団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

行列かご馳走か

2019年02月27日 | Weblog

  最近食べ物屋の前に行列ができているのをよく見る。何時間も並んでまで食べたいと思わせる、“何がそうさせるのかその理由”を知りたいと私は思う。食べ物の嗜好は、人によって千差万別である。同好者が多ければ、行列という現象が起こる。

 今はネット社会である。スマートフォンが普及しパソコンを持ち歩きできる時代になった。現に若者の中にパソコンのキーボードが打てない人が増えているそうだ。パソコンの売り上げも低迷しているという。以前は「口コミ」がジワジワと浸透して繁盛店が誕生した。時間がかかった。今は違う。現地を訪れる前の下調べ、到着してから「さあ、何を食べるか」から店選びが始まる。それも声で検索ができる。「〇〇県〇〇 ラーメン美味しい店」などと携帯に向かって喋れば、即、画面に何店舗かの店が表示される。こうして多くの人々が検索の進言に従って店を選び並ぶ。

 私の独断と偏見を混ぜた意見だが、北東アジアおよび東南アジアの人々は、せっかちで短気だと思っている。以前、日本でも行列への割り込み、車の割り込みが日常茶飯事だった。学校教育や社会の成熟度が高まったせいか、最近ではほとんどそれが見られなくなった。駅のホームで電車を待つ人、バス停でバスを待つ人、2つの道路が1つなる地点での交互に合流する車列。感心するほど当たり前のことになった。ヨーロッパでは人の行列も車の合流も整然と行われていた。ところが私が暮らしたネパール、セネガル、チュニジアなどでは、割り込みは行列も車もカオスであった。

 私は基本的に知人友人からのお呼ばれは好きだが、外食はあまり好きでない。特に知らない店で食事をするのは、冒険ととらえている。お呼ばれは、もう呼んでもらっただけで舞い上がる。呼んでいただけたという喜びが出されるすべての料理の味を飛び切りなものにしてしまう。私はこと、食べることに関してはうるさい。基本的に料理は、食材で決まると信じている。レシピも信じない。なぜなら今までレシピ通りに調理して自分が満足したことがない。だからレシピは食材揃えと手順を参考にするが、自分流で調理することにしている。外食するとどうしても値段を見て、もしこれだけの金額を払うなら、どこどこの店であういう食材がこういう食材がこれだけあれだけ買えると計算して考えてしまう。外食が好きでない私でも並んでも待たされても食べたい店はある。予約できる店であれば、そうする。行列のできる店は予約できないところが多い。それだけ並んで長い時間待っても、時々味に満足できない時もある。自分の体調なども影響していると思うが、作り手側の事情もあると思う。

 日本に帰国して、ますます人々の行儀が良くなり、多くの社会インフラも良くなったことを痛感した。特にトイレの改善は目を見張るものがある。海外生活での負の経験が徐々に消え、これが当たり前のような危険な感覚が生まれている。慣れは恐ろしい。正直、二度と海外生活をしたいと思わない。ウォシュレットトイレのない生活は考えられない。古希をすぎ、私のわがまま度、意固地さはひどくなる一方。残った欲は食欲だけ。美味しいものを食べたい。私は旬を楽しむことにした。外食を我慢して、その分、旬の食材に資金を投入する。

 悲しい事件事故、腹のたつ国際情勢に振り回される。そんな中、友人を招いて旬の食材を一緒に楽しむことが今一番の私の楽しみである。客を招くと力いっぱい、ご馳走する。つまり少しでも良い食材を手に入れようと駆けずり回る。ネットでも食材を集める。そう日本ほど通信販売と配送が効果的に機能している国に住んだことがない。感謝。食材を求めて人が行列を作ることはまずない。それが嬉しい。


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パトカー

2019年02月25日 | Weblog

  1月22日にカテーテルで心臓の冠動脈の狭窄の治療を受けて1カ月が過ぎた。2月5日に脚の動脈のCT検査を受けた。造影剤を使った。結果は両脚とも膝から下の動脈の狭窄があるとわかった。医師はカテーテル治療をしてもこの狭窄は、効果が期待できないので、様子を見ることを勧めた。悪化して生活に支障をきたすことがあったら再診するようにと言った。私は尋ねた。「現状を改善する方法はありますか」 医師が「運動だけです。運動を続けてください」

 次の日から私は歩き始めた。目標は毎日最低5千歩。天気が良ければ外へ出て歩く。天気が悪ければ家の中でウォーキングマシンを使って30分、と決めた。日記には、万歩計の数値を毎日この10年記録している。この数年やはり歩数が減っていた。

