映画的・絵画的・音楽的

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ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ

2016年12月02日 | 洋画(16年)
 『ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ』を新宿の角川シネマで見ました。

(1)コリン・ファースジュード・ロウの競演が見られるというので、大変遅ればせながら、映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭では、「a true story」の字幕が流れてから、1929年のニューヨークの街を大勢の人が歩いている様子が映し出されます。
 雨が降っているので、皆が傘をさしています。
 その中で、立ち止まってタバコを吸いながら、向かい側にそびえるビル(壁面に「チャールズ・スクリブナーズ・サンズ社」とあります)を、睨みつけるように眺めている男(トマス・ウルフジュード・ロウ)がいます。

 次の場面では、スコット・フィッツジェラルドガイ・ピアース)の『グレート・ギャッツビー』とか、ヘミングウエイドミニク・ウェスト)の『日はまた昇る』などの本が映し出され、それらの本を編集した編集者のマックス・パーキンズコリン・ファース)が、原稿をチェックしているところが描かれます。



 さらに、「良くはないが、ユニークだ。読んでくれ」と彼の部屋に持ち込まれた原稿(注2)を、通勤に使っている列車の中とか(注3)、家まで歩く途中とかで読み続けるパーキンズの姿が映し出されます(注4)。
 この原稿は『失われしもの(O lost)』と題されており、トマスの手になるものです(注5)。

 パーキンズが、郊外の家に戻ると(注6)、家の中では、女優だった妻のルイーズローラ・リニー)が、ご婦人方と劇の練習をしています(注7)。
 パーキンズは、娘の一人が電話しているのを見咎めるものの、彼女は「来週の卒業式のこと」と言い訳をします。
 食事になると、娘の一人が、「ママが俳優に戻るのは反対なの?」と尋ね、パーキンズは「ママの年代の人がまたスポットライトを浴びるのはどうかな」と答えます。
 食後、娘達はラジオを聴いている一方で、パーキンズは原稿を読み続けます。
 10時になると、パーキンズは、「娘は10時に寝ること」、そして「恋をするのはまだ早い」と言います。これに対して、娘が「いくつになったらいいの?」と尋ねると、パーキンズは「40だ」と答えます(注8)。

 出勤途中の列車の中でもパーキンズは読み続け、とうとう原稿に「おわり」の文字が出現したところで、本作のタイトルが流れます。

 これが編集者マックス・パーキンズと作家のトマス・ウルフとが出会う最初の契機ですが、さあ、物語はどのように展開するのでしょうか、………?

 主演の二人ともイギリスの俳優ながら、本作では、1920年代にスコット・フィッツジェラルドなどの作品を手掛けた編集者・パーキンズと、当時のベストセラー作家だったトマス・ウルフに扮し、その二人の関係が中心的に描かれています。と言っても、そのまわりに位置する人物との関係を通じて二人の関係がクローズアップされてくるような描き方もされていて、なかなか重厚な作品になっているなと思いました。

(2)本作で描かれている編集者と作家の関係は、映画でいえば、プロデューサーと監督との関係に似ているのではないか、と思いました。
 特に、フィッツジェラルドとかヘミングウエイを世に送り出した名編集者という観点から見ると、最近の例からすれば、『モテキ』とか『バクマン。』、それに『君の名は。』のプロデューサーである川村元気氏などが、もしかしたらパーキンズに相当するのかもしれません。
 と言っても、映画の制作にあたっては実に沢山の人達が関係するので、書籍の場合の編集者-作家という単純な関係をプロデューサー-監督の関係になぞらえるわけにはいかないでしょう。
 それでも、『グレート・ギャッツビー』がベストセラーになったのは、作者のフィッツジェラルドの才能ばかりでなく、編集者のパーキンズの目利きがあった点を忘れてはならないのと同じように、今回の『君の名は。』の大ヒットも、もちろん原作・脚本・監督を手掛けた新海誠氏の類まれなる才能によるところが大きいとはいえ、プロデューサーとしての川村元気氏の存在も大きかったものと思います。

