映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

アバター

2010年01月17日 | 洋画(10年)
 『アバター』をTOHOシネマズ日劇で見てきました。

 予告編からそのストーリー展開は十分推測できるように思えるところから、わざわざ見に行かないつもりでしたが、アニメ監督の押井守氏が、「あれには10年かけても追いつけない」と言っていたりして、そんなにすごいのならば見てみようという気になり、銀座の大劇場まで出かけてきました。

 実際に映画を見てみますと、ストーリーは、やはり事前に予想がつくくらいの単純なものでした。地球からある星の衛星パンドラに派遣された民間の資源開発会社が、その衛星で見つかる貴重な鉱物を大量に採掘・確保しようとして、採掘場所に住む原住民ナヴィ族と死闘を繰り広げる、というものです(原住民ナヴィ族は、鼻が低く有色で、尾を持っているものの人類に属すると思われます)。
 これに、この会社に雇われた主人公が原住民との恋に落ちるというラブストーリーが絡みます。

 見るとすぐに気がつきますが、どうもこの映画は宮崎駿監督のアニメとの関係が深そうです。貴重な鉱物が埋蔵されている場所が、空に浮かぶ城「ラピュタ」に似ていたり、原住民たちが、その星に生息する様々な異様な生き物にまたがったりして民間会社の傭兵と闘うというのも、雰囲気としてナウシカに似ているのではと思えてきます。なにしろ、ナヴィ族は、その星の自然と実にうまく調和して生活しているというのですから。
 もっといえば、原住民が矢を射る格好は西部劇のインディアンそっくりですし(頭の飾り物も類似しています)、ナヴィ族がまたがっているその星の生き物の顔は、映画『エイリアン』に登場する異星生物によく似ています(あるいは、『ジェラシック・パーク』に登場する恐竜でしょうか)。
 また、原住民が執り行う宗教的な儀式の様子は、アフリカとか東南アジアに住む未開人を描いたハリウッド映画でよく見かけたものに似ているといえるかもしれません)。
 ですから、資源開発会社の傭兵たちが先端兵器を手にしてナヴィ族とたたかう様は、銃を手にしてインデアンと闘う騎兵隊さながらに見えてきます。尤も、そういった原住民の方が地球人(文明人)に打ち勝つという点が、従来の西部劇とは異なっていると言えるかもしれません。

 また、いつも違和感を感じてしまうのが、地球からこの星にやってきた主人公たちが英語で話しても、ナヴィ族とコミュニケーションが簡単に取れてしまうのです。無論、全員とではなく、ナヴィ族の幹部クラスとの間でだけですが(これらのナヴィ族は、どこでどうやって英語を習得したというのでしょうか?)。

 ともあれ、この映画は、そんなストーリーを追いかけるよりも、やはり3Dを楽しむべきではないか、と思われます。
 最近、3Dについては、『クリスマス・キャロル』と『カールじいさんの空飛ぶ家』の2本の映画を立て続けに見たばかりです。この二つとも実写場面のないアニメですが、前者は、パフォーマンス・キャプチャーを使って、登場人物の映像を徹底的にリアルなものにしていますし、後者はCGアニメそのものといった作品です。ただ、両者とも、これまでの3Dアニメに比べたら格段に優れた出来栄えなのでしょうが、いまいちの感じがなきにしも非ずでした。
 今回の『アバター』は、ジェームズ・キャメロン監督が、満を持して制作しただけのことはあって、実にすばらしい映像を見ることができます。
 民間会社の関係の場面は、ほとんどが実写のところ、その画面が実にスムーズにナヴィ族が動き回る場面(パフォーマンス・キャプチャーが駆使されています)や衛星パンドラのCG場面につながって、それらの出入りが何回繰り返されても、どの画像にもリアルさを感じてしまいます。

 それにしても、CGを駆使して描かれたパンドラの自然の光景は、息をのむ綺麗さで、「聖なる木の精」がフワフワと句中に漂う様はこの世のものとも思えません(尤も、CGの世界のことですから、「この世」でないことは当然なのですが!)。
 そして、そうした自然を味方につけて戦うナヴィ族と、地球からの傭兵軍との戦闘場面は手に汗握るシーンの連続で、最後まで観客を見飽きさせない迫力に満ちていました。
ストーリーは別として、3Dの技術的成果だけでも一見の価値はあるのではと思いました。

 映画評論家も、この映画の技術的な面を高く評価する向きが多いと思います。
 小梶勝男氏は、「アバター」は、単なる3D映画ではなく、「映像革命」だと伝えられてきた。果たして「革命」は成功したのか? 答えはイエスだ」、「モーション・キャプチャーと実写が、一つの画面の中で全く違和感なく融合している。CGと実写の「ベルリンの壁」が崩壊したのである。これこそ、「アバター」がもたらした映像革命だろう」として、「悔やまれるのはストーリーだ。せっかくの映像革命に、なぜもっと夢のある話を用意しなかったのか」としながらも、93点もの高得点を与えています。
 また、渡まち子氏も、「異文化との共存や環境保護を訴えること自体に新味はないが、ここまで先端的で美しい映像で語られたら、そのメッセージは否が応でも力強く響く」などとして90点を与えています。
 他方、福本次郎氏は、やはりストーリーに拘泥して、「筋金入りの海兵隊員だったジェイクの心境の変化に説得力が弱く、スパイ活動中に敵と恋に落ちるなどあまりにも通俗的だ」などとして、60点しか与えていません。ですが、そんなことまで描いていたら、ただでさえ長めのこの映画(上映時間162分)は、常識的な時間内では収まりきれなくなってしまうことでしょう!

 なお、前田有一氏は、一般の見解とは逆に、「この映画でもっとも驚くべきは、CGや立体の出来栄えなどではない。そんなものは枝葉の問題」だとキッパリ断定した上で、この映画で「大事なことは、気持ちの悪いブルーマンの世界を、いつの間にか観客が現実の世界のように感じ、受け入れてしまうことだ。それを綿密な計算の元にやりとげたキャメロン監督の、手綱の引き具合が凄いのである」などと毛色の変わった見解を示して、福本氏と同じように60点しか与えていません。
 むろん、前田氏のような映画評論を専門とする方しか見えてこない部分はあることでしょう。ですが、「多くの人々は自分が物凄いテクニシャンの監督の手の上で転がされ、翻弄されたことなど気づく事さえないだろう」と前田氏がひとり悦に入られても、だから何なのだと対応するしかないでしょう(別に疑問点が氷解するわけのものではありませんから!)。


★★★★☆


象のロケット:アバター