団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

シミ、ソバカス

2009年11月17日 | Weblog
 テニスの杉山愛選手が引退する。杉山選手の活躍は、素晴らしかった。小さな体で世界を相手に戦った。賞賛を贈りたい。 私は杉山選手の顔が大好きだ。顔中に勲章のようにたくさんのシミとソバカスをつけている。そして彼女は、それを隠そうともしない。彼女の今までのテニスへの情熱が、しっかり記録されている。昨今の女性は、“小顔、美白、痩身”にうつつをぬかす。テレビの宣伝でこの類の洗脳的フレーズを繰り返す訴えや催眠術のような誘いが引きもきらない。だからこそ私は、杉山選手のいきざまに好感を持つ。世のモデル、女優、タレントの美貌に羨望しても、ただそれだけのことである。ある種の嫉妬を持つが、尊敬や敬意とは別のものである。そんなことは滅多にないが。

 私も顔にシミが多い。妻の2回のアフリカ赴任に同行し、合計5年半暮らした所為であろう。強烈な太陽の陽を浴びて、ほぼ毎日食材を求めて市場通いを続けた。私もこのシミを自分の勲章だと思っている。生まれたときからホクロが多く、小学生の時、“ごま塩おにぎり”とあだ名がついた。小学校の先生で、私が一番尊敬した小宮山先生は「本人が変えぬことができぬことで他人を責めるな」と教えた。おおよそ世間のイジメは、本人が変えることのできないことをあげつらう。

 若い頃、あんなに目立ったホクロも、いまではシミのおかげで影がうすい。私がこの歳になって多くの経験を通して学んだことは、人を外見や見た目で判断してはいけない、である。文章を行間と自分の実体験で読まなければ、多くの文芸作品は理解できない。それと同じように人間を理解しようと思ったら、目だけで判断することは難しい。耳を使って、その人の話しを充分聞く。その人が書いたものを読んでみる。体に出ている現象からその人の生き方を推察する。話し方、笑い方、叱り方、握手の手の感じ、視線、食べ方、食べるもの、振る舞い。それこそ目配り、気配り、手配りからその人間性を読み取る。

 人を知るには、時間が必要である。ただ時間をかけるだけでも能がない。自分自身を磨かないと、人と接する技術を会得することは難しい。人から情報を得るには、効果的な質問ができるようにならなければならない。我々は、これらのことを学校で学ぶことはできない。小顔、美白、スタイル、ファッション、ブランド商品もある程度生活にハリを与えてくれるかも知れない。しかし人はいずれ歳をとり、だれでも老化する。知性、教養、品格は、年齢とは関係ない。だから私は、もっともっと自分を鍛えたい。そして良い人間関係を持ちたいと願っている。多くのことを教えてくれた杉山選手の、これからのテニス選手としてではない人生での活躍を期待する。

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きのこを食べて一週間

2009年11月12日 | Weblog
 新潟県村上市で11月1日からきのこ採りに山に行ったまま、行方不明になっていた鍋島忠夫さん(71歳)が8日一週間ぶりに自力で下山して救助された。食料は家から持っていたムスビが2個だけだった。鍋島さんは、きのこや山ブドウを食べ、沢の水を飲み、夜はビニール袋をかぶって寒さをしのいだという。きのこだって食べられるきのこと猛毒を持つきのこがある。昼と夜の温度差は、体力を一気に消耗する。危険な動物も生息していていろ。このニュースを読んで、思い浮かべた人が二人いる。山や原野を動物のように歩きまわれる人である。いつも二人はひとりである。私の尊敬するサハリンのリンさんと長野の“山の恵み里の恵み”(gooブログ)さんである。この二人ならこのくらいのことをやってのけるだけの経験と知恵がある。鍋島さんもきっとこの二人に匹敵する山歩きの達人に違いない。二人を師とする私は、実に多くの生きぬく力の教えをいただけた。

 私は、人間が生き抜く力を学ぶのに露営ほど適当な訓練はないと思っている。現代のように何もかも便利になってしまい、人間がまるで世界を征したと勘違いしている輩が大多数を占める世において、一旦電気、水道、ガス、下水、交通が災害などで使えなくなったら、どんな混乱が起こるか心配である。露営では、電気もなければ水道もなく、トイレも昔のままの方法しかない。日本の江戸時代以前だって庶民の生活は、露営しているのに近かったに違いない。スパーマーケットはおろか冷蔵庫さえない。暖房も冷房もない。ないないづくしの生活で頼れるのは、自分だけである。

