団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

桜・大相撲・高校野球・サッカー

2016年03月31日 | Weblog

  家の前の桜は10日前から咲き始めた。そのあと寒い日が戻り桜の開花にブレーキがかかってしまった。桜並木に沿って散歩をするのを楽しみにしていた。寒さは私を再び家の中に閉じ込めている。27日に窓から桜を楽しめる友人宅に招かれた。友人は慎重に桜の開花時期を予想しての招待だった。友人夫妻は「まだ2分咲きですが・・・」と恐縮していた。翻訳家の夫妻は、仕事が忙しい中、献立表をカラー印刷して用意してくれていた。“お呼ばれ”は私を幸せにしてくれる。夫妻二人の料理に舌鼓をうち、会話を花咲かせた。献立表の最後は「コーヒー  自家製カントゥッチ + 2分咲き桜と楽しいおしゃべり」とあった。

 あれから4日たったが、家の前の桜並木はまだ5分咲きである。テレビでは桜の開花予想が頻繁に流される。ある男性天気予報士が「只今春は春休みをとっていますが、まもなく休みが明け、本格的な春が来るでしょう」と粋なコメントを述べた。

 こんな天気予報士を悩ませる変わりやすい気候の日常を救ってくれたのがテレビのスポーツ観戦だ。琴奨菊がもしかしたら横綱になれるかも、と期待をかけていた。白鵬が初日黒星スタートで期待は高まるばかりだった。結局、琴奨菊は8勝7敗で横綱は消えた。私は横綱の日本国籍にこだわらない。相撲は1対1の勝負である。一番一番の取り組みをギリシャの古代オリンピック並のほぼ全裸状態で闘う。あの巨体を鍛えに鍛え、向き合い真正面からぶつかり合う。

 大相撲が中盤に差し掛かると今度は春の高校選抜野球大会が始まった。この一日の時間経過の中での充実感がたまらない。高校野球は何が起こるかわからない。球児のあの小さな硬球にくらいつく真剣さが好きだ。守備ではあの広いグランドの中、いつ自分に飛んでくるか予測も立たない。打席に立てば、速球、変化球、スローボールで惑わされる。自分の好きなコースを待ち、狙いを定める。一個の硬球が選手、審判、応援団、観客を太陽の引力のように引きつける。

 24日にはサッカーワールドカップのアジア二次予選でアフガニスタンと対戦した。29日にはシリアと対戦。3月後半はスポーツ観戦に多くの時間を割いた。

 嫌な事件やニュースが多すぎる。だからスポーツ観戦に逃げ込んだ。テレビのワイドショー的な番組は、これでもかと嫌な事件を取り扱う。私はそれらの番組を観ない。ベルギーでの自爆テロ。乙武洋匡氏の不倫。東京の世田谷でのパトカーに追跡され信号無視した車がタクシーに激突してタクシー運転手が死亡。元千葉大の学生に2年間監禁された埼玉県朝霞市の15歳の女子中学生が保護。私には理解不可能である。どうして、何故と考えても答えは見つからない。スポーツはルールがあり、審判がルール違反を即座に判定する。勝敗の決着が出る。こんな単純明快なシステムが人々の日常生活にも国際社会にも存在していない。

 今朝は早朝から陽が差して、家の前の桜もまだ半信半疑だが一つまた一つと開花し始めているようだ。不可解な人間の行動や心理にはついて行けない私でも、桜が咲いたか、今何分咲きかは判断できる。嫌な感情を閉じ込めて、この季節、しばらく桜に夢中になっていようと思う。窓の外、竹林に木漏れ陽が揺れている。これから散歩に出かける。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誤飲と龍角散『ゼリー状のオブラート』

