団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

帰宅困難者

2024年09月02日 | Weblog

  先週1週間は、猛暑の閉じこもりから、台風10号の影響による豪雨の予報に翻弄された。台風は遠く九州にまだ上陸していないのに、ほぼ日本列島全域に雨を降らさせていた。遠い台風と住む町の豪雨の関係がしっくり受け止められなかった。予報が現実となり、8月28日水曜日、雨の影響で新幹線が動いたり止まったりしていたので、妻は在来線で帰宅した。ほぼいつも通りの時間に帰宅出来た。翌木曜日、仕事を終えて、定時に病院を出て東京駅に行った。28日と同じ在来線で帰宅すれば、問題はなかった。妻は、新幹線に乗り込んで発車を待った。しかし1時間待っても2時間待っても新幹線は運転再開されなかった。私にメールしてきた。「在来線で帰った方が良い?」 私は「在来線で帰ってきて」と返信した。妻から在来線に乗ったとメールが来たのが6時22分。普段ならすでに帰宅している時間だ。妻はまだ東京駅。いったい何時なったら帰宅できるのやら。

 私は、2011年3月の東日本大震災の日の事を思い出した。妻は多くの人々と同じく帰宅する手段がなかった。病院に留まって一夜を過ごした。翌日、何度も乗り換えて帰宅した。お互いの無事を喜んだ。妻が言った。「今度同じようなことがあったらどんな手段を使っても帰宅する。歩いてでも帰って来る。どうせ死ぬなら貴方と一緒に死ぬ」

 おそらく妻は、あの東日本大震災の時の事を思い出したに違いない。28日結局妻が帰宅したのは、職場を出てから5時間後の午後9時ちょっと前だった。私は常日頃待つのが私の仕事だと言っている。そうは言っても日常の生活は、ほぼ時間正確に同じことを繰り返している。体は、しっかりその時間を覚え込んでいる。それが狂うとストレスになる。

  まだ日本がまともな国だった頃、日本の鉄道は、その発車・運行・到着時間の正確さが世界に知られていた。それに慣らされ知ってしまった国民は、時間正確に鉄道は運行されるものだと思い込んでしまっている。もうそんなことはない。JRを始め鉄道会社は、信じられない事故事件の連発である。8月22日未明、保守点検作業中の作業車が衝突した。電柱が燃えたり、発火事故もあった。人間だから間違いを犯して当たり前ではない。一度に大勢の人を運ぶ鉄道や交通機関は、間違いは多くの犠牲をうむ。交通機関の安全は、重要性が高く、優先的に行うべきことである。鉄道関係者が手を抜いているとは思いたくない。しかし何か歯車がうまく回っていない気がしてならない。

  新幹線の運行が乱れ、ニュースで外国人旅行者が途方にくれている様子が流れる。日本政府は、2035年までに外国人観光客を7000万人を超えると予想しているという。2024年の予想訪日外国人旅行者は、2000万人を超す。今でさえ新幹線が止まっても、それで足止めされた観光客をほったらかしにしてしまう国が、7000万人もの観光客が押し寄せてきたらどう対応するのか疑問である。JRはみな不動産を多く持っている。ホテルも多く経営している。切符を売るなら、売った切符の後始末を考えておくべきである。駅構内もしくは近場に臨時避難的宿泊所などを設けることも一案である。災害時にもそれを避難所として使えればいい。多くの日本人が帰宅困難者になっている時、海外からの旅行者は日本でホームレス状態になっていることを私たちは、見て見ぬふりをするわけにはいかない。

 海外から旅行者を呼ぶのはかまわない。呼ぶなら日本で何か事故や災害が起こった時、対処できる施策は必要である。それが観光立国としての務めである。自民党総裁選でも立憲民主党の代表選でも、候補者の中に2035年の日本を見通しているような候補者が見当たらない。残念である。


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ツバメが少なくなった

2024年08月29日 | Weblog

  今朝の日の出は5時14分だった。4時50分に家を出て散歩に出かけた。天気予報では曇りだったが雨がパラついていた。大きめの傘を杖代わりにした。傘より杖としたかったので濡れるのを覚悟していた。さすがにこの天気、ましてや台風10号が“いままでに経験したことがないほどの強烈な台風”と言われ、九州を直撃すると言われているせいか、散歩する人が少ない。

