団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

ビッグモーター

2024年06月28日 | Weblog

「ビッグモーターで購入しENEOSでオイル交換したダイハツ車に乗る人」という見出しのネットの記事をみた。

 事情があって今乗っている車を手放して違う車に乗り換えることになった。車は、メーカーの販売店に下取りに出すと安くなってしまう。以前友人が車は、メーカーの販売店でなく中古車買い取り業者に売った方がいいと聞いていた。ダメ元で車の買い取りをする『クルマタカシ』というサイトに登録した。メールだけの取引だと理解しての事だった。入力を済ませた途端、固定電話が鳴った。出ると買い取り業者からだった。私は電話恐怖症だ。電話で話がまともにできない。耳が悪いこともあるが、電話によるしつこい勧誘が嫌いなのだ。保険、私は身体障害者手帳を持つ障害者なので保険に入ることができない。どこから私の情報を手に入れるのか知らないがよくかかって来る。だから固定電話は、留守番電話にしたままである。録音機能が始動して、相手がだれか分かってから受話器をあげる。電話は次から次とかかって来る。登録したサイトに登録抹消の手続きできるとあったので、即抹消した。1時間くらいで電話が鳴らなくなった。

 ビッグモーターは、(WECARS)ウィカーズと社名を変えた。伊藤忠商事が買収した。いったい幾らで売れるのかと近くのウィカーズに行って見た。旧ビッグモーターという名前だっただけに、でかい敷地に多くの中古車が並んでいた。受付で車の査定をしてもらいたいと告げた。若い社員が応対した。ため口が気になったが、車を少しでも高く売れればいいので我慢した。私の車を30分くらい査定した。提示された金額は、思っていた以上の価格だった。昔、上田で車を中古車店で売却した。27万円だった。後日その中古車販売店に展示された私の売った車が72万円の値札が付けられていた。日本の中古車市場は、そういうぼったくり市場なのだと思っていた。

 カナダやアメリカには、「FOR SALE」の貼り紙やサインボードを車に貼って走っている車が多い。カナダやアメリカで車を個人間で売買する。新車でも販売店から支払いが済めば、その日に車の乗れると聞いた。とにかく手続きが簡単である。おそらく各自が持つSSN(ソーシャルセキュリティーナンバー 社会保険登録番号)で多くの事務手続きを終わらせることができる。日本のマイナンバーカードの使いかってというか、信頼性というか、普及度というかが雲泥の差である。よその国でできて、なぜ日本で出来ぬ。

 妻は、私がこの件に関して一方的にすべて独断専行してやっていると言うが、嫌々だが車をウィカーズで売却することを認めてくれた。売却の契約を妻と一緒に行く予約をとるために、ため口のおにいさんに電話した。話しているうちに彼から「ビッグモーター」の言葉が出た。社名は変わっても社員の気持ちは変わっていないのであろう。

 一度失った信用は、そう簡単に取り戻さない。トヨタ、ダイハツ、小林製薬、三菱UFJ銀行大会社などなどの不祥事が続く。その後始末の仕方やウヤムヤぶりは、日本の政治によく似ている。ウィカーズのため口おにいさんと多くの政治屋が重なる。それでも私は1円でも高く車を売りたい。「お主も悪よのう」とは言われたくないが、はたしてどうなのだろう。後ろめたい気持ちがあるのはなぜだろう。今度の売買契約時、私はため口おにいさんに腹を立てぬよう忍の一字で耐える。


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携帯 不携帯

2024年06月26日 | Weblog

  先日受けた右脚のCT検査の結果を聞くために東京の病院へ行った。妻と東京駅まで一緒に同じ電車で向かった。電車の中で私は自分の携帯電話を充電したまま家に置き忘れたことに気が付いた。運転免許証の更新のための認知機能検査を受けてから、物忘れがひどくなった気がする。携帯電話の電池が十分あるかチェックした。少し足りなくなるかもしれないので、充電することにした。備えあれば患いなし。保険証、マイナンバーカード、お薬手帳、予約票、病院の診察券を昨夜のうちに準備用意してあったが、もう一度点検した。そうだ部分入れ歯も忘れずに入れておかねばと、早めにポリデント(入れ歯の固定糊)を付けて装着した。家を出る前に、指差し点検するように持ち物の再点検をした。携帯電話の“ケ”の字も頭に浮かばなかった。携帯電話と浮かんだのは、東京行きの電車の中だった。

