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映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ちはやふる 上の句

2016年04月12日 | 邦画(16年)
 『ちはやふる 上の句』をヒューマントラストシネマ渋谷で見ました。

(1)評判が良さそうなので映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭では、有名な「ちはやぶる」の歌が映し出され、「1000年前、在原業平が詠んだ激しい恋の歌」とのナレーションがあって、「クイーン位決定戦」の横断幕が掲げられる会場が映ります。
 「でも、今のあたしには、「ちはやふる」のかるたは「ちは」しか見えない」とナレーションが続いて、手が動いてかるたを素早くとります。そして、主人公の千早広瀬すず)の顔が大写しになって、タイトルが流れます。



 画面が変わると満開の桜となり、舞台は瑞沢高校。
 チャイムが鳴って、1年生達が廊下に出てきて、どのクラブに入るか話しています。
 ある教室では、千早が、集まった男子生徒を前に競技かるたを説明しています。
 男子生徒が随分と集まったのは、高校1年生の千早の姉がモデルで有名だから。
 千早は、「簡単でしょ、やってみようか」と言って、札を読み上げる録音された声が聞こえると、千早はものすごい勢いで札をとります。
 その札が、飛んでいく先に飾られていたダルマに刺さると、その凄さに男子生徒らは驚き呆れて、慌てて教室を出て行ってしまいます。
 逃げ出した生徒たちの後を追いかける千早を見た太一野村周平)は、かるた部に行こうとしていたものの、近くにいたテニス部のランニング集団に紛れ込んで隠れます。
 それに参加していた西田矢本悠馬)が太一に、「千早は白波かるた会のままだな。まさか、お前もテニス部?高校生になってもかるた、はないよね」と言います。

 次いで、ちょっとしたことで屋上に取り残されてしまった太一のところに、桜の花びらをたくさん身にまとった千早が、勢い良く飛び込んできます。
 千春は太一を見つけると、「どうしてこの高校に?太一の中学、中高一貫じゃないの?」と驚きながらも喜んで、「かるた部を一緒に作ろう」と勧誘のビラを太一に渡します。



 これに対して太一は、「おまえ、全然変わんねーな。お前と同じ温度でかるたをやる奴がいるかよ」、「俺はサッカー部だ」と言います。

 その後、あれこれがあって、太一は結局千早と一緒にかるた部を作ることになりますが、さあ、物語はどのように展開するでしょうか、………?

 本作は、主人公が高校に入ってかるた部を作り、その弱小チームを率いて東京大会で優勝するまでを描いています。競技かるたの面は、前編である本作でかなり描かれていますが、主人公と幼馴染の二人の男子高校生との関係がどうなっていくのかは後編の「下の句」で詳しく描かれるのでしょう。事件の謎解きを後編に期待させる『ソロモンの偽証(前篇・事件)』ほどではありませんが、本作もまずまずうまく後編につなげていて、問題点は色々見受けられるとはいえ、後編も期待させます。

(2)映画館に行く前に、競技かるたのルールなどを調べてから見たので、映画の内容はよく理解できましたし、実際の試合の様子を画面で見ると、出演者(特に、広瀬すず)の熱演もあって、その迫力はなかなかのものがあるなと思いました。

 とはいえ、競技かるたを観戦するスポーツの一種とみなす場合、野球とか大相撲などとは異なって、観客側からすると、競技者はいつも同じような動作をしているように見えて(注2)、あまり見栄えがしない感じがします。
 それに、とった札が遠くに飛んでいってしまい、競技者が一々それを拾いに行かなくてはいけないというのも、やや間延びした感じがするところです。
 本作では、こうした難点を克服するために、様々な方向からカメラを向けて撮ったりしています。その努力は買うものの、競技方法自体に何かもう一工夫あっても良いのかな、と思いました(注3)。

