『月に囚われた男』を恵比寿ガーデンシネマで見ました。
普段SF映画をあまり見ない上に、前日に『第9地区』を見たばかりにもかかわらず、低予算で制作されながらも随分と面白いとの評判が聞こえてきたので見に行った次第です。
(1)映画は、貴重な資源を月で採掘して地球に送るという業務を会社から一人で任された主人公が、あるとき自分とそっくりの人間と月面基地内で出会うというところから、俄然ミステリアスな様相を呈し、面白くなってきます。いったいそれは誰なんだ、と主人公は調査に乗り出します。
こういう場合、主人公の仕事ぶりを監視するロボットは、敵対的な動きを取るのが普通でしょう。ところが、この映画では、ケヴィン・スペイシーがその声を担当していることからもうかがえるように、主人公が仕事をしやすい環境を作り出すのが自分の役目だという理屈に立って、主人公に何度も助け船を出したりします。
その挙句突き止めたことは、……。ここで種明かしをしてしまうと、この映画の面白さは半減してしまいますから、あとは映画を見てのお楽しみ。
至極簡単なセットで、登場人物はほとんど一人、という一風変わったSF映画ながら、最後まで大変面白く見続けることができた映画です。
(2)この映画は、どうしても、先に見た『第9地区』と比べてみたくなってしまいます。
というのも、どちらも、かなり低予算で制作され、かつ民間企業の社員が主人公であり、さらには女性の役割が余り重きを置かれていない等の点が共通していると思えるからです。
まず、この映画の制作費はわずかに500万ドル、『第9地区』は3,000万ドルとされますが、それでも3億ドルかかったとされる『アバター』と比べるとかなりの低予算映画です。
次に、この映画では、貴重な月の資源(「ヘリウム3」)を採掘して地球に送る事業を営んでいる会社「ルナ産業」(Lunar Industries ltd.)が登場し、『第9地区』でも「MIMU」という世界最大の企業が描かれますが、いずれの映画の主人公も、これらの会社に雇われているのです。
このことから、二つの映画の主人公はどちらも、会社から過酷な取り扱いを受ける羽目になります。この映画の場合には、3年間が終了すると地球に帰還できるという契約を会社と結んでいますが、そんな契約は意味をなさないことがわかりますし、『第9地区』の主人公の場合は、無理やり生体移植のドナーにされそうになります。
結局のところ、二つの映画の主人公はどちらも、まっとうな人間ではなくなってしまいます。この映画の主人公は、途中で自分が正真正銘の人間ではないことに気づきますし、『第9地区』の主人公は、ついにはエイリアンに姿を変えてしまうのです。
さらに、この映画では、地球にいる主人公の妻から月面の基地に送られてくる映像が重要な意味を持っていますが、実際に彼女が主人公のところに現れることはありません。他方『第9地区』でも、主人公は、妻の父親によって妻と引き離されてしまい、それでも妻と連絡を保とうと必死に務め、最後はその繋がりだけが生き甲斐となりますが、ここでも実際に主人公の前に妻が現れることはありません。
勿論、この映画はイギリス映画ですし、『第9地区』はアメリカ映画、またこの映画は月世界の話であり、『第9地区』は地球での話、さらに、この映画の登場人物はほとんど一人と言ってもいいでしょうが(ロボット・ガーティが重要な働きをするものの)、『第9地区』にはなにしろエイリアンが多数登場します、といった相違点は多々あるでしょう。
とはいえ、別々のところで別々の時点で制作した映画に共通する点が少なくとも5つはあるということは、実に興味深いと思いました。
(3)映画評論家の論評は総じて好意的です。
渡まち子氏は、「ひらめきを感じる映画で、最小限の素材で最大の効果を上げることに成功している」、「ハリウッドの大掛かりなSFとは明らかに違う手触りの小規模・低予算の映画だが、アメリカ映画を含めた名作SFへのオマージュが垣間見えて、監督のSFへ の愛情が伝わってくるようだ。山椒は小粒でもピリリと辛い。サスペンスフルでありながら哀しくて優雅な英国映画の佳作だ」として70点を、
福本次郎氏も、「危険で孤独なミッションを遂行する主人公がアイデンティティクライシスに直面し、克服していく過程で、恐るべき事実に突きとめる。無機質なモノトーンの世 界で繰り広げられる静謐な悲劇、捨ててもいい命などあってはいけないことをシャープでスタイリッシュな映像が再現する」として70点を、
前田有一氏もまた、「凡百のSFとは比較にならぬ時代性と知性を感じさせる出来栄え」として70点を与えています。
ただし、前田氏は、この映画からうかがわれる労働問題の「根幹には、実質的にコストが日本の30分の1といわれる中国の半「奴隷」労働者がいる。それを利用する他企業とノーハンデで競争せねばならないのだから、自分の社員の待遇をよくする余裕など企業にだってあるはずがないのだ。本来なら、いまこそ先進国の労働者は連帯して、中国の不当な「奴隷」使い放題制度や元安維持政策を批判し、改善要求を出すべきだと思うがなぜかやら」ず、「本作品にもそんな視点はなく、その意味では問題の表面を軽くなでただけだ」と、凄い高見にたった別世界のようなそれこそSF的とも言いうる問題を提起しています。
ですが、「労働問題というものは、派遣切りする大企業を批判しても何ら本質的解決には至らない」のは確かなことだとしても、果たして、「中国の不当な「奴隷」使い放題制度や元安維持政策」が改善されれば、先進国が抱える「現代の底辺労働者の境遇」が改善されることになると言えるのでしょうか?
