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ビューティフル

2011年07月31日 | 洋画(11年)
 『BIUTIFUL ビューティフル』をヒューマントラストシネマ渋谷で見てきました。

(1)映画の主人公ウスバルハビエル・バルデム)は、よくもまあこれだけあるものだと見ている方が感心してしまうくらい、たくさんの問題を次から次へと抱え込みながら、それらをなんとか解決すべく、148分という長尺の映画の中であちこち駆けずり回ります。ですが、どの問題も、うまく解決などできるべくもありません。

イ)映画で描き出される様々な問題を少し例示してみましょう。
 まず、ウスバル自身が、膀胱癌で余命2カ月と医者から宣告されます。2人の子供がいるだけでなく、たくさんの問題を抱えていて、とても死んでなどいられないと言ってはいるものの、血尿が頻繁に出たり、気を失ったりと、次第次第に弱っていき、最後の方では、モルヒネ注射を自分でうつようになってしまいます。

 次いで、妻マランブラマリセル・アルバレス)とは離婚していますが、子供2人は彼が、その狭くて汚らしい棲み家で面倒を見ています。彼らが通う学校へ送り届けたり出迎えたりするだけでも大変なところに、宿題の面倒もみてあげなくてはなりません(ですが哀しいかな、英語のbeautifulの綴りを娘から尋ねられて、biutifulと書いてしまうのです!)。



 また、ウスバルは、不法にスペインに入国したアフリカ人や中国人の世話をするなどして手数料を稼いでいます。とはいえ、警察による取締りからお目こぼししてもらうべく、警察の方にも手を回さなくてはなりません。
 それでも、目立つところでアフリカ人たちが商売するに及んで警察も取り締まらざるを得ず、逮捕者には本国帰還の措置がとられるので、結婚でもしていると、ウスバルが残された妻子の面倒を見ざるを得なくなります(注1)。
 さらには、建設業に従事させていた中国人労務者をタコ部屋に閉じ込めておいたら、暖房器具の不具合で20数名全員が中毒死するという悲惨な事態をも招いてしまいます(彼らを温めてやろうということで、わざわざウスバルが購入した器具なのです!)。
 なお、中国人労務者を率いてスペインにやってきた男は、バロセロナにいる中国人を頼るのですが(この中国人が、ウスバルのお得意さんの一人)、彼らは本国においてホモセクシャルな関係にあったとされています。



 以上の簡単な例示からでも、末期癌、子供の養育、不法入国などといった実にシリアスな問題がいくつも、映画で取り上げられていることがおわかり願えるでしょう。

ロ)さらに映画では、上記のような問題に加えて、普通では余り見かけない精神的な面に関することまで描かれています。

 まず、ウスバルの妻だったマランブラは、双極性障害(従前は「躁鬱病」といわれました:注2)で、ある時はウスバルがうるさいと大声で怒鳴るほどに喋り続けたり、彼の弟と陽気に騒いでいるかと思えば(肉体関係もあるようです)、他の時は沈みきって子供たちと食事をしていたりします(何度も診療施設に入って治療を受けているようです)。
 この点が主な原因でウスバルは妻と別れ、なおかつ子供達を自分で育てているのです。



 次に、ウスバルは、死者と交信ができるということで葬式に呼ばれます。眼が開いたまま棺に納められた少年と交信したことによってその父親からお金を受け取りますが(少年はこの世に名残があったが、自分が彼をあの世に旅立たせた、とウスバルは言います)、少年の母親はウスバルを信用しません。ここでは、『ヒア アフター』でマット・デイモンが演じた霊能者と類似の姿が描かれています。

 また、天井から自分の姿を見るという臨死体験としてよく言われるイメージに類似する光景がラスト近くで映し出されます。ウスバルが、死に瀕しながらも隣の部屋をのぞくと、その天井に自分自身の姿を見るのです。
 なお、映画の冒頭では、ウスバルの亡くなったはずの父親が随分と若い時分の姿で彼の前に現れます。それも周り中が雪の森の中というわけですから、おそらくはウスバルの幻覚なのでしょう。父親は、フランコ政権に嫌気がさして、船で新大陸に向かったところ、途中で命を落としたとの話です。
 そして、映画のラストでも、冒頭と同じように、若い時分の姿をしたウスバルの父親と彼とが向かい合う場面が描き出されるところ、これもウスバルの幻覚なのでしょう、過ぎ去っていく父親に向かって、ウスバルは“そっちには何があるの?”と尋ねます。これは、もうすぐ彼自身が“そっち”、すなわち死者の国に行くことを示唆していると思われます(注3)。

 映画には、ウスバルを通して現代のスペイン(ひいては今の地球が)が抱える様々の問題が、社会問題から精神的な問題に至るまで、目一杯詰め込まれていて、見終わるとぐったりするほどながら、同時にトテモいい映画を見せてもらったという感動がじわじわと沸き起こっても来ます。

