東京へ行った帰りのことだった。18時12分新幹線の『こだま675号』が熱海駅の6番線ホームに滑り込んだ。降りる客、乗り込む客、発車ベルが鳴り始めた。停車時間はわずかに1分。ところが時間を過ぎても発車のベルは鳴り止まない。ホームの駅員がスピーカーを使って普段より高い声で叫ぶ。「4号車付近のお客様、直ちに安全柵から外に出てください」 注意して見ると安全柵と新幹線車両の間に男の姿が。年齢は60代後半、身長は低く150センチ台、カメラマンベストと呼ばれるポケットがやたらに多く付いているベージュのチョッキを着て、リュックを背負っている。酔ってはいないようだが、ここがどこなのかわかっていないようにぼんやりしながら、辺りを見回している。駅員の注意にも自分のことだと全く気がついていない。外見は、普通の人に見える。私を含めて状況を見守っていた乗客は、なす術もなく立ちすくんでいた。
そこへ外国人男性、まるでゴリアテのような30代のムキムキマンで身長190センチ以上、体重120キロ超えの男性が、柵の中の日本人男性につかつかと近づいた。スピーカーからただ「安全柵の外に出てください」と流れる。マイクで、がなるだけの日本人駅員。私を含めて誰一人行動を取らない周りの日本人乗客。直接行動に立ち向かう国籍も判らないゴリアテ。ゴリアテは平たい顔族の男性の胸ぐらをつかんで、安全柵の外側へいとも楽々引きずり出した。外国人男性は、何もなかったようにその場から立ち去った。『こだま675号 名古行き』は、数分遅れで発車した。引きずり出された男はまだ何が起こったのか分からない顔だった。平然とリュックを立ちすくむ群集に向け、出口さえ判らないのか、なぜか出口とは逆方向へと歩を進めていた。駅員は駆けつけもせず、注意もなく、事の次第を調べさえしなかった。
ゴリアテにスタンディング・オーベイション(立ち上がってする拍手喝采)をしなければならない場面である。ゴリアテの体格がよく、柵の中に訳もなく留まる小柄な日本人をつまみ出せただけの話ではない。体格はまったく関係ない。瞬時の決断力と行動力である。教育と訓練の賜物だ。悲しいことだがこのような反応力の多くは、軍隊経験で身につくものだ。平和憲法を掲げる日本は、このあまりにも重い理想に押しつぶされて、日常的な人間関係にさえ、あらゆるイザコザを避けるようになった。結果、自己中心主義がはびこり、自分さえ、自分の家族さえよければと思う考えに満ちている。体格がゴリアテほどよくなくても、日本人なら柵から出ない日本人に日本語という共通語で語りかけ、そっと男の肩を押し、柵から出すこともできた。他人との関わりを拒むなら、個人が、他人に迷惑をかけない強い意思を持つ責任がある。日本の家庭教育,学校教育が原因と言うは簡単だ。身体的に見劣りしても、日本人としての強靭な精神力があれば、肉体的な欠点や弱点を補い超えることができる筈だ。
柵の中の男を助けられないと主張できる理由は、山ほどあると屁理屈を並べる私自身が嫌になる。柵から出ない男を助けることが出来ないならば、せめて助けたゴリアテに「よくやってくれた。ありがとう」と伝えられるようになりたい。「ゴリアテさん、遅くなりましたが、ありがとうございました」