心症で心臓バイパス手術を受けた。友人が言った50歳過ぎたら、は健康の意味もあったのだろう。私のやり直しは無駄ではなかった事と時間的に間に合った事に今は感謝している。

 まだキリスト教を信じようとしていたころ、よく朝晩祈っていた。言葉に出して両親姉妹友人知人のことを祈った。祈りは言葉に出すことによって、自分の心を整理する作用がある。アメリカ、カナダの友人がよく「あなたのために毎日祈っている」と言った。私はあまり信じなかった。外交辞令のようなものだと思っていた。私の娘を7年間育ててくれたアメリカ人家族は熱心なクリスチャンだった。ある時娘が私に言った。「毎日家族がパパのこと祈っているよ。私も祈ってるよ」 私のことを言葉にして祈ってくれている人たちがこの地球上にいると知った。外交辞令でないこともある。

 私は言葉に出して祈ることは今はない。祈る対象がなくなったからだ。私は線香をあげる。そして私より先に逝ってしまった友を思い浮かべる。一緒に過ごした時間を思い出す。言葉は発しないが、祈るように回顧する。

 喪中はがきがまた届く。私は線香をあげる。目を閉じて思い出す。彼は言った。「私は中華料理を作って今度接待したい」 あれから呼ばれることはなかった。闘病していたのだろう。私は誓う。誰とでも真剣に付き合う。悔いが残らないように。


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ネパール 自然薯 日本 長いも

2016年11月28日 | Weblog

 長野県に住む妻の妹から細長い大きな箱が届いた。26日の日曜日の夕方、ちょうど妻と二人で夕食の支度を台所で始めていた時、表玄関のチャイムが鳴った。「郵便局です」とだけ言う。窓から下の道路に郵便局の赤い軽自動車のバンが停まっている。開錠ボタンを押した。私は手が離せなかったので、妻が玄関に出た。「○○が長いも送って来た」と重そうに長方形の箱を持って入って来た。長野県山形村のフレッシュ長いもと箱書きされていた。

 途中まで作りかけた夕飯だったが、妻が「今夜とろろにしない」と言い出した。フレッシュ長いもと名前を付けるからには、よほど新鮮さがウリなのだろう。私は作りかけのおかずは、明日食べればよいと決め、「じゃあそうするか」とすでにすり鉢を出していた妻に言った。長さ7,80センチはある太くて立派な長いもが6本モミガラの中に入っていた。降り出したままのように土がまだ付いていた。

  妻が洗って3分の1に切った。皮をむいておろし器でおろした。それをすり鉢に移して私がすりこ木でグルグルゴリゴリ回しながら擂る。妻も私も子供の頃、よくこうして長いも料理を家族ぐるみでやったものだ。各家庭にはそれぞれの料理法がある。私は自分のやり方を押すのを引っ込めて、妻の家の流儀に従った。出し汁を擂った真っ白なすり鉢の中にメレンゲ状の長いもに小分けにして入れる。妻は完全に昔の彼女の実家のとろろ汁づくりに戻っている。「入れすぎ」「足りない、もう少し」 擂り方と出し汁入れ方、時々交代。「もういいんじゃないかい」 「まだまだ、フワフワになって粒々がなくなるまで」 腕が痛くなる。妻、味見。私もちょこっと味見。「いいんじゃない」 一致。

  すり鉢とすりこ木を私たちは妻の海外赴任の12年間5箇国の任地に持ち歩いた。ミキサーやブレンダーなどの便利な電化製品もあったが、電気事情が悪い国では停電が多く、それもちょうど調理する時間が多かった。すり鉢とすりこ木はミキサー、ブレンダーとして重宝した。