 散歩途中、毎年多くのツバメが来るボーリング場のツバメの数がずいぶん少ないことに気が付いた。今年も3月の下旬頃からツバメが来ていた。10以上の巣がボーリング場のビルのヒサシにある。やがて子供が生まれる。餌を運ぶ両親ツバメが忙しく巣に出入りする。ツバメは働き者である。やがて子供ツバメが親から飛び方や餌の捕まえ方を習う。ぎこちなく飛んでいたが、じきに親と変わらぬ素早い動きができるようになる。ボーリング場の前の電線は、3月末よりずっと数を増したツバメが止まっていた。8月末の今日、電線に止まることもなく数羽のツバメが巣を出入りしていた。他の多くのツバメは、すでに長旅して他の地へ飛び去ったのだろう。何だか置いて行かれたようなちょっぴり寂しい気がする。

 猛暑で日中は家の中でジッとしているだけの私である。体を動かすのは、朝の散歩だけ。日中は、パソコンかテレビの前に座りっぱなしである。精神上健康上こんな事が良いわけない。わかっちゃいるけどどうしようもない。何かしようと思っても集中力が続かない。エアコンは朝からフル稼働。それでも足りなければ、ネッククーラーと湿らせた布で頭を包む。ネッククーラーは持って15分程度、湿った布は1時間持てばいい。冷凍庫でネッククーラーを交換する。布を水道で濡らし絞って頭に巻く。これを一日中繰り返す。

 パリオリンピックは時間をもてあそぶことなく私をテレビに釘付けにさせた。高校野球も大社高校をこれまでにないほど熱を入れて応援した。加えてアメリカの大リーグでの大谷翔平選手の試合も猛暑で監禁状態の私の娯楽である。パリオリンピックが終わって、今は大谷翔平選手の活躍が私を生かしてくれている。彼へのあまりのホームラン打っての願望が度を越し、打たないと舌打ちしたり暴言を吐く。猛暑の所為だと言えば言い逃れである。私の本性だ。でも冷静になれば、野球は3割打てればオンの字なのだ。ましてや大谷翔平選手はホームラン40本と40盗塁を成し遂げている。もっと冷静に試合を観て楽しめないモノかと反省しきりである。

 散歩の途中、まだミンミンゼミも他の虫も鳴いている。路上にセミがよく落ちている。川面にトンボが飛ぶようになった。ツバメもこの地を離れ始めた。早朝でなくて、日中に散歩できるといい。毎年秋に菊の花を咲かせる家の前に多くの菊の苗の鉢が並んだ。もうダメだと言って愚痴ばかりこぼしている私にもこちらで一つ、あちらで二つと秋の気配が近づいてきている。

 地震・雷・火事・オヤジ全部が恐い。加えて台風やゲリラ豪雨線状降水帯である。そんな中、自由民主党の総裁を誰にとか、立憲民主党の代表選がどうのこうのと大騒ぎ。自然も恐いが人間社会に迫りくる危機が不気味だ。マイナス要因の渦に過度に反応してしまう“オヤジ”である私自身がこの渦から脱出せねばと反省している。まずは台風10号の被害が最小限に収まることを祈る。


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エリザベスカラーを付けた犬

2024年08月27日 | Weblog

  セネガルへ妻が赴任した時、前任地のネパールから2頭のシェパード『ウィ』牡と『ラン』雌を連れて行った。ランはネパールで生まれた。ウィはランのお父さん。セネガルのダカールは、治安が悪いと聞いていた。シェパード2頭が良き警護をしてくれることを期待していた。

  ネパールでは、赴任直後すぐ家に泥棒が侵入した。ウィはまだ子犬で泥棒が侵入したことを検知できなかった。泥棒は、私のニコンの一眼レフのカメラや下着などを持ち去った。一番ヒヤッとしたのが妻の革製のドクターズバッグをネパールのククリという蛮刀で真っ二つに切られていたことだった。下手すればククリで首を切り落とされていたかもしれないのだ。それから半年後には立派な成犬になり、雇っていたネパール人の元グルカ兵だったガードマン以上の警護を担って私たちを守ってくれた。

  セネガルでも親子2頭でやはり雇った警備会社から派遣されたセネガル人ガードマンと一緒に警護し当たってくれた。雇っていたセネガル人の運転手にセネガル人ガードマンは犬に警護を任せてほとんど寝ていられるので楽な仕事だと言っていた。

