団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

親の責任

2016年08月30日 | Weblog

 NHKの大河ドラマ『真田丸』を毎週欠かさずに観ている。生まれ故郷の長野県上田を舞台にした物語であることも観る理由だ。加えて配役が良い。日本のテレビや映画の多くがつまらないのは、配役のまずさだと私は思う。同じ俳優がどこにも顔を出す。ちょっと売れっ子になると民放各社や最近NHKまでが同じような番組に同じタレントを出してくる。“今でしょう”の林修さんや池上彰さんが良い例である。私はそういう番組を避ける。それらは大量生産大量消費と同じで内容が金太郎飴のようになっているからである。私が良い番組良いドラマ良い映画と思うのは、まず配役が良い。日本では番組ドラマ映画に配役を誰が担当したかはまず出てこない。日本の芸能界は、政界と同じくいまだに旧態依然のしばりが支配している。やれジャニーズ事務所がSMAPをどうするのこうするの騒ぎはその典型である。

 『真田丸』の配役で真田昌幸を演じる草刈正雄、その妻薫を演じる高畑淳子の主役級も良いが、猿飛佐助を演じる藤井隆、豊臣秀吉の妹旭姫の清水ミチコ、真田信伊の栗原秀夫、直江兼続の村上新悟などの演技に魅かれている。

 8月23日高畑淳子の息子で俳優の裕太が強姦致傷罪の容疑で逮捕された。26日には高畑淳子が謝罪会見を開いた。150人もの報道関係の記者が集まったそうだ。ニュースで少しその質疑応答の様子を観た。質問した記者たちはまるで裁判官のようだった。私は疑問に思った。このような謝罪会見って必要あるのか。

 子の犯罪に対して親に責任があるのだろうか。法律的にはない。しかし他人の目がそれを許さない。中国、韓国、日本は謝罪の文化と聞いたことがある。謝り方にうるさい。水に流す、と言っても執拗に蒸し返すのが常だ。欧米のキリスト教社会や中近東などのイスラム教社会では、人は滅多に謝らない。キリスト教社会では法律に決着をゆだねる。イスラム教社会では神には謝罪するが人には謝らない文化が定着しているように私には見えた。

 会見での高畑淳子は母として謝罪し頭を下げた。それを記者たちは責める。すべての答を得ようとする。言え、言わないのは高畑淳子に誠意がないからだというかの如く。日本のマスコミは弱い者いじめに俄然高姿勢になる。ところが政府要人などへの追及は生ぬるい。フジテレビの大村正樹記者の質問には呆れた。

 高畑淳子の息子高畑裕太はテレビで何回か観たことがある。彼の俳優になったキッカケのコメントが「進学もできなかったし、就職もできなかったから」と言った。多くの二世タレントがこんな調子でタレントになる。親が子に親のコネで何とかできるならそうしてやりたいのだろう。派手な生活、ファンにチヤホヤされる快感。親は自分の子にもそれを味合わせたいと思うに違いない。手っ取り早く芸能界で名を馳せても、男ならだれの中にも摩訶不思議なテストステロンのようなホルモンが潜む。親は子にコネを使えても、子にテストステロンのようなホルモンの暴走を適切に制御する方法など教えられない。性犯罪を犯す可能性は誰にでもある。犯さずに済ませるには自分を制御する術を身に着けることである。人間の子育てが長く、成人するのは20歳であることは、それだけ子を社会に出すにはそれなりの訓練を積ませなければならない。大事な事を長い時間かけて子に教え込まなければならないということではないだろうか。1回や数回でなく体に染み込むように千回でも10年でも20年でも教え続けなければならない。だから子育ては人間の大事業なのではないだろうか。親なら誰でも子を猫かわいがりできる。だからこそ『可愛い子には旅をさせろ』『虎はわが子を千仞の谷に落とす』の諺のような勇気がいる行動が親に求められる。親は子が成人して社会に出た後、謝らなくてもいい言い訳しなくてもいい算段をしながら子育てに励まなければならない。生易しいことではない。親は成人した子の不始末に責任はない。そこまでの子育てに責任がある。


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摘果ミカン土地勘勘違い

2016年08月26日 | Weblog

  先週友人宅の夕食でレモン替わりに摘果ミカン(写真参照)が使われていた。妻はいたく気に入った。今はちょうど地元レモンの枯渇期である。友人夫妻に妻はどこで買ったのか尋ねた。私は脇で静かに会話に耳を傾け頭の中で地図を描いていた。