パソコンの前に座っている時間が一日で一番多い。富士通のScanSnap ix1500を買ってから写真の整理が進んでいる。パソコンに取り込んだ写真を、項目別に分け、題をつけて編集している。ところがこの作業、機械的に進めることができない。過去の一瞬一瞬が私の記憶を呼び覚ます。作業は中断。想いにふける。

 23日土曜日24日日曜日、妻の休日。金曜日の夜からいつものように「明日どうする」の会議が始まる。結局、「明日の朝決めよう」で寝てしまう。目覚まし時計を無視して寝坊。普段より2時間遅く起床。「さあ、今日何をする」 月曜日から友人夫婦が泊まりで訪ねて来る。普段私が書斎に使っている部屋が客の寝室となる。私は整理整頓が苦手。今は写真が散らばっている。整理といってただ拡げているだけでちっとも片付いていない。妻はきれい好きである。整理整頓が上手。ほとんどのものが不用品。割り切りが良すぎる。そう言えば妻は写真が嫌い。どこへ行っても写真は撮らない、撮られない。だからモノがたまらない。私の常套思考、「明日整理しよう」「よく確かめてから決めよう」「どうするかよく考えてから…」 次から次へと先延ばし案件が積み重なってゆく。妻が捨てる。私が戻す。その繰り返しだったが、数時間で書斎は、すっかりきれいに片付いた。二人で散歩に出た。外は陽があたっていた。二人で川沿いの歩道を海まで歩いた。日曜日も「今日どうする」で始まり、ほぼ土曜日と同じ。ただ散歩から帰ってきてビデオで映画を観ていると、家の前で「ウゥーウ ポコッ」とサイレンの音。まさか、俺が何かしたのか。何でも自分に結び付けて物事をとらえる悪い癖。妻が窓に駆け寄る。「だれか捕まっている」 私も野次馬。警察官2人が一人の自転車に乗っていた男性に向きあっている。一人の警官がビニール袋を出して、男性の所持品をその中に入れた。もう一人の警官が男性のポケットを調べる。パトカーは道をふさいでいる。あまり交通量がない道路だが、散歩やジョッギングの人たちが多い。みな立ち止まる。最後は警察官が頭を下げ男性は、自転車に乗り立ち去った。何があったかわからない。観ていたビデオは、刑事もの。キヌア・リーブスの『Street King』だった。ビデオから現実。臨場感に圧倒された。

 平凡な毎日。カテーテルの先端が心臓に達して、医師が「細いな」「固いな」「これ以上無理だな」「よし、ステント入れよう」を聞いていた1月22日。私は、こんな嫌な思いはしたくない。もう2度とカテーテルは受けないと誓った。2月5日の造影剤を点滴で入れながら脚の動脈血管検査で造影剤が体内に入るたびに、体中がパッと急に熱くなる、あの嫌な感覚の後、もう造影剤もコリゴリ。あの想いをするくらいなら、脚が棒になっても歩こう。妻と歩いていると、いかに妻が健康であるかわかる。二人で歩いていると、一人でウォーキングマシンや外で歩くよりずっと楽。よたよた歩きながら、もう少し元気でいたいと思った。


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10億円!10万円?

2019年02月21日 | Weblog

  18日ニュースで上田城復元のためにと市民から匿名で10億円の寄付があったと上田市が発表したことを知った。(50年前アメリカの高校生たちが上田城を訪れた時の写真) 一人の男の名が浮かんだ。あの男しかいない、と思った。

  さっそくその男にメールした。「このたびは、上田市に上田城再現のために多大なるご寄付をしていただき心から感謝申し上げます。すごい!10億円だそうですね。これで少しは、上田城が元の姿に戻れることを期待します。さてSさんに連絡しましたが、3月にタカアシガニの会を持ちたいと願っています。その時お会いできれば嬉しいです。先日は関東同窓会でお会いできたこと感謝です。寄付の話を今度ゆっくり聞かせてくださいね。いつも楽しい時間をありがとう。」「上田城復元に10億円匿名で寄付したのは、何を隠そう私です!匿名氏より」 もちろんこれは私たちの冗談である。しかし私と妻は、これくらいのことをする男だと彼を評価している。再びメールが入った。「10億円が起爆剤になり!寄付が集まる訳よ!オラモ寄付するど!全部で7棟の櫓。市営球場は広堀、陸上競技場は百間堀だった訳!満々と水を湛える…桝形の整備。市民会館等の立ち退き。そんな夢みたいな話が、私が生きている時に見られるかなあ?松本城の復元計画は、すごいよ!二の丸堀跡の民家を1軒1軒立ち退かせての広い水堀復元。30年前に松本の郷土出版社から出したB4判豪華本の『定本 信州上田城』は私の企画制作です。まだネットで買えます。」 彼は城についての多くの文献を集め研究を続けている。ディアゴスティーニから『週刊 安土城をつくる』の出版を企画出版している。上田城の復元をずっと前から提唱し、活動していた。いつの日か、彼のもう一つの提言である私たちの出身高校、上田高校を移転させて、上田城城主松平家の館跡も復元できることを願う。

