映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

海賊とよばれた男

2016年12月20日 | 邦画(16年)
 『海賊とよばれた男』を吉祥寺のオデヲン座で見ました。

(1)原作が本屋大賞を受けているので面白いかなと思い、映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭では、「inspired by true events」の字幕があり、B29の前面の大写しがあった後、その胴体が開いてたくさんの焼夷弾が落とされます。
 地上では、それらが屋根に落ちたりして大火災となり、人々が逃げ惑います。
 飛行場の隅にはパイロットたちが集まっています。
 中の一人が「どうして2機しか飛べないのか?」と怒鳴ると、整備員は「燃料がないのです」と答えます。
 それでも、2機(注2)が飛び立って敵機に挑みますが、逆に撃ち落とされてしまいます。
 次いで、山の上から空襲の有様を見る主人公の国岡鐵造(60歳:岡田准一)の姿。

 そして、「1945/8/17」の字幕。
 まわりが焼け野原の中で焼け残った「國岡舘」の文字が見えるビルに、車が着きます(注3)。
 国岡商店の店員たちが広い部屋に集まっています。
 店員たちは、「何を話すのだろう?」、「ここの解散だろう」、「ここがなくなったら、明日からどうやって暮らしていけばいいのか?」など口々に話しています。
 そこに鐵造が入ってきて、「よう無事でいてくれた。先ずは愚痴をやめよう。戦争に負けたからといって、誇りを失うな。日本人がいる限り、この国は再び立ち上がる」、「この国は石油で戦い、石油で敗れた」などと話します。
 店員の一人が「ここに残っていいということですか?」と尋ねると、鐵造は「心配するな、一人もクビにはしない」と宣言します。

 あとで幹部が「店主、あの宣言はまずいのでは」と言うと、鐵造は「うるさい、クビを切るのは簡単だ」、「仕事はつくるもの」、「石油の商いを何とかする。それがダメなら、皆で乞食をしよう」と答えます。

 しかしながら、鐵造が「石油を融通してもらえないか」と石統(石油配給統制会社:注4)の社長の鳥川國村隼)に要請すると、鳥川は「あなたのところへは石油は回せない。あなたたちは、汚い手を使って、石油を横取りしたではないか」と答えます。
 さらに、「せめて石統に加入させてもらえないか」と鐵造が頼んでも、鳥川は「入れてもらえると思っているのか?甘いよ」とのツレナイ返事。

 こんなところから本作は始まりますが、さあ、物語はどのように展開していくのでしょうか、………?

 本作は、百田尚樹氏が出光佐三(注5)をモデルに書き上げた原作を映画化したもの。主人公は、早くから石油の重要性に目をつけ、メジャーの支配が厳しい石油業界の中にあって、その圧力に屈せずに強固な意思を持って業績を拡大した男です。それはそれでなかなか面白く描けているとはいえ、時流に反して、女性の役割が随分と小さく描かれているように感じました。

(2)本作は、近頃あまり見かけない男性路線を取っているように思いました(注6)。
 何しろ、目立つ女性のキャラクターとしては、綾瀬はるかが演じる主人公の最初の妻・ユキくらい。その彼女も、ほんの少し登場したかと思えば、すぐに離婚して画面から消えてしまうのですから(注7)、いったいどうしたことなのかなと訝しく思えてしまいます。



 実際の出光佐三氏は、後添えを娶り、5人の子供までいるのです(注8)。
 本作でも、そのことを全く無視しているわけではありません。主人公の最後の場面では、多くの親族が彼の病床の周りに集まるシーンが描き出されているのですから(注9)。

 でも、ラストの方で、小川初美黒木華)が、96歳になった鐵造のところに大叔母にあたるユキの遺品をもってくるというシーンがあって、鐵造はユキの思いを知ることになります(注10)、
 これによって、鐵造とユキの一途の愛が描かれたことになるわけでしょう。
 そして、ラストのシーンでは、北九州の海を突き進むポンポン船に、鐵造など國岡商店を支えた重要人物が乗り合わせている幻想的なシーンが映し出され、その中にユキが混じっているのです。
 ですがそこまでされると、見ている方としては、後妻さんの立場はどうなるの、鐵造の事業に何の関わりもなかった人なの、と思えてしまいます(注11)。

 さらに言えば、このような純愛路線に沿って鐵造のキャラクターを作り上げてしまうと、どうもその人物像が、ある意味で薄っぺらなものに見えてしまいます。
 確かに、本作では、海賊と呼ばれ不撓不屈の精神力を備えた鐵造の姿を、主演の岡田准一がなかなかの演技力をもって演じてはいます。
 ただ、いつも額にシワを寄せて眼光鋭く未来を見据える姿ばっかりというのでは、鐵造が持っていたに違いない幅の広さとか包容力の大きさといったものは、控えめな感じになってしまうのではないでしょうか?
 クマネズミには、鐵造が女性に対してどのように接したのか(注12)、といった彼のプライベートな面が同じようなウエイトを持って描かれて初めて、鐵造の全体像が見えてくるように思うのですが。

 尤も、本作のモデルとなった出光佐三氏は1981年(昭和56年)に亡くなった人物ですから、そのプライベートな面を直接的に描こうとすると、いくら登場人物の名前を変えたりしても差し障りが出てきてしまうのでしょう(注13)。
 とすると、例えば最近見た『ブルーに生まれついて』のように、実在のジャズ・トランペット奏者のチェット・ベイカーを描きながらも、実在しなかった人物をヒロインに仕立て上げ一種のファンタジーにしてしまうのも、一つのやり方でしょう。
 あるいは、『ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ』のように、主人公の生涯のある一時期に焦点を絞って描くというやり方もあるでしょう(注14)。