 妻は妻の携帯電話を使ってと私に渡した。妻は職場でパソコンを使って私と連絡が取れると言った。東京駅で別れた。病院に到着。妻からメールが入った。妻の携帯電話と私の携帯電話は、同じ会社の同モデルなので使い方は慣れている。これで何かあってもお互いに連絡を取り合える。受診前の手続きを終えた。今は、すべて機械で受付ができる。私の診察時間は、9時半だった。時計を見るとまだ8時50分。時間が十分ある。診察室の前の待合所の椅子に座った。漢字パズルを始めた。9時ちょっと過ぎに診察室のスピーカーから「〇〇さん358番の診察室にお入りください」と流れた。えッまだ9時だよ。いつもどこの病院でも予約時間はあってもないと同じで20分30分遅れるのは当たり前。私の気持ちは、まだ診察を受けられる準備ができていなかった。リュックに上着と、首から下げていたスイカやいろいろなカードの入ったケースを外して入れた。急いで診察室に入った。

 初回の診察で打ち解けた感じがまだ残っていて安堵した。まず前回右脚のカテーテル施術を受けた病院から画像CDと所見詳細書が届いたと言って、それを見せてくれた。「こんなの初めてです。ほとんどが白紙。何も答えていない。これでは役に立ちません」 何か私が責められているような気分になった。前にカテーテルをやってくれた医師は、岡山の病院に移ってしまった。信頼できる医師だったので今回もまず診察してもらおうと思った。でもいなければ他の医師を探さなければならない。かかりつけの糖尿病の医師に頼んで今度の医師を紹介してもらった。この医師を信頼して嫌いなカテーテルをやってもらおうと思った。

 CT検査の結果は、右脚の膝から下の3本の血管の内、2本に血液が流れていないほどの閉塞が見つかった。これはカテーテルで治療するしかない。しかし閉塞が難しい箇所にあるので、場合によっては腹からのカテーテルと足首2か所からのカテーテルで治療してみるしかないと言われた。入院に関しては受付で手続きをしていくように言われた。

 やはり思っていた通り、カテーテルをやらなければならない。落ち込んだ。妻に知らせなければと携帯電話を出そうとした。ない。携帯電話がない。もしや待合室のイスの上に置いたまま診察室に入ってしまったかも。診察室と同じ階の受付に行った。届いていると願った。ない。事務員が一緒に診察室に戻って医師に聞いてくれた。ない。妻に何て言えばいいのか。家を出る時は、私の携帯、そして今度は病院で妻の携帯を失くしてしまった。仕方がない。気を取り直して入院手続きをするために2階に降りた。大勢の患者やその家族が、順番を待っていた。もう一度カバンとリュックの中を探した。ない。待ち時間が長かった。最後にもう一度と念入りにリュックの中を探した。上着のポケットの中に何か固いものが…。あった。私の体から力が抜けてフニャフニャになった。嬉しさがこみあげてきた。看護士との入院手続きの話のほとんどが耳に入ってこなかった。

 その夜、妻に事の顛末を話せなかった。でも翌日の朝、勇気をだして告白した。さほど叱られなかったが、私は一気におじいさん度合いが上昇したように感じた。


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日本の軽自動車とイタリアのアペ

2024年06月24日 | Weblog

  チャットGPに聞いてみた。「日本の軽自動車と同じ規格を設けている国が他にありますか?」 答:「日本と同じ軽自動車という規格は、他の国にはありません。……。」 日本以外にも“軽自動車”という区分があると思っていた。大好きなテレビ番組BS日本テレビの『イタリアの小さな村』には、時々日本の軽自動車のような車が登場する。私が子供の頃、ダイハツのミゼットがあった。これは3輪車だった。『イタリアの小さな村』が取り上げる村は多くが山の中腹にある。日本の山村のように道路が狭く坂道が多い。そこにミゼットのような小さな車が出てくる。

 日本の軽自動車の規格は、全長3.4m以下・全幅1.48m以下・全高2m以下・排気量660㏄以下・定員4名・貨物積載量350㎏以下である。イタリアの3輪車は、バイクメーカーのPiaggio社のApeで全長は2.5~3mで幅は1.3m、排気量は49~435㏄だという。ランボルギーニやフェラーリのスーパーカーとアペとのギャップが凄い。でも私は、イタリアの小さな村の坂道をトコトコ走るアペに心惹かれる。