  20日午前11時の予約で歯医者へ行った。電車で1時間かかる。1カ月前に予約していたが、先月は心臓カテーテルで入院があり、予約を変更していた。左下の奥から3番目の臼歯である。この歯、差し歯なのだ。1998年頃、旧ユーゴスラビアのベオグラードに住んでいた時、現地の歯医者に3万円ほどで差し歯にしてもらった。保険はなかったので、自費診療であった。あれから20年、その差し歯の土台の歯が虫歯だと診断された。まず虫歯の治療をして再び差し歯にすることになった。担当歯科医は、新しい差し歯の材質などは後で相談しましょう、と言っていた。しかし予約を1カ月も延ばしたので、多くの患者を診ているうちに私との話を忘れてしまっていたのだろう。20日の診察が終わると「27日に歯ができてきます。それ以降に予約して来てください。セラミックで値段は10万円です。」 10万という額を聞いてビックリ。虫歯の治療は数百円とかで済む。心臓カテーテル入院代を込めても8万円で済んだ。あれだけの先進医療を受けてもである。言葉を失った。家で妻は、「お金のことはいつもキチンと納得できるまで話さないといけない」と言われていた。でも私は小心者で見栄坊。文句が言えない。交渉できない。だから黙って今回の治療費460円を払って歯科医院を後にした。帰りの電車の中で考えた。家に帰ったら歯科医に電話しようと。そう私を思わせたのは、心臓の血管が詰まり、脚の膝から下の動脈がカテーテルですでに治療できないところまで脆く狭くなっている。そう長くは生きられない。セラミックでなくて保険が適用される差し歯で十分。孫もこれから高額な薬を投与し続ける。年寄りよりも若者だ。私は決心した。家から歯科医に電話した。何を話したか覚えていない。ただ歯科医が「セラミックでないと歯の色が変わりますが……」が耳に残った。私は歯の色が変わっても差し歯が機能すればそれでよい。

  10億円を城の復元にと寄付できる人もいる。私のように10万円の差し歯の材質でオロオロする者もいる。額に違いがあっても、そこにある気持ちさえちゃんとした理由と目的があればいいのだ。見栄を張り通してきた人生だったが、最後の最後になって、やっと私でもお金の使い道を真剣に考え、きちんと対峙することができた。直接目を見て、面と向かって話せず、電話だったが、勇気をもって10万円のセラミックを保険適用に替えた。


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らくらくフォン

2019年02月19日 | Weblog

  60年近く前、電話が初めて我が家に入った日のことを今でも覚えている。大事件だった。黒く光る電話機が将軍様のように一家の頂点に君臨した。

 ラジオの中に人が入っていて喋っていると信じていた。双眼鏡で遠くを見れば、姿が拡大されるだけでなく、音も大きくなると親兄弟に告げ、あきれられていた。保育園、小学校、中学校、高校そして途中からカナダへ行ったが、携帯電話など夢の夢だった。

  電気がなく電話もない戦国時代、敵の情報を収集するために密偵や間諜を使った。日本各地の商人は、米や産物の出来不出来を飛脚や狼煙でいち早く情報を手に入れた者が投機買いで富を手にした。時代が変わって、今では誰でも安価に人を雇うことなく、スマートフォンを使って膨大な日本のみならず、世界中のあらゆる情報を手に入れることができる。現在の庶民は、昔の殿様より多くの情報を手のひらの携帯電話で集めることができる。

  私は2004年に海外生活を打ち切って日本に帰国して初めて携帯電話を購入した。そうこうしているうちに、アメリカのアップルがパネルをタッチする画期的な新しい機種iPhoneを売り出した。2010年に初めてそのiPhoneを手に入れた。その後も次から次と新機種が発売されたが、私は旧式なものを使い続けた。ところが使っていたアップルの携帯の調子がだんだん悪くなってきた。特に電池の調子が悪い。無理もないもう買って8年目である。調子も何もない。私が使えるのは、電話機能とメール機能とインターネット機能に限られている。ブラックボックスのままである。私はもともと電話で話すのが嫌い。苦手。相手が私の前にちゃんといないと上手く話せない。