 本作のように、立志伝中の人物を巡って、その若い時分から96歳で亡くなるまでのほぼ70年間をほぼ時系列に沿って描く(回想シーンが何度も挿入されますが)というのも一つのやり方でしょうが、また違ったアプローチの仕方もあったのではないか、と思ってしまいました。

(3)渡まち子氏は、「「永遠の0」の作者、監督、主演が再び集結しているが、VFXの使い手の山崎貴監督がロケ撮影を駆使しているところに注目したい。特に海のシーンがいい。どんな苦境にもチャレンジ精神を忘れず立ち向かった主人公には、潮風が香る大海原が良く似合う」として70点を付けています。
 日経新聞の古賀重樹氏は、「伝馬船の旗、タンカーの旗、船を迎える人々の旗。そのはためきが鐵造の闘志を物語る。すべて視覚で表現しようとする山崎貴の力業だ」として★3つ(「見応えあり」)を付けています。



(注1)監督・脚本は、『永遠の0』や『寄生獣』の山崎貴
 原作は、百田尚樹著『海賊とよばれた男』(講談社文庫:未読)。

 なお、出演者の内、最近では、岡田准一は『エヴェレスト 神々の山嶺』、吉岡秀隆は『64 ロクヨン 後編』、染谷将太は『俳優 亀岡拓次』、鈴木亮平は『海街diary』、野間口徹は『シン・ゴジラ』(資源エネルギー庁の課長役)、ピエール瀧は『怒り』、綾瀬はるかは『高台家の人々』、堤真一は『日本のいちばん長い日』、國村隼は『ちはやふる 上の句』、小林薫は『深夜食堂』、黒木華は『永い言い訳』、光石研は『森山中教習所』、近藤正臣は『龍三と七人の子分たち』で、それぞれ見ました。



(注2)劇場用パンフレット掲載の「STORY」によれば、夜間戦闘機「月光」を指していますと(Wikipediaのこの記事によれば、「速度や高々度性能の不足、また飛来するB-29に比して迎撃機数が少ないこともあって、十分な戦果を挙げることはできなかった」)。

(注3)上記「注2」で触れた「STORY」によれば、「國岡舘」は銀座にありました。
 実際には、このサイトに掲載されている写真の「出光館」でしょう。

(注4)「石統」については、例えばこの記事をご覧ください。

(注5)出光佐三については、Wikipediaのこの記事をご覧ください。

(注6)クマネズミは、ダメな男、しっかり者の女というパターンの映画(特に、邦画で)がこのところ多くなっているのでは(例えば、『湯を沸かすほどの熱い愛』のような)、と思っているところです。

(注7)鐵造が部下の長谷部染谷将太)を連れて満州に出向いている最中に、ユキは離別の手紙を残して実家に戻ってしまいました。その手紙には、「ずっと考えておりましたが、この結婚は失敗でした。あなたは仕事に追われ、うちは寂しい思いが募るばかり。お暇をいただきたいと思います」と書かれていました。

(注8)このサイトの記事を見ご覧ください。

(注9)鐵造の孫に当たると思われる男の子が、ガラスケースに入った「日承丸」の模型を見るというシーンまであります〔盛田船長(堤真一)の「日承丸」は、実際には「日章丸」。「日章丸事件」については、この記事をご覧ください〕。

(注10)遺品のスクラップブックには国岡商店に関する記事がたくさん貼り付けてあり、鐵造が「あいつは俺に愛想を尽かして出ていったはず」と訝しがると、初美は「大叔母は、国岡さんの話を喜んでしていました。彼女は、出ていったのではなく、身を引いたのだと思います」「彼女はその後結婚せず、群馬の老人ホームで亡くなりました」と言い、鐵造はユキの思いを知ることになります。

(注11)そのように観客に思わせないようにするには、例えば、日承丸が原油を積み込んで日本に戻った時点で映画を終わらせればよかったでしょう。でも、そうすると、本作のもう一つの柱である鐵造とユキの純愛路線が描けないことになってしまいますが。

(注12)例えば、上記「注5」で触れたWikipediaの記事の「その他」のところに、「娘・真子は「父・佐三は徹底した儒教的・家父長的男女観を抱いていて妻と娘4人を「女こども」として軽蔑し、その自立を否定し人格的に抑圧した」と述べている」とあります(より詳しくは、上記「注8」で触れた記事をご覧ください)。

(注13)本作では、鐵造の親族としては兄の万亀男光石研)くらいしか登場しませんが、実際には、上記「注8」で触れた記事を見ると、その弟が出光興産の2代目社長になったりしていますから(「日章丸事件」の際は専務)、色々複雑な事情があったのでしょう(例えば、この記事の年表を見ると、2000年に「会長の出光昭介(佐三の長男)氏と社長の出光昭氏(出光計助の次男)が対立」したとか、本年に「昭和シェル石油との経営統合において昭介氏が異議を唱える」とかが記載されています←本作の裏の狙いは、経営統合問題における創業家支持?!)。

(注14)同作では、実在した作家のトマス・ウルフの書いた原稿が、実在する編集者のパーキンズのもとに持ち込まれるところから描き出されます。



★★★☆☆☆



象のロケット:海賊とよばれた男