団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

コロナ ファイザー ワクチン

2021年04月30日 | Weblog

  「ワクチン接種受けました。…」4月28日午前8時33分発信の妻のメール。待ちに待った瞬間だった。医療従事者に対する優先接種が始まったのが、2月17日。医療従事者といっても最初は新型コロナに感染した患者の治療にあたる人達だった。その他の一般医療従事者の接種は、3月3日からだった。4月12日からは65歳以上の後期高齢者への接種も始まった。小心者の私は、東京の病院へ遠距離通勤を続ける妻が、いつかはコロナ菌を家に持ち帰るのではと、恐れていた。ワクチン接種を受けられれば、妻本人も私も少しは安心できるのではと内心で願っていた。

 アメリカ映画の『アウトブレイク』や『コンテイジョン』で突如感染爆発した感染症に対するワクチン開発とワクチンを巡っての争奪戦を描いている。自分と自分の家族だけは助かりたいという気持ちは、本能の領域に違いない。日本人は、映画に劣らぬ新型コロナ感染に見舞われたが、映画のようなワクチンの争奪騒動は、起こっていない。アフリカや途上国などの災害や紛争で援助物資を配給する時の奪い合いは、幸い起こっていない。我慢強い日本国民は、必ずこの国難を乗り超える。

 4月26日午前9時から私の住む市でもワクチン接種の予約が始まった。ネットで試してみた。9時ちょうどから市のウエブサイトを開いたが、ワクチンの申し込みサイトはなかった。9時5分過ぎに開いた。必要項目を書き込んで「予約する」を押すと、すべて予約済みになっていた。会場や日時を変えて申し込むこと7回。やっと5月28日に1回目を6月18日に2回目の予約が取れた。めでたしめでたし。

 願っていた妻のワクチンの1回目の接種を受けることができた。これから2回目を受け、抗体が根付くまでには4週間が必要だ。先が見えてきた。あとは私がオタク風自粛を続行して、ウガイ手洗いをこまめにやり、3密を避ける。最近、私は鼻うがいを始めた。写真の左端にある青い小瓶の先を鼻に入れ、中の液体を注入する。私は鼻と喉と首に異常なほど敏感である。最初は予想通り「オェ」となったが、すぐ慣れた。イソジンのウガイと鼻うがい、手洗い、散歩、食事、睡眠を重視して先が見え始めたコロナ征伐に、油断することなく立ち向かう。

 


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コロナ自粛とサワガニ

2021年04月28日 | Weblog

  私が住む集合住宅は、山裾と川の間に立ちふさがる。南側が山、北側に川。冬は陽当たりが悪い。冬は寒い。負け惜しみではないが、その所為で夏は涼しく過ごせる。

 南側にベランダがある。冬が去る前兆は、南側からの陽差しがだんだんベランダをほふく前進するように増え、ついには部屋の中にまで差し込むことで知らされる。春の訪れを日に日に感じる。妻は洗濯物をベランダに干せると喜ぶ。

 そんな春の訪れを喜ぶのは、妻だけではないらしい。昨日、サワガニがベランダで日向ぼっこをするかのようにじっとしていた。死んだのかなと近づいて見ると、カニのハサミは動いていた。

 私の素人考えなのだが、春になると山に住むサワガニが一斉に子孫を残すために川に下って来るのではないかと推測する。多くの生き物は、冬が去り、春がくると繁殖のために、どこからともなく大集合する。上田市の傍陽の実相院というお寺でも“カエル合戦”というヒキガエルの繁殖行動があった。上田高校の生物班が毎年研究を続けていた。

  ある決まった時期になると多くの生き物は、本能で集まる。集まった同類の中から相手を見つける。かつてサハリンの川で鮭やカラフトマスやサクラマスが一斉に遡上して、山奥の幅1メートルにも満たない小川で産卵するのを見た。何匹ものオスが体をボロボロに傷つけてもなお、メスに近づこうと戦っていた。私は、子孫を残すという行動の生臭さとそれに相反する神々しさに圧倒される。