  こうしてセネガルでも夜は2頭が警護してくれたおかげで泥棒にやられることはなかった。でも違う問題が発生した。ランが成熟してきて繁殖期を迎えた。ウィの様子が父親から牡になった。妻と相談してランに不妊手術を受けさせることにした。良い獣医を紹介してもらおうといろいろな情報を集めてある獣医にたどりついた。ランの手術が終わって治療室から出て来たランの首の周りにプラスチックの大きな白いモノが巻かれていた。私たち夫婦の介護でランはまた元通りに元気になった。術後の抜糸などで再び獣医を訪ねると、なんとその獣医は偽獣医で逮捕されたという。白いランの首の周りのモノと獣医が偽獣医だったことが記憶に残った。

  同じ集合住宅の友人から連絡が来た。出張で留守にするが、飼い犬が先日手術を受けて首に『エリザベス』をしているので抜糸が済むまで心配なのでできるだけ家に置いときたいと言う。『エリザベス』ってなあに?早速検索した。「エリザベスカラーとは、手術、皮膚病、怪我などによる外傷を持った動物が、傷口をなめることで傷を悪化させることを防ぐ為の、円錐台形状の保護具である。呼称は、16世紀イギリスのエリザベス朝時代に衣服に用いられた襞襟から来ている。」  そうだったのか。セネガルでランが偽獣医の手術を受けた後付けられていたのは『エリザベス』だったのだ。私は今までに犬をたくさん飼った。友人の犬とも仲がいい。快諾した。

  出張前日に友人宅で鍵を預かって、餌の事トイレの事などの打ち合わせをした。友人の犬はあと数日で抜糸するのでまだエリザベスカラーを付けている。まだ8カ月なのでやんちゃな牡犬だ。台風10号が襲来しそうなので、友人の出張が予定通りにいくかわからないが、久しぶりに犬と時間を過ごせる。日本に帰国して犬を飼おうと何度も思った。チュニジアに年老いたウィを友人に託して置いて来たことが、また犬を飼うという事を許さなかった。すでにあきらめていた犬と過ごす時間、たった1日だが楽しみたい。


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チュニジアの本マグロ

2024年08月23日 | Weblog

  昨日行きつけの魚屋で「チュニジア 本マグロ」と表示されたマグロの刺身を見つけた。165gで1151円(税込み1244円)。チュニジアと書かれていただけで、迷うことなく買い物かカゴにパックを入れた。夜妻が帰宅して、チュニジアの本マグロだよと言って食卓に並べた。妻は「えっ、チュニジアのマグロ。本当に。」と半信半疑の様子。大間のマグロじゃあるまいし、わざわざチュニジアと書いて客の気をひくこと必要もないだろう。どこのマグロだろうと美味しければ文句はない。妻がすりおろしてくれた生わさびと醤油をつけて口にした。

 妻の海外任地の中で、私が一番食材の良かったと思う国は、ぶっちぎりでチュニジアである。地中海沿岸に位置していて、温暖な気候で野菜や果物が豊富で、豚を除く羊や牛や鳥などの肉、海の新鮮な魚も安かった。チュニジアのほとんどの人がイスラム教徒なので、豚肉は食べない。暮らしているといろいろな情報が入る。ついには市場の片隅で、ほんの一部しかいないキリスト教徒が経営する豚肉店を発見した。イスラム教国で途切れることなく質の良い豚肉まで入手できた。私は、セネガルで日本人の元フランスの一つ星のレストランで働いていた主婦の料理教室に6カ月通った。セネガルで習ったすべての料理をチュニジアで問題なく調理できた。食材が問題なく揃ったからだった。私の料理は、セネガルで習ったフランス料理をチュニジアで実践したことで格段の進歩が可能になった。

 私は調理の腕は怪しいが、食材選びの目利きの自信は、すべて海外で培われた。多くの失敗が、私に教えてくれた。食材が優れていれば、少しくらい調理が下手でも何とかなるモノである。妻が言うのに私は“ずく”があるそうだ。“ずく”とは長野県では“こまめ、あきらめない、粘り強い”と肯定的な意味が強い。“ずく無し”のような否定的でダメな意味を持たないと私は勝手に思っている。

 “ずく”を総動員して海外でどこに国に暮らしても、食生活を充実させることに奔走した。チュニジアでは、季節ごとに旬の食材の情報を集めた。在住の日本人、アメリカ人、中国人などから、そして最高の情報は、食材を売る店の人からもたらされた。店の人と仲良くなる。良い食材を手に入れる一番の方法である。そしてどこの国でも同じ食材でも産地によって質や味が異なることも知った。どこの産地が良いのかなど、外国人には知る由もない。人間の美味しい物を食べたいという気持ちは、万国共通である。チュニジアの流通業は、ほとんど市場などに出店している個人営業の形態である。多くの店の中から良い店を選ぶことから料理は始まる。

