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X-MEN:ファースト・ジェネレーション

2011年07月03日 | 洋画(11年)
 『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』を渋東シネタワーで見てきました。

(1)これまで『X-MEN』のシリーズを何も見ていなかったので、本作品は当然のことながらパスしようと思っていたところ、どうも頗る評判がよさそうで、かつまたこれまでのものを見ていなくてもかなり理解できると聞きこみ、さらに大変面白かった『キック・アス』の監督マシュー・ボーンが製作していることもあって、それならと映画館に足を運んできました。

 確かに、『X-MEN』のシリーズを見ていれば、今回登場するミュータントたちの実際の活躍ぶりを既に把握しているわけですから、本作でその前歴を知ることは随分と楽しいに相違ありません。
 ですが、今回の作品でも、次から次へとミュータント達が驚きの技を見せてくれますから、何も後日譚を知らずとも、それだけで十分楽しめますし、なにより、本作が出発点となってその後の展開があるのですから、本作だけでもかなりのところまで理解することができます。

 物語は、第3次世界大戦を引き起こし人類を絶滅させ、自分たちミュータントの世界を作ろうとするセバスチヤン・ショウ(ケヴィン・ベーコン)の企図を阻止しようと、これもミュータントながら、人類との共存を図ろうとするチャールズ・エグゼビア(プロフェッサーX:ジェームズ・マカヴォイ)は、エリック・レーンシャー(マグニートー:マイケル・ファスベンダー)らとともに戦って、地球の危機を救うといったものです。

 こんな風にまとめてしまうとありきたりのストーリーといえそうですが、この映画には興味深い点がいくつもあります。
 たとえば、
イ)エリックは執拗にショウを追うところ、それは、幼い頃ユダヤ人として強制収容所に収容されているときに、エリックがミュータントとしての特別な能力をショウに見せなかったために、目の前で母親がショウによって射殺されてしまったからなのです。
 要すれば、エリックは、ミュータントとしてだけではなく、ユダヤ人としても厳しい差別に遭遇していたことになります。

ロ)第3次世界大戦を引き起こす際のきっかけとして使われたのが、1962年の「キューバ危機」であり、映画においてもその時のニュース映像が実に効果的に映し出されます。



 実際には、無論ミュータントの出番などありえず、当時のケネディ米大統領とフルシチョフソ連第1書記との息詰まる駆け引きの結果、理性的に戦争は回避されましたが、あとから考えれば、ミュータントの出番があってもよかったくらいに切羽詰まったところまで世界は追い詰められていたとも考えられます。

ハ)登場するミュータントのうち、最後は獣人の姿になってしまうハンクとか、背中に4枚の羽が生えるエンジェルなどはありきたりの感じがするものの、ジェニファー・ローレンス(『あの日、欲望の大地で』に出演しています)が演じるミスティークは、青い肌に変身するなど独特の個性を持っていると思いました。




 とはいえ、問題点もありそうです。
イ)ミュータントの特別な力といっても、テレパシーを使うとか、口や手などからエネルギー(超音波とかレーザーなどの)の塊を砲弾のように発射して相手を倒すなど、お馴染みの手法によるものばかりで、そこには余り新鮮さが感じられません。

ロ)本作の特色とも言えるミュータントの悩みも、主に外形的なところ(普通の人間と肌の色とか形状とかが違っているなど)にあるようで、その点でもありきたりではないでしょうか(肌の色の違いによる差別の段階であり、宗教とか言語等の文化面の相違による差別の段階には至っていないのではないでしょうか?ただ、ソウした外形的な違いによる差別の方が、執拗さは格別でしょうが)?

ハ)ショウは、第3次大戦を引き起こして人類を絶滅させようとしますから、一般の人間にとっては邪悪な敵といえるでしょうが、ミュータントにとっては、果たしてそうした人達と同じように考えられるのでしょうか?