 さらに言えば、アメリカの場合、映画の編集権は監督ではなくプロデューサーが持っているため、監督の意向に反したカットがされてしまうことがあるようです〔それで、DVDなどで、ディレクターズ・カット版と称するものが現れたりします(注9)〕。
 本作に見られる編集者と作家の関係は、アメリカにおける監督とプロデューサーに関係により近いといえるのかもしれません(書籍の場合、映画のディレクターズ・カット版のようなものは考えられないでしょうが)。

 それはともかく、本作を見ると、編集者パーキンズの役割の大きさに驚かされます。
 処女作の『天使よ故郷を見よ』(1929年)でも、6万語以上、元の原稿から削除されていますが(注10)、次の『時と川について』(注11)になると、パーキンズは、「すでに5000枚だ。書き足さなくとも、作業に9ヵ月かかる」と言っています(注12)。
 原稿はすべてトマスによる手書きであり、パーキンズはそれをタイプさせ、その上で次から次へと削除していきます。
 現代だったら、パソコン上でいとも簡単にdeleteできますが、当時は、再度それをタイプしなければならず、その手間は大変なものだったでしょう。

 そればかりか、長大な原稿とはいえ、その隅々までトマスの思いが込められていますから、パーキンズが削除すると言っても、そんなに簡単な話ではありません。作業中、絶えず2人の間で激論がかわされます(注13)。



 それでも、こうした作業を通じて、パーキンズとトマスの関係は親密なものとなっていきます(注14)。
 でも、その作業に没頭していけばいくほど、出来上がる作品は誰によって生み出されたのかという疑問が湧いてきます(注15)。
 それに、トマスとそのパートナーのアリーンニコール・キッドマン)との関係とか、パーキンズとその妻ルイーズとの関係がギクシャクしてきます(注16)。



 そんなところが、本作では、なかなか巧みに描かれているように思いました(注17)。
 本年見た100本目の作品として良い映画に出会えたように思います(注18)。

 なお、映画を見ている際に随分と気になったのは、パーキンズが、会社とか家の中でも絶えずソフト帽をかぶり続けていることです。これはマナー違反なのではないかと思ったからですが。
 ただ、このWikipediaの記事には、「室内でも帽子を被る習慣はパーキンズの奇癖として有名になるほどだった。その理由について、彼の秘書を務めていたアーマ・ワイコフは、会社の下層階にあったスクリブナー書店の店員と間違われないようにするためだったと語っている。ただし自身では、急な来客時に外出するところだったと装って逃れるため、などとしていた」とあります。
 「奇癖」とされていますから、室内で帽子を脱がないのはやっぱりマナーに反していることであり、パーキンズも、常識ではおいそれと捉えきれない人物だったということなのでしょう。

(3)渡まち子氏は、「作品そのものは渋いが地味な小品。だが、読書の秋に、こんな文学秘話の映画を見るのも悪くないだろう」として65点を付けています。



(注1)監督は、マイケル・グランデージ
 脚本はジョン・ローガン
 原題は『Genius』。
 原作は、A.スコット・バーグ著『名編集者パーキンズ』(草思社文庫)。

 なお、出演者の内、最近では、コリン・ファースは『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』、ジュード・ロウは『グランド・ブダペスト・ホテル』、ニコール・キッドマンは『グレース・オブ・モナコ』、ガイ・ピアースは『アニマル・キングダム』、ローラ・リニーは『ハドソン川の奇跡』で、それぞれ見ました。

(注2)本作で言われている話によれば、著者・トマスの面倒を見ているアリーン・バーンスタインが持ち込んできた原稿で、他の出版社は拒絶しているとのこと。

(注3)おそらく、「ニューヨーク・セントラル鉄道」でしょう(現在では、「メトロノース鉄道」)。
 パーキンズは、ニューヨークの5番街にある出版社に勤務し、近くの「グランド・セントラル駅」を使って通勤していると思われます。
 なお、グランド・セントラル駅では、パーキンズの家から戻ったトマスを、そのパートナーのアリーンが出迎えたりします(パーキンズも、そこでアリーンを知ります)。

(注4)「a stone, a leaf, an unfound door; a stone, a leaf, a door. And of all the forgotten faces」など、後に著名になるフレーズが原稿に散見されます(この記事が参考になります)。

(注5)その原稿は、後に、タイトルが『天使よ故郷を見よ(Look Homeward:A Story of the Buried Life:1929)』(邦訳はこちら)とされて、出版されます。