2016年03月29日 | Weblog

  朝食前1錠朝食後4錠昼食前1錠昼食後6錠夕食前1錠夕食後4錠。私はこれだけの薬を服用している。薬のお蔭で生かされていると感謝している。

 最近この薬を飲むのに問題が出て来た。いままでは水かお茶で簡単に薬を胃に送り込めた。口の中に入れた水と錠剤が連携しない。水は水で喉に入ろうとする。錠剤は上顎や舌のどこかに隠れようとしたり貼りついたり。脳は錠剤と水をまとめて一気に飲み込ませようと試みる。“私”はそのことに気付いているが自分ではないもできない。何か取り残された気分でいる。錠剤を水に乗せおうと舌や顎を動かす。ところが脳からの指令と顎の動き下の動きに時間差が生じるらしい。それでも“私”は「薬を飲むことぐらいできるさ」と強気で口の中の異物を飲みこもうとする。ゴクン。途端に“私”はむせ始める。水だけが喉に入り、挙句の果てに水は胃方向ではなく肺方向へ進入してしまった。“私”は水を吐きだそうとする。「カーッ、ゴホゴホゲーッゲッ」 水は吐けない。目が涙で潤む。口の中で錠剤が解け始め嫌~な味がする。「アッホッホ アッアッア」 舌、喉、脳、水、錠剤、“私”それぞれが問題解決のためにバラバラに何かをしようとしている。結局誰も統制がとれない。薬なんか飲まなくてもいい。病気が進行してもこんな苦労してまで薬に頼らなくてもいい。ヤケッパチになる。気を取り直して再度挑戦。もう口の中の錠剤は半分液体に成り果てている。再び水を口に注ぎ込み飲み込む。やっと肺ではなく胃に送りこめた。この数か月で5,6回こんなことが続いた。

 世の中にはこの薬を飲むという行為で苦労している人は多くいるらしい。テレビのコマーシャルで龍角散が『ゼリー状のオブラート』を紹介していた。新しもの好きの私は即興味を持った。夜勤めから帰宅した妻に相談した。誤飲はいつも妻がいない時に起こる。「肺に水が誤飲されて入れば大変なことになるから、ゼリー状のオブラート試してみたら」

 次の日さっそく近所のドラッグストアへ行った。中々見つけられなかった。店員に尋ねた。店員は私を介護関係商品のコーナーへ導いた。オシメ、入歯洗浄剤、杖、尿漏れパッドの横に龍角散の『ゼリー状のオブラート』が置かれていた。どこに置かれて売られていても構わない。私の役に立つのであれば我慢しよう。

 『ゼリー状のオブラート』 特許収得 龍角散嚥下補助ゼリー 薬が楽に飲める ノンカロリー・ノンシュガー 200g(大さじ約12杯分) レモン味・無果汁

 使ってみた。なんとスムーズに錠剤が喉を通ることか。これなら安心である。よくぞこんな製品を開発販売してくれた。

 老化が進む。そんなことに落ち込んでばかりいられない。あれもこれもできなくなった。ならば自分に足りない機能を補助してもらえばいい。現実をみて現状を知り、役に立つものを見つける。アンテナを張り巡らせて溢れる情報の中から自分に役立つものを探す。もとめて試す。

 『ゼリー状のオブラート』良い製品である。できればゼリーと薬を自分ひとりで簡単に入れることができて、口に運べるスプーン状もしくは盃のような飲みやすい専用のものがあれば,なお助かる。介護コーナーに並べるなら、容器に改善が必要。袋の中に深く入れてあるチューブが邪魔して、最後まで使い切れない。消費者の意見をもっと商品化に活かして、これから更に良い商品を世に出してほしい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

所得と団塊世代

2016年03月25日 | Weblog

 厚生労働省は2015年12月「国民健康・栄養調査」を実施してその結果を公表した。回答があった全国3648世帯を所得200万円未満、200万円以上600万円未満、600万円以上の3つに分類して分析したという。

 次のような結果がでた。1.低所得者ほど栄養バランスが悪い 2.低所得者ほど健康管理がおろそか 3.低所得家庭の子供ほど学力が低い 4.低所得者ほど歯の数が少ない。などなど。