 以前はエンジンの排気量が大きくて、デザインが良い車に憧れた。軽自動車には目もくれなかった。年齢を重ねるごとに購入する車は小さくなった。一時期軽自動車に乗った。ホンダのNワゴンだった。それ以前に乗っていたトヨタの3500㏄の車に付いていた装備のほとんどがNワゴンにも付いていて驚いた。今は高速道路を走ることはない。毎日通勤する妻を駅までの送迎と買い物に行くぐらいにしか車は使わない。やっと身の程をわきまえられるようになった。

 今、英国で日本の軽自動車がよく売れているそうだ。英国は、日本と同じ右ハンドルである。以前日本の軽自動車は、安全基準などの理由で輸入は禁止されていた。英国も日本と同じ島国だ。高速道路も整備されているが、古い都市や村の道路は、狭い所も多い。馬鹿にされていた日本の軽自動車だったが、その性能や使い良さが認められ始めた。輸入が許され、徐々に日本の軽自動車が英国人に受け入れられるようになった。

 少し前まで、世界ではガソリンエンジン車は、電気自動車に取って代わられるのではという勢いで電気自動車が浸透し始めていた。このところすっかり電気自動車熱が冷めて、トヨタのハイブリッド車が再び脚光を浴びている。何がいつどう変化するかわからない。

 大気汚染や環境の変化で、地球の温暖化が進む。去年の夏の猛暑は、やっとコロナが下火になったのに、引き続き私を家の中に閉じ込めた。今年も予報では、暑い夏になりそうだ。人間が地球を追い込んでいる。どうすれば温暖化や異常気象を止めることができるのか分からない。そんな大問題を抱えている時に、自国の領土を拡げようと他国を侵略する。イデオロギーや宗教の覇権争いは勢いを増すばかり。

 不安は募る。それでもイタリアの小さな村では、人間の普通の営みが続く。小さな3輪車のアペが坂道をゆっくり登ってゆく。日本の軽自動車も、これからが出番である。世界の小さな村で、日本の軽自動車の良さを広めて欲しい。望むことは、軽自動車の内装とシートの改善である。身長も体重も日本人より大きい外国の人々が日本の軽自動車を運転すると、壊れやすいと聞いている。メーカーが軽自動車を見下しているのではと思う程、普通車以上の車と比べて貧弱である。改善の余地はある。ガンバレ、軽自動車。

 

 

 

 

 

 


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亀は万年

2024年06月20日 | Weblog

  鶴は千年亀は万年という長寿を表現する言い方がある。子供の頃、鶴は千年亀は万年と聞いて、亀が1万年も生きられるなんて羨ましいと思った。

 妻の同僚は亀をペットで飼っているそうだ。飼ってすでに10年をゆうに越している。名前は『亀治郎』だった。過去である。現在は『亀子』である。実は、少し前、亀治郎が卵を産んだ。てっきりオスだと思っていた亀は、メスだった。この話を妻から聞いた時、えッそんなことあるの、と思った。メスの亀子だけを飼っていて、産卵するのかな。でも妻の同僚も医療関係者である。彼女がそう言うのだから卵だったに違いない。

  亀は何事もスローな動物だ。童話『うさぎと亀』は、保育園から何度となく聞かされた。どんなに遅くても、あきらめることなく、油断することなく、自分の力を過信することなく続けることが勝利への道。継続は力なり。良い教えだった。それなのに私は残念ながら自分の生涯でこの教訓を生かすことはできなかった。いつも結果を急いだ。たいしたことないのに自信過剰になったこともある。コツコツ努力することなく、目標だけは常にデカかった。だから挫折すると奈落の底に落ち込んだ。何度も失敗を繰り返した。コキロク(古稀+6歳)になってやっと亀のように生きるべきだったと反省している。

  私は散歩コースで亀に会える。妻の同僚のペット亀子の話を聞いてから、この亀に親近感を持った。亀は、店先の水槽に入れられている。私が店の前に到達する時間まだ店は開いていない。水槽は閉じられた店のシャッターの前に置かれている。私はこの亀が誰か心ない人に盗まれたり、いたずらで連れ去られることはないのかと心配になる。去年まで同じ水槽には金魚が飼われていた。それが亀に替わった。金魚はカラスにでも食べられてしまったのだろうか。

  前回亀がいる店の前を通った時、水槽が二つ増えて3つになっていた。以前からいた亀は、甲羅が30センチくらいあり大きい。新しく置かれた水槽の中の亀は甲羅が10センチくらいで小さい。亀と亀の水槽の間に置かれた水槽にはザリガニがたくさんいる。ちょっとした水族館のようだ。散歩する身としては、楽しみが増え、嬉しいことだ。