 昨日25日郵便局へ行く用事があった。台風が通過したあとのせいか空は晴れ渡り頭がクラクラするほど暑かった。車のエアコンを最低温度に設定した。眩しくてサングラスなしではまともに目を開けていられなかった。郵便局で用事を済ませ駐車場に戻った。車の中の温度は外気と同じ程になっていた。このまま家に戻ったら何かもったいない。この暑さ強い陽ざしの中、せっかく外出したのだから。そうだ摘果ミカンを売っている店を探してみよう。私は車を家とは反対の方へ進ませた。

 朝妻を駅に送った時、私はなぜか摘果ミカンの店の場所を妻にもう一度確認したのである。妻はまるで実際にそこに行ったことがあるかのように語った。「郵便局から海に向かって行って、前に野村夫妻と言ったナベヤの前、そうガンコオヤジというラーメン屋の交差点をタクシー会社の方へ曲がる。あのタクシー会社の前よ」

 郵便局から100メートルくらい来たところで『メガネ』という看板がある店の前にひな祭りのひな壇のようなものがあった。眩しく良く見えない。でも気になる。妻に教わった場所とはまったく違う。どこかでUターンしてきて確かめることにした。

 「ビンゴ」と私は叫んだ。あるある。摘果ミカンがひな壇の一番上に並んでいる。10袋以上ある。人気があるのだろう。無人かと思ったら元メガネ屋の中に人がいる。ドアを開けると中に3人2人の女性1人の男性。女性2人は野菜の袋詰めをしていた。棚から私は摘果ミカンの袋詰めを2袋取って来ていた。「これおいくらですか?」「100円。あれ値段の紙だしてなかった。ゴメンねゴメン~ね」 ひょうきんなおばさん。驚きの値段。袋の中には10個以上入っている。100円と書かれた小さな紙を持っておばさんが外に出る。さっきは見なかったキュウリ、ナス、ミニトマトもひな壇のそれぞれ違う段に並べられていた。先週友人宅で頂いたミニトマトがあった。赤、黄色、緑、紫、オレンジ。カラフル。パック200円。探していた物を探せると嬉しい。暑さも忘れた。意気揚々と帰宅した。

 時間が経つにつれて妻のナビのいい加減さがチクチク私を刺し始めた。妻はもともと世の中のことには関心がない。歩く好奇心の私とは大違い。私は時々車ででも歩いてでもあちこち何か珍しいものはないか、新しいものはないかと探し回るのが好きだ。ミーハーと言えばそれまでだが。そして探す物を執拗に手に入れようとする。妻は違う。だが摘果ミカンの売店をあまりにもさも知っているかのように私に講義した。でも待てよ、妻のこと言えるか。先日渋滞中の道路で近道しようとして、何と山を越えてまた家のある町に戻っただろうが。妻を責められない。ただ妻が私の失敗を知らないだけ。

 帰宅した妻を駅に迎えに行った。いつものコースで家に戻らず、わざわざ摘果ミカンの売店の前を通って店のありかを教えた。私は一言「反省!」 妻は私に手を添えて「反省」と頭を下げる。

  晩酌は摘果ミカンを絞った果汁入りのジントニック。「乾杯!」


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小池都知事・リオ着物・たすき

2016年08月24日 | Weblog

 8月21日リオデジャネイロオリンピックが閉幕した。雨の中、閉会式でリオデジャネイロ市のパエス市長から五輪旗がバッハIOC会長に戻され、会長から次期開催地の小池東京都知事に渡された。

 朝ラジオを聴いていた。“高嶋ひでたけの朝ラジ”の中に「本日発売やじうま情報」がある。そこでファッション評論家の石原裕子さんが「旗を受け取る直前にたすきをくわえて、袖をたくし上るパフォーマンスをすれば・・・様式美と武士道といった日本の良さを、世界にアピールできたはず」と小池都知事の着物姿に98点という高評価を与えたと伝えた。

  このニュースを聴いて思い出した人がいる。ある国で会った日本大使夫人である。夫人は着物を着ていることが多かった。大使館の館員の中に私たち夫婦のように女性が館員で夫が配偶者として赴任しているケースはなかった。大使館に婦人会がある。婦人会は館員配偶者だけが入会できる。男の私を入れるか入れないか会員の意見が割れたそうだ。しかし大使夫人の「配偶者に男も女もないでしょう」の一言で私の入会が承認された。