 低所得者層出身の私は、1も2も4も納得できるが、3の低所得家庭の子供の学力に関して、承服できない。団塊世代の先頭だった私のまわりは低所得者層の子供で溢れていた。まず私の両親は小学校も出ていない。父親は10歳で丁稚に出された。母親は自分より下の7人弟や妹の子守でほとんど学校へも行っていない。父親は母と結婚して東京で家庭を持った。家も買った。しかし第二次世界大戦に徴兵された。母親は長野へ疎開していた。帰って来た父親は、東京の家が焼け土地が人手に渡っていたので長野に戻った。ゼロからの再出発だった。親戚の土蔵に住んでいた。そして私が生まれた。その後家を買った。

 学歴のない所得の低い両親だったが、私たちに当たり前のように教育をつけてくれた。小学校中学校高校、まわりの生徒学生のほとんどが低所得者層だった。成績の悪いのは低所得者層などの調査結果もなかったが、成績と家庭の所得の因果関係を考えたこともなかった。なぜならの多くが低所得者層の子供だったからだ。団塊世代が学校でまともに学習できたのは、学校給食のおかげだと私は思っている。家でひもじい思いをしても学校へ行けば家では食べたこともない献立が出た。金持ちの子も貧乏人の子も生徒全員が同じものを食べた。子供時代、勉強にがんばれたのは、給食と図書室のおかげと今でも私は感謝している。

  両親にとって男の子一人だった私は、カナダに留学までさせてもらった。姉や妹二人にはすまないと思っている。留学費用をつくるために親は、家の土地を隣人に切り売りした。親は不倫もパチンコも麻雀もすることなく、身を削るようにして子供の教育費を捻出してくれた。

  同窓会に出席すると子供時代にごく少数いた金持ちの親にひけをとらないほど立派になった低所得者層出身者に会える。だれだれは村で一二を争う貧しい家庭の出身だったが、東京大学の名誉教授にまでなった。だれだれはロケットの研究者になって素晴らしい成果を上げた。苦学して弁護士になった。医者になった。だから私には3の低所得家庭の子供ほど学力が低い、をどうしても信じられない。

  年齢が一回り下の妻の両親も尋常小学校しか出ていない、と妻が教えてくれた。私の両親と同じく低所得者層だったようだ。塾へ行くこともなく、妻は貧乏から脱出したいという強い意志を持ち続けた。そして現在医師として働いている。

  厚生労働省の今回の調査は、所得が高ければ良いという誤解を生む。子供たちに自分の成績が悪いのは、親の所得が低いからだという口実を与える。天才と美人は親を選ばない、という。つまりどんな貧乏な家に生まれても、それが終わりではない。人が活躍できる分野はごまんとある。学歴でも高所得でもない。良くなりたい、このままでいたくない、社会の役に立ちたい、健康でいたいという強い向上心は、所得を凌駕する。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フキの皮むき

2016年03月23日 | Weblog

  母ちゃんが新聞紙を拡げる。父ちゃんが山へ行って採ってきたヤマブキの皮をむく。床にべったり座って黙々と作業する。私はフキの皮むきが好き。でも爪の中が黒くなり指も汚れる。いつの間にか母ちゃんの真向いに腰をおろしてフキを手に取る。フキの先端に爪を入れ、皮をめくりあげる。皮を指でつまんでサ~ッと引き下ろす。快感。ヤマブキは細い。3回も繰り返せば一周する。皮をむかれたフキがどんどん山になる。

  行きつけのスーパーで太いフキの束を見つけた。私の思いは遥か60年の時をさかのぼる。カゴにフキの束を入れてしまった。約70センチのフキはカゴにおさまりが悪い。二つに折り曲げるのも気が進まない。フキは繊維質なのでポキッと折れない。グニャッとなるだけだ。仕方がなくカゴから半分以上ブラブラさせながら買い物を続ける。他の客に当てないよう気を使う。レジで「持ちやすいように半分に切りましょうか?」と尋ねられた。「いいえ、このままでお願いします」「かしこまりました」支払いを済ませて駐車場へ。車の中に入れてしまえば、フキも邪魔ものではなくなる。