 現にエリックは、母親の復讐のためにショウを倒しますが、実際にはチャールズとは手を組まず、むしろマグニートーとして彼と対立するようになります。
 なにより、核戦争の危機を免れたこと分かると、一ヶ所に固まっているミュータントたちを倒すべく、米ソの艦隊はミサイルを彼らに撃ち込もうとするのですが、まさにこれはショウが言っていた通りであり、エリックがチャールズに同調しないのもよく理解できるところです。

ニ)一番の問題は、普通の人間と違った才能を持っていることで自分達が様々な差別を受けているにもかかわらず、迫害する人間をなぜ自分たちが犠牲を払ってまで守らなくてはならないのか、についての理屈を、チャールズがきちんとミュータント達に説明していないことではないでしょうか?




 でもそんな詰らないことを言うのは『X-MEN』シリーズの面白さを知らないからであって、ここは悪をやっつける正義の味方の凄さ(ただし、その中で内部対立が起きていますが)をそのまま素直に愉しむべきなのでしょう!

(2)この映画は、ミュータントといわれる特別な才能を持った人間達を描いていますが、外見は人間そのものながら異なるところもあるというのであれば、『私を離さないで』で描かれている「クローン人間」が当てはまるかもしれません。
 ただ、その映画においては、彼らは、自分たちが周囲の一般の人間達と異なっているらしいことは分かっていても、この映画におけるミュータント達のように、その点に関し酷く悩むことはないようです。

 なお、映画の中でもミュータント達は、自分たちは突然変異によって生まれたと何度も話しているところ、ミュータントとは「突然変異体」のことで、Wikipedeiaの「突然変異」の項ではあらまし次のように説明されています。

 “遺伝子突然変異(DNAあるいはRNA上の塩基配列に物理的変化が生じること)や、染色体突然変異(染色体の数や構造に変化が生じること)の結果、表現型に変異が生じた細胞とか個体を突然変異体(ミュータント)と呼ぶ。”

 ただ、最近刊行された池田清彦著『「進化論」を書き換える』(新潮社、2011.3)によれば、ネオダーウィニズム(ダーウィンの死後、メンデルの遺伝学説と合体したダーウィンの学説)は、「遺伝する形質の変異の原因はDNAの偶発的かつ無方向的な突然変異以外にはありえないと主張」するが(P.69)、しかしながら、「環境が変化すると、生物は、環境刺激に応答可能な(すでに個体群のゲノム中に存在し、今までは眠っていた)遺伝子(群)を活性化させることにより、まず表現型を作り、それが適応的ならば、この表現型を選択し続けることで、遺伝子の組み合わせを変更して、表現型を遺伝的に固定する」とのこと(P.78)。

 要すれば(あるいは間違った解釈かもしれませんが)、遺伝子突然変異といったものでなく、特定の環境変化によって、形の異なる生物は生まれるのだ、結果としては「突然変異体」としても、Wikipediaが言うように限定的なものではないのだ、ということではないでしょうか?

 それに、本来的には、いくら形が違ったものが生まれるとしても、羽根の生えた人間とか、金属を意のままに動かすことの出来る人間などがいきなり生まれることはなく、中間的なものがいくつも生まれた上でのことではないでしょうか?
 とすれば、プロフェッサーXが開設する学園にしても、そこに入りたいと願うミュータントは引きも切らずの状況ではないか、と想像されるところです(まあ、それらの中間的な段階の人間は除外して、最終的な形態のミュータントだけを選別するということかもしれませんが!)。

(3)渡まち子氏は、「人気SFシリーズ「X-MEN」の起源をひも解く物語は、非常に内容が濃く満足感が味わえる。超絶アクションでありながら、同時に心を打つドラマ性も兼ね備えた秀作だ」、「アメコミの映画化は数多いが、現時点では「X-MEN」が最高峰だと思っている。共に最上級の能力を認め合いながらも決裂せざるをえなかった若者二人の運命をドラマチックに描いた本作を見て、それは確信へと変わった」として85点もの高得点を付けています。
 また、福本次郎氏も、「映画はミュータントたちが歩む苦難の歴史にスポットを当て、真の敵は人間の胸に潜む未知なるものに対する偏見や恐怖心であると喝破する。見た目がノーマルな者は能力を制御できればごまかせる、だが、姿形そのものが突然変異の結果と分かる種類のミュータントにとって、生きることは人目を避け続けるのと同じ。そんな、外見にコンプレックスを抱くミュータントの苦悩と葛藤がリアルに再現されている」として70点を付けています。




★★★☆☆




象のロケット:X-MEN:ファースト・ジェネレーション