映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

あぜ道のダンディ

2011年07月23日 | 邦画(11年)
 『あぜ道のダンディ』をテアトル新宿で見てきました。

(1)石井裕也監督の作品は、DVDを含めこれまでずいぶん見てきましたので(DVDで見たものについては、石井裕也監督作品「」「」をご覧下さい)、今回の新作もぜひ見なくてはと思って映画館に行ってきました。

 この映画は、タイトル通り、まさに田舎のダンディを描いています。
なにしろ、主人公はソフト帽を被って自転車に乗り、「人を愛するなんて恥ずかしいことだ」なんて洒落たことを口にしながら、そんなことは無理を承知で、二人の子供に対し金のことは心配せずに東京の大学へ行ってこいなどと言い放つのですから!まさに平成の田舎侍ではないでしょうか(“武士は食わねど高楊枝”!)?

 もう少しクローズアップすれば、物語の主人公は、妻を亡くして子供二人と暮らす50歳になる宮田光石研)。北関東(前橋あたりでしょうか)にある家から勤務先の運送会社に向かう時は、自分で自分に活を入れるべく、競馬の騎手が馬の尻に鞭を打つような仕草をしながら、そして競馬の実況めいたことを口にしながら、懸命に自転車を漕いでいきます。
 愛用の自転車は、シティサイクルながら、アップハンドルの純然たるママチャリではなく、フラットバーのハンドルで、サドルも高めのようです。



 この姿が、映画の全体のトーンとなっています。
 もしかしたら、宮田が自転車を漕ぐ姿は、前々作の『川の底からこんにちは』における佐和子満島ひかり)の姿勢を引き継ぐものかもしれません。そこでは、彼女は、父親の経営していたシジミ屋を、なんとかしてもう一度甦らせようと、「中の下」との意識ながらも、その位置で踏ん張って生き抜こうとするのですから!

 それに、佐和子の父親の姿も、宮田に流れ込んでいるとも言えるでしょう。佐和子の父親は、カツラを被りながらも、シジミ屋で働く幾人かの女たちと親密に交際していたようですし、他方、宮田の方も亡くなってしまいましたが、頗る付きの美人の奥さんをもらっていますから。

 ですが、石井裕也監督の作品においては、男はダメ人間というのが通り相場(この点については、前作『君と歩こう』に関する記事の(3)をご覧ください)。
 それが、この映画では、すごい頑張り屋の中年男が主人公なのですから、アレッという感じになります。
 でも、そこは石井監督、宮田だけを放っておくことはしません。中学以来の親友の真田田口トモロヲ)がコンビの相手方として登場すると、画面はモット精彩を放ってきます。
 宮田は、真田が長いこと介護していた父親を亡くしたばかりというのに、毎日のように居酒屋に呼び出して、悪酔いしながら様々の愚痴を聞いてもらうのです。
 それに、宮田は、真田が被っているソフト帽が気になって仕方がないにもかかわらず、さもそれを嫌がっているようなそぶりをしながらも、結局は真田からそれを奪い取って自分の物にしてしまうのです。



 真田だけではなく、宮田が抱える2人の子供の描き方も、実に巧みです。
 長男の俊也が冴えない浪人生というのは、『君と歩こう』のノリオでも同じ(演ずるのも同じ森岡龍)ながら、『君と歩こう』の場合、両親が自殺してしまったのに対して、本作の俊也においては、一見父親に対して反抗的に見えますが、実は深く感謝しているという両面を持っているのです。
 それに、『君と歩こう』におけるノリオは、駆け落ちした高校教師・明美からけしかけられて、弁護士になるべく勉強するのですが、俊也の場合は、自分の学力を弁えて私大に入るも、下宿先はアルバイトで賄える範囲の木造アパートにするという、現実的で地に足の着いた道を歩もうとしています。
 また、高三の長女・桃子(吉永淳)は、援交を何とも思わない友人と付き合っていて、彼女から自分と同じ様にすることを求められるものの、結局は何もしないで自宅に戻ってしまうのでした。そして、普段、父親の宮田と口をききませんが、感謝の気持ちがあるのは俊也と同じです。