  婦人会は大使公邸で海外青年協力隊の隊員の激励会などが開かれるとかりだされ手伝いをする。私も何回か大使公邸の調理室で大使夫人を手伝った。その時の大使夫人の出で立ちが忘れられないのである。着物にたすき掛け。姿だけでなくその料理の手際よさに見惚れた。大使公邸には専任の調理人がいる。調理人の職域をおかさず、分業でサポートする。そんな心遣いに敬服した。婦人会の会員への指示も的確だった。

   100人近い海外青年協力隊の隊員が招かれていた。隊員の代表が体験報告を発表するたびに大使夫人は涙をハンカチで拭っていた。近くにいた私たちに「この人達の苦労を今日は私たちが少しでも忘れさせてあげましょう」言って、帯を「パンッ」と叩いた。もちろんその時は着物のたすきは消えていた。会場での大使夫人の正装の着物姿も素晴らしかったが、私には調理場での大使夫人の着物にたすきの姿の方がさらに美しく見えた。

  私は女性の着物姿を美しいと思う。4歳で死別した産みの母親の私の手元にあるたった1枚残された写真が着物を着ているものだ。それが原因かもしれない。

   海外での生活を切り上げ帰国した後、妻が着物の着付け教室に通ったことがある。海外での生活で着物の美しさに目覚めたらしい。妻はかの大使夫人の着物の着こなしを褒めていた。家でも何回も着付けの練習をしていた。教室には1年間通った。手際よく短時間で着物を着られるようになった。傍で見ている私は女性の着物の着付けは実に難しいものだと知った。妻の着物姿は私の心をくすぐる。難しい着物を一人で着られる妻を凄いと思う。簡単に着付けられないからこそ、着物は美しいに違いない。

   ラジオを聴いた後、テレビで小池都知事が雨の中、五輪旗をバッハ会長か受け取る姿を観た。石原裕子さんが言った「たすきをくわえて、袖をたくし上げる」小池都知事の姿を想像した。プロは良いことを考える。周りにどんなに良い考えを持っている人がいてくれても聞く耳を持たない人が多い。小池都知事に、この石原裕子さんが言ったことを知ってほしい。そしてこれから周りの声に耳を傾けて、暗雲立ち込める旧態依然の都政に新風を吹き込みながら突き進んでほしい。

 一緒にテレビを観ていた妻が言った。「あの雨に濡れた着物もうダメだね」  同じものを観ていても、考えていることが違う。だから夫婦は面白い。


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金メダルと虫

2016年08月22日 | Weblog

  ネットで何かニュースはあるかなと探していた。『豊かな家ほど虫も豊富・・・』に目をひかれた。何、これ!と思ってクリックしてページを開いた。

 ナショナルジオグラフィック日本版の配信だ。記事:8月2日付けの科学誌「バイオロジーレター」で発表された米カルフォルニア科学アカデミーの博士研究員で昆虫学者のミー・レオン氏らの研究で、裕福な家にはそうでない家よりもたくさんの種類の節足動物、すなわち昆虫やクモなどがいることが明らかになった。家の大きさを考慮しても、裕福な家では平均100種類、あまり裕福でない家では50種類の節足動物が見つかるという。

 読んで何だか嬉しくなった。日頃私たちはなぜ我が家にはこれほど虫が多いのかと嘆いている。クモ、ゴキブリ、ムカデ、時々蚊・・・。まだしかと自分の目で確かめて見たことはないが、たぶんダニ。小さすぎて見ることができない。昨日も夫婦そろって腹部を噛まれ赤いボッチが痒くてたまらない。(写真参照)妻は10センチもあるムカデがリビングの床を這っていれば、ものすごい叫び声をあげる。そして退治するよう私を呼ぶ。そして「いったいどこから入ってきたの。どうやって入れるの?ちゃんと戸締りしているのに」と私を見る。待ってほしい。ムカデを家に入れたのは私ではない。とにかく虫は賢い。私たちの上をいっていると思う。最近、やっと我が家では見かけないが、ゴキブリなんぞが歩き回っていれば、妻は気絶寸前。とにかく彼女は虫が大の苦手である。そんな妻の影響もあって私は家の中に虫がいるのは、家の管理が悪いのかと自分を責めたりしていた。積極的に虫を退治して家を虫のいないようにしようと努力している。つまり虫が多く生息するのはダメな恥ずかしいことと捉えていた。

