団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

確定事項

2023年06月30日 | Weblog

  アメリカで“There is nothing certain in life except death and taxes”(死と税金以外に確実なものはない)という表現が使われる。

 このところのアメリカ大リーグエンジェルスの大谷翔平選手の活躍は、目覚ましいものである。アメリカのメディアは、『人生における確定事項は「死、税金、オオタニのホームラン」』と表現しているそうだ。「死と税金以外に確実なものはない」を引用しての拡大表現だと思う。すこし大げさだと思うが、日本人にとっては、嬉しい。

 確かに、大して野球観戦が好きでもない私が、テレビで大谷選手が出場する試合を観るのは、ただただ大谷選手のホームランの瞬間を実況で見る事だ。私の意識の中で、すでに大谷翔平選手=ホームランという図式が出来上がってしまっている。ヒットでも四球で出塁しても、「チッ」と舌打ちする始末である。大谷選手に対して失礼千万な態度。お前が「チッ」などと言えるタマか。

 とは言え、このところのロシアでの異変、国内での殺人、強盗などの嫌な事件で、私の精神状態は、低下気味。テレビのニュース以外の番組には、観たくもないお笑い芸人とジャニーズの面々ばかり。唯一テレビで観ていられるのは、動物関係や自然や『イタリアの小さな村』や『アストリッドとラファエル 文書係の事件録』や『美の壺』などの番組だけ。そんな私をテレビの画面に釘付けにするのが、スポーツの実況中継である。大相撲とエンジェルスの試合の中継は、私の暗く重たい日常を、雲の中から射しこむ光芒のように明るく照らし出す。まったくもって失礼な話だが、エンジェルスが勝つとか負けるとかは、問題でない。大谷選手がホームランを打つかどうかだ。大相撲も勝ち負けというより、真摯にガチンコでぶつかり合って闘う姿を観たいのである。

 『人生における確定事項は「死、税金、オオタニのホームラン」』の見出し。「…オオタニのホームラン」の前述の「死」と「税金」にも目がいった。「死」ほど絶対で公平・平等なものはない。誰も死から逃れることはできない。死と比べたら「税金」は、問題が多い。税金は、公平・平等とは言えない。アメリカでは、なぜ「死」と「税金」が人生における確定事項として、同等に並べられているのだろうか。理由は、アメリカの脱税に対して刑事罰が日本より厳しいということがあるかもしれない。日本で報道される脱税事件において、大方は、重加算税を課せられて、収監されることなく終わる傾向が強い。

 私は、特に大した芸も特技もなく稼ぐ芸能人や、利権まみれの政治屋や、信者から搾取する宗教屋に対して批判的である。反面、スポーツ選手がいくら稼いでもそれ相当だと納得がいく。スポーツ選手は、表舞台から退けば、そこで終わりとなる。とても分かりやすい。スポーツにおいて、親の七光が通用しないのもいい。芸能界、政界、宗教界は、世襲のニオイが充満している。

 私がどんなにあーだこーだ騒いだところで、日本社会が変わるとことはない。救われるのは、スポーツの世界が、実力の世界であること。親でも金でも学歴でも、選手が出す結果に影響がない。今日も私は、大谷選手のホームランを見るためにテレビを観る。


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深海艇の爆縮

2023年06月28日 | Weblog

  6月18日アメリカの深海探検ツアー会社の深海艇『タイタン』が、カナダのニューファンドランド島の沖合600キロ付近で消息を絶った。『タイタン』は、現場付近の海底3800メートル付近に沈没しているタイタニック号を見るツアーで客を乗せて潜った。乗員は、5人。運行会社のCEOと操縦士の他に客が3人。22日にアメリカの沿岸警備隊は、『タイタン』の破片がタイタニック号のすぐ近くにあるのを発見した後、乗員全員が死亡したと発表した。原因は、深海において、水圧で破壊される現象:「爆縮」が起きたことによるとも発表した。

 連日、テレビで、このニュースが取りあげていた。私は、どうしていつもテレビ局は、私が知りたいことを教えてくれないのかと不満を持つ。痒い所に手が届かない。まどろこしい。どこの局でも残された酸素は、あと何日何時間と言うばかり。世界の多くの人々が、無事発見され、乗員全員が救助されることを願っていた。だから、生存が確認されるまで、へたなことは言えないのだろう。