  東京の病院で右脚のCT検査を受けた。その結果を聞きに昨日東京へ行った。結果は、膝から下の3本の重要な血管のうち2本の血管が詰まってしまっていると医師が言った。カテーテル施術を受けることなった。体のあちこちに不具合が出てくる。

  鶴は千年亀は万年には続きがあるそうだ。「鶴は千年亀は万年鸚は天年」で鸚(オウ)と読み。オウムの類の鳥で天年とは、天から与えられた寿命だという。私にも寿命がある。でもこれまで何回も医学の進歩のお陰でその寿命が伸ばされてきた。感謝なことである。寿命は素直に受け入れる気持ちでいる。

  先日の運転免許証の更新にあたり、認知機能検査を受けた。素直に認知機能の低下を認める。私の医学の進歩のお陰で延長された寿命があと何年なのかは知らない。知りたくない。でも受けられる治療は委託して、危険だと思ったら運転免許証は返納する。

 今朝の散歩で亀にその決意を伝えて来た。。


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二極化

2024年06月18日 | Weblog

  運転免許証の更新の葉書が県の公安委員会から届いた。今回は、今までと違って更新する前に「認知機能検査」と「高齢者講習」を受けなければならない。15日土曜日指定された自動車教習所へ行った。

 この前の免許の更新には認知機能検査はなかった。高齢者講習だけだった。5年前になる。まだコロナの最中だった。同じ教習所で受けた。あの頃教習所は、ガラガラで数人の教習生しかいなかった。事務所で受け付けしようと中に入った。大勢の人。教習所は経営難なのだろうと思っていた。認知検査を受ける私の同年配ばかりと思いきや、まさかの若者たち。都会の若者が、合宿して短期間で運転免許証を取得するという。待合所の片隅に明らかに認知機能検査を受けるであろう老人が数人座っていた。なんだろう、この組み合わせ。若者たちは、元気はつらつとしている。20人くらいはいた。3人とか4人で固まっていた。ちょうどお昼ご飯の時間だった。受付カウンターの上にたくさんの弁当が置いてあった。30個以上はあっただろう。入れ替わり立ち替わり、若者たちが弁当を取っていった。皆元気はつらつとしていた。顔も艶がある。一方待合室の片隅の認知組は、背が曲がり、杖を持ち、顔や腕は老人シミが多数、覇気がない。同じ部屋の中が2極化している。私はひさびさにこれほどの数の若者と一緒の場所にいた。認知機能検査をこれから受けなければならないコキロク(古稀+6歳)の私は、漏れ伝わった記憶力テストの内容に恐れおののいていた。これから運転免許証を取得して、車の選択にあれこれ迷って車を購入して、青春時代を謳歌しようとしている若者たち。一方認知機能検査で免許返納を迫られるかもしれない後期高齢者たち。

 認知機能検査が始まった。受験者は6名。男性5名女性1名。まず4つの絵が描かれた大きなボードを見せられた。私は、4つぐらいの絵なら楽勝と思った。ところが次々に合計4枚のボードを出された。もうダメ。1枚覚えたつもりになっても次の絵を見れば、前の絵は消える。その繰り返し。今朝も書斎から台所へスプーンを取りに行ったら、10歩も歩かないのに、台所に着いたら、何を取りに来たのか脳が迷子になっていた。その再現。タイムアップ。検査用紙に答えを書くと思ったら大間違い。次に数字の表から指定された数字を消すという検査。こんなことしていたら、記憶が飛んでしまう。この時間差攻撃でおぼろげだった記憶が粉砕されてしまった。検査する側の時間差の罠に私はハマった。記憶を呼び戻そうとする。深い霧の中にいるようだった。はっきりしない。見た絵がない。記憶したはずの絵のボードは全て白くなっていた。絵が消えている。それでも振り絞るように脳を働かせた。集中力の限界。8個書けた。あとの8個は未知の世界。この後、ヒントが書かれたボードが出て、更に違うページにもう一度絵を思い出させる検査があった。これで14の絵の名前が書けた。でもこういうお助けがちっとも嬉しくなかった。

 検査が終わると緊張が解け、疲れがどっと出た。瞼が重くなった。いつもなら昼寝する時間だ。この時間に脳を使うことはまずない。その状態で今度は、運転実技の検査。普段自分の車以外運転しない。万人が運転する不慣れな教習所の車。不安。試験官を助手席に乗せ、教習所内のコースを教官の指示通りに運転。何とか全ての検査に合格。免許証の更新ができることになった。