 チュニジアで最高の魚の店は、チュニジアの首都チュニスから車で1時間のビゼルトの漁港の魚市場にある。魚好きの私は週1回そこへ通った。お目当ては地中海マグロである。信じられない値段で買えた。チュニスの市場の中の魚屋は日本人がマグロ好きだと知って当時でも高値で日本人価格をつけて売っていた。ビゼルトの魚市場に日本人はいなかった。マグロはどこの部位でも同じ価格だった。トロでも頭でも尻尾でも同じ価格。

 今でもチュニジアのビゼルトのマグロの味を覚えている。昨日食べたチュニジアのマグロとは違う。でも普段忘れていたチュニジアのあの“ずく”全開だった食材集めに奔走した生活を思い出すことができた。コロナだ、猛暑だと言って家に籠っている私にも“ずく”に輝く過去があった。そんなことを税込み1244円のチュニジアの本マグロが思い出させてくれた。


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尊い寄付

2024年08月21日 | Weblog

  友人からメールが来た。「…お隣のおばあちゃんが孤独死なさいました。いろいろあって救急車を呼んだのですが、その時は既に間に合いませんでした。…天涯孤独な91才の親しいおばあちゃんの事が猛烈に気になってしまって。…子供はいず、全く付き合いのない、生きてるかさえ分からない弟妹がいるそうなのですが、死んでも彼らには残したくない。ご主人の母校の東北大学に寄付したいと,前々からおっしゃっていました。それで、施設探し、遺言状、任意後見人(施設に入る為に身元引受け人が必要なので、やって欲しいと、言われたので)尊厳死等等の公正証書作りを公証人役場にお願いしています。…東北大学にとりあえず少し寄付をして、ご夫婦の名前をつけた奨学金を準備中です。耳が遠くて電話もダメでそれもやってます。とりあえず今週にでも入金するところまでいきました。施設に持って行くものを、決める作業もです。莫大な物量が、ゴミ屋敷にあります。…最上階の部屋に入った時は即Uターンしました。…確かに大変なのですが、奨学金の作成に携われたのは人生での素晴らしい経験でした。」

 彼女は、民生委員を長年務めている。同じ住宅地区の中に住む老人を何人もこれまでに助けてきている。どこからあれほどの行動力と隣人愛が湧いてくるのか。感心し尊敬する友人である。今回のメールを読んで思い出したことがある。長野県にいた時、アメリカのワシントンポストの記者オーバードーファーさんの長男の高校生を半年預かった。鮨の修業をしたいとのことで私の知り合いの鮨屋で修業した。学業成績が良く高校卒業の単位をすでに修得していたので東京のアメリカンスクールへ行く必要がなかった。彼はアメリカのミシガン大学からの合格通知が来るのを待っていた。彼のおじいさんが彼に約2千万円の信託をしていて、もしミシガン大学に入学したら信託金は彼に。もしダメだったらその信託金は、自動的にミシガン大学に寄付されることになっていた。鮨の修業が終わる頃、ミシガン大学から合格通知が届いた。

 USトゥデイにこんな記事が載った。『アメリカのグラナイト・テレコミュニケーションズの創業者ロバート・ヘイル氏がマサチューセッツ大学ダートマス校の卒業式で500ドル入り2つの封筒を1200人全員にプレゼント。』 なぜ2つの封筒なのか。彼は「1つは自分のためにもう1つは、誰かのために寄付する」という条件を付けた。私が震える程感心したのだから、もらった卒業生たちはどれほどの感動であったか。

 人間には寄付をして他の人を助けたいという気持ちが、あらかじめ供えられている気がする。尊い心である。アメリカには、ロバート・ヘイル氏のような慈善家が多い。日本では財産を巡る騒動はよく聞くが、寄付の話はあまり聞かない。アメリカの大富豪の数が日本より多いのが原因かもしれない。かと言って私が寄付をしているかと言えば、していない。資産を持たない年金生活者である。赤い羽根共同募金や災害時に被災地への募金があれば、持ち金の一部を入れるぐらいが精いっぱいである。