  20日の日曜日妻と買い物に行った。フキを見て二人でフキの皮むきをしようと思った。先日のフキはニシンと煮て2日で食べ終えた。妻は茶色いおかずは嫌いと言う。茶色いおかずは、貧しさを彷彿させるから。子ども時代に指や爪の中を黒くして母親の手伝いをさせられたという悪い思い出でもあるそうだ。妻のフキに対する考えを変えてあげようと思った。

  家に戻って買ってきた食材の下ごしらえをした。フキは最後にまわした。長いまま茹でられれば良いのだが、この長いフキをそのまま茹でることはできない。皮をむくのは長ければ長いほど気持ちがいい。鍋には入らないのでフキを半分に切った。大きなバットになら入る。熱湯をフキが並べられたバットに注ぐ。私はすばやく百数える。湯を捨て、冷たい水を何回か取り替えながら冷やす。二人並んでペティ‐ナイフを持つ。ナイフを先端の皮のところに3,4ミリ幅に入れる。ナイフを起こす。親指で皮をナイフに押さえながら、一気に引き下ろす。フキの皮は途切れることなく、筋に沿ってまっすぐむける。気持ちいい。妻もまんざらではなさそうだ。昔のように指も爪の中も汚れることもない。フキを食べなくても他にいくらでも食べ物はある。

  フキは栄養成分をほとんど含まない。繊維が多いので腸の働きを促すと言われている。私はフキに栄養や健康効果を求めていない。フキという日本原産の食べ物が持つ日本人との関わりに興味を覚える。私の父は「フキの苦みが美味いと感じるようになれば大人だ」と言った。大人になりたいと子供ながらに努力した。他に食べるものがあまりなかったから、仕方なしに食べた。美味しいとは思わなかった。皮をむくのだけが楽しかった。68歳になりハウス栽培で一年中出回るフキを店で買うことができる。品種改良もされているのだろう。アクも強くはない。それでもほのかに残る苦みを私は求めるように味わう。父の言った“大人”になったとは大きな声で言えないが、フキを口にして「美味い」と心から言える。

  夕食でいつもの強いジン・トニックを飲みながら、妻が「美味しい」と言ってくれたことが何より嬉しかった。晴れるという天気予報が当たらず一日中雨だったが腹は立たなかった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残念な息子たち

2016年03月17日 | Weblog

 『偉人の残念な息子たち』(森下賢一著 朝日新聞出版 660円+税)を一気に読んだ。妻に頼まれて図書館へ本を借りに行った時、カウンターに推薦本として並べられていた。いつものように簡単にタイトルの餌食に腹をすかしたロッキー山脈のマスのように喰いついた。

 久々の一気読みだった。ジョー・ケネディの息子エドワード、エジソンの息子トーマス・ジュニア・ウィリアム、アル・カポネの息子ソニー、ヘミングウェイの息子グレゴリー、ロックフェラーの息子ネルソン、ゴーギャンの息子エミール、ガンディの息子ハリラール、ジョージ五世の息子エドワード八世、チャーチルの息子ランドルフ、などなど。決して“他人の不幸は蜜の味”の悪趣味で読んだのではない。偉人と呼ばれ伝記まで出版され、世界中の子供たちに読まれている伝記の主人公たちの知られざる裏を覗いてしまったのである。偉人たちの活躍の影に家族、とりわけ息子たちの犠牲があった事実が私の関心をつかんだ。

 私が個人的に残念な息子にまず出会ったのは、カナダ留学を目前にして住み込みで英語を習った軽井沢のキリスト教アメリカ人宣教師のところであった。宣教師である父親は、自分の子供にもまわりの日本人にも他の宣教師にも厳しかった。ところが次男が残念な息子だった。私より年下であったが、東京の外国人学校を退学させられて軽井沢に戻ってきていた。手をつけられない不良少年だった。父親の前ではうまく立ち振る舞っていた。私はまじかであれほどのワルな16歳に接したことがなかった。