 豊かな家という言葉に気持ちが魅かれる。どうしても虫と豊かな家が結びつかない。虫が多い家=不潔で汚い家のイメージが強い。でも“虫が豊富”は、現実がそうなので認める。物は考えようだ。虫がたくさんいる我が家は豊かな家なのだ。金持ちである必要はない。こう思うと嬉しくなってくるから不思議。

 リオのオリンピックも今日閉幕する。オリンピックには実に多くの競技種目がある。人種、国によって得意、不得意や向き不向きがある。豊かな家ほど虫が多い、に似ている。今朝のバスケットボール男子決勝戦でアメリカとセルビアが対戦した。アメリカの選手はほとんどがアフリカ系黒人選手、セルビアはスラブ系の白人選手だけ。試合はアメリカが圧倒勝利して金メダル。おそらくアメリカの選手はほとんどがプロで活躍しているだろう。年収もびっくりするぐらい高いに違いない。セルビアには3年間暮らした。実情を知っている。セルビアの選手全員の年収を合わせても一人のアメリカ人選手の年収にも及ばないと想像する。それ程アメリカは豊かだ。しかし貧しい国や小さな国の選手が困難を乗り越えて世界の頂点を目指し、オリンピックで金メダルを手に入れる人もいる。そんな選手の活躍を観ていると私は痛快で爽快になる。

 世界に多くの異なる人種と文化が存在する。だれもが豊かさを求めている。その豊かさの定義は、それぞれ異なる。それを私はナショナルジオグラフィックの記事と今度のリオのオリンピックから学んだ。


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観なかった。観たくなかった。

2016年08月18日 | Weblog

  「観なかった。観たくなかった」は今ブラジルのリオ デ ジャネイロで行われているオリンピックに参加しているメダル有望な日本人選手が前回のロンドン・オリンピックの時、選考に漏れ、ロンドン大会をテレビで観なかったことをコメントしたものだ。

 14日の夜、友人夫婦宅に招かれた。夫イタリア人妻日本人。本場のイタリア料理に舌鼓を打ち目が点の私に夫が尋ねた。「オリンピック観ますか?」 私「ほとんど観ません(心では『観たいんですが、小心者で心臓に持病も抱えていて観られません』と正直に告白しなければいけない、と思いつつ)」 夫「私は観ません」 この会話はこれで終わった。

  私は思い出す。旧ユーゴスラビアの首都ベオグラードにいた時、長野市から妻の高校の担任教師とその友人が訪ねてくれた。ちょうど長野冬季オリンピックの開催中だった。長野の喧騒から逃れてきたと言った。オリンピックをマスコミに乗せられ煽られる人がいる反面、まったく違う角度から捉えている人がいる。アテネでオリンピックが開かれた時、多くのアテネ市民は家を外国人観戦者に貸して自分たちはリゾート地で優雅に逃避生活をおくっていたとニュースにあった。カナダ、アメリカ、ネパール、セネガル、旧ユーゴスラビア、チュニジア、ロシア、住んだ各地でオリンピックに日本ほど大騒ぎする国はなかった。私はメダルの数にこだわらない。メダルを取った選手には敬意を表する。

 今回のオリンピックで参加選手のコメントに秀逸なものが多い。一方テレビの報道サイドは恥ずかしいほど酷い人材であふれている。今回特にNHKのリポーターはプロの仕事ではない。ラジオで徳光秀夫アナウンサーも私と同じような事を言っていた。

 相変わらず気が小さい私はテレビの生の実況放送を観られない。オリンピックが地球の裏側で始まっても今まで通り10時に寝て5時に起きる。朝、目覚まし時計替わりのラジオがそこまでのオリンピックの結果を知らせてくれる。これで十分である。特に観たい種目があれば結果を知っているので安心して番組を探してテレビで再放送で観る。テレビの番組はオリンピック中心となりメチャクチャになっている。どの時間のどの番組も一日中同じことを執拗に繰り返す。メダルなんて取ればまるで自分たちが取ったように大騒ぎである。そして番組が変わってもバラエティ番組ばかりなので同じこと。どう局から局へ移動するのか同じ過去のメダリストやオリンピック参加元選手をコメンテーターとして続ける。正直ウンザリである。昔、小杉さんという人が「こすぎ、やりすぎ、しゃべりすぎ、の小杉です」と自己紹介した。日本のテレビは「うざすぎ、やりすぎ、へたすぎ」では。その点、ラジオは安心して聴いていられる。