  長いもといえば、ネパールの自然薯を思い出す。家にタパさんというグルカ族の男性がいた。農業以外これといった産業がないのでネパールでは出稼ぎする人が多い。グルカ族からは英国の軍隊に入る男性もいる。グルカ兵は勇敢で「進め」と命令されれば、先方に崖があっても進む、とまで言われている。タパさんも寡黙でまじめでよく働いた。年に数回お祭りに合わせて休暇があった。タパさんはバスで半日はかかるグルカの村へ里帰りした。そして自然薯をおみやげに持ち帰った。自然薯は擂りおろすとムラサキ色だった。おろし器にへばりついて剥がすのが大変だった。聞けばこのような大きな自然薯はめったにあるものではなく、ネパールの村では貴重なものだという。タパさんはそんな貴重な自然薯をギュウギュウ詰めのバスではるばる運んで私たちにおみやげに持ってきた。あの晩、ありがたい自然薯を日本から持ち込んだすり鉢とすりこ木で調理して食べた。ネパールの人が自然薯をどう食べるのかは知らない。しかし調理法や食し方が違っても、同じ類の食品を何千キロも遠く離れた地で食することに親近感を覚えた。

  夕食にとろろ汁をいろいろな思い出と一緒にありがたく滑らかにいただいた。


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サケ200匹 腹を割かれて

2016年11月24日 | Weblog

  和歌山県田辺市で10キロ詰めの梅干しの樽約200個が盗まれた。茨城県土浦市ではコシヒカリの新米約1トンが盗まれた。これらは生産者が長い時間をかけて育て出荷直前に盗まれている。その他にも山形県のサクランボ、長野県のマツタケなど各地で被害が続出している。

  昔、社会科の授業で先生がこんなことを話してくれた。まだ人間が狩猟生活から脱して農業を始めた頃、収穫が終わった集落を襲って農産物を分捕ることが頻繁に行われた。そして私がアフリカで暮らした時も、英語を話すフランス語教師にかつてアフリカでは部族間で略奪が横行していた。略奪は必ず農産物の収穫の後に起こったと聞いた。どこにも泥棒はいる。どうやら人間のDNAには略奪の遺伝子が組み込まれているらしい。政治屋、官僚役人などは、農業収穫物でなく、税金を無駄遣いしお手盛りしかすめ取っている。オレオレ詐欺は、老人の一生懸命働いて蓄えた預貯金を騙し取る。

  11月21日のニュースで北海道標津町にあるサケの孵化(ふか)場で約200匹のサケの腹が割かれ、卵が盗れたと報じた。私は腹が立った。盗人たちはここまで堕ちたか。孵化場は養魚場ではない。自然に任せておいたら減る一方のサケを増やすために人工的にサケを孵化させて自然の川に放流している。その大切な孵化場のサケが卵を抱いている時期を狙っての犯行だ。ここのサケは商品というよりサケの保護に欠かせない大切は方法のひとつである。このような愚かな盗人を許せない。

  私はサケに特別な思い入れがある。2003年から2004年にロシアのサハリンに暮らした。そこで初めてサケの遡上を見た。海に集結して一斉に遡上を始め、川上の数十センチの幅、深さ数センチのところまで登りつめて産卵するさまを観察した。壮観で厳粛だった。1匹のメスを4,5匹のオスが奪い合う。産卵場所まで来る道のりは過酷でたどり着けるサケは海に集結していた数のごく一部だった。オスもメスもボロボロ。(写真参照)

  私たちは水深5,60センチの場所で釣りをした。釣るのはサケではない。ここまで遡上してきたサケは食用にならない。イワナである。イワナはサケが産む卵を片っ端から食べる。だからサイズがでかい。4,50センチはざらである。ガイドのロシア人は、サケのメスを捕まえてサケのメスの腹から卵を絞り出してイクラを作ってくれた。(写真参照)私は食べられなかった。食べてはいけないと思った。

  ロシア人はサケの身よりイクラが好き。もともとロシア人は魚介類より肉を好むという。日本人が高額でイクラやカニを買ってくれる。私はサハリンの山奥で川の淵にテントを張ってサケを捕らえ、腹を割いてイクラだけをドラム缶に詰めている密猟者たちを何度も見た。腹を割かれたサケは、ただ土の上に捨てられていた。そこに数えられないほどのウジがたかっていた。

  最近時代が逆行しているように思える。苦労を他人にさせて、美味しいところを横取りする。自分の身も財産も自分で守るしかない。リスク管理には経費がかかる。先日住む集合住宅の管理組合の総会が開かれた。防犯カメラの設置が去年に続いて否決された。経費がかかるものはことごとく反対されるか先延ばしにされる。