  ベランダのサワガニもきっと本能的に繁殖行動の時期を察知して川に向かっていたのであろう。ところが山と川の間に私が住む集合住宅が割り込んでいた。山を下れば、川があるというカニの中に組み込まれた情報は太古から変更されていなかった。私はそう判断した。私はカニを手でつまみあげた。カニは必死に二つのハサミを私の指に食い込ませた。それでも私はカニをそのまま川まで持っていき、川原の茂みに放した。

  夕方妻を駅に車で迎えに行く時、川沿いの道路上に何匹ものカニが車に轢かれてペチャンコになっていた。何があっても子孫を残そうとする、生き物の飽くなき万年も続く営みの、はかなく悲しさの向こうに、したたかさと重い重い命の尊厳を垣間みた。

  やっと届いたワクチン接種券に手にして、なにげに喜ぶ自分が小さな存在に思えた。


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白木の芽

2021年04月26日 | Weblog

  栃木の那須烏山市出身で東京に住む妻の知人が、“白木の芽”という山菜をたくさん妻に届けてくれた。知人の母親の親戚が山菜採りや川魚獲りの名人なのだという。その名人がとった鮎やチタケも毎年もらっている。私は山菜採り、キノコ狩り、魚獲り好きだけれど名人ではない。山菜やキノコは、食べられるか毒かの見分けが難しい。命に関わる。ワラビ、タラの芽、タケノコ、松茸など見分けができるものなら、私も手を出す。それ以外、臆病者の私は無理をしない。

 山菜採り、キノコ狩り、魚獲りをサハリンで満喫した。リンさんという名人が常に一緒だった。リンさんとたった二人でサハリンの原野、海、川を駆け巡った。ヒグマがいるようなところでもリンさんと一緒なら恐くなかった。リンさんは最高の先生だった。山菜、キノコ、木の実、魚。どこでいつ何がとれるのか知っている。私はただ彼の言う通りにやればよかった。

 日本に帰国して山菜採り、キノコ狩り、魚獲りをしたいと思わなかった。今住む集合住宅の前に川が流れている。毎年鮎の稚魚が放流され、釣り人が多く訪れる。時間がたっぷりあるので釣りでもすれば良いのだが、まったくその気が起こらない。サハリンでの経験がどうしても忘れられない。だからそれを大事にして仕舞っておくことにした。那須烏山の名人に会ったことはない。でもきっとサハリンのリンさんのような人に違いない。もらった鮎、キノコ、山菜を手にするとリンさんと駆け巡ったサハリンを思い出す。だから丁寧に調理して感謝して食べる。

 それぞれの土地に珍しい食材がある。その地独特の名で親しまれている食材に、私は魅かれる。長くその地で、そこに住む人々に愛されてきたという現実に圧される。“白木の芽”は、コシアブラの事だった。見た目、タラの芽に似た山菜である。タラの芽のように天ぷらがいいようだ。私は栃木でやる混ぜご飯にしてみた。炊けたご飯に、茹でて氷水で冷やした白木の芽を、細かく刻んで塩少々とゴマを混ぜ込む。

 夜、妻と混ぜご飯を食べた。美味い。栃木で“白木の芽”が愛されるみなもとに触れた気がした。そしてふとサハリンで、満天の星空のもと、キャンプでリンさんが炊いた飯盒の土の匂いのご飯の美味さが口に拡がった。

 


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ティファール、続いてバルミューダお前もか

2021年04月22日 | Weblog

  このところ家電製品の故障が続く。まず先先週の土曜日ティファールの電気やかん。妻がお茶を淹れようと電気やかんに水を入れ、作動させた。しばらくするとやかんから勢いよく湯気が立ち昇る。「パッキン」と音が出て、電源が切れた。「アツッ~ィ」と妻の悲鳴。私、駆け寄る。「おかしいよ。これ。ここまで熱くなっているもの」 確かに湯気の出方が異常。「そっこに水が付いていたんじゃない」と私。電気やかんが冷めるまで待った。妻が「底は濡れていない。もう一度やってみる」 しかし結果は同じ。「大丈夫。お湯は鍋でも沸かせるから」 ティファールに連絡しようと思ったが、やめた。過去に何度もいろいろな会社に製品に関しての苦情を伝えたが、まともに対応した会社はなかった。どうせまた同じ対応に怒るより、新しい電気やかんを買ったほうが良い。アマゾンで探すと『電気ケトル 最新改良版 電気ポット 電気やかん 1000W 急速沸かし 電気ケトル 0.8L大容量 ケトル 二重構造 火傷防止 湯沸かしケトル 沸騰自動OFF機能/空焚き防止機能 電気やかん 目盛付き 電気ポット 断熱ハンドル 安心安全』という2549円のものがあった。これだと注文した。翌日届いた。ティファールの電気やかんは、高島屋のオンラインで11968円だった。温度調節できる機能が気に入った。新しもの好きな私はとびついた。