 テレビのオリンピック放送は「消音」にして観る。選手たちと1対1で観戦できる気になる。選手が涙を見せればリモコンで「消音」を解除してコメントを聞く。そして一緒に涙ぐむ。妻も同じ。オリンピックに出られる選手はさすがである。その一方で出場できずにテレビを観ない観たくないと次にもう向かって練習しているアスリートもいることだろう。目標に向かってひたすら努力を重ねる姿は眩しく気高い。卓球女子団体で銅メダルの福原愛選手が「私にとって銅は金と同じ」(銅は金偏に同がつく)と言った。名言である。犠牲にした人生とメダルで得た喜びが平衡したことを伝える表現だ。

 尖閣諸島がきな臭い。スポーツするのも人間、戦争するのも同じ人間。次の戦争は「見ない、見たくなかった」では済まされない。


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終戦から71年

2016年08月16日 | Weblog

 第二次世界大戦は1945年8月15日に日本が降伏宣言したことにより終わったと日本ではされている。8月15日を迎えるたび私には思うことがある。もし父が戦地で命を落としていたなら・・・私という命は今ここにない。「歴史に“もし”はない」というが、どうしても考えてしまう。行きつく果てもない神秘の渦の中で迷子になる。答えは出ない。そう思う私も69回目の8月15日を迎えた。

 終戦の日の15日妻は出勤日だった。いつものように駅まで送った。家に戻り孫のために英語のノート作りにとりかかった。夏休み中に後れを取り戻す魂胆だったが遅々として進まない。私はずっと机に向かって座っていると尻が痛くなる。もともと落ち着きがなく、飽きやすい。何とかそういうダメな自分を改造しようと色々してみたが69歳になった今も落ち着きがない。その意気込みは悪いことばかりではない。再婚して以来日記は20年以上つけている。小学校の担任教師が知ったら腰を抜かすだろう。日記の習慣が少し私を変えてくれた。問題はあるが、少し粘りが出て来た。

 私は自分を金持ちならぬ時間持ちと自負する。終活と言いながらあれもこれもとやらなければならないことを列挙するが中々捗らない。毎日、今日はこれをするぞ、と思う。思うができないことが多い。歳を重ねるごとに思いと体力の関係に亀裂が入ってきた。無理が通れば道理が引っ込む。無理をしない。自然体を目指す。できることをできる時にする。小さい時から自分を他人と比較することで劣等感と優越感に翻弄された。この歳になってもついつい同じ年代の人があんなに元気だ、こんなに若く見えるの雑音に耳を傾けてしまう。暑くても寒くても元気にあちこち出歩く年寄りを羨む。でも私のその体力がないことも承知している。若い頃はただガムシャラに自分の見果てぬ野望に干支のイノシシのごとく突き進んだ。それ故に大きな失敗と挫折を味わった。歳をとって少し分別がつくようになった。突進が二歩後退一歩前進へと変化。さらにほふく前進並の速度となり思考に使える時間が増えた。

 孫のノート作りは一種の手作業である。ハサミで資料のコピーを切り、糊でノートに貼る。自分で注文してはんこ屋に作ってもらったスタンプを多用して孫が理解しやすい説明解説文を作成する。(写真参照)まだるっこい作業である。ある意味この作業は老人のためのボケ防止活動なのかもしれない。孫は私のノートを私が願うように活用していない。それでも私はこのノート作りを続ける。私がいままで生きて来て、今できる数少ないことだからである。

 戦争が終わり父はソ連軍の捕虜になり命がけで脱走して帰国した。何も話してくれなかったので父が戦争で何をしたのか知らない。父がいて私がいる。私がいま生きているのは不思議の一言。8月15日は神秘を感じつつ、ノート作りをした。町内放送のラウドスピーカーから戦没者を追悼するための『黙祷』が聞こえた。私は立ち上がり頭を下げた。

 


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イチローが嫌い

2016年08月12日 | Weblog

 イチローがアメリカ大リーグでの3000本安打の大記録を打ち立てた興奮も冷めやらぬのにテレビで「イチローが嫌い」のCMのタイトルに目を奪われた。妻が吠える。「個人名を出して嫌いだなんて言う」