  安全はある程度まで買えるが命は買えない。


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ありがたい

2016年11月22日 | Weblog

  普段何気なく使っているものがなくなると、そのありがたさが身に染みる。私の場合寝ぐせ直しの“リーゼ”というスプレー式のものに助けられている。

 私の父親は身だしなみに気を使う人だった。さほど残っていない頭髪をいつもきちんと整えていた。朝、寝ぐせがついた残り少ない髪の毛を丁寧に鏡を見ながら直した。その方法と言うのがタオルを熱い湯に浸し、それを素手で絞って、寝ぐせがついた毛の押し当てるというものだった。私は寝ぐせが気にならなかった。当時私と同じくらいの歳の子は、頭の髪になど注意を払う者などいなかった。大方は坊主頭なので寝ぐせとは無縁だった。どこかへ出かける時など、父は自分の髪の毛を整えると、タオルを熱いお湯につけなおして、私の頭全体にかぶせ、頭全体をタオルに押し当てた。熱いタオルだった。父のごつい手でぐっと抑え込まれた。最後にマッサージするように髪の毛をタオルでゴシゴシ揉みしごかれた。そして櫛で髪の毛を整えてくれた。あら不思議、ヤマアラシのように突っ立っていた髪の毛がおとなしくしなやかにペタッと艶やかになっていた。嬉しかった。もともと鏡が嫌いだったが、その時ばかりは、鏡の整髪ぐあいに見入った。それが今ではどんなに忙しいときでもリーゼを吹きかけてブラシを当てればハイ出来上がり。父の熱いタオルと比べたら物足りなさはあるが、自分一人で手軽にできる。

 日本人の髪の毛は太くて固い剛毛である。カナダに渡ったばかりの頃、多くの学生に髪の毛を触らせてとせがまれた。触って言われたのは、「針金みたい」「髪の毛が立つ」であった。シャワー室で白人が髪の毛をシャワーの湯に当てると、彼らの髪の毛はまるでトロロコンブのように毛がシート状に頭の骨に張り付いた。細くて柔らかいらしい。オリンピックの水泳の競泳でも水から白人選手が顔を出すと、髪の毛がトロロコンブのシート状になっていてカナダ時代を思い出し笑ってしまう。日本人選手は髪の毛を短くカットしているせいもあるだろうが、水を弾き飛ばしているようで豪快に見える。

 おそらく白人は、リーゼなど必要ないに違いいない。カナダの学校で寮の朝の洗面室はにぎやかだった。20くらい並んだ鏡付きの洗面台の前に陣取って、みな櫛で頭髪を整えていた。すこしブラシや櫛を水か湯につけ、ササッと梳かしてハイ出来上がり。私だけは父親が教えてくれたタオルを熱い湯につけ絞って頭にしばらく乗せた。最初の頃は私の周りに人だかりができた。みなが珍しそうに私の寝ぐせ直しを見物していた。

 このブログを書いていた5時59分福島で地震があった。その直前に緊急地震速報があり、テレビから大きな警報が鳴り響いた。書斎から居間へ行ってテレビを観た。その直後、福島県で震度5弱の地震が観測された。さらに津波警報が出て「津波!避難!つなみ!にげて!」のテロップが流れた。東日本大震災の以後、地震観測の装置が太平洋の海底に設置されたと聞いた。それらの装置を総動員して、そこへ今までの地震データを分析した結果を活用しての警報につながったのだろう。災害はいつ起こるかわからない。備えあれば憂いなし。日々地道に研究を続ける方々のおかげである。NHKテレビのアナウンサーが繰り返し「今すぐ逃げてください」と言い続ける。科学進歩や報道の発展はありがたいが、どうか被害がありませんように。原発が心配。