 妻はどんな物でもいろいろな機能が付いている物を敬遠する。私は常に理想を追い求める。「こんなモノがあったらな、ここがこうなればな」に答えるような製品が出て来ると手に入れたくなる。新製品の宣伝文句は、私のそんな気持ちを鷲づかみする。妻は電気やかんならただ湯を沸かしさえすればいい。車ならただ故障しなくて安全性が高ければ、生産会社や格好や馬力やマフラーが1本だろうが2本だろうが構わない。買ってしまえば、後は野になれ山となれの私と違って、妻は買った後にその製品を厳しく評価し続ける。

 1週間後、ティファールの電気やかんに続いて、今度はバルミューダの炊飯器が壊れた。妻は電話で長く待たされ、聴きたくもない曲に文句を言いながら、回収修理の手続きを済ませた。最低2週間はかかるそうだ。妻は職場に弁当を持参する。炊飯器は必需品である。我が家は玄米を炊く。鍋でも炊けるらしいが、炊飯器のタイマーでの炊飯の便利さは、捨てがたい。仕方なくノジマに行き、安い炊飯器を買った。4900円だった。バルミューダは確か4万5千円ほどだった。付いている機能はほとんど一緒。初めてその炊飯器で炊いたご飯を食べて、二人でハモって「美味しい」と言った。値段は高い方が優れていると今までは信じていた。私は家電製品に対する偏見を捨てなければならないかもしれない。


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結婚披露宴の司会

2021年04月20日 | Weblog

  口ごもる夫。すかさず夫が言おうとしていることをすっと言葉にしてはきだす妻。最近の私たち夫婦の会話での現象である。似た者同士と言うか、夫婦も長く一緒にいると相手の気持ちを読めるようになる。私のような単純な人間は、読み解きやすいのであろう。妻の先だしはほとんどが図星だ。人の名、食べた物、地名、商品の名前、正確な日時、私の頭の中は、スッカスカ。言おうとすることを考える。そこまでは良いのだが、詳細な事実が出てこない。それを思い出そうとしていて、時間が過ぎる。妻にとってはもどかしいに違いない。さっと私の代理脳として、本来は私の脳がする情報管理をやってのける。

 私が言わんとすることを妻に先を越されるたびに思う。これでも昔は起きている間は、ずっと喋り続けていたくらい饒舌だったのだぞ。塾の教師として、予備校の講師として、短大の講師として、家庭教師として、通訳として、よどみなく講談師のように話していた。時には、身振り手振りまで加えて話せた。考えていることが、ほぼ同時に言葉となり音に変換されて口から出たものだ。ところがコキゾウ(古稀+3=73歳)になった今、アーッとウーッか沈黙。言葉が出て来るまでの時間稼ぎをする始末。それさえも空振りになることが多い。漫才コンビのトレンディエンジェルの「斎藤さんだぞ」ではないけれど、過去の自分を思い出し「〇〇さんだぞ」と言いたいものだ。

 そんな私だが、過去に輝かしい実績がある。結婚披露宴の司会である。ひょんなことから友人の披露宴の司会をやった。それがきっかけとなって4回司会を仰せつかった。披露宴に参列していた人が私に直接依頼してきたのである。披露宴の司会は、下準備が大変である。行き当たりばったりでできるものではない。それだけに終わった後、新郎新婦と両家の家族から感謝の言葉を聞くと嬉しいものである。

 過去の栄光にすがって良いのであれば、言葉に詰まり、妻に先を越されるたびに、私はあの披露宴での司会者が、この同じ自分であったことを自分に言い聞かせることにしている。

 