 カナダに渡って学んだキリスト教全寮制の高校でも残念な息子たちがいた。学校のスタッフの子弟である。彼らはグループを作って悪さの限りを尽くしていた。寮の生徒には厳しかったが、子弟が寮生と同じ扱いを受けることはなかった。人種差別もあり、また彼らは暴力的で寮生が集団暴行を受けることもしばしばあった。彼らの親は学校の要職についている者が多かった。キリスト教という宗教に私は落胆した。要職とその子弟に何の結びつきもないことにも気づいた。口で偉そうな宗教じみたことを説いても、自分の家族さえ救えない宗教指導者を尊敬することはできなかった。

 そういう自分も日本に帰国して家庭を持った。二人の子どもに恵まれた。子育てに参加することもなく、仕事にばかり時間を割いた。やがて妻は子どもを置いて家を出た。それから私の男手ひとつの子育てが始まった。あのまま私が仕事人間を続けていたら、私の子供も残念な子供になっていたかもしれない。何とか子供が残念な状態にならなかったのは、離婚という私を生まれ変わらせるような大事件のお蔭であった。子供にとって、私は素晴らしい反面教師となった。子供二人は偉人になることはないだろうが、ごく普通の庶民として真面目に働いて自立して生きている。幸い、私は子供にとって、重圧を感じるような偉人でもない。

 『偉人たちの残念な息子たち』を読み終わって大きなため息をついた。自分が歩んできた道の危うさに冷や汗をかく思いである。若い頃の野心と見栄と虚勢に押しつぶされそうになった。今では家にこもり、他人と口をきくこともほとんどない。妻を慕い、子の家庭円満を願いつつ静かに終わりを待つ態勢にいる。平凡であることが小さな喜びに思えてくる。 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

選挙カー=騒音

2016年03月15日 | Weblog

  13日日曜日から、やっと静かになった。先週1週間朝から夕方まで隣町の町会議員選挙候補者の選挙カーが、がなり回っていた。環境が静かだとここを終の棲家に決めた。朝は小鳥たちのさえずりで目を覚ます。雨の日は裏の竹林に降る雨音さえ聴こえる。普段は人の気配さえ感じることがない。

 私が住むところは、飛び地のように川を境にして別の町になっている。隣接する町に生活のほとんどを依存している。住み始めて初めての国政選挙で投票所へ行って驚いた。いたるところに貼られていた選挙ポスターの見慣れた候補者の名が投票所には貼り出されていなかった。私が住む町は、山を越えた向うが中心である。近所の長老に聞いた話では、明治の廃藩置県の時、川を境にしたので今のような飛び地状態になったそうだ。地図で境を決めたのが、このあたりの地形を知らない薩長出身者だった。川を境にしておけば良いだろうと決められてしまった。不便なことも多いが、もう慣れて、すっかり隣町の世話になっている。私はその町の住民でないと強く感じるのは、選挙の時である。もちろん投票用紙は届かない。もともと住民票がある町の選挙などでは、選挙カーさえ来ない。各家庭に毎月配布される広報も郵便受けに入らない。税金だけは徴収されるがあとは無視されているようで不愉快である。

 我が町と隣町を分ける川は谷を流れ下る。谷は海に向かって扇状に広がる。隣町は2つの川の谷に人口が集中している。海に面する広がりでも2,3キロ。山々が海の際まで迫っている。谷の上流では数百メートルの幅しかない。私の住むところでも谷を挟む山と山の間は1000メートルあるかないかである。谷に沿って主要道路は1本しかない。駅近辺には交差する道路も多くなるが、それでも小さな町だ。

 今回の町会議員選挙には17人が立候補した。17台の選挙カーがあの小さな町を走り回ったらどういうことになるか。選挙カーのラウドスピーカーの音量は最大限に上げている。谷間の町を17台の選挙カーがグルグル回り。私の家の川の向うの道路に4台の選挙カーが並んで走行するのを見た。笑い話のようだ。お互いに「○○候補のご健闘を祈ります」と心にもないことを言いながら。その合間を縫って時々暴走族が甲高いエンジン音を響かせる。谷間なので音が反響する。山には猿脅しイノシシ脅しの「パンパーン」も響く。