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auショップ アンケート 『大満足』

2016年11月18日 | Weblog

  携帯電話auショップに行った人にショップがプリントを配布した。そのピリントには後日にメールで届くアンケートに「大変満足(店舗の満足度)」「非常によい(スタッフの対応)」「笑顔(スタッフの良かった点)」と回答するよう依頼の説明が書かれていたという。携帯電話業界は熾烈な客の取り合いを長年続けている。Auの親会社であるKDDIがショップを厳しく管理しようという目的で客から得るアンケートを役立てる意図は理解できる。しかし問題はそのやり方である。

 近頃アンケートが流行っている。アマゾンで物を買っても、デパートで商品を買っても、あちこちでアンケートを依頼される。パックツアーに参加しても旅の終わりに添乗員がアンケート用紙を配布して回収する。だいたいどのツアーでも不満たらたらの私たち夫婦は、ここぞと厳しい判定をして、尚そのうえ“ご意見”欄には、紙にボールペンの先が突き抜けるくらい力を込めて欄全体が埋まるほど書いてくる。これで結構不満のガスが抜かれてしまう。旅行会社はそれを知ってアンケートを参加者に書かせているとしたら、「おぬしも悪よのう」。

 パックツアーには年3回はこのところ参加している。書いたアンケートも10は越す。私はある時、旅行会社にアンケート用紙の“ご意見”欄でこう提案した。「アンケートを取るのも結構ですが、その後の処理に一言。各旅行の集計を参加者に送付願いたい。そうすれば他の参加者と自分の感想の違いが判ります。そしてツアー全体の満足度が見えてきます。ぜひ実施ください」 その後も何の反応も変化もない。

 会社は自社の営業に役立てようと手のかかるアンケートを実施する。日本の会社は横並びで金太郎飴である。A社がやるからB社もC社も遅れをとらじと真似をする。そこまでするならそこに一工夫二工夫すればよいものを、そこまでできる会社はなぜかない。こういう場面でこそ“出る杭”が必要なのだが。どこの会社にも“出る杭”は早ばやと深く打ち込まれて沈んでいるらしい。

 アンケートと言えば、初めて飛行機に乗って10代でカナダの学校へ移った時、機内で配られたカナダ出入国カードを思い出す。アンケートと出入国カードが同じではないが様式は似ている。私がアンケートに過度に反応してしまうのは、カナダの出入国カード経験が影響していると思われる。機内食が無料ともしらず食べなかったので空腹と緊張による不眠で頭がもうろうとしていた。人種、宗教、髪の毛の色、目の色までは理解できたが、sexの項を勝手に違う意味にとらえタジタジになった。あのカードは自主申告書であって小さな字で虚偽記載された場合は処罰されるとあった。

 Auショップのアンケート操作はKDDIの厳しい管理を免れるための愚策であった。しかし巷にあふれるアンケートの多くは“褒められたい”という人間だれしもが持つ欲求を始点にしている気がする。褒められたければアンケートを意識することなく普段の心がけを向上させるほうが効果大だと思う。アンケートを頻繁に繰り返すのは無駄である。ある程度の奮闘努力の末に問うべきだ。

 そういう私も褒められるのが大好きである。願わくば、私が死ぬ直前にアンケートのように1表示で妻の正直な気持ちを枕元で見せて欲しい。5 4 3 2 1でも甲 乙 丙でも優 良 可でも大満足 満足 不満足でもどれでもいいから。日々、精進、精進。


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朴槿恵大統領とデモ

2016年11月16日 | Weblog

  お隣の韓国で12日首都ソウルに100万人を超える人々が朴槿恵大統領の辞任を求めてデモを行った。アメリカでは8日の大統領選挙でまさかのトランプ候補が次期大統領に選出された。これに抗議してニューヨーク、ロスアンジェルスなどの大都市で反トランプのデモが起こった。