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もっと知りたい、そこが知りたい

2021年04月16日 | Weblog

  報道に不満がある。それはサランラップの切れ口がわからなくなった時のようだ。理由は分からないが、最近のサランラップ、使っている途中で急に亀裂が入ってしまう。そして切れ口が行方不明となる。爪を立てたり、指でなぞって切れ口を探す。トイレットペーパーの切れ目探しとは、雲泥の差である。ラップがセロテープ同様透明なのが切り口探しを一層困難にしている。思った、これって日頃私が報道に対して感じている気持ちに似ているのでは。もっと報道の内容を詳しく知りたくても糸口が書かれていない。報道されて私に届いても、いつしかウヤムヤにされ、どう解釈して良いのかわからなくなる。

 ミャンマーの軍によるクーデターで民間人がすでに700人以上が殺されている。軍が自国民を殺すとは。国民を守るのが軍の仕事であろうに。国連では中国とロシアが邪魔をして決議がウヤムヤになり、結果傍観しているだけになる。私は知りたい。テレビ画面に映る軍用車や装甲車がどこの国で生産されたものか。使用される鉄砲や弾薬はどこの国の物なのか。それがわかれば、軍がどこの国の影響を強く受けているか知ることができる。

 コロナのワクチン報道もしかり。他の国々でワクチン接種が進むのに、日本は未だに1.4%にしか達していない。チリ、ハンガリー、ブータンでは50%を超す勢いである。私は知りたい。接種率よりもどのワクチンがどこの国でどのくらい使われているのかを。

  福島の原発汚染水の海への放出でも、報道はトリチウムの濃度を取り上げている。他の原発のある国々の海への廃水は、福島より濃度が高いという。その数値が具体的でない。数字はデズレイがかつて言ったように誤魔化し易い。どこの国のどの原発がどのくらいの濃度で排水しているのかを。正確な測定を手に入れるのも報道に携わる者の務めではなかろうか。

  日本のテレビは朝から夕方まで、どの局もお笑いタレントばかり多用してニュース番組を放送している。ニュースに群がる様は、首相官邸で距離を置いて首相に群がる記者団に似ている。あれで特ダネが取れるわけがない。記事はほとんどが金太郎飴。番組も金太郎飴。週刊誌だけが足で記事を集めて独自の取材をしているように見受けられる。それでも私には物足りない。

 アメリカのマスターズゴルフで優勝した松山英樹が優勝の勝因の一つを「日本からのマスコミ取材陣が少なかったから平静にプレーできた」と言った。私は大いに納得した。マスコミは騒ぎすぎる。騒ぐよりもっと地道な読者視聴者が知りたいことを足で取材するべきだ。小学校の学級新聞作りで5W1Hを習った。①Whoだれが②Whenいつ③Whereどこで④What何を⑤Whyなぜ⑥Howどのように 最近の報道はこの5W1Hの比率が崩れている。自分の目、耳、足、手を駆使した比率の良い報道ならば、私の“もっと知りたい、そこが知りたい”に近づいて来るのでは。


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2021年04月14日 | Weblog

  春になると筍が届く。春を実感する事例が数を増す。家の前の染井吉野の桜並木の桜が散り、並木のところどころにある八重桜がこれでもかとボンボンのような花を咲かせる。朝、裏山で鶯が習いたてのホーホケキョと鳴き始める。昼間、ツバメが飛び、あちこちの巣でヒナがエサを求めて鳴く。夕方、駅へ妻を迎えに車で行く。妻を乗せ、家に戻る。あたりは薄っすら暗くなっている。川沿いの道に入ると、コウモリが車のすぐ近くを飛び交う。散歩途中でたくさんの花々が咲き始める。藤の花がキレイ。そしてジャスミンの花の匂いが漂う空間に引き込まれる。家の南側に竹林がある。毎年、筍が出る。朝、竹林をベランダから見渡す。筍が出る場所も数も推測不能。竹林の竹は、てんでバラバラ。こうして春が進行。

  筍を食べるのは、イノシシと同じくらいかそれ以上、好きだがアク抜きが下手。友人が届けてくれる下ごしらえした筍は絶品である。毎年不作でない限り、必ず届く。毎年、春はこの友人から届く筍を待ちわびる。今年も来た。はしたないとはわかっているが、この時期になると電話を待つ私がいる。「筍茹でたのでこれからお届けします」電話の受話器から春爛漫の交響曲が流れるかのようだ。コロナ禍でもこうして友人は、筍をわざわざ玄関まで届けてくれる。家で咲いたからと、カラーと桃色のマーガレットの花束まで一緒だった。コロナ前は家に呼んだり、呼ばれたり。一緒に飲み、食べ、話す時間があった。コロナ以後、双方とも大きな病気を経験した身、免疫力が低い。ずっと会うのを我慢している。