  妻は携帯電話にまったく興味がない。未だに往復の通勤電車の中で、本を読む日本では絶滅危惧種である。車内で携帯を使っている人たちに好印象を持っていない。私がどんなに勧めてもずっとガラケーを使っていた。その妻が『らくらくフォン』にしようかと言い出した。私のiPhoneもくたびれて来ていた。二人で携帯電話探しに出かけた。私たちが住む町にはauの店しかない。そこで家電量販店へ行った。歯が白い歯並びのとても綺麗な若い女性が、対応してくれた。親切で携帯電話の知識もあり話がどんどん進んだ。機種は富士通のらくらくフォンに決まった。

  携帯電話で厄介なのが乗り換えだ。Auからドコモになる。同じ電話番号を使いたければ、auの了承が必要である。女性店員が言う。「だいたい40分ああでもないこうでもないと乗り換えを阻止しようと説得されるので私が娘役を演じるのでよろしくお願いします」悪い気はしなかった。彼女が言った通りauの担当者はしつこかった。それでも私の老いぼれ爺さんの役が功を奏して何とか乗り換えができた。4時間かけて新しいらくらくフォンを夫婦で手に入れた。

  17日の夜、友人たちと我が家で夕食を楽しんだ。携帯電話の話になった。友人夫婦は、奥さんが携帯電話の契約会社をYahooのYモバイルに、旦那さんは楽天の携帯電話に変えたという。奥さんの携帯をネットで申し込むとシンガポールに繋がり、契約した。携帯電話は香港から空輸されてきたという。二人の携帯は今まで通り何の問題もなく使えている。その上携帯の毎月の使用料は大幅に減らすことができたという。我が家はと言えばauとドコモの料金はさほど変わらなかった。もっと調べればよかったのだろうが、とにかくネット音痴というかまるきし機械に弱い二人なのでこれで由とすることにした。

  新しい“らくらくフォン”になって機能が良くなった。私は電話で話すのが嫌い。18日2回携帯が鳴った。2回とも出られなかった。着信をどう受けるかわからなかった。iPhoneの時は、着信音が出ず、メールの着信も音なし。(おそらく私の設定がそうなっていたと思われる)いつも私の心をざわつかせることなく、静かに着信して私がチェックするまで待ってくれた。便利で機能向上も悪くはないが、それについて行けない自分がうとましい。


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早川史哉選手・池江璃花子選手

2019年02月15日 | Weblog

  「スポーツ選手で白血病で戻るのは、少ないと思うけど、自分が復帰することによって、小さい子どもたちが病気になっても、まだまだ先は明るいと思ってもらいたい」 これはJリーグサッカー“アルビレックス新潟”の早川史哉選手の白血病からの復帰を特集した2月11日にNHKテレビの『ひとモノがたり それでも挑み続ける~白血病と闘うJリーガー』の中で早川選手が語った言葉である。翌12日、水泳の池江璃花子選手が白血病の告知をツイッターに載せた。何という偶然。池江選手が白血病であることを発表すると、骨髄ドナーの問い合わせが、今まで一日平均5、6件程度だったものが、270件以上になったという。早川選手の言葉、池江選手の告知を聞いて、私は3人の子どもと私の孫の顏が浮かんだ。

  去年のことだった。孫がまた入院したと長男夫婦から連絡があった。孫は入退院を繰り返している。早速、孫を見舞うために東京の病院へ行くことにした。大きな病院だった。孫の病室への行き方、病室番号はメールで知らされていた。病室の入り口に患者名がしるされていなかった。部屋はカーテンで4分割されていた。最初の区画のカーテンをそっと開けた。ベッドの上に抗がん剤治療で髪の毛が抜けてしまった少年、歳の頃10歳くらいが起き上がって本を読んでいた。私は言葉を失った。やっとのことで「ごめんなさい」と言って、次の区画のカーテン、その次のカーテンとそっと開けた。他の区画にも小学生くらいの年齢の髪の毛がない子供だった。恥じた。いくら自分の孫の見舞いといえども礼に欠ける行動である。4番目に開けた区画に孫がいた。

 2002年2月、私は心臓バイパス手術を受けた。死を意識した。辞世帖を完成させた。あとは初孫と一緒に風呂に入ることが願いだった。孫と風呂に入るのは私の夢だった。妻が赴任先のチュニジアから休暇を取って、私の手術のために一時帰国した。成田空港へは私が長野から運転して車で迎えに行った。初孫は男の子だ。成田のホテルに一泊することにした。そこは長男夫婦が孫を連れて会いに来てくれた。

