最近食べ物屋の前に行列ができているのをよく見る。何時間も並んでまで食べたいと思わせる、“何がそうさせるのかその理由”を知りたいと私は思う。食べ物の嗜好は、人によって千差万別である。同好者が多ければ、行列という現象が起こる。
今はネット社会である。スマートフォンが普及しパソコンを持ち歩きできる時代になった。現に若者の中にパソコンのキーボードが打てない人が増えているそうだ。パソコンの売り上げも低迷しているという。以前は「口コミ」がジワジワと浸透して繁盛店が誕生した。時間がかかった。今は違う。現地を訪れる前の下調べ、到着してから「さあ、何を食べるか」から店選びが始まる。それも声で検索ができる。「〇〇県〇〇 ラーメン美味しい店」などと携帯に向かって喋れば、即、画面に何店舗かの店が表示される。こうして多くの人々が検索の進言に従って店を選び並ぶ。
私の独断と偏見を混ぜた意見だが、北東アジアおよび東南アジアの人々は、せっかちで短気だと思っている。以前、日本でも行列への割り込み、車の割り込みが日常茶飯事だった。学校教育や社会の成熟度が高まったせいか、最近ではほとんどそれが見られなくなった。駅のホームで電車を待つ人、バス停でバスを待つ人、2つの道路が1つなる地点での交互に合流する車列。感心するほど当たり前のことになった。ヨーロッパでは人の行列も車の合流も整然と行われていた。ところが私が暮らしたネパール、セネガル、チュニジアなどでは、割り込みは行列も車もカオスであった。
私は基本的に知人友人からのお呼ばれは好きだが、外食はあまり好きでない。特に知らない店で食事をするのは、冒険ととらえている。お呼ばれは、もう呼んでもらっただけで舞い上がる。呼んでいただけたという喜びが出されるすべての料理の味を飛び切りなものにしてしまう。私はこと、食べることに関してはうるさい。基本的に料理は、食材で決まると信じている。レシピも信じない。なぜなら今までレシピ通りに調理して自分が満足したことがない。だからレシピは食材揃えと手順を参考にするが、自分流で調理することにしている。外食するとどうしても値段を見て、もしこれだけの金額を払うなら、どこどこの店であういう食材がこういう食材がこれだけあれだけ買えると計算して考えてしまう。外食が好きでない私でも並んでも待たされても食べたい店はある。予約できる店であれば、そうする。行列のできる店は予約できないところが多い。それだけ並んで長い時間待っても、時々味に満足できない時もある。自分の体調なども影響していると思うが、作り手側の事情もあると思う。
日本に帰国して、ますます人々の行儀が良くなり、多くの社会インフラも良くなったことを痛感した。特にトイレの改善は目を見張るものがある。海外生活での負の経験が徐々に消え、これが当たり前のような危険な感覚が生まれている。慣れは恐ろしい。正直、二度と海外生活をしたいと思わない。ウォシュレットトイレのない生活は考えられない。古希をすぎ、私のわがまま度、意固地さはひどくなる一方。残った欲は食欲だけ。美味しいものを食べたい。私は旬を楽しむことにした。外食を我慢して、その分、旬の食材に資金を投入する。
悲しい事件事故、腹のたつ国際情勢に振り回される。そんな中、友人を招いて旬の食材を一緒に楽しむことが今一番の私の楽しみである。客を招くと力いっぱい、ご馳走する。つまり少しでも良い食材を手に入れようと駆けずり回る。ネットでも食材を集める。そう日本ほど通信販売と配送が効果的に機能している国に住んだことがない。感謝。食材を求めて人が行列を作ることはまずない。それが嬉しい。