 私がまず知りたかったのは、このツアーは何時間なのか、だった。学校でニュースは、5W1Hで構成されると習った。いつ(When)どこで(Where)だれが(Who)なにを(What)なぜ(Why)どのように(How)。最近のニュースは、どうもこの構成を踏んでいない気がする。何かと言うとすぐ専門家を引っ張り出す。もっと悪いのは、石原良純さんのようなコメンテーターという訳の分からない存在の人が私見をまくしたてることだ。ニュースの本質を分かりやすく伝え、視聴者や読者の視点にたった報道が望まれる。

 私も妻も、時々、自分たちは、深海魚のようだと言う。私は、社会との接点がほとんどなく、普段家に籠って、まるで深海魚のように生きている。妻も仕事をしているが、狭い働く場所に閉じ籠っていると感じている。でも今回の深海艇の事故をきっかけに考えを改めようと思っている。口で深海魚などと言っているが、深海魚が受けているような想像を絶するような水圧などは、いっさい受けていない。

 私は、狭い所(閉所)高い所暗い所が苦手。今回の『タイタン』事故は、爆発でなく爆縮だという。爆発も恐ろしいが、水圧で木っ端みじんにされるのも恐ろしい。真っ暗な深海で、あっという間に、水圧に押しつぶされる。悪夢だ。

 このツアーひとり3500万円だそうだ。乗り込む前に命を失っても一銭の保証もないことを受諾する書類に署名しなければならないという。全員の死亡が発表された後、どこのテレビ局も保険に関する解説を保険会社や法律事務所に依頼していない。

 私は、アフリカに渡るフェリーに乗った時、オーストリアの冒険家に会って話すことができた。車でサファリ砂漠を横断すると言った。私は、保険をかけているのかと尋ねた。彼は、「冒険とは保険がかけられないから冒険であって、保険をかけたら冒険ではなくなる」と言った。今回の深海艇の事故を聞いた時、地中海の船の中でオーストリアの冒険家が言ったことがよみがえった。

 私は、冒険をできるようなタイプではない。小心者で臆病者かもしれない。なんとか他人に迷惑かけないで、人生を終わらせればそれでいいと願っている。

 タイタニック号の事故で、1514人が亡くなった。そのすぐ近くに更に5人が加わった。合掌。

  


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茅葺き屋根

2023年06月26日 | Weblog

  私が子供の時住んだ信州の家は、トタン屋根だった。母親とトタン屋根にペンキを塗ったことがある。ペンキ屋に頼めば、金がかかる。貧しかったので母親は、ペンキを買って来て、自分で塗り始めた。父親がペンキ塗りの記憶には出てこない。何かにつけて喧嘩が絶えない夫婦だった。見栄っ張りの父親は、おそらくペンキ屋に頼めばいいと言って、ペンキ塗りに関わらなかったのだろう。

 夏だった。炎天下、危険な屋根の上で、母親が言った。小さい頃から、瓦の屋根の家が羨ましかった。だから大人になったら、瓦の屋根に住むのが夢だった。生まれ育った家は、わらぶきの屋根だった。後妻に入った家は、一番嫌いなトタン屋根。汗を垂らしながら、屋根の話をしてくれた。わらぶき屋根、トタンの屋根、瓦の屋根、ずっと私の記憶に残った。母は、その後、夢だった瓦屋根の家を建てた。

 終の棲家として住んでいる集合住宅の近くに寺がある。その寺の本堂ともう一棟がわらぶきである。その寺の近くに民家がある。その民家の屋根は、かやぶき屋根である。そのかやぶき屋根の民家の屋根の茅の葺き替えが、梅雨入りした頃始まった。散歩の途中、その進捗状況を見るのが楽しみになった。

 最初、古い茅が取り払われた。屋根の木組みだけが残った。梅雨入りで、雨の日が続いた。雨の日は、青いビニールシートが屋根全体にかけられた。晴れた日は、職人が葺き替えを一気に進めた。

 わら葺や茅葺きの屋根は、日本だけではない。私は、ずっとわらや茅葺きは、日本独特のモノだと思っていた。十代後半から留学したカナダでわらや茅の屋根を見たことはない。妻がロンドンへ留学していた時、週末にシェイクスピアの生まれた町ストラトフォード・アポン・エイヴォンを観光で訪れた。そこで多くのわらぶき屋根の家があって驚いた。その後、妻の海外赴任で暮らした、ネパール、セネガル、旧ユーゴスラビアでも、わらや茅の屋根を見た。

