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怒る西行(Ⅵ:文学編)

2010年01月24日 | 
 沖島薫監督の映画『怒る西行』を巡る連載記事の最後として、文学関係(広義の)の事柄にも若干触れておきましょう。

イ)まず、映画の中では次のような人が取り上げられています。

①村上春樹
 沖島監督は、映画の初めの方で、評論家の内田樹氏が『村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング、2007年)という著書の中に書いてあることだがとしながら、「村上春樹は、船が港に寄港するっていう、そういう風なイメージで語っている」と話し、「村上春樹さんが持っている一種の童話性っていうのかな、そういう面白さが、このコースには、ちょこちょこ、そういう感じを持たせるところがある」と言っています。



 内田氏は、その著書において、「港町」の条件には次の3つがあると述べています(P.212~)。
 ・入ろうと思えば、どこからでも入れる。
 ・つねに変わりなく暗夜に信号を送る「輝く定点」(ハーバーライト)がある。
 ・「故地」を離れてきた「異族」が住み着く。
 その上で内田氏は、「村上春樹の造形した人物の中で、私がいちばん好きなのは「ジェイズ・バー」のジェイズであ」り、「この人物が私にとって「港町」というものを端的に表象している」と述べます(注1)。

 たぶん、沖島監督は、玉川上水の自然に、内田氏の言うところの「港町」を如実に感じてしまうのでしょう。

②つげ義春
 沖島監督は、道からの通路が家の中に入っている家を見ながら〔「Ⅲ:写真編の2」のヌ〕、ここにはユートピア的な感じがすると言いながらつげ義春が描いた『長八の宿』という漫画に触れ、映画ではそのなかから3コマが引用されます(注2)。



 上記のカットは映画で引用されたコマではありませんが、その漫画に登場する「ジッさん」が描かれています。漫画では、「長八の宿」で下男として働く「ジッさん」が、この宿で働くことになった切っ掛けとか、この宿にかかわる三人の女性のことなどを、作者とおぼしき投宿者に話します。

 沖島監督は、「ジッさん」が「蔵の中に住んでて、それで、自分の仕事場と、自分が住んでいる場所っていうのが同じ」という点に注目し、「我々は仕事をするとき、別の場所へ出かけて行って、別の人格や人間として仕事をしてくるわけだけど、自分の身の回りですべてが行われるっていう、あの、これは一種のユートピア感の中に入るんじゃないかな」と述べます。

 沖島監督は、その漫画のラストに描かれている雄大な富士山は、とても人の手に余るとして、むしろ、玉川上水周辺の箱庭的な小さな自然の方を、隅から隅まで把握できるとしてヨリ愛しているのではないでしょうか?

③西行
 沖島監督は、映画の最初の方で〔「Ⅱ:写真編の1」のニ(兵庫橋公園)〕、次のように話しています。
 「西行なら西行、平安時代の人だけど、あの、いつだって、あの当時は当時で現代があったわけだよ、その時にそうじゃないって時間ってのが、まあ象徴的に言えば、桜であったり月であったりりする中で、それを求め続けたわけだよね」

 また、映画のラストの方で、西行法師の有名な歌「願わくは 花のもとにて 春死なむ その二月の 望月のころ」を引用しながら、次のように語ります。
 「あの、西行なんかの生涯みてるとね、まだね、時代をリセットできるんじゃないかっていうね、つまり、人間の住む以前にまだ戻すことが可能なんじゃないかって、フッと、そういう感じって、おそらく何回も持ったの、あの人は」

 こうした監督の思いは、東京の街並みを見て「ちょっと冗談としか思えないっていう街になっている」と感じ、「まあ、余計なものを作ると、簡単に言うと滅びるでしょう。だから100年も経てば、また木っ端微塵に消えちゃうと僕は思っているんだけどね」と語ることに通じているのでしょう。
 明示的には言ってませんが、放射5号線工事でいくら立派な舗装道路を造ったとしても、スグそのうちに跡形もなく消滅してしまうだろう、と監督は必ずや思っていることでしょう。

ロ)映画『怒る西行』を巡る連載記事としてはやや余談にはなるものの、玉川上水とくれば太宰治に触れないわけにはいきません。

 そういうこともあってか、私たちがこの映画を見たのは1月11日(休日)の朝の回でしたが、上映終了後には、スクリーンの前で太田治子氏のトークが15分ほど行われました。

 太田治子氏は、太宰治とその愛人の太田静子との間に生まれ、作家として活躍しているところ、昨年9月に『明るい方へ―父・太宰治と母・太田静子』(朝日新聞出版)を刊行し、娘の立場から見た両親の関係を明らかにしています(注3)。




 さて、この日のトークで印象的だったのは、次のような話です。
・父・太宰治には、大人としての責任感が欠如しているのではないか。自殺するのはやむを得なかったにせよ、飲料用に使われている玉川上水に飛び込んだら、後の始末が大変なことになると思わなかったのだろうか(注4)。



〔太宰治が入水したとされる場所は、井の頭公園からJR三鷹駅までの間にあって、その路傍に、生まれ故郷の青森県金木町産出の「玉鹿石」が置かれています〕

・特に、戦争責任という点で大いに問題があると思う。
 というのも、太宰治は、戦争に対しては、軍部に与した作家の一人であったといえ、彼が応援した戦争で300万近い人が亡くなっているのだから。
 彼は開戦から敗戦まで実家からずっと仕送りを受けていたのであり、生活のために戦争賛美の文章を書いていた人とは違うはずで、せめて戦争中は沈黙すべきだった(注5)。

 このところ、『ヴィヨンの妻』とか『パンドラの匣』など太宰治の小説を原作とする映画がいくつも制作されているところ(2月20日には『人間失格』が公開予定)、こうした太田治子氏の見解をも見据えながら鑑賞する必要もあるのではないか、と思えてきたところです。



(注1)「ジェイズ・バー」は、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』の3部作に登場するバーです。
(注2)この漫画は、ちくま文庫の『つげ義春コレクション 紅い花/やなぎ屋主人』に収録されています。
(注3)産経新聞「著者に聞きたい」に掲載された記事の中では、太田氏は、「私自身、太宰はすてきで好きですが、悪いことは悪いと書きました」と語っています。
(注4)玉川上水は、1965年の淀橋浄水場廃止まで、水道施設として使用されていました。なお、太宰治が入水した当時は、玉川上水の推量も随分とあり、また川岸に鉄柵もなかったようです。
(注5)ブログ「黙々と-part4」の2009年12月18日の記事を参照。
 なお、上記の太田治子氏の著書『明るい方へ』においても、例えば、「太宰自身戦時中には心の奥に苦々しさを抱えつつも軍部に味方したことを認めていた。日本の軍部が負けるとわかっていたから味方したというように弁明する太宰は、ずるいと思う」と書かれています(P.165)。


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