 孫は成長して、中高一貫校に合格した。彼の両親も私も彼に過大な期待を抱いた。私も昔取った杵柄と英語のノートを作って通信教育まがいの応援をした。サッカーに打ち込んでいた孫に難病指定の病気が見つかった。孫は入退院を繰り返した。会うたびに薬の副作用で顔色や肌の色や荒れが痛々しかった。

  奇しくも私も中学3年生の受験直前に肝炎になった。高校受験前の3カ月間入院した。それでも奇跡的に高校合格を果たして入学した。入学しても病院が用意した弁当を持って、病院から高校へ通った。肝炎の次は胃潰瘍と診断されて、胃の全摘手術を医師に勧められた。動揺した父親が、私を別の医院へ連れ出して意見を求めた。まだ今のようなセカンドオピニオンなどという方法がなかった時である。父の判断は正しかった。胃腸科専門の医師は、“胃の全摘”などとんでもない、と診断した。しかし私はすでに入退院の繰り返しで学業成績は見るも無残なほど低迷していた。そんな時カナダ留学の話が出てきた。カナダでは見違えるように健康を取り戻せた。成績も悪くなかった。

  孫は、サッカーも思うようにできない。学校の欠席も多い。それでも孫は明るく振舞う。好きな肉も食べられないのにメールで「また美味しい物食べに行こうね」と書いてくる。私は、毎年恒例にしていたワイン会や通っていた教室や習い事や同好会から理由も告げずに身を引いた。何をしていても、千切れて細かくなったコールタールのような妄想がクリスマスの硝子でできたスノードームの中の雪のようにうごめく。

  私は老化により病院通いが多い。歯医者、耳鼻科、糖尿外来、血管内科・外科、眼科。どこへ行っても待合室が老人であふれている。子どもや若者の姿を見かけない。子どもは風の子元気な子を当たり前と受け止めていた。あの年齢で癌や難病と闘う子どもが、普段私たちが目にすることがない空間にいる。老人が子どもや若者が病気でいるのを見るのは、つらい。ましてや子であったり孫であれば余計である。早川選手や池江選手の健気さが老人には痛く突き刺さる。

  池江璃花子の祖母が語っていた。「水泳なんてやんなくていいから、とにかく長生きして、私より先に逝っちゃうなんて、いやだから、とにかく長生きしてほしいです。生きてさえいれば、私は……。生きてください。私は死ぬ前に死んでほしくない。わたしだって80歳なんだから」 71歳の私は、祖母の言葉を同じ気持ちでなぞる。


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自動運転と愛の語らい

2019年02月13日 | Weblog

  運転中、「ピッ、ピッ、ピッー」と警報音が出て、ハンドルに突然重い力が加わった。私が何をしたというのか。そうでなくとも最近運転に自信がない。妻が助手席に乗っていると「危ない!こっちに来すぎ」とか、バックしていると「曲がってる」とかよく騒がれる。今乗っているハイブリット車は、衝突防止装置とか緊急時のハンドル自動操作など最先端の技術が標準装備されている。この最先端技術と私の運転技術感覚との調和、同調がどうもかみ合わない。

  歳をとるとズボンの前チャックを上げるのを忘れることがある。自ら率先して開けているのでは決してない。だから気づくと恥ずかしい。最近の自動化技術には、感心するし感謝もする。しかし私自身は、どうもその進歩について行っていない。家のウォシュレットは、トイレのドアを開けるとまず便器を覆っている大きな蓋が自動で河馬の口のように大きく上に開く。ウォシュレットだから洗浄もできる。乾燥もできる。便器内の自動消毒、消音、ノズルの洗浄まで自動である。さらに驚くべきは、使用後しばらくすると自動で排水され新しい水が溜められる。この自動で排水されてしまうことが問題である。たまに友人宅や知人宅を訪ねて、トイレを拝借すると、つい自分の家での日常が私の行動を支配してしまう。これは、ズボンのチャックの上げ忘れ以上に恥ずかしい。

 便利であることは、危険を伴う。先日、道路工事で一方通行になり、誘導するおじさんの旗に従った。その時方向指示器を使った。この方向指示器が自動でいつでも戻されると信じていた。ところがである。次の信号のない交差点で、右折する車が強引に交差点内に侵入してきた。なんて乱暴な運転をしているだろうと運転手を睨みつけた。向こうの運転手はあっけにとられた顔をした。すぐには何がどうなっているのかわからなかった。数分経ってわかった。私の車の方向指示器が左折のままになっていたからだ。だから交差点であの運転手は、私が左折するものだと思い、交差点に進入して右折しようとしたに違いない。何てことを!恥ずかしい。