 英国で鉄の女と呼ばれたThatcherサッチャー元首相の苗字のThatcherは、屋根ふき職人を意味する。英国は、保守的な国家で、貴族や上流階級だけが、偉くなれると思っていた。屋根ふき職人の子孫でも首相にまでなれる国であることに驚き、サッチャー元首相に親近感も抱いた。

 雨が続いた合間の晴れた日に葺き替え工事が進んだ。屋根全体が新しい茅で被われた。日本のわらぶき、茅ぶきの職人は、少ないと思う。日本の家の屋根は、スレートという軽量でなおかつ災害に強い材質のモノが多くなってきている。母の夢だった瓦の屋根は、台風の強風で飛ばされやすく、また重いので敬遠されているという。時代とともに変化する屋根だが、やはりわらぶきや茅ぶきの屋根を見ると、懐かしく心落ち着く。いつまでわらぶきや茅ぶきの技術が残されるか心配だ。

 梅雨が明けるころには、葺き替えが終わるだろう。散歩の途中、わらぶきの屋根を見て、過去を思い出すのも良きことかな。


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瞬間

2023年06月22日 | Weblog

狙った瞬間を写真に撮ることは、難しい。考えて見れば、カメラは、忠実に1瞬間を撮っている。しかし全ての写真が、私の望む瞬間なのではない。例えば、家の前の川の堰を飛び越えようと鮎が水中から跳びはねる。そんな瞬間を見る時、カメラを持っていないものだ。アオサギが堰の上に陣取って、じっと鮎が跳ぶのを待っている。反対側の土手で私は、カメラを構えて、今か今かとアオサギが鮎を捕らえる瞬間を待つ。カメラを望遠レンズにするとちょっとの揺れで、焦点を合わせてあったレンズの被写体が、レンズの中から消える。私のような高齢者は、常時、体が揺れているらしい。狙った瞬間の一コマを撮れるのは、稀である。

 アメリカ大リーグでの大谷翔平選手の活躍が目覚ましい。すでに今シーズンホームランを24本打った。私のような、にわか野球ファンは、ただただ大谷選手が、ホームランを打った瞬間を見たがる。大谷選手の打率は、3割近辺である。つまりヒットを打つのは、10回打席に立って、3回である。後の7回は、三振か四球か凡打なのだ。三振なぞしたものなら、「チッ」と舌打ち。失礼な話である。大谷選手が今の活躍できる状態に到達するまで、また現状を維持するために、どれほどの努力と犠牲を払っているかを理解できていない。打席が2回3回と回っても打てないと、ついついテレビの前を離れてしまう。そんな時に限って、戻るとホームランを打った後だ。こうしてせっかくの瞬間を逃す。大谷選手のホームランを打った瞬間を見るには、我慢が必要。

 私は、今の場所に住んでからずっと狙っている瞬間がある。近くを通る新幹線の写真だ。上下線の新幹線の列車が、鉄橋の上ですれ違う。その上下線の新幹線列車の鼻先がくっつく直前の瞬間。だいたい鉄橋の上で新幹線の列車がすれ違うこと自体ごく稀である。時間表をみて狙ってきたが、中々その瞬間は、やってこない。まあ私の暇つぶしの一環としていつかその瞬間に遭遇でき、カメラに収めることができたらと思っている。

 先週の日曜日は、父の日だった。私は、正直この日が好きではない。なぜなら私は、決してこの日を祝ってもらうような父親ではないと、自覚しているからである。二人の子どもには、人生の大切な時期に、要らぬ苦労心痛を与えた。そんな私に二人の子どもから贈り物が届いた。父として恥じる自分でも、贈り物の包みを前にすると、目尻が下がる。まだまだ物欲にひれ伏す自分。贈り物の包みを開ける瞬間は、何歳になっても嬉しいものだ。リボンをほどき、包装紙を止めてあるセロテープを細心の注意で剥がす。段ボールの箱。蓋をとる。まだ中に何が入っているか分からない。これを準備する時間、手間、思いを察する。カードが入っていた。読む。字がかすんだ。

