アメリカで“There is nothing certain in life except death and taxes”(死と税金以外に確実なものはない)という表現が使われる。
このところのアメリカ大リーグエンジェルスの大谷翔平選手の活躍は、目覚ましいものである。アメリカのメディアは、『人生における確定事項は「死、税金、オオタニのホームラン」』と表現しているそうだ。「死と税金以外に確実なものはない」を引用しての拡大表現だと思う。すこし大げさだと思うが、日本人にとっては、嬉しい。
確かに、大して野球観戦が好きでもない私が、テレビで大谷選手が出場する試合を観るのは、ただただ大谷選手のホームランの瞬間を実況で見る事だ。私の意識の中で、すでに大谷翔平選手=ホームランという図式が出来上がってしまっている。ヒットでも四球で出塁しても、「チッ」と舌打ちする始末である。大谷選手に対して失礼千万な態度。お前が「チッ」などと言えるタマか。
とは言え、このところのロシアでの異変、国内での殺人、強盗などの嫌な事件で、私の精神状態は、低下気味。テレビのニュース以外の番組には、観たくもないお笑い芸人とジャニーズの面々ばかり。唯一テレビで観ていられるのは、動物関係や自然や『イタリアの小さな村』や『アストリッドとラファエル 文書係の事件録』や『美の壺』などの番組だけ。そんな私をテレビの画面に釘付けにするのが、スポーツの実況中継である。大相撲とエンジェルスの試合の中継は、私の暗く重たい日常を、雲の中から射しこむ光芒のように明るく照らし出す。まったくもって失礼な話だが、エンジェルスが勝つとか負けるとかは、問題でない。大谷選手がホームランを打つかどうかだ。大相撲も勝ち負けというより、真摯にガチンコでぶつかり合って闘う姿を観たいのである。
『人生における確定事項は「死、税金、オオタニのホームラン」』の見出し。「…オオタニのホームラン」の前述の「死」と「税金」にも目がいった。「死」ほど絶対で公平・平等なものはない。誰も死から逃れることはできない。死と比べたら「税金」は、問題が多い。税金は、公平・平等とは言えない。アメリカでは、なぜ「死」と「税金」が人生における確定事項として、同等に並べられているのだろうか。理由は、アメリカの脱税に対して刑事罰が日本より厳しいということがあるかもしれない。日本で報道される脱税事件において、大方は、重加算税を課せられて、収監されることなく終わる傾向が強い。
私は、特に大した芸も特技もなく稼ぐ芸能人や、利権まみれの政治屋や、信者から搾取する宗教屋に対して批判的である。反面、スポーツ選手がいくら稼いでもそれ相当だと納得がいく。スポーツ選手は、表舞台から退けば、そこで終わりとなる。とても分かりやすい。スポーツにおいて、親の七光が通用しないのもいい。芸能界、政界、宗教界は、世襲のニオイが充満している。
私がどんなにあーだこーだ騒いだところで、日本社会が変わるとことはない。救われるのは、スポーツの世界が、実力の世界であること。親でも金でも学歴でも、選手が出す結果に影響がない。今日も私は、大谷選手のホームランを見るためにテレビを観る。