  湯気が立ち、まだホカホカの筍を台所に持ち込む。温かい筍を手で包み友人の気遣いに感謝。作家の宇野千代は「物くれる人は、みないい人」と言ったとか。私も宇野千代と同じ気持ちになった。筍をさてどう調理しようか。まず何はさておきタケノコご飯。身欠ニシンと煮物にしよう。タケノコの天ぷらや刺身。こうして献立を考えている時、私の口角は上る気がする。


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スポーツの力

2021年04月12日 | Weblog

  全豪オープンテニスでの大坂なおみの優勝。大相撲春場所での照ノ富士の奇跡のような大関復帰。水泳の池江璃花子の全日本水泳選手権での4冠達成。そして今朝のアメリカマスターズゴルフでの松山英樹の優勝。

 コロナ禍を忘れさせてくれるこれらスポーツ選手の数々の快挙。スポーツが持つ底知れぬ魔力に魅了された。日々コロナの恐怖にオドオドしている。やれ手洗いだ、ウガイだ、マスクだ、社会的距離だと見えない敵コロナに翻弄され続けて1年が過ぎた。政府のコロナ対策のまずさにも、すっかり慣れた。政府に期待することはない。マスコミにも期待できない。テレビ番組の多くは、観るに堪えない低俗なものばかり。そんな中スポーツ中継だけが、私を素直にさせる。なぜだろうか?私が思うに、スポーツには規則があるからではないだろうか。生まれ持った身体能力と環境や本人の努力は、厳しい規則によって保護されている。いかなるスポーツにも、順位と勝敗がつく。これは神聖とも言える領域である。ところが世の中には不平等、不正、虚偽がまかり通る。スポーツのお陰で、コロナ禍でも励まされ、先に希望が持てる。

 私の散歩で会えるのを楽しみにしている少年たちがいる。一人はおそらく長距離走の選手を目指す少年。たぶん中学1,2年生であろう。毎朝登校前に同じコースを走って来る。先日母親らしき女性が、ストッポッチを持って、少年が戻って来るのを待っている姿を見かけた。多くのスポーツで頭角を現す人たちには、家族の支えがあるという。来る日も来る日も走る少年を見ると元気がもらえる。

 もう一組は、競技用自転車の練習を続ける少年二人組である。自転車も競技用のもので、身支度も自転車競技の選手が着ている物と同じなのだ。この二人の練習姿をカメラに収めたくて機会を狙っていた。やっと昨日、妻と買い物に行った帰りにその機会があった。運転する私にカメラは操作できない。妻に頼んで撮ってもらった。二人は、やはり中学生だと思う。兄弟なのか友人なのかはわからない。しかし常に一緒に練習している。先日、散歩途中きつい坂道で後ろから二人が自転車でやって来た。私の心臓はパクパク、脚はガクガク。二人はもの凄いスピードで私を追い抜いて行った。何という脚力!ほれぼれ。若さっていいなと見送った。

 スポーツには、多くの種目がある。どれを選ぶかはひとそれぞれだ。成功する人ばかりではない。しかしどのスポーツもすそ野が広いほどレベルが上がるという。そして選手、未来の選手たちの家族の支えも大きな影響を与える。私は、毎朝それ違う長距離走の少年と自転車の少年たちの、この先の活躍をみたい。

 


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新年度

2021年04月08日 | Weblog

  日本の4月は入学式や入社式の季節である。四季がハッキリ区分されている日本。4月は春の主役をつとめる。そんな4月になっても、コロナは勢いを弱めない。それどころか第4波に入ると言われ始めている。