 命は、瞬間という時間が集まってできている。喜怒哀楽入り混じっている。誰も良いとこどりだけの命を持てない。一難去ってまた一難の時もある。幸運が続くこともある。

 カメラを持って散歩しながら、決定的瞬間を狙う楽しみ。大谷選手のホームランを打つ瞬間を待ちわびる。好取組の大相撲の立ち合いのしびれる瞬間。妻に「ありがとう」と言える瞬間の幸せ。まだまだ願う瞬間を求めてみたい。


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ゴルフカートの下敷き

2023年06月20日 | Weblog

  5月20日の午後7時頃。兵庫県宝塚市切畑のゴルフ場で従業員の46歳の男性がゴルフカートの下敷きになって倒れているのを発見された。男性は、病院へ緊急搬送された。その後病院で死亡が確認された。警察の調べで、男性は、ゴルフ場内で除草剤をカートで撒いていて、カート道を踏み外して横転して、カートの下敷きになったと判明した。

 私の足の裏から20センチくらい上の左脚のアキレス腱が、数センチの瘤状に固くなっている。実はこれ、ゴルフ場でカートの事故でアキレス腱断裂切によるものだ。幸い、後遺症はなく、いまでも普通に歩くことができる。へたすれば、宝塚市のゴルフ場の46歳の男性従業員と同じように、あの時、ゴルフカートの下敷きになって死んでいたかもしれない。

 それは私たち夫婦が、旧ユーゴスラビアのベオグラードに住んでいた時の事だった。当時旧ユーゴスラビアは、経済封鎖されていた。いつNATOが空爆を開始するかという時期だった。経済封鎖で物資の調達も困難だった。特にガソリンは、入手困難だった。外国人は、国境を越えて隣国へガソリンや物資を、比較的楽に買いに行くことができた。緊張と不安の中での生活は、精神的に影響を及ぼしていた。

 旧ユーゴスラビアのあの追い込まれた社会情勢の中、国内で営業していたゴルフ場はなかった。もともとベオグラードにあったチトー大統領が作ったゴルフ場も、国の他の施設に転用されていた。私たちの息抜きは、車で7,8時間あれば行けたオーストリアやイタリアへ旅行することだった。ゴルフ好きの友人からスロベニアのゴルフ場を教えてもらった。

 スロベニアは、旧ユーゴスラビアに属していたが、その後の民族紛争を経て独立した。小さな国で、面積は、日本の四国ほどで、人口は200万人くらい。ベオグラードからは、クロアチアの高速道路を通って4,5時間で行くことができた。ただ私たちの車には、ベオグラードと明記されたナンバープレートが付いていたので、クロアチア国内は、ノンストップで通過しなければならなかった。何回か幅寄せや接近による嫌がらせも受けた。クロアチアを通過してスロベニアに入ってすぐにMokrice(モクリッツ)とい小さな村がある。ここにゴルフ場が併設されたHotel Grad Mokriceというホテルがある。

 事故は、このゴルフ場で起こった。1番ホールは、坂の上から下へ打ち下ろすコース。妻は、私よりゴルフが上手である。飛距離も私の倍。私は、いつもの通りのあたり損ないで、坂の途中にボールが落ちた。妻は、坂を越え、下の平坦な場所までボールを飛ばした。1番のコースにゴルフカートの専用道路はなかった。こんな急坂カートで大丈夫かと思いつつ私の坂の途中にあるボールに向かった。カートを坂と同じ方向に止めて、私は、自分のボールを打とうと構えた。何ということか、上からカートが動き出した。私は弁慶のようにカートの前に立ちはだかった。両手でカートの前面を押し戻そうとした。「ビチッ」と左脚から音。カートから逃げて、脇に転倒。カートは、坂を勝手に下って行った。そして止まった。私の左脚に激痛が走った。それでもコースを半分回った。そしてベオグラードまで車を運転して戻った。戻ってすぐ医者に診てもらった。やはりアキレス腱が切れていた。全治するまで1カ月以上かかった。

 宝塚市のゴルフ場での事故は、モクリッツのような急坂で起こったものではない。カートが横転して、その下敷きになったことが死因だと思われる。私もモクリッツのゴルフ場でカートの下敷きになって、死んでいたかもしれない。思えば、人生で死んでいてもおかしくない事故に、何回か遭った。運命なのか寿命なのか。何か大きな力が働いていうとしか思えない。命は、注意に注意を払って、大事にしたいものだ。


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Finger Lickin' Good!