 更新される免許証は、3年間有効。次の更新に全く自信がない。教習所で会った若者たちと自分を比べてしまう。若者たちはこれからだが、老兵の私は去り行くのみ。いよいよ3

年後は免許返納か。


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日立の冷凍冷蔵庫

2024年06月14日 | Weblog

  一時期日本の家電製品は、世界を席捲していた。ところが韓国や中国の家電メーカーに徐々に追いつかれ、追い越されるようになった。私がカナダに留学していた頃の1960年代日本製品は、安かろう悪かろうと言われていた。私もよく学生たちに「メイド イン ジャパン」と馬鹿にされ、悔しい思いをした。その後、ソニー、東芝、日立、松下電器、三洋電機、シャープなどの家電メーカーが台頭して、メイド イン ジャパンの品質の良さを世界に知らしめた。アメリカ大リーグで活躍する大谷翔平選手のように世界で誇れる存在だった。

 そんな日本が世界に誇った家電メーカーも日本のバブルが弾けた頃から、だんだん元気を失い始めた。私は1996年から妻の海外赴任に同行することになった。最初の任国は、ネパールだった。この頃は、まだ日本の家電製品は勢いがあった。どこの国を旅行しても、多くの日本の会社の代理店や看板があった。ショッピングセンターなどの家電製品売り場には、日本の製品がずらっと並んでいた。ネパールの次にアフリカのセネガルへ妻が赴任した。セネガルは、貧しい国ということもあって高価な日本製品より中国製の物が多かった。まだ韓国製品はほとんど見られなかった。次に旧ユーゴスラビアへ移った。このころから韓国製品を多く見るようになった。特に車の起亜と現代が猛烈に売り込んでいた。次に北アフリカのチュニジアに移った。もうここでは、韓国製がどこの店でも日本製を押しのけて圧倒していた。

 ロシアのサハリンを最後に、妻が職を辞して日本の病院に勤務するために帰国した。妻が海外赴任する前の勢いがあった日本経済は、帰国するとまるで違う国かと思う程、何もかも停滞していた。そうこうするうちにまずシャープが台湾の会社に買収された。三洋電機は、中国の会社に、東芝も家電部門を中国の会社に売った。残ったソニーや松下電器も経営は不振だった。何とか日立だけが健全な経営をしているように見えた。

 私は、日立の♪この木何の木 気になる木♪のコマーシャルソングが好きだ。鉄道好きな私は、英国で日立製の列車に乗った。英国での日立製の列車は、評判良く乗り心地も良かった。世界のどこであれ、日本製品の評判がいいと嬉しくなる。日立のこれからの躍進に期待を寄せている。

 我が家の冷蔵庫は、日立のR-HWC54T(N)だ。まだ買い換えたばかりである。この冷蔵庫に問題点を見つけた。製氷機から作られた氷が急速冷凍の場所にこぼれ入るのである。設計上の問題かと日立に問い合わせることにした。返事が1カ月後に来た。驚いた。これが技術の日立の反応かと。「…ケースの出し入れの際の勢いによって氷が奥側に寄せられて山状になり、下側の冷凍室に落下しやすくなっていることが考えられます。…つきましては製氷ケースを引き出す際や戻すと際、なるべくゆっくりと動かしていただき…」 笑った。これが返答だろうか。製氷機からまったく違う箇所に氷が落下するというのは、設計上もしくは製造上に問題があるからだ。それを使用する客が、力の入れ加減で制御しなさいって。子供にドアを静かに閉めなさいと言っているのと変わりない。製品に不都合があれば、改善してゆくのが企業としての努めだ。最近のトヨタの問題もそうだが、日本の会社何かおかしい。氷貯蔵室の引き出しをゆっくり静かに開け閉めしながら、私は、今日も声を出して笑ってしまう。


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逆走・暴走・妄想

2024年06月12日 | Weblog

  16歳で原付二種の免許を取った。まだ高校に入学したばかりだった。当時は16歳で原付免許を取ることができた。原付免許を取った理由があった。無免許で父親のスクーターを運転して、警察官に捕まった。後日裁判所に呼び出された。初犯だったので厳重注意だけで済んだ。若気の至りとはいえ、裁判所へ親と一緒に呼び出されたことは屈辱だった。さいわい高校へは報告されなかったので、学校からの処分は受けなかった。反省して親にも謝って、正式に免許を取ることにした。