 毎朝駅まで妻を車で送る。駅の近くに高級SUVの外車がハザードランプをパカンパカンさせて路上駐車させている。運転席には女性が助手席には男性。歳は二人とも50歳以上60以下。夫婦であろう。路上駐車して何やら話している。どうやらラブラブらしい。外車なので車幅がある。路駐なので通行する車は、反対車線にはみ出さなければならない。ここでいまどきの車は、ヒステリーを起こす。どういう仕組みかはわからない。ハンドルを切ると「ピッ、ピッ、ピッー」が始まり、ハンドルが切った反対方向に引きもどされる。いくら最新技術の装置であっても、それぞれの状況までは判断できるはずもない。ハンドルを切って中央のラインを超えれば危険と察知して警報を鳴らし、ハンドルに指示通りの動作を加える。愛の語らいもいいが、場所をわきまえられないのだろうか。迷惑千万。駅には広い車を止めて、出迎え見送りの人が乗り降りできる場所が十分にある。新技術といっても作動したりしなかったり、その曖昧さも危険。

  この町で路上駐車は、ハザードランプをパカパカさせれば、どこでもいつでも誰でも駐車OKらしい。パトカーが通っても何も言わないしない。路上駐車禁止の標識さえ見当たらない。ここは日本なの。ちょっと大きな都市では、駐車管理員が見回っているが、この町ではそれもない。歩行者は、平気で道路を横断する。私は、この町は治外法権を得た日本でも珍しい町なのかと戸惑う。こんな町に住めて良かったと思うほうが腹を立てるよりましか。

  車はどんどん新しい装置がついて敏感にいろいろなことを感知して動作を起こす。私は日増しに鈍感になる。世界の自動車産業は、次世代の自動運転技術にしのぎを削っている。実現するのは多くの困難が立ちはだかる。いろいろな新装置が私の車にも付いている。携帯電話と同じでそのほとんどの使い方がわからない。携帯と違って、車は、運転する自分はおろか、歩行者や相手の車両の運転者や同乗者の命を奪う可能性がある。新装置が付いても、運転する私がそれを使いこなせない。自動運転になったら良いことばかりだろうか。アナログ人間で団塊世代のコキイチ。碓井峠や日光のいろは坂をマニュアル車でギアを入れ替え、ブレーキとアクセルを操作して走行した。爽快。運転が楽しかった。自動運転って楽しいのかな?


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警察・外務省の組織補填

2019年02月07日 | Weblog

  広島県警は、広島中央警察署で2年前に署内に保管されていた現金8572万円が紛失した事件で、幹部の役職に応じて金額を設定して、8572万円全額を補填することを決定した。

  ウッ、このような話以前我が家も巻き込まれたことがあった。2002年私たちはチュニジアに住んでいた。東京の外務省で要人外国訪問支援室長だった松尾克俊が約7億円を詐取したことが発覚逮捕された。松尾の容疑は、競走馬14頭、ゴルフ会員権、マンション購入費、数名の外務省員で愛人女性数人への現金授与だった。立件された額は4億8千万円に上った。松尾は、外務省が警察に被害届を出し、即刻逮捕され懲戒免職になった。松尾側は、3億円を返済した。返済という言葉が、適当なのかは疑問である。なぜなら松尾が手に入れた資産は、盗んだ金で購入したものだった。話はそこで終わらなかった。

  チュニジアにいた、ある日、妻が憤慨して帰宅した。「本省からの通達で、あの松尾が使い込んだ金を補填するために役職によって額を決め、徴収するなんて、絶対におかしい」 私は外務省って罪を犯した省員でもしりぬぐいしてくれる役所なのだと感心した。

  外務省には、地位制度がある。キャリアとノンキャリの線引きは、もっとも明確である。ネパールにいた時、妻は突然「私、キャリア試験受ける」と言い出した。そしてキャリア試験を受ける準備を始めた。私ならキャリア試験になど、端から受けようとも思わない。しかし妻は違った。外務省の医務官として勤めて、内情を知るにつれ、持てる資格なら持っておこうと考えたのであろう。現地の英語学校に入学して準備を進めた。結局、試験を受けるには、年齢制限があって、妻はその年齢資格を前年に失っていた。妻はしぶしぶ試験を受けることをあきらめた。その飽くなき挑戦し続ける態度姿勢に感動した。