2023年06月16日 | Weblog

  私が初めてマクドナルドのハンバーガーを食べたのは、いつだったのか。思い出せない。初めて食べた時のあの衝撃さえ覚えていない。それは、まるでマクドナルドを知らずに過ごした時間を、消したいとでも思っているかのようだ。私がカナダに留学していた時、カナダかアメリカで食べたのだろう。カナダに渡る前、カナダへ行ったら肉をたくさん食べられると思っていた。ところが全寮制の高校の学食に、肉の献立は皆無だった。ステーキは無理でも、せめてハンバーグはあるだろうと期待したが、結局、肉が学食に出されることはなかった。失望した。アメリカ映画で観た学食での主食は、ジャガイモ。それにグレービーという肉の味のする茶色のソースのようなものをかけて食べた。グレービーソースには、肉のかけらも入っていなかった。野菜もなし。ソースは、市販のもので、大きな缶に入っていた。それを温めただけ。数か月に一度、レバーステーキが出た。私は、嬉しかった。しかし多くの生徒が苦情を言って、食べることはなかった。後で知ったことだが、カナダやアメリカでは、肉は食べるが、いわゆる臓物をほとんど食べない。店で見ることもなかった。

 肉を食べたい。でも学食に期待することはできない。週に一度、学外へ出ることが許される。街には、マクドナルドはなかった。あったのはQueens’burgerという店だけだった。チェーン店ではなかった。それでもそこのハンバーガーを食べるのが楽しみだった。カナダやアメリカを旅行した時、大きな都市には、マクドナルドがたくさんあった。

 私が子供の頃、住んでいた場所にマクドナルドはなかった。長野県に初めてマクドナルドの店ができたのは、私がカナダから帰国した後だった。おそらく1970年代後半だった。長野市に1号店が開店した。わざわざ長野市までマクドナルドのハンバーガーを食べに行ったものだ。

 カナダでケンタッキー・フライドチキンを初めて食べた時、こんな美味しいものがこの世にあったのかと衝撃を受けた。Finger lickin’ good(私の訳:食べ終わった後、指を舐めてしまう程美味い)のキャッチフレーズも、大いに納得できた。手で食べることが多く、手がフライドチキンの油でギトギトになった。食べ終わっても、もっと食べたいと思った。それでつい指を舐めてしまう。お行儀が良い食べ方ではないが、この食べ方が一番美味いと思う。残念ながら、コロナの所為で、このキャッチフレーズは、会社が自粛して使用をやめている。コロナが完全に終息すれば、再び復活するかもしれない。そうなる日が早く来ると良い。

 今でこそ、世界中にマクドナルドもケンタッキーもある。妻の1990年代から13年間の海外赴任に同行した。ネパール、セネガル、ユーゴスラビア、チュニジア、ロシアと回った。これらの国々で、マクドナルドがあったのは、ユーゴスラビアだけだった。休暇で赴任国から出て、マクドナルドやケンタッキーのある国に行くと、無性に食べたくなった。赴任した国には、他の美味しい物はあった。何故か、マクドナルドやケンタッキーの店に入ると、ほっとした。

 海外から帰国して、終の棲家として今の家に暮らして20年になる。相変わらず糖尿病と闘っている。昔、糖尿病の教育入院で、医師から「厳しい食事制限を9日頑張って10日目に好きな物を褒美にして食べる生活をしてください」と言われた。頻度は、数か月に1回ほどだが、近所のマクドナルドやケンタッキーを食べる。ケンタッキー・フライドチキンの軟骨が好き。手でチキンの身をほぐし、骨を抜く。骨の先についている軟骨を口に入れる。至福の時。最後に「Finger lickin’ good」を「ご馳走さまでした」の代わりに言ってしまう。


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辞書を読む人、贈る人

2023年06月14日 | Weblog

  友人が辞書を届けてくれた。白川静の『字訓』(平凡社 税別 6000円)である。同じ辞書を2冊買ってしまったのだそうだ。私もすでに買った本を再度買ってしまうことがある。