 尊い寄付は神聖でもある。91歳の老女の最後の願いを叶えるために奔走した友人にも頭が下がる。世の中には、人の尊い寄付をあの手この手でだまし取ろうとする悪いヤカラも多い。人の心の中には、神聖さと邪悪さが混在する。私は多額の寄付はできないが、最後まで私の心の中の邪悪さを抑え込み黙らせておきたいと願っている。


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番狂わせ

2024年08月19日 | Weblog

  甲子園で繰り広げられている高校野球のテレビ中継に喜寿老は、夢中になっている。猛暑続きで外に出られない。まるでコロナ騒ぎのあの時に戻ってしまったようだ。家のベランダに差し込む日光は、普段感じる神格化された有難さから豹変して悪魔のごとき殺意を感じる。天気予報などで「命に関わる危険な暑さ」と言うが、決して大げさな表現ではない。まさに私自身が外にいたら死ぬかもしれないと思う。幸いなことに家に2台のエアコンがある。12時間ごとに切り替えてフル稼働させている。すでに1カ月近くそうしているので電気代が凄いことになっているだろう。しかし命に関わっているのなら、エアコンを止めるわけにはいかない。

 やらなければならない事が数多くある。なのにまずやる気が起こらない。やっても集中力が続かない。頭にぬらしたピンクの布で姉さんがぶりをする。首に冷凍庫で凍らせたネッククーラーをタオルで巻いてはめ込む。エアコンを効かせた部屋の中にいても、濡らしたピンクの布は、すぐに乾いてしまう。ネッククーラーもものの20分はもたない。

  散歩が日課の私である。朝の4時45分に家を出る。この時間はまだ暑さは殺人的でない。この1カ月1日のうちで唯一体を動かす時間である。朝夕の妻を車で送迎の時間には、すでに気温は高くなっている。駐車場に行くまでに頭が痛くなったり、吐き気さえ感じる時もある。それでも妻は遠距離通勤を続けている。東京は住んでいる町よりずっと暑い。いくら私よりひとまわり若いと言っても夏バテして当たり前だ。

  妻が出勤してしまうと10時間以上私は家で一人になってしまう。以前は意外と規則正しく時間を持て余すことなく生活できていた。コロナと猛暑が私を怠惰に戻した。健康寿命末期の貴重な時間が大幅にカットされた。それでも大相撲、アメリカでの大谷翔平選手の活躍、パリオリンピック、高校野球と連続するスポーツ中継が私の怠惰な生活に張り合いを与えてくれている。

  今回の高校野球でも、長野県代表は早くも1回戦で敗退してしまった。長野県出身の私は長野県代表に何としても勝ち進んで欲しいとは思っていない。どこの都道府県であれ、面白い試合をしてくれる代表を楽しんでみている。

 今大会で私は小松大谷高校の応援に夢中になった。何と言っても優勝候補の大阪桐蔭を3-0で破ったからだ。大阪桐蔭は勝って当たり前の常勝軍団である。私は大阪桐蔭のようなチームは好きになれない。名も知られていない優勝候補だと言われることもないチームが勝つと何だかとても嬉しくなる。小松大谷が敗れた時は、落ち込んだ。

 小松大谷に代わって大社高校があの早稲田実業をタイブレイクで3-2で破った。これこそ番狂わせだったであろう。快挙である。大社高校は、島根県の県立高校である。大阪桐蔭や早稲田実業のような私立の強豪ではない。猛暑は今しばらく続くだろう。大社がどんな番狂わせをしてくれるか楽しみだ。命に関わる猛暑の中、懸命にプレーする高校球児に私は命を救われている気がする。


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肋木(ろうぼく)腹筋

2024年08月15日 | Weblog

  コロナで私は貴重な健康寿命3年間を自宅待機で失った。去年コロナは第5類を解除された。老弱男女問わず世界は、失われた3年間を取り戻そうとする人々の往来が激しくなった。1年延期された東京オリンピックは、規制とコロナの厳重な警戒の中で行われた。あれから3年過ぎて今度はパリでオリンピックが開催された。

  近代オリンピックの父と言われるフランスのクーベルタン男爵は、「オリンピックは勝つことではなくて参加することに意義がある」と言った。クーベルタン男爵は、オリンピックが古代ギリシアでたとえ戦争中であってもオリンピックの時は、休戦してオリンピックが開催されたことに着目した。クーベルタン男爵の理想から言えば、近代オリンピックは、問題が多い。オリンピックは、今のような混迷する時代だからこそ、参加したい国を全て受け入れるべきだと私は思う。政治や宗教イデオロギーで参加不参加が決められてはならない。