 私は日本から早急に失くして欲しいものが2つある。ゴテゴテの野外看板と選挙カーだ。この2つがなくなったらどんなに良いか。こんな美しい自然を持つ国の住民が、自ら汚くうるさくすることはない。私は選挙カーにも野外看板にも効果はないと断言できる。アメリカ人の友人が言った。「日本に都市のラスベガスはないけれど、どこの町に行っても小さなラスベガスもどきがある」ゴテゴテのパチンコ屋のことだった。また選挙カーのがなりを聞いて「私ならあう言う人には絶対に投票しない」とも。そろそろ選挙カーでの選挙運動を禁止させようとする候補者。野外看板を一掃させると公約する候補者が出てきてもよいのでは。 

  静けさを取り戻した我が家は、やはり私たち夫婦が選んだ終の棲家に相応しい環境にある。昨日までの雨もやみ、陽が竹林に差し込んでいる。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5年前の今日

2016年03月11日 | Weblog

  「3月11日金曜日 天気 晴 気温2°~12° 4214歩 体重66.6キロ  スポーツジムから帰宅して横になって休んでいると地震。何と3回。神棚の御札、棚の写真立てなどが落ちた。建物もギシギシ音をたてた。2回目の揺れが凄かった。東北太平洋大地震と名がつきMM8.8の記録を取り始めて最大の地震となった。妻も帰宅できず病院泊まり。(娘の名)は日赤。(息子の名)に電話つながらず。日本沈没!」 私の5行日記から

 書きたいことは多くある。今日は語るまい。黙してあの日亡くなられた15894名、行方が未だにわからない2561名に対して頭を垂れる。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

犬のマーキングと“点滴石をも穿つ”

2016年03月09日 | Weblog

  2月に大阪の池田市で公園の照明柱が倒れて小学4年生の女の子が大けがを負った。原因は犬のマーキングによる鉄柱の根元の腐食だった。

 私が小学生だった時、担任の小宮山先生が「点滴石をも穿つ」という諺を教えてくれた。小宮山先生は諺をたくさん知っていて、授業やホームルームでその時に一番合う諺を使って説明してくれた。

 今回の池田市での事故を知って、小宮山先生が教えてくれた「点滴石をも穿つ」が頭に浮かんだ。記憶力が悪い私でも印象深かった経験や言葉は覚えている。もう60年も前のことがさっと頭に浮かぶのは嬉しいものだ。小宮山先生は、小さな水滴でも長い間同じ所に落ち続ければ、ついに硬い石にさえ穴を開けてしまう、継続は力なりということを私たちに伝えたかった。

 68歳になった私は散歩を日課とする。一日1万歩を目標としている。散歩をしていて驚くことは何とたくさんの犬がこの町にはいるのかである。多くの人が犬を連れて散歩している。犬は柱を見つけるとマーキングをする。飼い主はペットボトルの水をマーキングに流す。この繰り返しが続く。ペットボトルで水を流すのは良い方だ。まったく気にしない人で犬がするままにさせている飼い主も多い。

 犬は鼻の嗅覚が優れている。日本は電柱と鉄柱がまるで犬がまだオオカミとして彷徨していた山野の森の木のように多くある。その一本一本の柱に他の犬のマーキングがされている。犬は本能的に他の犬の印の上に自分の印を残す。来る日も来る日もこの繰り返しである。ここで私は小宮山先生の「点滴石をも穿つ」の実例を目の当たりにする。散歩ルートにも腐食して倒れそうな柱が多い。電柱の多くは今ではコンクリート製だ。木製のものもあるが数は少ない。コンクリート製ならば腐食はないであろう。見た目が悪く変色するだけだ。信号、交通標識、カーブミラー、観光案内など多くが鉄製である。今回の大阪の池田市の事故も鉄製の照明柱であった。 (写真参照:近所の照明柱の根元がすっかり変色している)