 私は、カナダで露営を初めて経験した。そのおかげで、ネパールやセネガルでの生活に多いに役立った。停電、水道の断水は、日常的に起こった。災害で住んでいた都市が孤立して、食料や燃料の供給が止まった。商人は、商品在庫を隠し、値段を釣り上げた。特に米、砂糖、ガソリン、石油の値がはねあがった。耐久生活は、数週間続いた。私たちを救ったのは、家の畑と飼っていたニワトリだった。私はカナダの学校でニワトリの世話をした。毎日ニワトリが産む卵の数は、記録されていた。卵を基準数産まなくなると肉にされた。私たち学生が、ニワトリを処分して肉にした。この経験が役に立った。いかなるサバイバルにも水と食料は最低限の必需品である。

 歌手の森公美子さんは、大学在学中、親にクラブで働いていることが知れて、勘当状態にされ、仕送りが止められた。森さんは、持っているお金でまず植物図鑑を買ったという。食べることができる植物を調べるためだった。私は、森さんの自立する気概に感心する。どんなことをしても生き抜こうという力は、人間を強くする。先日、太平洋で漁船が転覆して4日間ひっくり返った船室のわずかにできた空間に3人の漁師さんが救助を待ち、海上保安庁の海猿と呼ばれる潜水救助隊隊員に救い出された。3人は、奇跡だというが、やはり生きようという気力が彼らを救ったのだと思う。九州の山で迷って亡くなった少年がいた。家族と登山をしていて離れてしまった。この少年は、経験がなかったのだろう。可哀想なことをした。

 残念ながら学校では、生徒に生きぬく方法を教えてはくれない。生きぬく力の成績を評価することもない。偏差値だけで優秀かそうでないかを判断されてしまう。人間は、不自由と不便を乗り越えて現代の文明を築いてきた。だからと言って過去を忘れて良いことはない。過去の不自由と不便こそ人間を鍛える。『横井庄一のサバイバル極意書 もっとこまれ!』小学館を久しぶりに読み直した。山の中でその不自由と不便を楽しめるからこそ、私をリンさんと“山の恵み里の恵み”さんを達人と呼ぶ。

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砂場の棒倒し

2009年11月09日 | Weblog
 ロバート・フルガムの『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』は、アメリカでかつて400万部のベストセラーとなった。

 私は砂場が大好きだった。砂場におもちゃのバケツで水を運び、ダムを作ったり、川を流した。砂の土手が水で決壊するのを見ては、声を上げた。土木工事の醍醐味を満喫できた。友だちと砂山を築き、頂上に棒切れを立てた。その棒を倒さないように、参加者が順番に砂をかきとっていく。棒を倒した者が負けである。簡単なようで中々どうして策略を要する。子どもによって大胆に一気に砂山を崩そうとしたり、チマチマちょっとずつ崩す慎重派もいた。相手を知って戦うことも学んだ。欲の抑制の学習になった気がする。

 最近の世の中は、この砂場の棒倒しの様相を呈しているように思えて仕方がない。アメリカに限らず、世界の金融界も資源の奪い合いも、砂場のようだ。結局いつかは、だれかが棒を倒してしまうのを解かっていて、参加者が怒涛のように砂山に押し寄せ、砂をかきとる時代のように思える。JALの経営不振問題、年金のデタラメ運営、国の借金問題、いずれもそれぞれをひとつの砂場と思えば、問題の本質が見えてくる。ある人々が得をして、その他の人々が損をする。                                                            
 損得の問題とは違うが、最近の残虐事件も根は、同じところにある気がする。普通に生きている者が、被害に遭う。それぞれの人が持つ命や性を砂場に見立てれば、他人である短絡的で愚かな犯罪者に砂をかきとられてしまう。