 この映画の出来事の一つは、宮田の子供が二人とも同時に東京の下宿に移ってしまうことですが、もう一つは、彼の胃癌騒動です。
 映画の初めの方から、食事が進まず、胃がシクシク痛んで不安になる様子が描き出されます。同僚(藤原竜也)と一緒にトラックに乗っても、ほとんど会話らしい会話をせずに黙りこくっていたりします。
 これは、『川の底からこんにちは』のような事態となるのかな、と思わせますが、宮田が受診する医師を岩松了が演じているのがわかると、観客の方でもチョット待てよという気になり、最後には案の定という場面に至ります。
 というのも、岩松了は、前々作においては役場に勤務する父親の弟役を演じていたところ、なんとも無責任でいい加減な感じを濃厚に漂わせていましたから!

 といった具合に、現代を特徴づける様々な風俗を、次々と巧みに織り込みながら、どこにでもいそうながらも、ちょっと外れてしまっている宮田の人物像が造形されていきます。

 ただ、前々作の『川の底からこんにちは』は、笑いの要素がたくさん詰め込まれていて非常に面白い作品でしたが、それに比べると、今回の作品は、そういった弾けるような面白さはあまり見られないかもしれません。
 ですが、前作『君と歩こう』などの作品は、決してそんなに笑いを誘うようなものではないのであり、むしろ本作は、石井監督らしさが表れているというべきではないでしょうか(といって、『ばけもの模様』以前に見受けられるわけのわからないシーンが見受けられるものでもありません)。

(2)映画のラストのシーンで宮田は、冒頭と同じように、あぜ道で懸命に自転車を漕ぎながら、尻に鞭を入れるのです。
 ただ冒頭からこれまでの間に、生きがいにしていた息子と娘が二人とも東京へ行ってしまい、一人ぼっちで取り残されてしまいました。
 元々は、更に妻がいて4人家族がそこで暮らしていたのです。
 その時の様子は、月明かりの下で、皆で「兎のダンス」(野口雨情作詞・中山晋平作曲)を踊るシーンが幻想的に再現していて、見る者に、この家はきっと良い家庭だったに違いないと思わせます。



 それが、今では宮田が一人で取り残されてしまいました。

 といっても、宮田はそれで挫けるような男ではありません。
 何しろ、彼はダンディなのですから!

(3)ところで、今回作品を見て、石井裕也監督の他の作品を思い返して見ると、やたらと2人組が登場するな、という印象を強く受けます。
 なにしろ、この映画では、宮田と真田とは強い絆で結ばれていますし、宮田のトラックにはいつも相棒(藤原竜也)が同乗しています、また長女はいつも特定の女友達(山本ひかる)と一緒です。
 さらに例えば、前作『君と歩こう』では、浪人生・森岡龍は、高校教師の目黒真希と駆け落ちして、渋谷で一緒に暮らします。
 とすると、あるいは、『漫才ギャング』についての記事の(2)で申しあげたことがここでも当てはまるのかもしれません。すなわち、「3人組は、この映画の安定さを揺さぶる存在」だとしたら、宮田家が3人になった時から(奥さんが存命中は2の倍数の4人組)、その組み合わせは早晩解消される運命にあったのではないか、とも思えるところです。

(4)渡まち子氏は、「“ダンディ”という名の衣を着た中年男に意地と見栄を貫き通させるストーリーは、優しさと笑いに溢れ、時にファンタジーも交えながら巧みに展開し、切なくも魅力的」であり、「主役を演じる名バイプレイヤーの光石研をはじめ、役者陣は皆好演。一生懸命な中年男の美意識をこんなにもカッコよく見せる映画はなかなかない。世の中のお父さん、いや、男性だけじゃなく“ダンディ”に生きる女性までも励ましてくれる、そんな作品だ」として80点を付けています。






★★★★☆



象のロケット:あぜ道のダンディ