 私は犬が好きだ。しかし終の棲家として現在、集合住宅に住む。だから犬は飼わない。ネパール、セネガル、旧ユーゴスラビア、チュニジアで犬を飼った。もちろん防犯の意味もあった。飼ったシェパードは本当に私たちを身を盾にして忠実に守ってくれた。任地で住んだ家は広い敷地があった。散歩をする必要はなかった。排泄物は穴を掘って埋めた。マーキングは敷地内に独占的に施され、自分の領地を完全な支配に置いていた。当然ストレスも少なく飼い主に仕え甘えた。犬の本来の姿を観察できた。学んだことは犬は家の中で飼う動物ではないだった。だから日本に帰国して集合住宅では犬は飼わない事に決めた。

 日本は人間の数は増えないが、犬や猫のペットの数は増える一方である。犬や猫が権勢症候群になるほどである。人の子が餓死させられたり、虐待される一方、服を着せられたり、靴を履いたり、防寒着を纏ったり、乳母車に乗せられたりしている。正月の駅伝で外国人選手を転倒させた犬がいた。多くの飼い主が自分の犬は利口で良い犬だから絶対にあんなことをしないと言う。自分のペットを人間並みに扱うなら、そろそろペットにもそれ相応の税の負担をしてもらいたいものである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

数えること

2016年03月07日 | Weblog

  私は数を数えることが多い。まず日課の運動。去年の春から手足のしびれやこむら返りで整形外科にかかっている。主治医の指導で運動を始めた。原因は筋肉の衰えと診断されたので、筋肉を強化する運動である。屈伸を20回。爪先立ちを20回。左右の脚の前後上げ下げを片方40回。左右の脚の前真横開閉をそれぞれ20回。椅子に座って膝の上げ下げ20回ずつ。床に側臥位して片脚をまっすぐに上下20回ずつ。その後足の指にタオルを挟んで指でタオルをギュッと締め付けたり緩めたりを50回。風呂に入れば湯の中で手の指の開閉を50回、腕を前後に屈伸させ前に伸ばした時に指を思い切り拡げるを50回。最近その運動の成果が出て来た。太ももが以前より2センチ太くなった。手足のしびれもとれた。運動を始めてからこむら返りは1回も起こしていない。

  その他にも湯船には100まで数えて浸かる。料理でも私は数えることが多い。余熱は料理の最後の仕上げと信じて30数終えてからフタを開ける。怒りを鎮めるため、失言や暴言を防ぐために口を開く前に10数えることもしばしばである。数えることで私は自分を何とかコントロールできている気がする。

 妻が私に話しかけるのは、たいてい私が数を数えている時に集中する。「11、12、13」「ねえ、私のメガネ知らない?」「知らない」と言った途端、私はいくつまで数えたか忘れてしまう。また最初から数え直す。声を出して数えればいいのだろうが、何だか恥ずかしいので頭の中で数える。これがいけない。「6、7、8」「お茶飲む?それともコーヒーがいい?」 数は消え頭の中は“コーヒー”と“お茶”2つの言葉に占領され、数は消える。若かりしときは、消えそうな記憶を取り戻すこともできたが、今ではきれいさっぱり忘れてしまう。無理して記憶をたどろうとしても無駄である。やり直す。

 甘利元大臣や野々村元兵庫県会議員などの政治屋さんたちは、「記憶にありません」とか「覚えていません」を連発する。「警察24時」などの特別番組でも逮捕された犯人は、「知らない」とか「やっていない」と当たり前のように皆平気で嘘をつく。保身のためだろうが、年齢によっては本当に忘れていることもあるのではと私は最近思うようになってきた。毎日家にこもっている私でさえこんな状態である。忙しく立ち振る舞って多くの人と接する政治屋さんや、数多くの犯罪を繰り返す悪人たちは、いちいち個々の事例、事件のことなど覚え得ていられないのかもしれない。身の程を知る。無理をしたらいけない。

 2020年の東京オリンピック、2度目の開催にも関わらず出だしから失策が続く。新国立競技場の設計者を変更したり、オリンピックのポスターのデザインが盗作だったり。競技場の設計が決定してやっと落ち着いたかと思ったら、何とオリンピックのシンボルである競技場の聖火台が設計図になかったとか。プロが専門家が担当する委員会が、そろいもそろってこの体たらくである。