 手元に『最強のコピー ライティングバイブル』(神田昌典監修 横田伊佐男著 ダイヤモンド社 1980円+税)がある。「見出しとは、キャッチコピーである。キャッチコピーで見てもらえなければ、どんな説得力あるボディコピーもうまく機能しない」(P74)この点で妻はもうコピーライターのワナに捕えられたのである。

 CMはトヨタ自動車のもの。イチローがトレーニングに打ち込む場面。次にオリンピック棒高跳びの選手、パラリンピック水泳の選手、パラリンピック走り幅跳びの選手、パラリンピック車椅子テニスの選手が異なるCMに登場する。どの選手も「イチローが嫌い」と言う。そして理由を述べる。「イチローを見ていると限界と言う言葉が言い訳みたいに聞こえるから」など今までにイチローが言ってきたことをつぶやく。

 妻はCMのボディコピーが終わる頃、表情が和らいだ。妻は努力の人である。自分にも厳しいが他人にも厳しい。イチローのように自分の目標達成のためならあらゆる犠牲をいとわない人に敬意を払う。私のように自分に甘く他人に冷たくエエカッコシイの根性なしとは違う。

 私たち夫婦はかくも両極端な性格である。もうとっくに性格の不一致で結婚が破たんしてもおかしくないはずである。しかし意外な事にこれだけ性格や感性が違うと争うことがなくなる。お互いがお互いをまず理解できないのである。まるで他の宇宙からやってきた異星人のようなのだ。あまりの違いに驚き、やがて驚きは尊敬にまで至った。

 イチローが3000本安打を達成した試合を私はテレビで観戦した。妻は出勤していた。試合は中断され、敵味方がイチローを祝福。チームメイトがイチローに駆け寄り抱き合って祝福する。黒人、白人、アメリカ人、キューバ人、ドミニカ人、皆一緒に祝う。人種差別はある。イチローが16年間アメリカ大リーグでどれほど差別の辛酸を味わったことか。いまだにイチローを認めたがらない輩は多くいる。それでもスポーツの世界は実力の世界。結果が全てである。

 興奮冷めやらぬ中、試合は続行となった。テレビカメラはベンチの中のイチローをクローズアップ。イチローはサングラスをかけていた。更にカメラが頬の辺りをクローズアップ。汗か涙か。イチローの頬に一筋の液体。私は涙だと確信した。私は我慢できずしゃくりあげる。カナダ留学中の差別された数々の体験が甦る。私は何でも途中で投げ出す。イチローはしがみついて戦ってきた。凡人と英雄。

 英雄は語る。「僕が何かをすることで、僕以外の人たちが喜んでくれることが、今の僕にとって何より大事なものだと再認識した瞬間だった」

 世界は解決できない問題だらけである。スポーツの世界は違う。リオ・オリンピックも高校野球も、あらゆるスポーツは、規則があって審判がいて即、判定し最後に勝敗の結果が出る。スポーツは人間の素晴らしい発見だと思う。争い解決法がぎっしり詰まっている。それなのに人間は欲に目がくらみ、「スポーツが嫌い」とうそぶき、いまだにその真髄を学ばない。


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猛暑日と体力

2016年08月10日 | Weblog

「  カァーン カン カン」の金属音が止まない。天気予報では37度を超すと言っていた。音は向かいの12階建ての集合住宅からである。大規模修繕が終わったらしい。集合住宅の4つの壁面を被っていた防音ネット、足場の鉄枠などを解体除去している。金属音だけではない。働いている人たちの声も聞こえる。何を言っているのかはわからない。人の声も金属音も集合住宅の壁面や山に反響する。おまけに我が家の前を流れる川の音も混じる。

 今年の夏、私は体力を更に落としたらしい。先日、住む町から電車を乗り継いて2時間くらいのところに住む友人宅に招かれた。年に数回呼んでもらっている。今回友人が住む集合住宅の大規模修繕が始まるのでその前にとのお呼ばれだ。何でも足場とネットで覆われ家の中が鬱陶しく暑苦しくなるそうだ。お呼ばれ好きの私は妻と喜んではせ参じることにした。

 しかし何か今年は体力に自信がない。それにまた昼間から飲むと妻が酔って帰りの電車の乗り換えが大変になる。妻に相談してホテルに泊まって翌日ゆっくり帰宅することにした。当日、暑い日だった。全員で9人の会だった。飲み話しよく食べた。やはり妻は相当酔った。私もホテルに泊まる安心感が酒の量を増やさせ、いい気分になった。ホテル宿泊は良い案だった。

