団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

えんのみ鉄砲

2022年11月21日 | Weblog

  20日の日曜日、5回目のワクチン接種を受けるために、妻と歩いて会場へ向かった。妻は、今回私と一緒には、ワクチン接種を受けない。付き添いということで同行してくれた。予約は10時だった。天気予報では、朝から雨と言われていたが、まだ降り出していなかった。二人とも傘を持って出た。私は、杖があった方が歩きやすい。大きくて長めの傘を選んで、杖代わりにした。会場は、地域の公民館だった。家からは歩いて30分くらいである。川沿いの歩道を歩いた。紅葉が進み、歩道のところどころに枯葉が溜まっていた。小さな公園を横切った。足元で「ブシュッブシュ」と音がした。靴でドングリを踏みつけていたのだ。できれば踏まずに前へ進みたかったのだが、数が多い。避けて歩ける状態ではなかった。

 生まれ育った信州の秋は、木の実が多く子どもたちの遊び道具になっていた。木の実の遊び道具といえば、秋ではなかったが、夏になる前、榎の実を玉に使ったつき鉄砲作りが流行ったことがある。榎の実は、青かったが、硬かった。細い竹をくり抜いて、その穴にきつ過ぎもなく、緩すぎることもない押し出し棒を作った。あの頃、男の子は、肥後守の小刀をポケットに入れていた。竹藪に入って、適当な竹を選んだ。いつも一緒に遊んだ5,6人の子どもが、それぞれ工夫して自分のつき鉄砲を作った。出来上がると、試し打ちをした。つき鉄砲の玉は、いくらでも榎の木から取れた。上手に作ったつき鉄砲は、榎の玉を筒から発車する時、「シュパッ―ン」と音を発した。この音を出せるつき鉄砲は、そうは簡単に作れない。だから巧く作った子は、鼻高々だった。木の実で遊んだ思い出は、このつき鉄砲が一番だった。

 木の実を竹の筒に入れて鉄砲にして遊んだ、あの鉄砲の名前も、使った木の実の名前も、思い出せなくて歯がゆい思いをしていた。先日、やっとのことで、ネットで「つき鉄砲」とか「えんの実鉄砲」だとわかった。使った実は、「榎の実」であることを突き止めた。嬉しかった。一気に子ども時代に帰ることができた。

 小さな公園を妻と二人並んで歩いた。落葉を踏み、ドングリを踏みながら。ワクチン接種の会場に急いだ。4回目は、病院で受けた。その病院には、20人くらいの人しかいなった。驚いた。同じ町内にこれほど多くの人がいたなんて。まず玄関を入ってすぐのホールで受付をした。そこにすでに10名くらいの人。係に促されて、2階の大ホールに入った。最低100名はいた。接種を待つ人。接種を終えて15分の待機する人々。コロナ禍で家に籠っているので、一度にこれほどの大人数の人を目にすることはなかった。胸に番号が記されたシールを貼って接種の順番を待った。58番だった。接種していたのは、開業医一人で「今日の体調はいかがですか?」「以前ワクチンを打って具合が悪くなったことありますか?」などと全員に尋ねては、接種していた。大変な仕事だと思った。

 接種。でもそれほど痛みは感じなかった。一晩たった。朝起きると左腕は痛い、重い、違和感がある。頭痛もある気がする。静かにしていようと思う。子どもの頃から、すでにいろいろなワクチンを打った。効いていることを祈るばかりである。人間の体は神秘にみちている。私が分からないことは、専門家に任せるしかない。

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