 私は4月1日にカテーテル治療を受けた。心臓を動かす血が流れる血管に、新たにもう一本のステントが入った。そのお陰で心臓あたりに感じたドンヨリした違和感が消えた。体の方は、4月にふさわしい再出発ができた。散歩も以前のように普通にできるようになった。気持ちの方は、この1年間を超えて続くコロナ恐怖にひれ伏したままである。落語に出て来るような“ご隠居”になることを目指していた。コロナ禍でなければ、少しは落語に出て来るご隠居さんのような笑いを誘う存在を目指せた。心の中にユーモアという余裕がないのが寂しい。

 しかし世の中は、なんだかんだと言っても一日も止まることなく動いている。カテーテル治療入院から帰宅して、孫の大学入学式をユーチューブで観ることができた。6千人の新入生が午前午後の2回に分けられての入学式だった。どこに孫がいるのかは、わからない。それでも入学を一緒に祝う気持ちになれた。凄い時代になったものだ。

 これだけ進歩した時代でも、新型コロナのような感染症に世界中が対策に苦慮している。特に日本は、ワクチン接種が人口の0.2%にしかされておらず、遅れが目立っている。コロナのウイルスは、目に見えない霧のようになって、浮遊しているように思える。それは悪魔の存在のように思える。目に見えないから恐怖が増長する。外に出て、何が恐いといって、自分がいつの間にか、その目に見えない悪魔の霧の中に入り込んでしまう恐怖である。四六時中、オドオドしているのが疲れる。

 電話が鳴れば、家族の誰かが、友人の誰かがコロナに感染したということではないかとビクビクする。ほとんどの電話は、やれ墓だ、オリーブオイルだ、光回線だの勧誘である。入るメールは、詐欺まがいの「ご本人不在の…」や「残念なお知らせがあります…」がほとんど。いい加減にせいや。まだそれほど呆けていないから、騙されんぞ!

 とにかく新年度が始まった。期待はワクチン接種後の生活である。実に忍耐強く待っている。そろそろやりたいことリストの作成を考えている。早く来い来いワクチン接種。

 


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PCR検査

2021年04月06日 | Weblog

 初めてPCR検査なるものを受けた。

  カテーテル治療で東京の病院に行った。その病院は初めて行く病院だった。事前にカテーテルを入れて診て、治療する必要がなければ、そのあと家に帰っても良いと言われていた。一応入院の準備をして妻に付き添われて東京の病院へ行った。受付のある待合室には大勢の患者がいた。こんなに人がたくさんいて、コロナ大丈夫と心配になった。

  受付を済ませると待合室の片隅の仕切られた『特診室』とドアに書かれた場所に案内された。3畳ぐらいの広さで机と椅子しかない。椅子は机に背を向け中庭の見るように置かれていた。PCR検査を受けて「陰性」でなければ、治療は受けられないという。PCR検査。テレビでよく綿棒を鼻の奥に入れて検査を受けている人の映像を観ていた。検査は苦痛だと聞いている。唾液での検査は綿棒の検査よりずっと楽だと聞いている。さてどちらかなと思っていると、看護師が綿棒片手で私の前に立った。「奥まで入れるので苦痛ですが我慢してください」 そう言って鼻の孔の奥深くまで綿棒を入れ、綿棒の先を何かをこそげ落とすようにグリグリと回した。私は陰性ならこれからもっと辛いカテーテルを受けるのだ、なんぞこれしき、と我慢した。「検査結果は1時間後に出ます。それまで待合室でお待ちください」妻が待合室のベンチで本を読んで待っていてくれた。

  結果は陰性だった。嬉しかった。コロナウイルスは、まだ私の体を侵していない。去年の2月くらいからずっと脅える毎日だった。自粛どころかほとんど世の中との接触を絶っていた。この失われた時間は大きい。安倍元首相に代わって、菅首相になった。「あらゆる可能性を鑑みて…」「…躊躇なく…」「…しっかり…」「何としても…」と発言しつつ、コロナは相変わらず猛威をふるっている。1年以上経っても先が見えない。こんな事ならもっと早い時期に日本国民全員のPCR検査を実施して、感染者を分離して1週間とか1カ月とか完全に封鎖して見ても良かったのでは。ただダラダラ先延ばしして、中途半端な『緊急事態宣言』や『まん延防止等重点措置』を繰り返すより効果があったのではと私は思う。空々しい言葉遊びのような宣言や措置より、痛みや苦痛を伴う検査とワクチン接種が欲しい。


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