  チュニジアで妻は辞令で“一等書記官”から“参事官”に昇格した。役職によって松尾の横領の補填の額が決まった。4億8千万円から松尾が戻した3億円を引いた差額1億8千万円を何の関わりもない妻も松尾にとっては微々たる額であっても、負担することになった。妻が腹を立てるのも当たり前である。妻は松尾の金の使い道が気に入らなかった。大嫌いな賭け事につながる競馬の馬、それも14頭も。競馬馬は買うのも大変だが、馬を飼育維持する経費は莫大である。その上、女への金を貢ぐことには、嫌悪感を強く持っている。そのしりぬぐいをさせられることに我慢がならなかったのである。

  今回の広島県警の8572万円の補填も腑に落ちない。こんな補填が欧米先進諸国の役所で有り得るだろうか。個人が犯した罪による損害を役所としての組織が肩代わりする。こんなこと有り得ない。欧米でもそれぞれの組織に縄張り意識があり、管轄をめぐる争いはあるであろう。しかし事、金に関しては、日本の役所組織より冷酷非情である。犯罪人の罪は、犯罪者個人の責任である。脱税、横領の刑罰は日本より重い。松尾は懲役7年6カ月の実刑判決を受けた。松尾が逮捕されてすでに17年経っている。すでに松尾は、刑期を終えて娑婆に復帰している。彼が今、どうしているか知りたくもない。刑期が済めば、犯した罪はチャラになる。

  ギャング映画でよく逮捕される前に盗んだ金を隠して服役して、刑期が明けるとその金を使うというのがある。あの積水ハウスを騙して55億5千万円を手にした地面師グループもそれを狙って策略をめぐらしているらしい。

  渡る世間は悪ばかりではない。確定申告の時期が来た。私の妻のように、自ら税務署に出向いて真面目に税を納めようとする人々もいる。政府も役所もその税金をなんと心得る。

 【税金詐欺師を逮捕しても、その納税者たちは再び納税を始めるので、彼が刑務所から出てくれば再び彼らの税金を奪うことができる。だが、もし納税者たちの方を長い間刑務所にぶちこめば、飯の種を失った詐欺師どもは仕事を変えて正直にならざるをえないだろう。】

 (原文)悪徳銀行家を逮捕しても、その犠牲者たちは再び貯金を始めるので、彼が刑務所から出てくれば再びかれらの財産をうばうことができる。だがもし預金者たちの方を長い間刑務所にぶちこめば、飯の種を失った詐欺師どもは仕事を変えて正直にならざるをえないだろう。(ジョルジュ・ド・ラ・フーシャルディエール)


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川の流れのように

2019年02月05日 | Weblog

 2月4日まるで春が来たかのように気温が15度を超した。住む集合住宅の大規模修繕が始まった。家にいると「ドドドドオーダダダダダァー」のコンクリートにドリルで穴を開ける音、「カァーン カッキーン カン」と足場を組む金属が触れ合う甲高い音、職人さんたちの掛けあう声が響く。10人ほどの若者。健康そうだ。見ていると自分の状況が切なくなった。そうだ散歩に出ようと思って太陽のまぶしい光にとびこんだ。

 川のほとりを海に向かって歩いた。川の中で何台ものパワーシャベル車が動いていた。何の工事だろうと思った。まるで私の疑問に答えるのを待っていたかのように立て看板があった。「川の流れを良くするための工事を行っています」 打てば響くような実にタイミングが良い。

 「川の流れ…」と聞くと、思い浮かべるのが美空ひばりの曲「川の流れのように」である。美空ひばりと言えば、私の小学校の同級生の妹に「ひばり」という名の女の子がいた。きっと親がよほどの美空ひばりのファンだったに違いない。小学校で演歌や歌謡曲を歌うことは禁止されていた。歌うと罰を与えられた。禁止されると好奇心が倍増。隠れて歌う、聴く。そのせいか当時の事をよく覚えている。

美空ひばりの歌は、海外に住む日本人がよくカラオケで歌っていた。私の妻は、カラオケが好きではないが、どうしても歌わなければならない時、『川の流れのように』を歌った。「え、この人がこの歌を」と驚いたものだ。妻以外にもこの歌を持ち歌にしている人が男性にも多かった。

「♪知らず知らず歩いてきた 細く長いこの道…… ……でこぼこ道や 曲がりくねった道 …… …… ああ 川の流れのように おだやかに この身をまかせていたい♪」(作詞:秋元康 作曲:見岳章 唄美空ひばり)

 私は看板の前に立ち尽くした。私は明日2月5日再び東京の病院で1月22日に受けたカテーテル治療の結果を調べるCT検査を受ける。同時に右脚の動脈の狭窄を調べる。その結果を診て、今後どうするかを決める。

