もう一冊は、絵本で佐野洋子の『百万回生きたねこ』だった。あまりのギャップの大きさに驚きながらも、言われたとおりに役目を果たそうとするのが私である。
大阪の友人が、少し前に佐野洋子の『シズコさん』という佐野洋子と母親の確執を書いた本を送ってくれて、読み終わったばかりだった。奇遇さを感じながらどんな絵本か興味を覚えた。
図書館のサービスは素晴らしい。探している本をコンピューターで検索すれば、有無、貸し出し中か否か、どこにあるか、まで直ちに調べることができる。私はコンピューターで調べようと操作をした。カウンターの脇にコンピューターはある。カウンターの女性が「よろしかったら私がお調べいたしますよ」と声をかけてくれた。昔から図書館司書にあこがれている私は、即お願いすることにした。妻が書いてくれたメモ用紙を渡した。以前も書き物に必要な資料を集めるのにここの図書館の方に協力してもらった。ここになかった資料を、わざわざ県内の違う図書館に問い合わせて見事に揃えてもらったことがある。
「“百万回生きたねこ”は人気があるので、確か今は貸し出し中だと思います。私が最近取り扱ったので。ありました!よかったですね。ボーヴォワールの方は絶対あります。ほとんど動きませんから。あります。私が持ってきますのでしばらくお待ちください」そう言って、彼女はカウンターから出て行った。まもなくするとニコニコして本を両手で抱くようにして戻った。ほとんど妻以外の人と話すこともない私は、このような事態に心がうきうきする。とても嬉しかった。
『百万回生きたねこ』は絵本なので私のカバンに入らない。ボーヴォワールは文庫本なのでカバンに入れ、絵本を手で持って家まで歩いて帰ってきた。
早速絵本をソファに寝転がって読んだ。『シズコさん』を読んだばかりで、あまりの佐野洋子さんの個性に圧倒されていたので先入観が強かった。でも絵本を読み終わるととてもさわやかだった。
ボーヴォワールは妻が読んだ後、やさしく噛み砕いて私にわかるように内容を要約してもらうことに初めから決めていた。図書館の女性の「ほとんど動きませんから」の言葉で私には難しすぎる本だというランプが私の脳に点灯点滅した。裏表紙の貸出期間表なるものを見る。過去における貸し出しは、3回だけ。平成9年、10年、12年。今は平成20年だから前回の貸し出しから8年たっている。『百万回生きたねこ』はもう貸出期間表がびっしりである。
図書館というものは、本当にありがたい存在である。人気のある本も、たとえほとんどだれも見向きもしない本であってもちゃんと保管されている。
妻はさっそく通勤時にボーヴォワールの『人はすべて死す』を読み始めた。『上』を読み終えたという。尋ねるととても内容が重い本で、はじめは眠くなるほどだったそうだ。私はやはり正しかった。何事も自分の能力以上のことは、他の能力ある人にお任せするのも方法である。『下』を妻が読み終えたら、ゆっくりわかりやすく話してももらうことを楽しみにしている。きっと妻の話しを聞きながら、鼻チョウチンで寝てしまうことは、いまからはっきりしているが。