映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

スーパーエイト

2011年07月17日 | 洋画(11年)
 『SUPER 8/スーパーエイト』を渋谷TOEIで見てきました。

(1)生憎スピルバーグ映画のファンでもないので、見ることは見ましたが、よくわからないところ、疑問に思えるところがいくつも出てきてしまい、とても拍手喝采というわけにはいきません。
 それで今回は、そうした疑問点・問題点のようなものをいくつか例示しながら、レヴューを綴ってみました(特段、スピルバーグ・ファンの方でなくとも、簡単にお答えいただける疑問点かもしれません。奇特な方は、コメントをよろしくお願いいたします)。
 なおこうなるのも、一つには、劇場用パンフレットが、映画の全体を見ることなしに作成されていて、はかばかしい情報を何一つ掲載していないことにもよります(何もそんなに秘密主義にしなくともかまわないような映画の内容に思えるのですが!)。

イ)主人公の少年ジョージョエル・コートニー)の母親が工場の事故で亡くなったことが、何度か映画で言及されるものの、ストーリーが展開しても、それ以上のことは母親に何も起こりません。
 単に、ジョーが好きなアリスエル・ファニング)の父親との関係(彼が酔いつぶれて出勤できない代わりに出勤して事故に遭遇)が云々されるだけというのは、お話として勿体ないのではないでしょうか?
 それに、アリスの母親も、飲んだくれの父のもとから去ってしまったらしいのですが、こちらの方は、その写真すらないらしいのも、なんだか腑に落ちない感じがするところです。
 なによりも、お互い好き同士なジョーとアリスが、揃って母親がいないというのも物凄い設定だなという感じがしますし、また初めは対立していた彼らの父親同士も、最後には打ち解け合うというのも、随分と安易なストーリーだなという感じがしてしまいます(こういったところがジュブナイルというわけなのでしょうか?)。

ロ)ジョーらが映画の撮影をしている町はずれの駅で、貨物列車の大事故が起きるものの、なんでそんな大事故になったのか、そしてその事故に何の意味があるのか、結局のところはっきりとは説明されないのです。
 想像するに、捕獲していたエイリアンを空軍が別の地点に列車で輸送していたらしいのですが、何のためにそんなことをする必要があるのか、貨物列車にどうして大量の危険物質や爆発物を積載していたのかもよくわからないままです。
 特に、凹凸のあるキューブ(六面体)がたくさん積まれていましたが、そして最後には、ジョーが密かに持ち出したキューブが、壁を突き破り給水塔に激突しますが、このキューブはいったい何に使われるものなでしょうか(あるいは、エイリアンが宇宙船を建造する際に必要な材料なのかなと思えるところ、そんなものを空軍がどうして用意しているのでしょうか、元々空軍は、エイリアンが逃亡しないように捕獲していたのではないでしょうか)?



ハ)空軍が捕獲していたエイリアンの乗っていた宇宙船が地球に不時着したのが1958年とされ、この映画の時点である1979年(スリーマイル島の原発事故の年)まで20年以上も経過しているにもかかわらず、その間エイリアンが大人しくしていて何事もなかったとは考えられないところです。
 生じたはずの事故などから、空軍は、エイリアンについて子細な情報を把握していたはずです。にもかかわらず、エイリアンに対して、どうして意味もない銃撃をしたり、戦車を繰り出したりの通常の攻撃をするのでしょうか?
 それに元々、単に列車事故に遭遇しただけで、エイリアンは逃げ出せるものなのでしょうか(逆に言えば、そんな簡単なことなら、モットずっと前に、空軍の下から逃げ出していたのではないでしょうか)?

ニ)ジョーら子供達の学校の生物の先生であるウッドワード博士は、20年前に、このエイリアンを研究するチームに入っていたようで(同博士が倉庫に隠していた資料から判明)、その後同研究チームを追われ、突然、今回の大事故を引き起こすわけですが、なんでそんなことをしようとしたのかうまく説明されていません(列車事故を引き起こせば、エイリアンが自由の身になるとでも考えたのでしょうか?)。
 さらに、空軍当局の隊長ネレク大佐は、事故で重傷を負ったウッドワード博士が非協力的な姿勢を示すと、すぐさま毒殺してしまいます。しかしながら、なんでそこまでする必要があるのかよくわからないところです(もっと博士から情報を得る必要があれば、時間をかけて尋問すればいいのですから。また、他に情報を流すことを恐れるのであれば、監禁すれば十分でしょう)。

ホ)結局、エイリアンは、本来的に人類に敵対的というわけではなく、単に自分の星に帰還したいだけだったようで、なんだか『第9地区』のような感じが漂い始めます(この映画に登場するエイリアンがやっていることは、『第9地区』において、自分の星に帰還しようと宇宙船を組み立てていたクリストファーと類似しているのではないでしょうか)。
 そのことは、エイリアンと触れ合うと、テレパシーでコミュニケーションできるようになるために、まずウッドワード博士が理解し、さらにエイリアンに捕まったアリスもわかり、最後にはジョーも理解します。そして、エイリアンがジョーを掴んだ時、ジョーはいろいろ言いますが、それを聞いたエイリアンは子どもたちを逃がしてやります。
 ですが、テレパシーでこんなに話が通じてしまうという方法は、いかにもご都合主義であって、これを持ち出したらエイリアンの意味が半減してしまうのではないでしょうか(本来的にエイリアンは、コミュニケーション不全と同義ではないでしょうか)?
 それに、そんなふうに交信できるとしたら、捕獲されていた20年以上の間に、ウッドワード博士以外の誰も、エイリアンとコミュニケーション出来なかったというのも有り得ないことではないでしょうか?