 ウスバルの役柄は、ややもすると狂言回しになりかねないところ、自分の死が迫っているなかで何とか子供たちだけは生きていける算段を付けておこうとする強い思いが一貫していて、決して狂言回しにはなっていないところがこの映画の良さといえるでしょう。
 そしてそう言えるのも、演じるバルデムの説得力ある演技力によるところが大きいものと思います。




(2)映画は、織田裕二の『アンダルシア』にも登場するバルセロナが舞台とされ、バルテムも、すでに同市を舞台とする『それでも恋するバルセロナ』に出演しているところ、それらの作品で描かれる明るい都市の光景とはマサニ逆の街の様子が、専ら描き出されています。
 なんといっても、バルセロナと言えば、ガウディのサクラダ・ファミリア教会でしょうが、むろんそうした観光名所は、この映画ではほんのチラッとしか見えず、大部分は下町のごみごみした情景ばかりです。でも、それがバルセロナの底辺で生活する者にとっては日常なのでしょう。

 なお、ガウディ(1852-1926)は、敬虔なキリスト教徒であり、政治活動を行ったわけではありませんが、田澤耕著『ガウディ伝』(中公新書、2011.7)によれば、「晩年のガウディは徹底的にカタルーニャ語に執着した」ようです(P.241)。
 ところが、1923年にクーデターを起こして独裁制を樹立したプリモ・デ・リベラ将軍は、カタルーニャ主義を排し、「カタルーニャ語は学校教育など公的な場から追放された」とのこと(P.266)。
 その後、1938年に政権の座についたフランコ総統もカタルーニャ語を禁じましたから、その独裁体制を嫌ったウスバルの父親は、ある意味でガウディに繋がっているといえるかもしれません。

 ところで、ウスバル自身はどんな言葉で話しているのでしょうか?
 劇場用パンフレットのProduction Notes に掲載されている監督アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥのメモには、「ウスバルは“チャルネゴ”として生まれ、サンタ・コロマの住人の1割に当たる、カスティーリャ語を話す人々の1人だ」とされていますから、カタルーニャ語ではなさそうです。
 同パンフレットに掲載されている八嶋由香利・慶大准教授のエッセイによれば、「この映画に登場する人たちの中で、カタルーニャ語を学習している野は、小学校に通うウスバルの二人の子供だけ」とのことです。

(3)映画評論家は総じて好意的です。
 まず、山口拓朗氏は、「言うなれば、ウスバルは私たち人間が例外なく直面しながらも後回しにし続けている「問い」に答えるべく受難を背負ったスケープゴートのようなものだ。だからこそ、私たちはウスバルの、ときに矛盾や苦悩に満ちた思考や行動に敏感に反応してしまうのだろう。その反応の原因を追い求めようとする人にとって、この作品の価値は計り知れないであろう」として80点をつけています。
 また、渡まち子氏は、「主人公が子供たちに遺したものは、家族で抱き合ったぬくもりだけだ。それでも闇の中から一片の希望を見いだそうとしたウスバルの姿は残像のように記憶に焼きつく。雪に包まれた深い森で、彼は生前会ったことがない父の、若き姿に問いかける。「向こう側には何が…」。死の恐怖から解き放たれ、安らぎがあることを願わずにはいられない」として70点をつけています。
 さらに、福本次郎氏は、「要するにハタ迷惑なひとり相撲を取っているのだが、映画はウスバルの苦悩を浮き彫りにすることで、思い通りにならい“人生”の真実に迫っていく」として60点をつけています。


(注1)ウスバルは、残されたセネガル出身の女性イヘとその子供の面倒を見ることになりますが、最後には、自分の死後自分の子供の面倒をも見てくれるようイヘに大金を渡します。ですが彼女は、そのお金を持ってセネガルに帰ってしまうのです〔この点については、下記の「まっつあんこ」さんのコメントを参照して下さい〕。



 といっても、イヘを責めるわけにもいきません。彼女の方は、自分たちはこの土地ではいつまでたっても異邦人扱いをされるため到底馴染むことが出来ず、機会さえあれば故国に戻りたいと考えていたのですから。

(注2)この双極性障害は、日本人の場合、鬱病患者の10人に1人くらいにしか見られない珍しいもののようです(ただ、作家の北杜夫氏は、ご自分がそうであることを明らかにしています)。

(注3)映画では、撤去されることになった共同墓地の中から、彼の父親の遺体の入った棺を取り出す場面があります。火葬処理をするためですが、その前に棺を開けて父の遺体を確認します。兄の方はとても正視できませんが、ウスバルは遺体の頬に手を当てたりするのです。ウスバルには、父親と通い合うものがあったのでしょう。




★★★★☆




象のロケット:BIUTIFUL ビューティフル