 これらのデモをテレビニュースで観ていて、旧ユーゴスラビアのあの日が思い出された。日記を探した。2000年10月5日木曜日『1時に歯科医に予約をとってあったけれど、野党の抗議デモが激化して市の国会議事堂前に群衆が押し寄せて危険だというので歯科医の予約をキャンセルした。私ひとりで歩いてデモを見に行った。変革を望む人、人、人。議事堂前の公園のベンチに座って人々の様子を見ていた。催涙弾で舌と目が痛くなった。デモに参加している人々は私に危害を加えることはなかった。それよりむしろ友好的に「これから私たちの歴史が変わる」とか「日本人か?ちゃんと今日のことを日本に伝えてほしい」などと握手を求められた。みな実にいい顔をしていた。田舎からバスを仕立てて参加したと話す人もいた。やがて群衆は国会議事堂になだれ込んだ。警護していた警察や軍隊までも群衆の味方に付いた。ミロシェヴィッチ大統領もいよいよ終わりか。群衆のスローガンは「ゴトヴ イェ(セルビア語で“奴は終わりだ”の意味)」だった。チュニジアへの出発前にこの歴史的な日にベオグラードにいて、その最前線で自分の目で見ることができた。興奮して眠れそうもない。日本にこんなことが起こりうるだろうか』

 同じようなことが韓国でも起こっている。地方からも人々はバスに乗ってソウルに集まっている。スローガンもセルビアの「奴は終わりだ」に似た「朴槿恵は退陣しろ」だという。アメリカではまだ就任していないトランプ次期大統領に「Not my president(私の大統領ではない」などのスローガンを掲げている。まだ韓国もアメリカも暴動や警察や軍の介入する状況にはないが、この先どうなるのか心配である。

 日本でもデモは行われる。デモは一部の人のもので国を動かすほどではない。国民性もあるだろうが、国の制度にも関係があると思う。大統領のように絶大な権力を一極集中させておらず、権力も責任も分散されている。理想の完璧な政権などあるはずがない。機会があって今までに多くの国で生活してきた。特に私は主夫として、一般市民の中に飛び込んで人々と直接、接することができた。どこに暮らしても人々の生活を肌で、目で、耳で、鼻で、舌で感じることができた。どこの誰もみな我慢していることがある。

  権力というのは、我慢することを忘れさせてしまうものらしい。大統領自身だけでなく取り巻く家族、親族、占い師が勘違いして大統領の権限の傘の下で暗躍してしまう。ミロシェヴィッチ大統領もそうだった。構図はどこの国でも同じであろう。宗教、思想いかなる人間の組織にも起こりうる。

  日記をつけてきてよかった。私の記憶から消えていたことでも日記を読めばよみがえる。私も妻も権力も財力も持たない。半径3メートルいや30センチの狭い中で、妻との権力闘争もなく、ほとんど毎日同じ繰り返しの生活。凡人ゆえに、だれにも「奴は終わりだ」と引きずり降ろされることはなさそうだ。ただ恐れるのは「Not my husband」だけである。


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所さんの目がテン

2016年11月14日 | Weblog

  日曜日の朝7時から始まる日本テレビの『所さんの目がテン』を夫婦そろってかかさず観ている。身近な話題を科学的に解明する番組である。所ジョージの冠番組だが他の出演者も持ち場をわきまえて活躍して視聴者にわかりやすく科学をひもといてくれる。日本テレビアナウンサーの後藤晴菜、ユージ、酒井嘉史などのレギュラー出演者もだが、その時の話題事に専門家学者が解説してくれる。ただユージが俳優渡辺徹と歌手榊原郁恵の息子渡辺裕太に替わった時はもうこの番組を観るのをやめようかと思った。長年観続けた『笑点』も大嫌いな林家一家の林家三平に替わってから一度も観ていない。日本テレビという会社には何か旧態依然な目に見えない企業風土があるとみる。科学を扱う番組にただ2世タレントというだけで出演させたら、科学がかすんでしまうだろうに。これも私が文系ゆえの邪推かもしれないが。渡辺裕太は毎週でるわけではない。番組自体に問題はないので観続けている。

 科学をわかりやすくという『目がテン』というテレビ番組があるように本屋にはこの手の本がたくさん置いてある。最近中西載慶著『続・サイエンス小話 身近な食物』(東京農業大学出版会 1380円+税)を手に入れた。同じ著者による『サイエンス小話――身近な物質から好奇心を育てる本――』も以前読んでいた。『所さんの目がテン』が身近な話題を科学的に解明する番組なら『続・サイエンス小話』は身近な話題を科学的に解説する本である。

