今回のハワイ行きは私にとって体力的にも精神的にもつらかった。原因は時差ボケである。時差ボケがなくても、普段からボケが進行しているのを自覚している。ハワイに出発する直前まで風邪で家に閉じこもっていた。起きたり寝たり。運動不足、思考力不足、喜怒哀楽感受不足、やる気不足以外、眠気と鼻水と退屈に押しつぶされそうになっていた。ハワイに到着しても異例な寒さと降ったり止んだりの雨に気分が塞がれた。そこへ時差ボケである。
妻は健康で丈夫である。もともと眠るのが嫌いと言うほど睡眠時間に囚われていないので、妻は時差ボケとは無縁である。私はと言えば、人間一日最低8時間睡眠をとらなければ、の呪縛がある。睡眠時間の計算だけは暗算ですばやくできる。
今回会いに行ったミセスTはシアトルに住む。3年に一度シアトルから日本から中間点のハワイで七夕の乙姫と彦星のように会う。Tさんの夫がボーイング社を退職した時、ハワイの会員制リゾートの会員権を買った。今から20年前のことだった。彼らは毎年2週間のリゾートホテルの使用権を行使する。ホテルには寝室が2つある。その一部屋を私たちに提供してくれる。2組の夫婦でゴルフを楽しみ、料理して会話を楽しむ。ミスターTは10年前72歳で亡くなった。その後ミセスTも癌に冒され死線をさまよいながら2年間入退院を繰り返し、化学療法などで闘病した。今も最終レベルの4の状態に変化はないが、奇跡的に日常生活に支障はない状況で、冬は再びハワイ通いを始めた。
T夫妻は5人の子供に加えて私の長女を実の子供のようにして10年間預かって育ててくれた。私は彼らにどんなことをしても恩を返すことはできない。「ハワイへ来ないか」と誘われれば何をさて置いても会いに行くようにしている。今回も誘われてすぐにハワイへの飛行機のチケットを手配した。
80歳くらいになった(年齢を聞いたことがないが、ミスターTと州立ワシントン大学で一緒だったことから私の推測)ミセスTは癌でステージ4だったとは信じられない。ハワイへ行くと主治医に言うと「好きなことをして楽しんでください」とだけ言われたそうだ。ミセスTと3回ゴルフをした。雨が降ったり止んだりの中、ゴルフをしている時だけ雨が降ることはなかった。ミセスTは淡々とフェアウエーをキープして小刻みにボールをホールに近づけて行く。(写真参照)私はゴルフどころの話ではなかった。何を言っても元々ゴルフは上手くなく言い訳になってしまう。時差ボケとハワイの常夏の気候を期待していたのに寒くて体がこわばっていた。妻と一つのゴルフバックに二人分のクラブを半分に制限して持って来ていた。こういう時はあてが外れて、普段使わないようなクラブが必要となる。そうでなくても記憶力が機能せずゴルフのスコアを数えて覚えていることができない。散々なゴルフだった。
ミセスTは肩の力を抜いて心からゴルフを楽しみ、私たちとの再会の時間を喜んでいた。ミセスTの姿を見ながら、私は妻の私が死んだあとの生き方を思わずにいられなかった。ミセスTはクリスチャンでミスターTが先に天国へ行ってミセスTをそこで待っていると固く信じている。末期の癌から小康状態を保っていられるのも信仰の力だと思われる。私と同じく妻も宗教には懐疑的である。ミセスTは一人で何でもする。生活を楽しめる。妻は旅行の趣味もない。人付き合いも苦手なようだ。家で静かに読書して家事をする。仕事仕事の日常である。私が死ねば、妻はミセスTのような生き方はとうていできないだろう。同時に死ぬことはできぬ。心配は尽きない。
ミセスTと妻とは違う。私の終活の一環として妻の私以後を考える。参考は『僕の死に方-エンディングダイアリ-500日』である。(小学館 流通ジャーナリスト金子哲雄著) 金子さんは肺カルチノイドで41歳の若さで妻雅子さんをひとり残して亡くなった。哲雄さんは自分の死後、雅子さんが困らぬよう、細かいことまで命令に近い指示を書き残したそうだ。哲雄さんの「私が死んだら、ただちに引っ越せ」などの指示に彼の優しさを感じる。私も私なりに妻の私以後の準備を進めたい。同時に妻に感謝しつつ今を精一杯妻と生きたい。忙しくなりそうだ。