 本作は、競技かるたに焦点を当てることで、名人とかクイーンと呼ばれる人が存在することはニュースなどで知っていても、詳しい競技方法を知らないクマネズミのような一般の人々に対して、競技かるたを啓蒙していく上でかなり意義がある作品と言えるでしょう。
 それでも、上で述べたような難点があるように思えるところから、後編の『下の句』でも、同じような試合風景が描かれると、やや退屈してしまうかもしれないと、怖れます。

 それと、本作では、広瀬すずら中心的な人物の高校以前のことがよくわからず(注4)、いきなり瑞沢高校でかるた部を作って云々と話が進んでしまうのは、どうも説明不足ではないか、と思いました。
 特に、かるた部を結成する5人のうち、西田や上白石萌音)、駒野森永悠希)については、一応の性格付けがなされていますが、肝心の千早と太一は小学校時代から競技かるたをやっていたというくらいしかわかりません(注5)。



 さらに言えば、大人として本作に登場するのは、せいぜい、競技かるた会・府中白波会の会長である原田先生(國村隼)と、瑞沢高校のかるた部顧問の宮内先生(松田美由紀)の二人にすぎず(注6)、いったいこの子たちの家族はどうなっているのだろう(注7)、と気になりました。



 そうはいっても、本作は、2部作の前編に過ぎず、評価をするのは後編を見てからとすべきなのでしょう。これから膨らんでいくのだろうと予想させる点がいろいろあって、それが後編を期待させます。とはいえ、とにかく前編で、瑞沢高校チームは東京大会で優勝するのですから、なんだか「上の句」だけでも十分なような気もしてしまいました(注8)。

(3)渡まち子氏は、「競技かるたという、シブい世界を背景にした青春ストーリーだが、青春“スポ根もの”としてうまくまとまっている」として65点をつけています。
 読売新聞の多可政史氏は、「はかま姿で汗を流すフレッシュな俳優らがすがすがしい。春休みにぴったりの映画だ」と述べています。



(注1)監督・脚本は、『FLOWERS-フラワーズ-』や『カノジョは嘘を愛しすぎてる』の小泉徳宏
 原作漫画は、末次由紀著『ちはやふる』(講談社)。

 なお、出演者の内、最近では、広瀬すずは『海街diary』、野村周平は『あやしい彼女』、上白石萌音は『舞妓はレディ』(エントリは書いておりません)、北央学園高校の須藤役の清水尋也は『ソロモンの偽証(後篇・裁判)』、松田美由紀は『2つ目の窓』、國村隼は『天空の蜂』で、それぞれ見ました。

(注2)接近して相対している競技者の体で隠れてしまって、状況がよくわかりません。特に、札は、観客側から殆ど見えないように思います(札が小型であることにもよるのでしょうが)。

(注3)例えば、全くの思いつきに過ぎませんが、札に指紋を判別できるセンサーをつけて競技者が触れば、どちらかのブザーが鳴るというようなことは考えられないでしょうか(例えば、フェンシングの試合のような感じ)?
 でも、かるたは、日本古来のものであり、それこそが美質といえるため、あまりこうした近代的なテクノロジーとは両立しないのかもしれませんが。

(注4)ほんの少し回想シーンは挿入されますが、小学校時代のことばかりです。中学校時代は千早、太一、そして真剣佑)3人はどうしていたのでしょう?
 こうしたことは、『下の句』で描かれるのかなとも思いますが、Wikipediaの「ちはやふる」の「あらすじ」を見ると、原作漫画においても「中学時代」は描かれてはいないように思われます。なぜなのでしょう?

(注5)西田(「肉まんくん」)については、白波会に入っていたらしいことや肉まんを持って試合に臨んだこと、奏(「かなちゃん」)については、呉服屋の娘で日本文化や古典に精通していること、駒野(「机くん」)については、コミュニケーション障害でいつも一人でいることや勉強ができそうなこと(ただ、劇場用パンフレットの「character」では「成績が学年2位」とされていますが、まだ入学したばかりなのにどうして順位がわかるのでしょう?入試の成績?)といったことがわかります。
 これに対し、千早については、競技かるたにものすごい情熱を持っていることやモデルの姉がいること、太一については千早に対し恋心を抱いていることくらいしかわかりません(劇場用パンフレットの「character」では「スポーツ万能、頭脳明晰、お金持ちでイケメン、性格も良い」とされているところ、「イケメン」を除いて、本作のどこからそのような特徴が見て取れるのか不思議です)。