 ブラジル・リオ・オリンピックが始まった。甲子園の高校野球も始まった。エアコンが効いた涼しい部屋でのテレビ・スポーツ観戦は楽しい。と同じに自分が世の中から外れている悲哀も感じる。かつて自分も夏の暑さをものともせず真夏の太陽のもと労働、スポーツをした。脱水症になったこともない。そうなることを心配したこともない。汗を流すことが気持ち良いと思っていた。妻の海外勤務に同伴して暮らした国々は凄く暑いか寒いかのどちらかだった。それでも何とか12年間の妻の勤務を支えることができた。

 今度の13日土曜日友人夫妻がゴルフに誘ってくれた。しかしこの猛暑の中、ゴルフをする自信はない。残念だが断った。友人は同い年である。この暑さの中でゴルフをする気力体力を羨ましく思う。同級生同窓生、同年輩を見回すと明らかに差が出て来た。元気な者も多いが、歳相応に行動を控えている者も増える一方である。交際範囲がみな家族中心になってきている。

 そんな折、8日に天皇陛下がお気持ちをビデオで発表された。その発表を拝聴しながら天皇陛下は“完璧主義”なのではと推察した。ご自身の公務を完璧に果たすという責任感の強さを行間にあふれさせた。いつもながらスピーチが素晴らしい。特に間の取り方、抑揚に高貴な品性が滲み出る。国民と国を思われるお気持ち、年齢による死を覚悟され残されるご自身の家族へのお気持ちが伝わる。不謹慎ながら7日のNHK大河ドラマ『真田丸』で秀吉の最後と比べてしまった。天下人であった秀吉は最後まで「秀頼を・・・」を繰り返し、「人民を」「日本を」はなかった。

 確かに私も体力が落ちてきている。身の程をわきまえ、できる、できないを素直に認め、無理せず自然体で日々過ごしたい。重労働はもうできない。感謝、賞賛することはできる


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国際争奪戦 ドラゴンフルーツの巻

2016年08月08日 | Weblog

  暑くて外へ出られずにいた。電話がなった。留守電のスイッチを入れてあるので10秒で「只今留守にしています・・・」の録音がスタートしてしまう。この10秒は日本人100メートル競走選手が破ろうとする悲願の壁である。私の書斎から寝室の電話機まではおよそ12,3メートル。毎回私は留守電の録音が始まる前の到着を狙う。未だに達成されていない。

 到達した時まさに呼びリンが鳴り終わった。受話器を上げる。ここが機械の迷いが発生する微妙な時間帯なのだ。発信者、機械、受信者3者、沈黙。「図書館ですが、○○さんですか?」 よかった。間に合った。多くの発信者はこの1秒前ですでに電話を切っている。「はい、○○です」「依頼された本届きました」

 本は妻に頼まれたものだった。10日程前に図書館から借りてくるように言われた。早速行って図書館で検索したが置いてなかった。県内の他の図書館からの取り寄せサービスを依頼してあった。私は県境市町境の飛び地に住んでいる。生活は90%他県の他町の世話になっている。いつか何らかの感謝の気持ちを表したいものだ。

 図書館へ出かけた。暑い。いつもなら駅近くの町営駐車場に車を止めて図書館へ行く。1時間以内なら200円だ。4,500メートルの距離を炎天下歩く気がしない。それに階段もきつい。良い考えが浮かんだ。図書館の近くのスーパーの駐車場に止めて帰りにスーパーで買い物をすればいい。スーパーも車を止めてはダメだとは言わないだろうと自分勝手に決め車を止めた。まず涼しい店内で涼んだ。

 数日前にこのスーパーでベトナム産のドラゴンフルーツを1個100円で売っていた。他所の果物屋などでは300円以上で売られているものだ。偵察がてら果物売り場を覗いた。あるある30個以上山盛りになっている。早速3個大きくて重く見映えの良いものを選んだ。カゴを持っていなかった。結構重かった。待てよ、図書館で本を借りてきてから買えば、と躊躇した。ドラゴンフルーツを山に戻した。