  『続・サイエンス小話』のはしがきにこんなことが書いてある。「学ぶことは、充実した人生と楽しい生活を送るために必要不可欠な要件ですから、つきつめれば、生きるための目標は、学び続けることにあると言っても過言ではないと思います。学びの原点は好奇心にあります。加えて好奇心はアンチエイジングの妙薬ともなりますから、老若男女、常に好奇心を持ち続けることが重要です。好奇心をかきたてる事柄は、身の回りに無数に無限に存在しています。例えば、日頃あまり気にとめることもない身近な物質や食材や食品なども、それらを多面的視点でとらえれば、歴史や文化、科学や技術、生活や社会状況など、あらゆる分野の素材となります。」

  妻は私を好奇心の塊のようなヒトだという。私はただ欲深い人間で「あれも知りたい、これも知りたい」「もっともっと」と生きてきた。69歳になった今でもその傾向は変わらない。自分でも困ったものだと思う。しかし“知りたい”という好奇心は、私という生き物のエンジンを動かせ続ける燃料みたいなものである。知りたいと私が思うことは、決してノーベル賞級でなくごく身近なことである。私の“知りたい”欲求に応えてくれるのが『所さんの目がテン』であったり、中西載慶の『サイエンス小話』『続・サイエンス小話』なのだ。テレビ番組であっても本にしても、私にちょうどいいものは数が少ない。だからこそ、私がそれを目にしたり、読めることは嬉しいことである。

  私は長く主夫をしてきた。料理は科学だと実感している。料理を通して湧くように生まれたたくさんの疑問をひとつ一つとひもとく。日常のありふれたことでも、ふと立ち止まって持った疑問に対する科学的な解明に納得できるのは、私が作った料理を妻が“美味しい”と言ってくれるのに次ぐ喜びである。『続・サイエンス小話』を読み終わって、自分の人生、捨てたものではない、と思えた。そしてこの本から得た知識知恵をこれからの主夫生活の中に取り入れていこうと思っている。私の人生、「もういいかい?」との問いに「そろそろかな」と答えかかっていたが、「私の人生、ま~だだよ~。」に修正する。


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歴代最高年齢で当選したアメリカ大統領

2016年11月10日 | Weblog

  CNNのアメリカ大統領選挙速報を観ながらうたた寝してしまった。夢をみた。私が運転する車のフロントガラスに老人男性が飛び込んできてガラスを破った。その瞬間目が覚めた。しばらく夢か現実か迷い、心臓の鼓動が速かった。テレビの画面は、いまだに競り合う展開が映っていた。

  私が夢の中で見たガラスを破って飛び込んできた老人の顔が判明した。5日の日曜日に映画トム・ハンクス主演の『インフェルノ』を妻と観に行った。帰りの車の中での妻との映画談義は好きだ。人によってこんなにも観方感じ方が違うといつも感じる。どんなに話してもあきない。そんな会話を後ろについていた車のけたたましいクラクションで止められた。車は有料道路のトンネルを走っていた。速度制限は50キロ。私の車は50キロを少しオーバーして走っていた。私の前にはモミジマークを貼った車がゆっくり走っていた。もちろん追い越し禁止の黄色い分離線が続く。トンネルの中のクラクションは反響してけたたましい。トンネルを抜けて明るい陽ざしの中に出た。後ろの車の運転手がどんな人なのか見ようとバックミラーを覗いた。顔は見えなかった。車は女性に人気があるダイハツの軽自動車ラパンという軽自動車だった。

  またトンネル。前の車は確かにゆっくりだ。しかし制限速度である。再びクラクションが鳴り響く。東京方面への反対車線は渋滞している。後ろの車の運転手は狂ったようにクラクションを鳴らす。トンネルを出た。明るくなると後続車は車間距離をとった。有料道路を出て4車線の広い道路に入った。後ろのラパンがエンジン音を上げて右折レーンにレーサーのように移動。交差点で右折しなかった。顔を見た。老人。私と同じくらいか年上。老けてみえるが何だか様子が変。交差点を過ぎると急に車線を左に変え、すぐまた右車線に蛇行するように追い抜いて行った。老人の顔はしっかり残った。