(注6)その他、新の祖父・綿谷始津嘉山正種)がチラッと登場しますが、いずれにせよ、総じて大人が全くの添え物的存在となっているのは否めません。ただ、皆高校生ですから、プラス要因にせよマイナス要因にせよ、大人抜きの生活など成り立たないのではないでしょうか?

(注7)上記「注4」で触れたWikipediaの「ちはやふる」の「登場人物」を見ると、原作漫画においては、当然のことながら、それぞれの登場人物にそれなりの家族はいるようです。
 なお、つまらないことですが、千早には姉が、太一には妹、西田にも姉がいるというように、親族として原作漫画に描かれている人物は、総じて女性に偏っているような気がします。

(注8)太一は、ラストの方で、新の携帯電話番号が書かれたメモを千早に渡しますし、またズット黙っていた事実を新に告白までします。太一としては、これですっきりと千早に対することが出来るでしょう。そして、千早が、太一と新に対してどのように対応するのかは後編で描かれることになるのでしょう。でも、3人は高校生なのですから、どちらかに決まるというワケのものではないのではないでしょうか?そうだとしたら、仮に前編で終わったとしても(あとは見る者の想像に委ねるとしても)、それはそれで構わないのではとも思えます(なお、新は、前編の最後で「かるたはやらない」と言いますが、なぜそう言うかは前編の中で推測できるように作られています。おそらく、後編では、そのことを乗り越えて、新は競技かるたに復帰するのではないでしょうか)。



★★★☆☆☆



象のロケット:ちはやふる 上の句



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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (ふじき78)
2016-05-20 09:34:21
もちろん彼等に家族はいるのだろうけど、高校の部活と家族には接点がないのが普通だと思う。家族を出すためだけに
「ただいま」
「また、遅くなって部活かい。勉強もやりなさい」
みたいな展開入れるのは無駄だとして割愛したのでしょう。高校生なのに勉強のシーンがほとんどないのと同様です。
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Unknown (クマネズミ)
2016-05-21 07:02:51
「ふじき78」さん、TB&コメントをありがとうございます。
確かに、一般的には、おっしゃるように、「高校の部活と家族には接点がない」のかもしれません。
でも、フジTVの『ミライモンスター』などを見ると、家族の強い応援があってはじめて部活に打ち込められている姿が描かれている場合もあり(高校ボクシングの松本圭佑の場合は、元ボクサーの父親との二人三脚になっています)、そこは物語の作りようではないかとも思うのですが。
いずれにしても、本作には大人の登場人物が少なすぎるように思いました。
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Unknown (ふじき78)
2016-05-21 23:00:47
前編後篇に分けたといっても物凄い密度があるし、一本の長さをそんなに長くする事も出来ないので、名人がいるので部活に理解がある新の家族以外には書かなかったでよいと思います。一般的に親が子供の部活に口を出すのはマレなので、他はごくごく普通に希薄な関係なのだと思います。家族のシーンや、大人の登場人物などはあっても困らないけど(尺数以外)、必須だとは思いません。む
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Unknown (クマネズミ)
2016-05-22 05:33:45
「ふじき78」さん、再度のコメントをありがとうございます。
おっしゃるように、「一般的に親が子供の部活に口を出すのはマレ」なのでしょう。ただ、本作の主人公のように、幼い時からとびきりの才能を開花させている場合には、家族の支えが十分に考えられるのではないでしょうか?
それに、クマネズミは、それぞれはそれぞれの共同体に属していて生きているのではないかと思えて、高校生くらいで親とは無関係で自分一人でやってしまうという姿はあまり好きではないのです。
そんなことから、本作で大人の登場人物が少ないことに違和感を覚えたところです。
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