  日本は最近自然災害が多い。猛暑、ゲリラ豪雨、地震、台風と被害が出ている。免疫機能が低下している私は、ほとんど外出することもなく家に籠っている。そんな私の楽しみは、スポーツ観戦である。嫌なことが私を落ち込ませる反面、テレビでのスポーツ中継では、熱い応援を続けている。大相撲名古屋場所は終わってしまったが連日応援に熱が入った。アメリカ大リーグの大谷翔平選手も8月に入って7月のように打撃好調とは言えないが、それでももうダメかとあきらめかけると、突然ホームランを打ってくれる。そしてオリンピックが始まった。マスコミに金確実とか金が期待されると言われていた選手やチームが不振だった。それでもフェンシングやレスリングなど初めてオリンピックに参加した選手が目覚ましい活躍を見せてくれた。

  私は、もちろんオリンピックの実況放送も好きだが、メダルを取った選手の生い立ちや練習の様子をまとめた番組が好きだ。今回男子高飛び込みで銀メダルの玉井陸斗選手の練習に目を奪われた。玉井陸斗選手のオリンピックでの飛び込み競技自体も素晴らしかった。まずあの高さから回転したり体をひねったり水しぶきをほとんど上げずに着水する。私ならあの10メートルを超える高さにいるだけで、震えてしまう。私は楽器が何一つ弾くことができない。でも聴くことはできる。それと同じ様に高飛び込みでも、飛び込みはできないけれど、その演技が美しいとか着水がいいか悪いかくらいは判る。しかし演技だけ見ていると玉井選手がオリンピックに参加する前に、どんな練習をしていたなどということは、想像すらできない。

  玉井選手は、肋木(ろくぼく)を使って練習していた。飛込競技には、腹筋が重要だという。肋木は、私が小学生の頃、体育館で見た。けれどそれを使った授業は受けた記憶がない。体育館にある不思議なモノだった。その肋木を使って玉井選手は、両手で肋木の上部の横棒を握って、あろうことか両足を頭の上まで曲げて上げるのである。それだけではない1キロの重りを足首に着けているのである。玉井選手はまだ17歳だ。若いからできるのでない。日々努力練習をしているのは、他の選手も同じである。テレビで紹介される選手の練習の様子には、頭が下がる。

  あの練習があるから、勝ちたいし、メダルを取りたいのであろう。私にできることは応援することだけだ。暑さで、地震が恐くて、台風が来ると言って、毎日もうダメだと弱音を吐く私。それを多くのスポーツ選手が画面の向こうから「喜寿老、頑張れ」と応援してくれている。甲子園でもこの暑さの中、高校野球の熱戦が続く。選手の胸板が厚い。皆鍛えている。

 人間って凄い生き物だ。スポーツは人類の最高の発明かも知れない。戦うのはスポーツだけで十分としようではないか。


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炎天下のパンク

2024年08月13日 | Weblog

 同い年の元大学教授の友人からメールが来た。「講義を受け持つ学校へ炎天下行って来ました。学校は駅から歩いて15,6分のところなのですが、あまりの暑さなので往復タクシーを使いました…。」

 友人のメールをみて、暑さに打ち負かされているのは、私だけではないのだとちょっぴり安堵した。先週の土曜日夕食に近所に住む友人夫妻を招いていた。準備はすでに1週間まえから進めていた。昼過ぎになってレモンを切らしているのに気が付いた。今日の料理にレモンは絶対に必要だった。妻と車でスーパーへレモンを買いに行った。よせばいいのにコーヒーパックや缶入りの生ビールも買ってしまった。スーパーの駐車場に戻ってかなり重い買い物バッグを後部座席に置いた。妻が「あっ、パンクしている」と左側後輪の空気が抜けているのを発見した。とにかく暑い。モノがきちんと考えられないくらい暑かった。パンクと知って、この暑さで機能低下している私の脳の内部は、沸騰した蒸気の霧で満たされ状態だった。これをパニックというのだろう。パニックに陥るのは、久しぶりだった。

 パンクらしいが、幸いまだタイヤの中の空気は、抜けきっていなかった。これなら何とか行きつけのガソリンスタンドまで走行可能だろうと、わずかに脳に残っていた正気が判断した。ガソリンスタンドまで行ければと祈りながら運転した。妻とのいつもの楽しい会話はなく、車内は重苦しい空気でいっぱいになっていた。不気味な静寂があった。車のエアコンの冷気だけが味方の気がした。到着。この暑さの中冷や汗が出た。