(注6)Wikipediaのこの記事によれば、ニューヨークの北東に位置するコネチカット州ニュー・ケイナン(あるいは、ニュー・カナーンNewCanaan)。

(注7)後に、パーキンズの家でディナーがあった時、パーキンズの妻・ルイーズが「私も作家。戯曲に取り組んでいる」と言うと、トマスは「あの形式はダメだ。それで自分は小説に取り組んでいる」と答えます。



(注8)パーキンズは1884年生まれですから、この時は45歳位でしょう。

(注9)ここらあたりのことは、Wikipediaのこの記事を参照してください

(注10)パーキンズはトマスに、「刈り込むと言っても、あくまでも君の作品。最良の形で読者に届けたいだけだ」と言って、前渡金として500ドルの小切手を手渡すと、トマスは「削除には応じます」、「一銭の価値もないと言われたものに500ドルも!」と答えます。

(注11)原題は『Of Time and the River』(1935年)。

(注12)この記事によれば、処女作の原稿の4倍以上の原稿があり、なおかつ、月に5万語の割合で増えています。

(注13)例えば、トマスが「トルストイもこれほど削っただろうか?」と言うと、パーキンズは、「これまで削除したのは、2年間でせいぜい100ページほどにすぎない」と応じます。

(注14)街で、アリーンとパーキンズの妻・ルイーズとが出会って、カフェで話をした際に、アリーンが「彼をご主人に奪われた」と言うと、ルイーズは「主人は、ずっと息子を望んでいた。そこにトムが現れた」と答え、それに対しアリーンは、「別れません。彼のためにすべてを捨てたのですから」と言います。

(注15)完成した第2作目の『時と川について』に「この本をマックス・パーキンズに捧ぐ」という「献辞」をつけようとトマスが言うと、パーキンズは、「やめてくれ、編集者は黒子にすぎない。それに、歪めてしまった感じもする。改良するのではなく違った本にしているのかもしれない」などと言いながらも、結局はそれを受け入れます。
 ちなみに、パーキンズは『時と川について』に関し、「新聞の書評には賛辞が溢れ、「真の大作」と言われたり、J・ジョイスと比べられていたりする」、「3万部だ」、「天才扱いだ」などと、パリに滞在するトマスに連絡しています。

(注16)演劇に関係していたアリーン(この記事によれば、彼女は当時、「 a theater set and costume designe」であり、その後「作家」にもなっています)は、トマスに、「初日の大変さをわかって。大切な夜だから、今夜だけ私と一緒にいて」と言いますが、トマスは「自分にもマックスとの仕事がある」と答えてパーキンズのもとに行こうとします。それで、怒ったアリーンは、「この2年間、私はずっと一人きりだった。今夜だけとお願いしている」、「どちらを選択するのか、今すぐこの場で結論を出して!」と言ってトマスの頬を叩きます。そして、「それが、私の痛みよ」と付け加えます。
 他方で、パーキンズの妻も、いろいろな荷物を車に積み込んで、子どもたちと一緒に出かけようとしています。パーキンズが妻に、「トムは、人が一生のうちに出会えるかどうかわからないほどの作家だ。彼との作業は、私の仕事。たかが休暇にすぎないのだから、そんなことに時間を割けない」と言うので、妻たちはパーキンズを一人家に残して車で走り去ってしまいます。

(注17)アリーンがパーキンズのもとにやってきて、「あなたに対するあの献辞は、彼があなたを解放するということ。あなたは捨てられる」、「後になればわかることだけど、この先モット大変になる」、「残るのは虚しさだけ」と言います。
 また、フィッツジェラルドもパーキンズに、「トムは君を離れる」と言います。
 さあ、実際にはどうなることでしょう、………?

 なお、ここらあたりのことは、ものすごく飛躍してしまい恐縮ですが、中島みゆきが作詞作曲した「恋文」の中にある「恋文に託されたサヨナラに 気づかなかった私/「アリガトウ」っていう意味が 「これきり」っていう意味だと/最後まで気がつかなかった」を思い出させてしまいます。

(注18)ラストのトマスからの手紙は感動的です(「…人生に大きな窓が開けられたように思います。そこを通れば良き人間になってあなたに会える。…」)。



★★★★☆☆