 政権を握った民主党の鳩山首相は「コンクリートから人へ」と強調する。民主党の言うコンクリートとは、いわゆるハコモノを指している。ダム、市民会館、市町村庁舎、高速道路、空港、美術館、オランダ村などなど。厚生年金として収集された基金も砂場の砂山と見立てれば、チョロリ、チョロマカシとかき取られグリーンピアに化け、結局二束三文で処分された。はたまた社会保険庁の福利厚生にまで使われてしまった。郵便貯金、高速道路代金、ガソリンの暫定税も同じである。特定の名目で砂山にされた金は、巧みな官僚言葉の理論武装を受けて、法律的にも安全を確保されてから堂々と使い込まれてきた。

 金をそのまま、目的のためだけに使うために貯めておくことは、愚かなことと定義された。危険を犯しても運用するのが、現代のエリートたる責務であると、莫大な資金を元手にギャンブル投資に血道をあげる。こうして次々と基金は砂山のようにかきとられ、破壊されてきた。責任をとらされるのは、運用には蚊帳の外の素人の愚民の我々である。そろそろ目を醒ます時ではないだろうか。でなければ、日本から砂場が消え、残るのはコンクリートのように固まった借金という誰もかきとることのできない砂山の廃墟だけである。それは愚かであまりにも異様な光景である。

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アフリカの太陽

2009年11月02日 | Weblog

 都合により11月4日投稿分を本日掲載します。

 現在経営が行き詰まり、迷走している日本航空の内情を小説にしたと思われる、山崎豊子著小説『沈まぬ太陽』が映画化された。早速映画館へ足を運んで観てきた。観ていて日本人の偏見に腹立たしくなった。だいぶ前になるが、商社マンに人気のない任地について聞いたことがあった。1位中近東 2位 アフリカ 3位インドだった。今回映画を観ながらこのランキングのことを思い出した。映画を観ているうちに不愉快さは、募るばかりだった。官庁でも民間会社でも日本には、暗黙の序列ができる。その弊害が出始めている。現在の国際社会において、10年後にどこの国が驚異的発展を遂げるかは、予想もつかない。レアメタルなどの資源産出国になるかも判らない。商社に任地のランキングがあるように、外交官の勤務地にも歴然としたランキングが存在する。現在のような体制で外交や貿易をしていれば、必ずそのしっぺ返しがくるに違いない。あまり露骨にその偏見が表現される映画に反感を覚えた。

 主人公である国民航空の社員恩地元(おんち・はじめ)が、労働組合委員長として組合を統率し、労使の話し合いで物別れになり、ストライキの決行を決めた。会社側の重役たちがその見せしめに恩地をパキスタンのカラチに左遷の人事で送り込む。ランキング3位のインドに該当する。そしてさらにイランのテヘランへ移される。ランキング1位の中近東である。さらにさらにアフリカのケニアのナイロビに送り込まれる。ランキング2位のアフリカである。恩地自身も屈辱と感じていた。

 私は、この山崎豊子の小説をアフリカのセネガルで読んだ。妻の職業は医務官だった。小説『沈まぬ太陽』のアフリカ編の中にある医務官の話しが出てくる。医務官の妻が、現地人の男と駆け落ちする、という実話である。私は、ここで俄然本気になって読み出した。山崎豊子の取材力に注目した。小説は、けして作家の発想力だけで書かれていない。資料情報の裏づけがある。その事実の断片に関わっていれば、更に小説に巻き込まれ、読み進む。小説の後半に龍崎一清という得体の知れない怪しい男が登場する。この男は、山崎豊子の『不毛地帯』の主人公である。山崎豊子は『不毛地帯』を書いたことを後悔していると噂で聞いた。事の真偽は私には判るはずもない。しかしその鍵は、『沈まぬ太陽』の中の龍崎一清の描かれ方に隠されていると、私はみている。映画の中で龍崎一清は、政界と経済界を股にかけ、暗躍する黒幕である。私は、謎が解けたような気がしている。

 恩地は、最後にまた左遷されてナイロビに行くことになる。しかし今回は、以前と違って自ら戻りたいとたとえ左遷であっても思った。アメリカの動物園にある鏡の前に檻の鉄格子がはめられ、そこに「地球上で最も危険な生き物」の看板がかかっている。つまり人間のことである。恩地は、アフリカの自然に、自分が翻弄された権威と金の人間社会の幻想を断ち切ってくれるとの期待を持って穏やかな気持で赴任する。アフリカに足を踏み入れた者は、必ず戻ってくる、と言われている。私は戻りたいとは思わない。しかしアフリカで見た太陽の美しさを忘れることはできない。


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