 私の体内に網の目のように張り巡らされた血管。そのあちこちで狭窄や硬化が進んでいる。看板の「川の流れを良くする工事を行っています」が私に「あなたの血管の流れを良くする治療を行っています」と読めた。最近私を弱気が支配する。元気がない。看板を見て、なんだか心が軽くなった。それに空は青く、空気が温かい。今日は立春。もうすぐ春。

  川に沿って小さな公園がある。そこの早咲きの桜が満開になっていた。毎年恒例の我が家で集う桜の会の知らせを病院検査が終わったら友に出そう。海を見た。海も空も大きすぎる。川はちょうど私にも受け入れやすい規模で人生にたとえやすい。海に流れ込むまで、川の流れに身をまかせよう。

  先日、長男が病院へ見舞いに来てくれた。久しぶりに二人だけでゆっくり話せた。彼もいろいろな問題を抱えている。その彼が「なるようにしかならない」と言った。感心。同感。 その通りだ!


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心愛ちゃん、捺未さん、羽月ちゃん

2019年02月01日 | Weblog

  私の心臓は、私の感情に過敏に反応する。2月5日の心臓カテーテル治療の結果と右脚の動脈の狭窄検査に備えてインフルエンザに罹らぬように家にこもっている。インフルエンザのウイルスから逃げられても、残酷で非道な事件からは逃げられない。テレビのニュースを観ては、私の心臓は、怒りと哀れみに鷲づかみにされる。

  千葉県野田市で心愛ちゃん(10歳)が自分の父親に虐待されて亡くなった。テレビのニュースで心愛ちゃんの元気だった姿や顔が映し出された。私には娘がいる。女の子はかわいい。目に入れても痛くないほどかわいい。このところ家にこもって写真をスキャナーでパソコンに取り込んでいる。私の娘の生い立ちを追っている。それが心愛ちゃんと重なる。私の娘は、成人して家庭を持ち、子供の親になった。心愛ちゃんは、病気でもなく事故に遭ったわけでもなく、自分の父親に殺された。こんなモウラシイ(方言:かわいそう)ことあるか。

  以前、埼玉県で羽月ちゃん(当時3歳)が母親と内縁の夫に浴室で熱いシャワーを浴び去られて殺された。母親が撮った動画がテレビで放送された。私は打ちのめされた。どうしてこんなにかわいい子が殺されなければならないのか。子育ては人間に与えられた最大事業である。何事にも優先されなければならない。親もダメだが、役所も役立たず。助けられる命をみすみす悪魔に手渡している。映画やドラマの良しあしが配役で決まるように、役所の人員配置も適材適所を優先すべきだ。出でよ熱血公務員。私の気持ちの中に、あんな親に育てられるなら私が…と考える。しかし自分の一人の娘を育てるのさえどれだけ苦労したかを思い出す。ましてや他人の子を育てられるわけがない。では何をしたらよいのか。私は答えのない苦悩に陥った。

 心愛ちゃんの事件で悲しんでいるうちに、今度は千葉県神栖市で東京の薬科大学の女子学生菊池捺未さん(19歳)が畑から遺体で発見された。「なぜ…」ばかりと思案にくれる。この老いぼれの私が、心愛ちゃんと捺未さんと羽月ちゃんの身代わりになれたらと悔やむばかり。

  女の子を育てるのは男の子よりずっと難しい。高校生になる頃から、男親には未知の領域に入る。西洋人と日本人では性に対する文化が異なる。西洋社会では、性は自然の欲求だと厳格な宗教以外において理解を示す。欧米の映画ドラマを観ているとそうだと納得できる。とにかくセックスシーンがやたら多い。日本では性は、秘め事である。性に目覚める思春期の若者にとって、未知の世界であり、興味津々の世界でもある。ワルは、彷徨う若者を餌食にする。

  アメリカやカナダでの親の子に対する性教育では「ドア」を強調する。「ドアを開けて相手を部屋に入れたら、相手にどうされても良いと了承したことになる。ドアを開けるか開けないかは自分次第である」 日本と西洋とのドアや住宅環境は大きく異なる。日本人は「ドア」にほとんどが警戒感を持たない。おそらくそれは、長く続いた障子や襖での間仕切りの生活が原因であろう。これは今後家庭でも学校でも性教育に加えるべき項目である。

  ドラえもんの漫画をみて「どこでもドア」があるのではと思って育った多くの日本人は、ドアに憧れを持っているようだ。ドアの向こうは、甘美の世界だけではない。ワルがドアの向こうで手ぐすねひいてカモを待っている。

 家や部屋や車のドアも大事だが、一番守らなければならないのは心のドアである。

 


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