 いつもの店員が元気よく「いらっしゃいませ」と声をかけた。その元気さが、暑さとは別の腹立たしさを注ぎこんだ。「パンクしたらしいので見てください」と最高に不機嫌な声で伝えた。店員二人がかりで空気が抜けたタイヤを調べてくれた。「パンクですね。タイヤの横に亀裂が入っていれば、このタイヤ修理できないので交換になります。でも今日土曜日なのでタイヤの会社休みなので火曜日まで入荷できません」 私はなんで月曜日でなくて火曜日なのかと思った。月曜日は山の日で祭日だ。店員私の落ち込みを察して、「一応タイヤ外してみてみます、車置いて行ってください」 車置いていってって、この炎天下歩いて行けという事?終わったら電話してくれるとのことだった。

 その朝4時45分から散歩でこのガソリンスタンドの前を通った。日中の暑さを避けて、わざわざ早起きして散歩している。なのになんでこの午後の一番暑い時に、歩かなければいけないの。私は妻に「お願いだ。タクシーで帰ろう」と言った。友人が15,6分の距離でもタクシーを使ったと言っていたことを思い出して言った。ガソリンスタンドから家までだって15,6分くらいだ。決して恥ずかしいことではない。妻は無言で重い買い物バッグを持って歩き出した。仕方がない。買い物バッグの取手の片方を持った。家に着いた時、二人とも汗びっしょり。すぐシャワーを浴びた。冷たいシャワーが気持ち良かった。

 シャワーを浴びてエアコンの効いた部屋で休んでいると電話が鳴った。ガソリンスタンドからだった。「タイヤにネジくぎが刺さっていました。修理できました。タイヤの脇の亀裂はありませんでした。良かったですね」 私は着替えて再び灼熱の陽ざしの中、ガソリンスタンドへ向かって歩いた。これで今日3回目のいつもの散歩コースを歩くことになった。悔しい。惨め。

 修理代2300円を払って、エアコンが効いた車で楽々今日3周したことになる散歩コースを横目に帰宅した。妻が今時タイヤに釘が刺さってパンクだなんて宝くじに当たったようなモノよ、と言った。そう考えれば良いのか。ものは考えようだ。明るく受け止めよう。


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汗と涙

2024年08月09日 | Weblog

  人間の体に起こるいろいろな現象の中で、汗と涙はとりわけ不思議であり、時に美しいものである。今開催中のパリオリンピックでは、各競技で熱戦がくりひろげられている。勝って泣き、負けて泣く。競技によっては、選手が汗ぐっしょりになって闘う場面も多々ある。

 先日板金塗装の店に行った。そこではこの猛暑の中、車の塗装を乾かすために、電熱球をつけて車体に当てていた。働く店の人は、分厚い作業着を着ている。顔からは炭酸水をグラスに注いだ時出る泡のような雫が流れ落ちていた。大変な仕事だ。でも汗びっしょりで働く男性の姿は、美しい光景だと思った。炎天下でも外で働く人は、たくさんいる。熱中症で亡くなる老人の多くは、農作業中だったという。テレビであれほどやれ水を飲め、エアコンを使え、外出は避けろと言っている。でも働かなければ生活が成り立たない人もいる。

 私は、この連日の猛暑の中、エアコンが効いた部屋の中で、まるで冬眠中の動物になってしまっている。頭に濡らした布を巻いているが、ものを考える力が低下している。集中力もない。記憶力もゼロに近い。汗もかかない。涙も出ない。人間の体の水分量は、新生児が75%4~5歳児で70%、成人男性60%で老人50%だそうだ。私は喜寿老(77歳)なのでおそらく50%を大きく割っているであろう。どうりで汗もかかないし、涙も出ない。

 突然の日銀総裁の利上げ宣言で株式市場が反応してブラックマンディ―以来の大きな下げを記録した。そんな折、証券アナリストの森永康平さんがラジオで「株式市場では株価の上下は普通の事。今パリオリンピックが毎日実況されているので、株式市場から目をそらしてオリンピックを観戦していれば、その内に株式市場も落ち着いてきます」と言っていた。私に言わせれば、パリオリンピックだけではない、大谷翔平選手が出場するアメリカ大リーグのドジャースの実況中継も観られるし、全国高校野球選手権の甲子園での試合も始まった。エアコンが効いた部屋でスポーツ観戦をする私も、エアコンが効いたディーリングルームで相場をはっている人達も汗をかかない人種である。相場で冷や汗をかくことがあっても、作業や体を使って汗をかくことは仕事場でないだろう。だから私やディーリングルームを見ても、感動はない。