  老人による交通事故が絶えない。老人が生き残り、子どもや若者が犠牲になる事故が多い。これからという若者、もう余命いくばくもない老人。少子化少子化と大騒ぎしても、老人が追い打ちをかけるように少ない若者の命を奪う。

  そういう私も69歳。体のあちこちに不具合が生じてきている。脳の衰えも実感している。遠乗りはやめた。夜間や雨降りの日の運転はできるだけしないように心掛けている。出かけるときは歩いて駅へ行って、電車を使うようにする。運転免許証の自主返納も視野に入れている。

  後味の悪い夢を見た後もCNNを観続けた。午後4時半すぎにやっと第45代アメリカ大統領にドナルド・トランプ氏が当確と報道された。彼の当選は「番狂わせ」「誤算」「予想外」と大騒ぎになった。私の気をひいたのは「歴代大統領の中で最高齢」である。トランプ氏の顔がテレビ画面にアップになった。特徴的な顔である。とても70歳には見えない。大富豪だそうだが、相当な金額を健康維持にかけているのだろう。

  一瞬、トランプ氏の顔とラパンを狂ったようにクラクションを鳴らしながら暴走していた老人の顔が重なった。友人が「世の中はこうなったら困るという方へ進む」と言った。そうでないことを祈りたい。


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胃とは

2016年11月08日 | Weblog

  胃カメラ検査を11月5日の土曜日に東京の病院で受けた。胃ガンの多い家系なので数年に一度検査を受けている。前夜8時から食べ物を摂らないように指示されていた。私は睡眠8時間以上必要だとか、食事は3食とるべきなどと数字を示されると、それを守らないと不安になる質である。朝食1食だけ抜いても電車で2時間かかる通院は重荷である。妻に前の日に東京のホテルに泊まることを提案したが、却下された。

 水は飲んでもよいというので電車の中でも飲んだが空腹感は倍増されるだけだった。病院が近づくにつれて足運びが悪くなった。11時30分までに病院へ来るよう言われていた。10分前に到着。受付を済ませて、検査服に着替えた。4回目の胃カメラ検査だった。前回は鎮静剤を使って眠っているうちに検査が終わって楽だったので今回も鎮静剤を使うことにした。医師があらかじめ腕の血管に挿入されていた管を通して4種類の液体を注入して、口の中に噴霧器のようなものでシュッシュしたところまで記憶があった。

 「終わりましたよ。異常ありませんでした」の医師の声で意識が戻った。医師の横にあるモニター画面に私の胃の中の様子が映し出されていた。自分の胃。普段は鏡に映る顔、自分の目で見ることができる鼻、口、歯、舌、手、足、腹しか自分の体と認識していない。胃、肺、心臓など内部の器官臓器は未知の世界である。手術においてメスで切り開くこともなく、長い管の先に照明をつけカメラをつけて体の中を診る。今では内視鏡下手術もごく普通になったと聞いている。私は糖尿病の合併症で心臓バイパス手術を開胸して受けた。胸には大きな手術跡がある。今では心臓手術でさえ、内視鏡で手術できるようになったそうだ。

  作家山口瞳が「人間は、しょせん一本の管である」と書いた。確かにその通りだと思う。しかし管と言っても口、喉、胃、十二指腸、小腸、大腸、直腸、肛門とそれぞれに特別な機能を果たしている。胃は入って来た歯である程度噛み砕かれた食物をコンクリートミキサー車のように攪拌しながら胃酸で溶かす。私は齢69歳になる。つまり69年間来る日も来る日も同じ作業を繰り返してきたのである。胃酸で胃壁が溶けてしまわないことだって不思議である。毎日収縮運動を続けられる筋肉の能力もたいしたものである。熱いもの、冷たいもの、辛いもの、酸っぱいもの、甘いもの、しょっぱいもの、固いもの、柔らかいもの、トゲトゲしいもの、パリパリなもの、何が入ってきてもただ黙々とやるべきことをこなす。画面の普段は見ることもできない胃の映像を前に朦朧としながらも敬意を抱いた。