 無免許で父親のスクーターを内緒で運転した時、危うく人をはねそうになった。コキロク(古稀+6=76歳)になっても、あの時の恐怖の瞬間が夢でよみがえる。原付免許を取得してから、60年が経った。自分で運転していて事故を起こしたことが3回あった。車の運転はしていなかったが、乗っていて事故に遭ったことは5回あった。夢に出てくるのは、無免許でスクーターを運転していた時の事ばかりである。

 毎日というように、後期高齢者の逆走や暴走の事故がニュースで流される。悲しいのは、年寄りが幼い子どもの命を奪うことだ。2019年4月19日東京の池袋で87歳の高齢者が暴走して、母娘2人死亡、10人が重軽傷をおった。事故に遭うまで普通に健康に生活していた人が、たまたまそこに居合わせたことで命が奪われる。こんな悲しいことがあるだろうか。と同時に、私は16歳の時の無謀な無免許運転で、人を轢きそうになったことがフラッシュバックする。若くても事故を起こす。コキロクになれば、事故を起こす可能性は、ずっと高まる。私は、絶対に幼い子どもの命を私が起こす事故で奪いたくない。

 県の公安委員会から葉書が届いた。「検査・講習のお知らせ」と書かれていた。「認知機能検査」もある。「認知」という言葉は、鋭いナイフのように私の心に突き刺さる。「あなたの『記憶力・判断力』を検査して、『認知症のおそれの有無』を判定します。手数料1050円 検査時間 約30分」 「記憶力」という言葉にも引っかかる。私の劣等感の構成割合の90%を占めるのが記憶力の悪さだから。記憶力は、暗記力とつながっている。

 友人が5月にこの検査と講習を受けた。私は、友人に検査の内容を尋ねた。学生が、すでに試験を受けて、何が出題されていたのか聞き出そうとする行為と同じだ。友人は優しい。事細かに検査のことを教えてくれた。You-Tubeでその疑似検査を観られると知った。早速観た。何枚もの絵を見せて、後で何を見たか答える。台所で思いついたことをパソコンに書き留めようと書斎に向かう。パソコンのスイッチを入れ、準備が整う。でも書き留めようとしたことが何だったのか、まったく記憶がない。台所に戻って考える。台所へ何をしに来たのかも思い出せない。そんな私に何十という絵など思い出せるだろうか。見ることもそれが何の絵であるかの認識はできる。でも覚えていられない。一瞬で消えてしまう。優しい高校時代から暗記力抜群だった友人が言う。「大丈夫。1回だけでなく、繰り返してやってくれるから。全部覚えられなくても、合格の基準は低いから」

 コキロクになっても、まだ車の免許の書き換えをしようとする私。書き換えなければならない理由はある。妻の駅への車での送り迎えが私の仕事だからである。車は、便利である。特に脚が不自由になった私には、車が役に立つ。同時に車は、人を殺せる恐ろしい凶器にもなる。妄想が妄想を生む。結論を急いで出さなければならない。


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外国人観光客とコンビニオムスビ

2024年06月10日 | Weblog

  先日東京の病院で右脚のCT検査を受けた。私は毎朝6時前に朝食を摂る。検査の日昼食を抜くように指示されていた。水は飲んでいいので、朝出勤前に妻が水筒にお茶を用意してくれた。検査の予約は、午後4時15分だった。検査の30分前までに受付を済ませておくように言われていた。12時過ぎに家を出て、電車で東京へ向かった。電車に乗ってから、水筒を家に忘れてきたことがわかった。物忘れは、酷くなるばかり。それに拍車をかけているのは、12時を過ぎても昼食を食べられないイライラに違いない。国連人口基金(UNFPA)の「世界人口白書2023」によると世界人口は81億1900万人で、飢餓に直面しているのは7億3500万人だという。毎日、食べたいものを食べたいだけ食べている私が一食抜くぐらいでこの様である。情けなくなる。

 しけた気持ちを紛らわせるために車内の人間観察をすることにした。妻が日頃言うように車内にも多くの外国人がいた。時間はちょうど昼食の時間だった。私の真向かいに座っていた二人連れの若い白人の外国人が、コンビニの袋からオムスビを2つ取り出した。コンビニで売られているオムスビは、海苔が湿ってグッタとしないように、まるで手品の仕掛けのような工夫が施されている。私は、このコンビニのオムスビの海苔とオムスビを食べる直前に合体させるのは下手である。妻は,上手にできる。私不器用、妻器用。さあこの外国人、どのようにコンビニのオムスビを海苔とオムスビのご飯を合体させるか。注視する。巧い。二人とも手際よく海苔とオムスビのご飯を合体させた。包装をコンビニのビニール袋に押し入れた。そしておもむろに真っ黒に光る海苔に巻かれたオムスビを口に運んだ。それが二人同時だったではもっていた。私は、ゴクンと唾を飲み込んだ。「食べたい。パリッパリッの海苔に巻かれたオムスビが食べたい」 海苔を噛みきる音は、私の席までは届かない。でも普段耳の悪い私にもまるで「パリッポリッ」と聞こえるようだった。音だけではない、二人の表情が良かった。