 書籍は、もっとも難しい贈り物だと聞いたことがある。確かに相手をよく理解していないと、ただの押しつけになってしまう。彼が辞書を渡すとき、「きっと喜んでもらえると思って」と言った。嬉しかった。同じ辞書を買ってしまった事は、失敗である。それも高価な辞書だ。書籍は、返品が難しい。ほとんどの場合、諦めるしかない。誰かにあげようにも、対象を絞るのも困難なことである。

 友人は、辞書を読む人だ。勉強家で定年退職した今でも、たくさん本を読んでいる。一緒に時間を過ごして、彼の話を聞くのが楽しい。今は、電子辞書やコンピューターでの検索で、簡単に言葉を調べることができる。紙の辞書や書籍は、時代遅れの感がある。しかし紙に印刷された書籍は、独特の存在感を持つ。何より紙の書籍には、著者や編集者や翻訳者の時間が込められている。私は、読書とは、書籍の活字を目で見て読み、その行間から書いた人の言わんとすることを、自分の経験や考えを通して読み解くことだと思っている。若い時、分からなかったことでも、歳の功のお陰で、今では理解できることも増えた。さっそく『字訓』を読み始めた。ただ開いたページの見出しからその項を読む。これは電子辞書では、絶対にできない事。項目を読み進める。編者の白川静の英知が折り詰められている。折り畳まれていた編者の英知が、ペチャンコだったのに空気を送り込まれて、人間に変身して語りかけてくるようだ。

 私は、数字を見るのが好きではない。友人の多くが、『数独』で脳を鍛えている。私は、やってみたが、降参した。でも『漢字パズル』にはまった。毎日時間さえあれば、漢字パズルをしている。楽しい。時間を忘れられる。見たことも聞いたことも使ったこともない言葉も多い。慣れ親しんだ言葉でも、パズルで解いてゆくと、その言葉から過去の思い出が蘇るのも楽しみとなる。良いことだけではない、忘れていた悪いことも勢いよく復活してくることもある。パズルなので、前後左右の並びから答の漢字が分かることもある。考え込むことが多い。脳を使っている感がある。この感覚が刺激となって、漢字パズルから離れられなくなっている。

 自分が知らない言葉を辞書で調べる。『字訓』も私の辞書群に加わった。散歩は日課、待つのが仕事の私にとって、漢字パズルは、まさにkilling time(暇つぶし)である。Killとい言葉は、適当でない気がする。しかし退屈で暇な時間をやっつけると考えれば、あっている気もするが。

 私の今の存在は、生産的でない。何の経済効果もない。私は、隠居の身である。他人様に迷惑をかけたくない。若者を押しのけて、出しゃばりたくもない。静かに深海魚のように暮らすのも悪くはないと思っている。世間から距離を置いているけれど、まだ辞書を届けてくれるほど、私の事を気にかけていてくれる友人もいる。稀な贈り物に、私の心に光が射したように明るい気持ちになれた。


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水の力

2023年06月12日 | Weblog

 1週間前、台風2号の影響で線状降水帯が発生した。妻は、東京からいつもの3倍時間をかけて帰宅した。先週の金曜日、天気予報では、今度は台風3号の接近に伴って、また大雨になるとのことだった。さいわい妻の利用している路線での遅延も運休もなかった。

 住む集合住宅の前を川が流れている。建物と川の間には、堤防を兼ねる道路がある。数年前の大雨で、その道路が集合住宅の前で決壊した。集合住宅から車で出ていくには、左折していくしかなかった。長い工事期間を経て、やっと堤防の工事が終わった。まるでダムのような頑丈そうな堤防に生まれ変わった。しかし私のような素人目には、それがかえって不安になった。川の土手は、石垣になっている。その石垣もずいぶん前に作られたもので老朽化している。数年前に決壊した石垣の土手も、古かった。決壊した箇所は、頑強そうな土手になったが、今度は、川の流れは、弱い箇所を攻めて来るに違いないと思えてしまう。

 そしてこの台風2、3号の接近による大雨が降った。台風2号による大雨の日、東京に住む長男と孫が心配して電話をくれた。テレビのニュースで私が住む場所に避難勧告が出たと知り、心配してくれたのだ。住む集合住宅の前の堤防が決壊した時も、多くの知人友人家族から電話やメールをもらった。気にかけていてくれる人々がいることを嬉しく思った。台風2号の時の大雨で、前の川は、確かに増水していた。家の中にまで、流されている岩が激しくぶつかり合う音が聞こえて来た。恐ろしい音だった。