  検査技師と看護師に両脇を支えられながら回復待機室のリクライニングのソファへと運ばれた。時間にして15分ぐらいの検査だったらしい。自覚がない。胃にも喉にも異変が感じられない。病院を出たのは1時すぎだった。空腹を感じた。何を食べようか迷った。検査後なので胃に優しいものと思った。糖尿病なので普段食べられない高カロリーなものを食べようと思った。恐ろしきかな私の欲望。

  アンパンと牛乳で空腹は満たされた。帰りの電車は胃カメラの検査の結果が異状なしだったのと胃に食べ物が入ったことで珍しく電車内で眠ってしまった。夜、妻が帰宅した。「お帰り」と言うといつもの声と違う。声帯が異物に反応したらしい。いがらっぽい感じ。やはり私は胃カメラ検査を受けたのだ。しばらくは胃への配慮を増やそうと思う。


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つり目

2016年11月04日 | Weblog

欧州連合(EU)のギュンター・エッティンガー欧州委員=ドイツ=が中国人を「つり目」と呼ぶなど差別的発言を繰り返していた。[フランクフルトAFP=時事]時事通信10月31日(月)7:02配信

 今から50年以上前、私は長野県の県立高校からカナダの私立高校へ転校した。その高校に日本人は一人しかいなかった。高校はキリスト教に忠実な厳格な全寮制学校だった。まさか私はこの学校に人種的差別が存在するとは夢にも思わなかった。教師もスタッフも生徒も現在アメリカ大統領選挙に立候補しているトランプ氏のような人が多かった。キリスト教に救いを求めていた私は失望した。トランプ候補の発言が過激だと特別だというが、私にはごく普通の内容だと受け取れる。トム・ハンクス主演の映画『天使と悪魔』の中でカトリックの総本山バチカンで枢密卿3人を宗教家に依頼されて殺した暗殺者が「気をつけろ、神に仕えるやつらに」と言った。あながち嘘とは思えない。また映画の最後でバチカンの聖職者が「宗教には欠点はある。だがそれは人に欠点があるからだ。だれしも、私にも」の言葉もカナダ時代の集大成の気がする。しかし私には真実は見えない。

 人種差別は人間の心にコールタールのようにこびりついている。簡単に拭い去ることは不可能である。感謝なことに私は日本にいたら受けられない日本人が故に差別を経験できた。コールタールは私の心にもこびりついていて、完全除去はできていない。経験は貴重である。そのおかげで私はコールタールを活性化させないように抑え込むことができる。抑え込むために本を読み、映画を観、テレビも観る。役に立つことは取り入れるようにしている。

 今回のドイツ人のEU委員の発言で思い出すことがある。ドイツを旅行していた時、電車の隣の席に座ったドイツ人と車の話をしたことがある。その人はドイツ車が日本車よりどれほど優れているか、それほどの車を日本人には作ることはできないと言い切った。私は自動車産業にまったく縁がない人間だが、その一方的な物言いに反感を覚えた。こういうタイプの人と話しても時間の無駄である。何も言わない私に腹を立てたのだろう。彼は別れ際に両手で自分の目を吊り上げて立ち去った。これが“つり目”である。

 つり目を英語で「slant eyesとかalmond eyes, almond-shaped eyes」と言う。モンゴライド人種の特徴とされている。なぜか、この種の言葉の発音は結構正確にできる。自虐的な理由もあるかもしれないが、言う側の感情が増幅されて音に込められるので私のように音感がよくなくても正確にとらえられたのであろう。いずれにせよ肌の色、髪の毛の色、目、鼻、口、身長、顔を大小、脚の長さ、歯並び等々自分でどうしようもない、どうすることもできないことをとやかく言われるのは腑に落ちない。

 エッティンガー委員は「多少不注意な発言だったが、中国をけなす意図はなかった。問題の発言は脈絡を無視して切り取られたもので、講演自体の評判はよかった」と主張したそうだ。

 最近日本の農林水産大臣も差別発言ではなかったが、自分の言ったことに対して、これと似たコメントをした。時代がどんなに進んでも人間の欠点はコールタールのように引きはがせないようだ。


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