 二人の外国人男性を見ていて、私は嬉しかった。私は1947年の生まれだ。当時上田市にも米軍が駐留していた。幼い頃「ギブ ミー チョコレート。ギブ ミー ガム」と米軍のジープを追いかけた記憶がある。米軍が引き揚げた後、時々見かける外国人は「あなたは神を信じますか?」とトラクト(伝道用勧誘パンフレット)を配布していたキリスト教の宣教師だった。

 高校生になってカナダへの留学が決まった。軽井沢の宣教師の子どもたちの学校で事前に英語を学んだ。その学校の子供たちは、ほとんどが日本を馬鹿にしていた。何でも見下ししていた。特に日本の食べ物を徹底的に馬鹿にしていた。醤油はbug juice(虫の体液)海苔はsea weed paper(海の雑草の紙)などなど。カナダの学校で会った生徒たちも、軽井沢の生徒たちと変わりはなかった。私は、いつしかその経験を劣等感に変えていた。トラウマとしてコールタールのように心に沈殿させていた。

 テレビでも自分の目でも耳でも今、多くの外国人観光客が日本を楽しんでくれている。宣教師しかいなかった頃とまったく違う。私のトラウマがどんどん消えてゆく。私が生きているうちに日本への理解が深まり、褒められまでされる現状を知ることができた。何と果報者か。私の表情も電車の中で見たあの二人の若者が、オムスビを口にした時の表情と同じくらいになって東京駅で電車を降りた。いつの間にか腹が減っていることも忘れていた。


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電話での初診受付

2024年06月06日 | Weblog

  昨日東京の病院へ行った。その病院へは初めだった。先日の主治医の診察の時、脚の血流検査で右脚の血流が悪化していることが分かった。主治医が専門医に診てもらうよう勧めた。またカテーテルでの治療になりそうな予感がした。心臓の血管は、すでに6回カテーテルでの検査治療を受けている。その後狭窄は、下腹部と右脚にも見つかった。2年前に下腹部にカテーテルでステントを入れた。右脚は、カテーテルでバルーン療法を受けた。私はカテーテルが大嫌いである。まあ好きな人はいないと思うが。カテーテル施術は、担当する医師によって患者の負担が大きく異なる。以前カテーテルを受けている時、心拍数と血圧が急低下して命の危険に直面した。やはりカテーテル施術を受けるなら評判の良い名医にしてもらいたい。やっと見つけたカテーテルの名医だったが、遠い病院へ移ってしまった。

 今回は、あてがないので主治医が勧めてくれた病院の専門医に会ってみることにした。電話で予約を取った。電話の応対は、ひどいものだった。仕事が嫌なのか、もともとの性格なのか、高ピーな態度で親切という気持ちのカケラも感じなかった。病院へ予約を取って診察を受けるという事は、だれでも何らかの病状を持っているのだから不安の塊である。いろいろ質問された。「紹介状ありますか?」「〇〇先生は、水曜日しか来ません」「○○先生は、心臓が専門です。」「初診なので診察の予約の1時間前に来てください」「画像はありますか?」 文字だけなら感情は伝わらない。相手の女性の声に どの問いかけにも怒りを堪えて答えた。○○先生は常勤。○○先生は循環器内科。

 朝6時台の電車に乗って妻と上京した。東京駅で分かれた。初めての病院なのでタクシーに乗った。杖を使っているので、東京の混雑と階段の昇り降りに自信がなかった。大きな立派な病院だった。電話の女性と違って、院内の受付の人たちは、親切に対応してくれた。手続きも15分で終わった。診察室の前で約1時間待った。私がその日の最初の患者だった。