 図書館のカウンターにすでに本が用意されていた。5分も経っていなかった。涼しいスーパーに駆け込んだ。ドラゴンフルーツめがけて階段を下りた。「えっ」と声を上げそうになった。ドラゴンフルーツが3個しか残っていない。あの山盛りのドラゴンフルーツは私の見た幻だったのか。ぼう然と立ち尽くす私の脇をフィリピン人らしい女性が二人タガログ語で話しながら通り過ぎた。カゴにもの凄い量の品物が入っていた。女性たちは重そうにカゴを持っていたが何か嬉しそう。カゴの中に私のドラゴンフルーツがごろごろ入っていた。

 山のように積まれていたドラゴンフルーツ。残っていた3個は見た目も貧弱で美味しそうにはどう見ても見えない。それでも私はその3個を買った。この失敗を良き教訓にしよう。そのためにも妻にことの詳細を話そう、と思った。

 私は妻に「買い物のコツは最初の閃きが大事で、まずその場で買うこと」と言い続けてきた。特に旅先では。妻と外国でどれほどこうせずに後で閃いた品物を見つけられず悔しい思いをしたことか。妻が帰宅した。正直にことの顛末を話した。妻は笑って聴いていた。


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カミナリとブラックボックス

2016年08月04日 | Weblog

  8月2日の朝 ピカッ ゴロゴロドッシャーーーンで目が覚める。夢にしては臨場感があり過ぎる。なぜならガラスがビリビリと音を出す。このところ朝になって目を覚ましても「さあ、起きるか」という気が薄れて来ていた。そんな倦怠感をカミナリは私から引きはがした。

 住む集合住宅は設計者の意向で雨樋が屋根にない。2日のゲリラ雷雨だと、まるで滝の裏側にいるようだ。2重ガラスさえ突き抜けて雨音が入りこむ。雨音だけでも恐怖だが稲光と落雷がさらに顔を引きつれさせる。

 それだけでは済まなかった。停電。私は書斎に駆け込んでパソコンの電源を抜いた。日本に帰国してから頭から“停電”という言葉が消えかかっていた。3.11東日本大震災の後、計画停電で1度だけ停電した。ネパール、セネガル、旧ユーゴスラビア、チュニジア、ロシアでの生活は停電との闘いだった。特にネパールでは毎日水道と電気が止まった。日本に帰国して水道と電気はあって当たり前になってしまっていた。

 2日の朝、短時間に3回停電した。3回とも幸いなことに数分で回復した。天気が悪い時の心配は妻の通勤である。テレビ、ラジオ、ネットのうち使えるものから交通情報と気象情報を得る。電車は正常運転されているようだった。とは言っても駅へ行って確かめるまではわからない。無事駅から妻は出勤できた。

 妻を駅に車で送り家に戻った。その日はブログの投稿日だった。雨も止みカミナリもおさまったのでパソコンの電源をつないだ。光回線ではないので私のパソコンの立ち上がりは遅い。私自身の脳の回路も元々のろいのでその点ではバランスがとれている。そして結局パソコンが外部とつながらなくなっていることを知った。電気さえ入ればブログの作成には支障がない。まだ7時だったので9時になったらパソコン119番に電話して来てもらうことにした。

 9時にパソコン119番に電話した。ところが停電とカミナリで多くの依頼が舞い込み今日中には訪問できないという。一旦電話を切った。すると10分後にパソコン119番から電話がきて11時に近くに来るので寄ってくれることになった。

 パソコン119番のお蔭で12時にはブログを投稿できた。ところが妻から私の携帯にメールが1通も来ない。普段「着いた」「ランチ食べています」「これから帰ります」は定期便となっている。来ないと何かあったのではと心配する。携帯のメール機能を使おうとすると「インターネットに接続していません」の表示が出る。もしやと思いタブレット、アマゾンのファイヤーテレビも点検してみた。なぜならパソコンも携帯もタブレットもアマゾンテレビも全て無線でインターネットと接続しているからだ。全部使えない。パソコン119番に連絡すると明日の午後になってしまうという。我慢して待つことにした。今は全て正常に機能している。

 電気が停電したことで私の日常は乱された。とにかく今のITとやら私にはブラックボックスである。なければ不便、あれば空気と同じであって当たり前。ストレスではあるが、私はこの素晴らしいITの恩恵には感謝している。

 都議会や国の政治の世界はブラックボックスだが、IT世界も同様、私にとってはブラックボックスだ。しかし悪用されない限りはYESを、泥臭く旧態依然な人間の醜さが作りだす政治と権力と利権のブラックボックスにはNOをつきつけたい。


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