映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

苦い蜜

2010年05月04日 | 邦画(10年)
 『苦い蜜~消えたレコード~』を、ヒューマントラストシネマ有楽町で見ました。
 ビートルズのレコードを巡る作品だと聞き、最近『ゴールデンスランバー』も見たことだしと思いながら、映画館に出かけてきました。

(1)ですが、ほとんど何の予備知識もなしに映画を見たものですから、そのあまりの演劇仕立ての映画の作り方には、酷く違和感を覚えるばかりでした。

 以前『今度は愛妻家』に関して、戯曲の映画化であっても、「セリフの言い回しに新劇独特の臭みさえなければ、問題ないのではと思ってい」ると書いたものの、今回の映画の場合は思いっきり“新劇調”なのですからマイッテしまいました。

 映画の舞台は、「リボルバー」というビートルズ・バー内部のかなり狭い空間だけなのです。にもかかわらず、登場人物が皆とてつもなく大きな声を張り上げて至極明瞭に話をします。それも、出演者は、一人一人話すたびにバーの中を一わたり歩き回ります。それぞれに平等のセリフ量が与えられているのでしょう、皆がそれを繰り返すわけです。
 劇場でこの芝居を見ている場合には、それが新劇のお約束事でしょうから、別にそれほど違和感を感じずに見続けることができるでしょう。
 ところが、それをそのまま映画の中でやってしまうと、狭いバーの中なのになんでそんなに大声で話さなくてはいけないの、どうして話すたびごとに立ち上がってそこらを歩き回るの、などと疑問だらけになってしまい、とても見ていられなくなってしまいます。
 それも、このビートルズ・バーで起きる事件が陰惨な殺人事件ならともかく、レコードが盗まれるという単なる窃盗事件にすぎないのです。盗まれたものが高価だったから、そしてその事件の間接的な影響から人が二人も死んでいるから、ということもあるでしょう。とはいえ、事件それ自体は単なる窃盗であって、いったい人はそんな詰らない事件を巡って、人格をかけ大声で議論をするものでしょうか?
 マア議論すること自体はかまいませんが、100分にもわたって同じ場面を見せられる観客はたまったものではありません。
 それも、当初犯人だと思われていた人は人違いだったらしいとわかり、いかに人は先入観に縛られているかなどといったありきたり教訓話がクローズアップされたりするのですから(注1)、もう嫌になります。

 実は、この作品は、その監督・脚本を手掛けた亀田幸則氏が書いた戯曲「13通目の手紙」(2001年)を映画化したもので、なんと驚いたことに、同氏は、すでに2004年にその映画版を制作・公開も行っているのです(注2)!
 前回作品は、DVD化されていたので早速見てみましたが、些細な点を除き、ストーリーは今回作品とほぼ同一です。ただ、映画全体の醸し出す雰囲気は、今回のものに比べ、前回のはそれほど“新劇調”ではないように見えます。
 劇場用パンフレットにある「Production note」によると、監督は、むしろその点が問題だとして、「演劇のように、もっと俳優のなかから自然にわき上がってくる動きや感情をドキュメンタリーのように記録していきたい」と考え、再度の映画化に取り組んだようです。
 とすると、監督は、意図的に、劇場で上演されている劇を映画に撮ってみたというわけで、クマネズミが「思いっきり“新劇調”」と思ったのも当然でしょう!

 といろいろゴタクを並べ立ててしまいましたが、このところTVでもあまり見かけなくなってしまった池上季実子や高橋ひとみ、犬塚弘、森本タロー(注3)などといった面々の元気な姿を見ることができましたし、また田中健が“『沈まぬ太陽』で渡辺謙と共演した”と劇場用パンフレットで紹介されているのを見て“アレッ”と思ったりたりするなど(注4)、ナンノカンノ一人で頭の中で騒ぎたてながらも最後までシッカリ見てしまったのも事実ですから、結構面白かったと言えるかもしれません!

 ということもあり、いったい誰がこの事件の犯人なのか、亡くなったレコードはどうなってしまったのか、という点は映画を見てのお楽しみにしておきましょう。

(2)前回の映画版の舞台となるのは、『バードランド』というジャズ・バーで(注5)、この店の壁には、有名なジャズの名盤が14枚飾られています〔『至上の愛』(ジョン・コルトレーン)、『サキソフォン・コロッサス』(ソニー・ロリンズ)、『カインド・オブ・ブルー』(マイルス・デイヴィス)など〕。
 映画は、14枚目の『チャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングス』(10インチ盤)が紛失したことを巡って展開されます。



 これに対して、今回の映画では、ビートルズのブッチャー・カバーのアルバム『YESTERDAY AND TODAY』が紛失するという事件が起こります。



 実のところ、この映画を見るまでは、そんなレコードが出されていたとはマッタク知りませんでした。てっきり、映画を製作するにあたって拵え出したフィクションかなと思ったのですが、調べてみるとどうやら実際に販売されたレコードでした(といって、特段、これまで埋もれていた曲がそれで聴けるというわけのものではありません)。

(3)評論家の論評はあまり見かけません。
 ただ、福本次郎氏は、「限定された狭い空間で繰り広げられる十数人による会話劇は、中劇場の一幕芝居を見ているよう。歯切れのいいセリフの応酬から浮かび上がるお互いの主張の矛盾、暴かれていく秘密と嘘。過去が煮詰まっていく過程でおのおの本性が明らかになっていく。それは嫉妬や怒り、疑いといった負の感情ではなく、他人を信じてみようというささやかな希望。正直に己をさらけ出して得られる開放感が登場人物の心を浄化していく様子は、雲が切れ空が晴れわたるようなさわやかさをもたらす」として、氏としては60点という高い評価を与えています。
 映画の見方は人それぞれでどんなものであっても構わないとはいえ、随分と大甘の論評だなと思いました。



(注1)劇場用パンフレットによれば、映画に挿入されている幼少時の出来事は、監督自身の実体験だそうで、それが映画では、あるプロダクション社長の思い出とされ、さらにそれをビートルズ・バーのマスターが自分の小説の冒頭に書き込んだとされていて、ある意味で“3重の入れ子構造”になっています。
(注2)前回の映画の題名は、戯曲と同一で『13通目の手紙』でしたが、今回は『苦い蜜』に変更されています。この題名は、バーのマスターが書いて新人賞を獲得する小説の題名から取られています。
(注3)森本タローはバーの常連客の役で、「この人はタイガーズのメンバーをよく知っている」と紹介され、若い従業員から「金本、井川?」、「小山?村山?」などと聞かれ、目を白黒させる場面があります。岸辺一徳がザ・タイガーズのメンバーだったといわれても最早知らない人が多いでしょうから、観客の反応は今一でした!
(注4)ネットで調べると、国会で航空会社の経営問題を追及する代議士役に扮していたことがわかり、そういえばと思い出した次第です。
(注5)ジャズ・バー『バードランド』は、チャーリー・パーカーの愛称“バード”にちなんでニューヨークに実際に設けられたクラブの名称によっています。



★★☆☆☆



象のロケット:苦い蜜