 医師は、40代くらいだった。何より聞きやすい話し方なので、医師のいう事をきちんと聞き取れた。最近どこの病院で診察を受けても、医師はマスクをかけているせいか、私は医師が言っていることを聞きとれないことが多い。診察時間も5分ない。今回もそんなものだろうと高をくくった。いつもと違うぞ。もう5分はとっくに過ぎている。医師は、聞き上手だった。いろいろ話しているうちに私がカナダに留学していたと話してしまった。医師が言った。「私もカナダのトロント大学へ行っていました。カナダのどこですか」「アルバータ州です」「アルバータ州ですか。子供を連れてドラムヘラーの恐竜博物館へ行きました。行かれましたか」「私の学校がドラムヘラーの近くだったので何回か行きました。でも私がいた頃、まだ恐竜博物館はありませんでした。でも恐竜の化石や恐竜の卵がゴロゴロしていて、規制もなくいくらでも持ち出せました」「持っているんですか」「残念ながら」

 不安の塊だった私は、ここへ何をしに来たのか分からなくなった。時間はすでに20分を越えていた。まずCTで血管の現状を診て、これからの治療を決めることになった。2日後にCT検査の予約をとった。しばらく東京の病院へ通うようになりそうだ。入院も有り

 病院だろうが会社だろうが役所だろうが、電話の応対は、そこの病院や会社や役所への入り口である。多くの場合、印象は入り口で決まってしまう。今回入り口は、最悪だったが、中は悪くなかったので救われた。世の中、なかなか適材適所と思われる人の何と少ないことか。


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フクロウ?

2024年06月04日 | Weblog

  散歩中、歩道に鳥のようなモノがあった。よく見るとフクロウだった。歩道にフクロウ。時間は、まだ午前5時過ぎ。フクロウが街中にいるだろうか。フクロウが夜行性であることは知っている。鳥と聞けば、浮かぶのは鳥インフルエンザ。私たちはここ4,5年中国から始まったコロナで普通の生活を奪われ、死に直面して暮らした。免疫性が低い私だが、何とか生き抜くことができた。目に見えないウイルス性の伝染病は恐い。フクロウの死体を持ち帰って、保健所に届けるのが今すべきことだと思った。しかしもしこのフクロウの死因が鳥インフルエンザだったら。昨日のニュースに、アメリカで鳥インフルエンザに感染した人が5人亡くなったとあった。免疫性が低い私にも危険がある。仕方がない。このままにしておこう。何か罪悪感のようなものが残った。

 家に帰ってチャットGPTに聞いてみた。「街中でフクロウの死体を見つけました。鳥インフルエンザの可能性があるかもしれません。どこに問い合わせればいいのですか?:鳥インフルエンザの可能性がある場合、速やかに適切な期間に連絡することが重要です。以下の機関に問い合わせてください:①地元の自治体(市役所や区役所):多くの自治体には鳥インフルエンザに関する問い合わせ窓口があります。②地方環境事務所:環境省の地方事務所に問い合わせると適切な対応が受けられます。③農林水産省:農林水産省の「動物衛生課」に連絡することで、専門的なアドバイスや指示が得られます。④保健所:地域の保健所も鳥インフルエンザに関する情報を提供し、適切な対策を案内してくれます。…以下連絡先の住所や電話番号など…」

 チャットGPTさすがの情報と感心。でも肝心の緊急時の対応がない。朝5時にどこは報告したらいいのか。警察、消防署か。以前警察に、散歩中カモの死体を橋の上で見つけ連絡した。相手にされなかった。私の過度な心配なのか。

 最近、散歩中、鳥の事件によく遭遇する。先日、空中を飛んでいた2羽のカラスが、争っていた。1羽がグルグル回転しながら急降下してきて川に落ちた。最近神奈川県の藤沢市や東京都内でもカラスが増えて問題になっている。私が住む町にもカラスがずいぶん増えた。ゴミ収集の日、こっちでもあっちでもカラスがゴミをあさって、ゴミを散乱させている。見たくない風景である。

 数か月前に鮎の稚魚が家の前の川に放流された。アオサギ、シロサギは待ってましたとばかりに鮎を捕りまくる。カラスが虎視眈々と鮎をかすめとろうとサギの周りに待機する。

 飼い猫なのか野良猫なのか分からないが、いつも誰かが餌をくれるのをじっと待つ猫が近所の空きビルの前にいる。カラスは、餌を与える女性が来る時間を知っていて、猫のそばを離れない。

 カラスも他の鳥も動物も生きるために餌を求めて動き回る。この世界には、コロナのような治療法もワクチンもない伝染病がある。コロナの恐怖は、相手が目に見ない事だった。どこからともなく、まるで妖怪のように忍び寄り、体内に入り込み発症させる。あの恐怖はもうたくさん。経験を通して私たちは、多くの事を学んだはず。皆が監視し注意して感染病を防ぐシステムの構築を急がねばならない。伝染を防ぐには、初動が決め手のはずだ。


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