 嵐が去った翌日、結局台風2号の上陸も通過もなかった。台風一過と呼んでいいのか分からないが、いい天気になった。散歩した。川はまだ増水していた。家の前を流れる川には数百メートルおきに、堰がある。おそらく堰で流れの勢いを落とすためであろう。その堰のひとつが、今年改良工事された。堤防の両側をコンクリートで補強した。そして堰の川床にネットに石を詰めたものを敷いた。ところが何ということか、そのネットが、押し流されて5,6メートル下流にあった。堰の水流を受けるためのネットだったが、その効果は、失われた。しかし改めて水の勢いの凄さを感じた。

 日本で川と道路は、行政が自由に手を加えられる場所だと私は、理解している。中華人民共和国のような共産主義国なら、土地はすべて国家のものである。高速道路だろうが新幹線だろうが、通したい所が決まれば、あっという間に作ってしまう。日本のリニア新幹線が、現状にっちもさっちもいかないのとは、違う。羨ましいとは思わない。でも何事も時間がかかりすぎることが、日本の国力が停滞していると思われている原因であることは、間違いない。

治水は、国家の重要な施政のひとつである。日本のような国土が狭く、山々の標高が高いと、川はどうしても急流になってしまう。私は、河川は、国有なので、河川の川床に太いパイプを敷き詰めて、川の下に人工の川を造ったらいいと思っている。大都市では、大雨洪水対策に地下貯水槽を建設している所もある。それの河川版である。上流のきれいな水を下流域の水道に利用することもできる。増水時にパイプに水を誘導して流して氾濫を防ぐ。落差のある所なら、水力発電も可能であろう。

 造っては壊される河川の工事を見ていて、凡人が夢見る、日本の未来のひとつである。


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テカテカ黒光りするオニグルミ

2023年06月08日 | Weblog

散歩の途中で、川原のクルミの木にたくさんの実がなっているのを見つけた。形状からオニグルミであろう。秋になって実を見れば分かるだろう。

 子どもの頃、近所に住むおじいさんと親しかった。おじいさんは、私にいろいろなことを教えてくれた。おじいさんは、いつも両手の手のひらにオニグルミをそれぞれ2個握っていた。私と話している時でも、手を休めずグリグリとこすり合わせていた。ずいぶん長い間そうしていたのか、クルミは、テカテカだった。クルミというより、磨き上げた石のようだった。私は、おじさんは、クルミを何かの目的で、磨き上げているのかと思った。あまりにテカテカ光っていたので、私もいつか作って見ようと思った。ある日、おじいさんに尋ねた。「どうしておじいさんは、いつもクルミを手で握って、グリグリしてるの」 おじいさんは言った。「中風にならないため」 「ちゅうぶって何」 「体の半分が、突然、動かなくなってしまう恐ろしい脳の病気だよ」

 当時はそれで終わったが、大人になって脳卒中が、以前「中風」と呼ばれていたと知った。よく分からないが、どうやら“悪い風にあたって突然倒れる病気”という言い伝えがあったらしい。私が子供の頃、近所のお年寄りは、中風と黄疸の人が多かったのか、頻繁にこの2つを耳にした。

 私の子どもの時、毎日、近所の子が集まって、遊んでいた。ある秋、川のほとりのオニグルミの木に実がたくさん付いた。みんなで登ったり、木を揺すったりして、実を採った。身を食べようとしたが、殻が石硬い。大きな石で叩いた。粉々になったクルミ。殻と身が混じり合っていた。それを一斉に子どもが手を出して、口に運んだ。食料不足の時代だったので、季節ごとに食べられるものへの関心は高かった。採れたクルミの実は、子どもだけで食べきれる量ではなかった。私は、近所のおじいさんが、いつも中風にならないようにとオニグルミを手で握って、こすっていたことを思い出した。

 みんなで中風予防のクルミを作った。皮をはぎ、殻だけにした。薄いベージュ色でおじいさんのクルミの色と全く違った。おそらくおじいさんのクルミは、長い時間をかけて、人の手の油とクルミの殻の油がにじんで、出た色だったのだろう。しばらくの間、町の子どもが皆、手にオニグルミを2個握っていた。皆で同じことをする。近所の悪ガキの連帯感が高まった。