 私は日頃、自分を劣等感で苛むことが多い。しかし世の中で先頭に立つ優秀な有資格者の言動行動も私と大差ないと思えることが増えて来ている。無理をしている人が多いのだろう。功を急ぐより、自分を見つめて、次の行動に移る前、たまには「ダルマさんが転んだ」でも「1、2、3、・・・10」と数えて欲しい。まだ間に合う。

 「取り返しのつかない失敗をしたくないなら、早い段階での失敗を恐れてはならない」 湯川秀樹


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

趣味 妻

2016年03月03日 | Weblog

  俳優の唐沢寿明さんがテレビの番組で趣味を尋ねられた時、「趣味は車と山口智子」と答えたという。山口智子さんと結婚して20年経っている。のろけだと批判的な意見もあるそうだが、私はなかなか日本人の男性には言えないことだと感心した。他にも「一番の宝物は?」の質問に「山口智子」と答えた。山口智子さんは「一つだけ願いが叶うとしたら何を願いますか?」に「好きな人と同じ瞬間に死なせてください」と答えたそうだ。また「毎日、ご飯をおいしくいただいたり、ちょっとしたことが大事。毎日、楽しく、おいしく、幸せに、大好きな方といただくご飯は最高ですね」とも言っている。

 私は彼らに共感できる。私の妻を趣味とは思わないが、宝だと思う。できるなら死ぬのも一緒だといいと思っている。私たちの生活標語は「いつも仲良く楽しく美味しく、ニコニコ現金払い」。約束事は“仲直りは手をギュッと握る”。バツイチの私と初婚だった妻は結婚して26年になる。標語と約束を概ね守ってきた。

 妻は病気のデパートのような私と違って、自称健康優良人である。妻は小中高と皆勤だった。大学では病気入院でしばらく大学を休んだ。勤めも病気で休んだことはない。3月2日夜11時、横で寝ていた妻がベッドから出てトイレに行った。二人とも就寝中にトイレに起きることは滅多にない。戻ってきたので聞いた。「体中にアレルギー反応が出て痒くて体が火照るの。でも今薬飲んだから大丈夫」 医者の妻が言うのだから大丈夫とも思ったが、医者の不養生ということもあるので心配だったが、私の人並み外れた睡魔はいつのまにかまた私を枕とベッドに深く抑え込んだ。

 今朝5時に目を覚ますと妻は体中にアレルギー反応の赤いぼちぼちが出ていた。私はオロオロするばかり。いつも同じものを食べ、私は何もなくても妻には反応がでることがある。チュニジアに住んでいた時、約2週間アレルギー反応が続いた。現地の医者はチュニジアの農産物に使われている農薬が原因かもしれないと言った。その時も私には何の反応も出なかった。今年、新宿高島屋の地下食品売り場で買った“寄せ鍋セット”のハマグリで妻はアレルギー反応が出た。昨夜は横浜そごうで買ったマテ貝の酒蒸しを二人で食べた。生ではない。ちゃんと火を通した。妻のアレルギー反応は、常時出るわけではない。体調やストレスにも関連しているらしい。私は貝類を我が家の献立から外すことにした。朝飯抜きで妻はいつもの通りに出勤した。私はアレルギー科の受診を強く懇願した。アレルギー反応が何を原因として起こるのかを見極め、我が家の食卓から原因を排除しなければならない。

 キリスト教の結婚式では「幸せな時も、困難な時も、富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も、死がふたりを分かつまで愛し、慈しみ、貞節を守ることをここに誓います」と新郎新婦が共に神の前で宣誓する。内容は夫婦として当たり前のようだが、バツイチの私には耳が痛い。再婚する前、正直私ごとき人格の劣る者がやり直しても結局同じことの繰り返しにならないかと心配した。違った。何が起こったのか分らない。

 妻を趣味とは言えないが、妻が好きとは断言できる。何よりこの26年間、数回の手をギュッと握り直しを経ても仲良く楽しく美味しく暮らしてこれたことが証明している。死がふたりを分かつまで現状維持できます様に。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする