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怒る西行(Ⅱ:写真編の1)

2010年01月20日 | その他
 ここでは、映画『怒る西行』の中で、周囲の風景について沖島薫監督がいろいろつぶやく言葉を並べ(ごくごく一部に過ぎません)、それに私が最近撮った写真を付けてみました(1月17日午前に撮影)。
 これらの写真は、監督が「なんも特別なことってない」と語る頗る平凡な風景を、素人がいい加減にデジカメで撮影したものに過ぎず、それ自体には何の価値もありません。
 ただ、『怒る西行』がどんな映画なのか、監督が何を考えているのか、を理解する一助になるかも知れないと思い、敢えて掲載してみました。尤も、今の時間の中にもっと違った「そうじゃない時間」を探ろうとする沖島監督にとっては、こうした写真などは、その考え方や姿勢に一番反するものに思えるかも知れませんが。
 なお、沖島氏のつぶやきは、基本的に、劇場パンフレット「沖島薫怒濤の語り」に掲載されている「シナリオ再録」によっています(〔〕内は私の注釈)。
 また、玉川上水については、昨年の8月10日の記事においても取り上げましたので、どうぞご覧下さい。

 本日は、散歩の前半で、岩通橋から牟礼橋の手前まで歩きます。

イ)「じゃあここスタート地点で、井の頭公園までいくんですけど。
 ここがね、今、放射5号線っていう、八王子なんかから来た車を環八へつなげるために、前々から、10年以上前から道路通す、通すって、とうとうここら辺が立ち退きをはじめたわけ。」〔岩通橋〕



ロ)「この杉並木。なんか向こうにさ、こう神社かなんかあるような気しない?この感じ。あの先を知らないでいると。まあ、だからどうってことないんだけど。」〔奥の方に岩通橋〕



ハ)「まあ、なんってことない橋なんですけど。あの、歩いてくるでしょ、そうするとね、これは僕は意識していなくとも、いつも、そういえば、この場所はあるんだよっていう、あったんだよっていう気持ちを起こさせる場所。」〔兵庫橋〕



ニ)「まあ、なぜか雰囲気のない公園でね。
 生活する中で、あの現代って、現在っていうようなもの感じるじゃない。だけど同時にさ、もっと違った時間に生きてるっていうさ、そんな感じを持てるのかな、この散歩の機会は。」〔兵庫橋公園〕



ホ)「この家は、前から見てて、もう希少価値って言うのかな、まあ、いろいろな季節があって、そういう時に、さっき言ったようなことと少し関係した時間と空間の、別のものが流れていくような、そんな感じ。」〔入口左側の看板に、この映画『怒る西行』のビラが掲示されていました〕



ヘ)「あのー、これがね、この木、このコースで一番凄い大きな木です。この木を切ったら祟りが出る。もう、絶対。」〔玉川上水が人見街道と交差するところにある牟礼橋のたもと〕



ト)「歩いていてそういう場所に来ると、風が通っていく場所で、なんか神様が今掃除して、今終わったところなんじゃないかなって、自然にそういう場所ってあるんですよ。で、そういうところフッと見るとね、こういうちっちゃい祠が建っていたりするのね。」〔上の大木の根元にある祠〕




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