 子どもは飽きっぽい。1週間も続かなかった。1人やめ、二人やめ、いつしか子供たちの手から、オニグルミが消えた。私のクルミも、薄いベージュ色のままだった。

 時が過ぎ、今、近所のおじいさんの年齢を超えた。すでに狭心症などの病気をしている。脳の検査でも、血管の狭窄が指摘されている。ちまたでオニグルミを手で握って脳卒中予防に効果があるという人はいない。私は、散歩しながら、本で読んだ医師が勧める、手の指の運動をする。右手は小指から左手は親指から、「1,2,3,4,5」と数えながら折り曲げ、また戻していく。

 おそらくクルミのニギニギも、指の運動も、脳を使い活性化させる効果があるのだろう。秋になってオニグルミが採れるようになったら、4個いただいて、ニギニギして黒光りするようになるまでグリグリゴシゴシやってみよう。薬、サプリメントよりは効果がありそうな気がする。


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ナイス進言 ナイスキャッチ ナイスショット

2023年06月06日 | Weblog

  台風2号の接近によって、私の住む町も大雨に見舞われた。家の前の川は、2年前の大雨で、土手が決壊して、去年やっと修復工事が終わった。大雨の予報が出ると、また決壊するのではと恐くなる。金曜日の昼間、降り続く雨の音も酷かった。その上をいったのが、川の流れの中で流されている岩がぶつかり合う音だった。音と言っても、普段聞くことがあまりない、重低音で私の体が音叉に化して共鳴するかのようだった。悪い予感が終日付きまとった。

 悪い予感は、的中した。妻が東京駅からメールで新幹線が運転見合わせになっていて、すでに1時間車内で待っているというのだ。私は、在来線が動いているか調べた。すぐに妻に在来線に乗り換えるよう伝えた。何とか在来線に乗ったが、ぎゅうぎゅうづめだったそうだ。とにかく奇跡的に帰ってくることができた。妻は、普段の3倍の時間をかけてクタクタになって帰宅した。ナイス進言。

 翌朝、台風一過の良い天気になった。妻と散歩に出た。家の前の川は、昨日の大雨の影響で水嵩が増していた。散歩を終えて家の近くに来ると、川の中にアオサギがいるのを見つけた。アオサギが堰の上にいて、首をかがめて、じっと堰の下を見つめていた。これはアオサギが魚を狙っていると、去年の経験から判断した。カメラを持っていたので、アオサギが魚を捕まえる決定的瞬間を撮ろうと構えた。手が震え、望遠レンズの焦点が定まらない。そうこうしているうちにアオサギが魚を捕まえた。歳のせいか、手でカメラを固定させることが難しい。三脚があればと思ったが、三脚はすでに処分してしまった。モタモタしているうちにアオサギは、すでに6匹を捕らえ、飲み込んだ。やっと焦点が合い、体を桜の木に寄りかけて、カメラを動かさずに写真を撮ることができるようになった。7匹目を捕らえた時から、その後5匹を捕らえる瞬間を撮ることができた。ナイスショット。

 私が見ている時間だけで、アオサギは、12匹をたいらげた。毎年、この川に地元の漁業組合が鮎の稚魚を5月に放流する、まだ放流したばかりである。本来鮎の放流は、釣り人のためにする。しかし結果的には、アオサギにほとんどの放流された鮎は、食べられてしまうのだろう。今でこそ人工ふ化の技術が進歩したので、毎年稚魚を放流できているが、もし放流できなければ、アオサギも釣り人も、この川に来ることはないだろう。自然の生命サイクルを壊してしまっているとも考えられるが、これから先どうなることやら。

 ショットと言えば、英語で注射のことをshotという。日曜日、私は、6回目のワクチン接種を受けた。ところが月曜日の朝、なにか体調がおかしかった。検温すると37.7度。私の体温は、いつも36.4度で一定している。友人知人からワクチン接種後、体調をくずした話を聞いていた。今まで接種を受けた腕が、痛くなったことはあったが、今回のような気だるさ頭痛体温の上昇はなかった。月曜日、一日中横になっていた。散歩もせず、食事も粥だけだった。今朝、体重計に乗ると夢の63キロ代になっていた。一日食事を質素にすれば、体重が1キロも減るのかと驚いた。

 6回目のワクチン、何とかこの程度の副反応で収まった。このワクチン接種がナイスショットであったことになりますように。


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