ヘ)ジョーら子供達がゾンビ映画を作る話と、エイリアンの話とがうまい具合につながってはいないように思われます。というか、別々のストーリーを無理矢理継ぎ合わせたような感じしかしないのです。
 というのも、ウッドワード博士が引き起こした列車事故は、ゾンビ映画の背景に入ってくるだけのことですし(ゾンビ映画の筋の展開とは無関係です)、アリスがエイリアンに捕まってしまうものの、またジョーがエイリアンに向かって話しかけたりするのも、ゾンビ映画とは何の関係もありませんから。


 全体としては、まずまずの出来栄えながら、決してキャッチコピー(“『E.T.』以来の最高傑作”、“歴史的超大作”、などなど)が言うほどのこともないのでは、と思った次第です。
 なるほど、エンドロールで流されるゾンビ映画はなかなか良くできているな(だからといって、それで“映画に対する愛”が感じられる、などといった大仰な話ではないでしょう)と思う一方で、エイリアンを巡るお話はあまり新鮮味が感じられませんでした。
 映画『E.T.』との関連性を云々する向きもあるようですが、『E.T.』に登場する他者と親和性のあるエイリアンと、この映画のエイリアンとはマルデ別物ではないでしょうか(『ミスト』とか『クローバーフィールド』に登場する巨大な怪物の方に類似しているのでは)?といって、別に『E.T.』と同じだからドウというわけではありませんが。

(2)この映画の子供達の行動は、『グーニーズ』と比較されることが多いようです。でも、それでは余りに曲がなさ過ぎるので、ここでは少し『奇跡』と比べてみることといたしましょう。



 (この画像には、主人公のジョーが入っていません)

 まず、子供達の数は、本作の場合6人ですが、『奇跡』も7人とほぼ同数です。
 次に年齢は、本作の場合、主人公のジョーが14歳とされ、他の子供達も同じくらいでしょうから、日本の中学生に相当するでしょう。ただ、『奇跡』では、全員が小学生でしょう(一番大きな航一が小学6年生)。
 小学生と中学生との間には大きな断絶があると思われ、本作の子供達の方が、『奇跡』の子供達よりもズット大人びているように感じられるところです。
 そして、それぞれが成し遂げようとしている目的は、内容は著しく異なるものの一つであって、『奇跡』では、それが中心になって物語が進行します。ところが本作の場合は、もう一つエイリアンというマッタク異質なものが物語の中に入り込んできてしまい、ともすれば彼らの目的は霞んでしまってもいるのです(出来上がったゾンビ映画は、エンドロールの片隅で映し出されるのですから!)。
 『奇跡』が描く子供達の目的は、実に他愛のないものとはいえ、本作よりも受ける印象が強いのは、そういうところからもきているのではないか、と思いました。

 なお、本作では、エル・ファニングが、免許証を持たずに父親の車を運転して、皆を映画のロケ場所に運ぶところ、『奇跡』では、高橋長英が運転する車で坂の下まで運んでもらった後は、目的地に向かって、皆が走りまくります。『アンダルシア』でもそう思いましたが、邦画の場合はどうも走ることが基本となっているように思われるところです。

(3)福本次郎氏は、「まだ動画を撮るのはプロか一部の趣味人だけだった1979年当時のディテールが豊かで、あの時代を生きた観客のノスタルジーを刺激し、また非常にスピルバーグ色の強い映像の数々は「E.T.」を思い出させる」し、「少年たちの感情が手に取るようにリアルで、大切なのは身近な人々との心の交流であることをこの物語は訴える。何より、エンドロールが象徴する、“映画”そのものに対する愛情があふれる作品だった」として80点もの高得点を付けています。
 また、渡まち子氏も、「どこか懐かしい作風にはスピルバーグ映画へのオマージュが満載。SF大作であると同時に、映画への愛を描いた作品だ」、「何よりも、TVドラマの映画化や続編ものばかりの映画界で、ヒットメーカーが手掛けた大作映画が完全オリジナルであるという意味は大きい」として70点を付けています。
 さらに、前田有一氏も、「映画好きのグーニーズたちが、見ちゃいけないものを見てしまうスリラー&アドベンチャー。UFO、異星人との交流、子供だけでの冒険、淡い恋……往年のスピルバーグ映画のエッセンスをつめこみ、最新のVFXとJ・J・エイブラムス監督らしい怪物アクションで味付けした娯楽映画。最新作なのに懐かしい、スピルバーグ世代ならば思わず愛しくなる映像作品である」として65点をつけています。
 ですが、テーラー章子氏は、「行って観てきたが、残念ながら 「グーニーズ」の興奮、「ET」の感動、「スタンドバイミー」の共感を期待していると、そのどれにも裏切られる。強いて言えばトム・クルーズの「宇宙戦争」が好きな人には 見る価値があるかもしれない」として50点を付けています。

 以上の評論家のレビューの中では、最後のテーラー章子氏に共感を覚えます。



★★★☆☆



象のロケット:スーパーエイト