 フワちゃんという芸人が同じ芸人のやす子に8月2日にX(旧ツイッター)に『やす子オリンピック 生きてるだけで偉いので皆 優勝でーす』と投稿した。それにたいしてフワが『おまえは偉くないので、 死んでくださーい 予選敗退でーす』と送った。芸能界のつまらぬ内輪もめであろう。しかし私は、やす子さんが言う『やす子オリンピック 生きてるだけで偉いので皆 優勝でーす』には同感である。

 オリンピックに出場するには、幾多の予選を勝ち抜かなければならない。そのための努力は時々テレビでも紹介されるが、筆舌に尽くしがたいものである。あの汗があるから栄光の涙がある。

 喜寿老の私は、汗が出ることはしていない。出来ない。でも枯れ気味の涙は時々出る。今朝、レスリングの藤波朱理選手が金メダルを取った。コーチの父親と娘が抱き合った。私の枯れた涙腺に微かに水分が戻った。


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『丘の上の本屋さん』

2024年08月07日 | Weblog

  イタリア映画『丘の上の本屋さん』をアマゾンのプライムビデオで観た。図らずも先週友人を招いて食事中に勧められた映画だった。題名を聞いた時、どこかで聞いたと思った。私の記憶は、何事であっても尻切れトンボなのだ。マイリストをチェックすると『丘の上の本屋さん』がリストに登録されていた。この映画を勧めてくれた友人は、私たちと感性が似ているのかいつもいい映画を教えてくれる。

  連日の暑さで日中外出もままならず、家の中でボーっと過ごすことが多い。マイリストにあった『丘の上の本屋さん』を少し観て、良かったら妻と一緒に観ようと考えた。観始めた。止まらない。イタリア映画はフランス映画と同様画面が美しい。もちろん配役がいい。日本の配役は、同じ俳優ばかりでつまらない。少しはイタリア映画の配役を見習ってほしいものだ。

  BS日本テレビで毎週土曜日に放送される『イタリアの小さな村』を観ているようだった。妻には悪かったが、あまりに映画に引き込まれたせいで、最後まで観てしまった。妻には近いうちに休みに日に観てもらうことにした。

  映画を観ていて、私は私の父を思い出した。小学校の時、私は読書が好きだった。父は、尋常小学校さえ満足に行けず、幼くして丁稚に出された。羊羹屋だった。そこで子守をさせられた。同じ年頃で、片方は丁稚の子守で、もう一方は花よ蝶よのお坊ちゃまお嬢様だった。あまりの違いに父は心が折れた。勉強したくてもできなかった父親は、家庭を持って自分の子どもたちには、思い通りに勉強させられるよう働いた。父は、知り合いの本屋で好きな本を買ってきて良いと私に言った。私は、嬉しかった。学校の図書室の本と本屋に並ぶ本には違いがあった。私は、『少年朝日年間』や図鑑を買った。夜布団に入って、年鑑や図鑑を読んだ。そんな私の姿を父親は喜んでいた。

  私は、父親が貧しいながらも私に本屋で本をつけで買うことをさせてくれたことに感謝している。私は、自分の子供二人にも同じことをしようとした。世の中が変わって、もう本屋でつけがきかなくなった。図書券にした。小遣いは図書券だった。今、孫たちにも同じことをしている。孫が図書券でどんな本を買ったか報告させている。どんな本を好むかによって、その人のことが少しわかる気がする。微力ながら、好きな分野の本を読めるよう図書券を誕生日など折あるごとに贈っている。

  『丘の上の本屋さん』を親になった私の子どもにも孫たちにも、もっと年齢を重ねてから観て欲しい。本の世界がどれほど素晴らしいモノか知って欲しい。そして代々本を愛する人になってもらいたい。学校でもいろいろなことが勉強できる。でも本の世界には、境界がない。どんな分野にでもどんなに深くにでも入り込める。大きな本屋さんに入り込むと、大きな図書館に入り込むと、私は、星がきらめく宇宙の彼方にいるように感じる。輝く星はすべて本。その本には英知が詰め込まれている。星の数ほど本はある。

  本を1冊出版するために著者が準備にどれほどの時間を費やすことか。読む人にとって良い本が人の人生をどれほど変える力があることか。『丘の上の本屋さん』が語りかける。


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