この議論は、大昔、アメリカなど西欧諸国が日本の低賃金労働を非難したのと同じ理屈を述べているに過ぎないように思われます。なにより、リカードの比較生産費説ではありませんが、どんなに中国の賃金が安かろうとも、すべての商品について相対的に安価に生産することなど出来る話ではないのですから!
★★★★☆
象のロケット:月に囚われた男
普段SF映画をあまり見ない上に、前日に『第9地区』を見たばかりにもかかわらず、低予算で制作されながらも随分と面白いとの評判が聞こえてきたので見に行った次第です。
(1)映画は、貴重な資源を月で採掘して地球に送るという業務を会社から一人で任された主人公が、あるとき自分とそっくりの人間と月面基地内で出会うというところから、俄然ミステリアスな様相を呈し、面白くなってきます。いったいそれは誰なんだ、と主人公は調査に乗り出します。
こういう場合、主人公の仕事ぶりを監視するロボットは、敵対的な動きを取るのが普通でしょう。ところが、この映画では、ケヴィン・スペイシーがその声を担当していることからもうかがえるように、主人公が仕事をしやすい環境を作り出すのが自分の役目だという理屈に立って、主人公に何度も助け船を出したりします。
その挙句突き止めたことは、……。ここで種明かしをしてしまうと、この映画の面白さは半減してしまいますから、あとは映画を見てのお楽しみ。
至極簡単なセットで、登場人物はほとんど一人、という一風変わったSF映画ながら、最後まで大変面白く見続けることができた映画です。
(2)この映画は、どうしても、先に見た『第9地区』と比べてみたくなってしまいます。
というのも、どちらも、かなり低予算で制作され、かつ民間企業の社員が主人公であり、さらには女性の役割が余り重きを置かれていない等の点が共通していると思えるからです。
まず、この映画の制作費はわずかに500万ドル、『第9地区』は3,000万ドルとされますが、それでも3億ドルかかったとされる『アバター』と比べるとかなりの低予算映画です。
次に、この映画では、貴重な月の資源(「ヘリウム3」)を採掘して地球に送る事業を営んでいる会社「ルナ産業」(Lunar Industries ltd.)が登場し、『第9地区』でも「MIMU」という世界最大の企業が描かれますが、いずれの映画の主人公も、これらの会社に雇われているのです。
このことから、二つの映画の主人公はどちらも、会社から過酷な取り扱いを受ける羽目になります。この映画の場合には、3年間が終了すると地球に帰還できるという契約を会社と結んでいますが、そんな契約は意味をなさないことがわかりますし、『第9地区』の主人公の場合は、無理やり生体移植のドナーにされそうになります。
結局のところ、二つの映画の主人公はどちらも、まっとうな人間ではなくなってしまいます。この映画の主人公は、途中で自分が正真正銘の人間ではないことに気づきますし、『第9地区』の主人公は、ついにはエイリアンに姿を変えてしまうのです。
さらに、この映画では、地球にいる主人公の妻から月面の基地に送られてくる映像が重要な意味を持っていますが、実際に彼女が主人公のところに現れることはありません。他方『第9地区』でも、主人公は、妻の父親によって妻と引き離されてしまい、それでも妻と連絡を保とうと必死に務め、最後はその繋がりだけが生き甲斐となりますが、ここでも実際に主人公の前に妻が現れることはありません。
勿論、この映画はイギリス映画ですし、『第9地区』はアメリカ映画、またこの映画は月世界の話であり、『第9地区』は地球での話、さらに、この映画の登場人物はほとんど一人と言ってもいいでしょうが(ロボット・ガーティが重要な働きをするものの)、『第9地区』にはなにしろエイリアンが多数登場します、といった相違点は多々あるでしょう。
とはいえ、別々のところで別々の時点で制作した映画に共通する点が少なくとも5つはあるということは、実に興味深いと思いました。
(3)映画評論家の論評は総じて好意的です。
渡まち子氏は、「ひらめきを感じる映画で、最小限の素材で最大の効果を上げることに成功している」、「ハリウッドの大掛かりなSFとは明らかに違う手触りの小規模・低予算の映画だが、アメリカ映画を含めた名作SFへのオマージュが垣間見えて、監督のSFへ の愛情が伝わってくるようだ。山椒は小粒でもピリリと辛い。サスペンスフルでありながら哀しくて優雅な英国映画の佳作だ」として70点を、
福本次郎氏も、「危険で孤独なミッションを遂行する主人公がアイデンティティクライシスに直面し、克服していく過程で、恐るべき事実に突きとめる。無機質なモノトーンの世 界で繰り広げられる静謐な悲劇、捨ててもいい命などあってはいけないことをシャープでスタイリッシュな映像が再現する」として70点を、
前田有一氏もまた、「凡百のSFとは比較にならぬ時代性と知性を感じさせる出来栄え」として70点を与えています。
ただし、前田氏は、この映画からうかがわれる労働問題の「根幹には、実質的にコストが日本の30分の1といわれる中国の半「奴隷」労働者がいる。それを利用する他企業とノーハンデで競争せねばならないのだから、自分の社員の待遇をよくする余裕など企業にだってあるはずがないのだ。本来なら、いまこそ先進国の労働者は連帯して、中国の不当な「奴隷」使い放題制度や元安維持政策を批判し、改善要求を出すべきだと思うがなぜかやら」ず、「本作品にもそんな視点はなく、その意味では問題の表面を軽くなでただけだ」と、凄い高見にたった別世界のようなそれこそSF的とも言いうる問題を提起しています。
ですが、「労働問題というものは、派遣切りする大企業を批判しても何ら本質的解決には至らない」のは確かなことだとしても、果たして、「中国の不当な「奴隷」使い放題制度や元安維持政策」が改善されれば、先進国が抱える「現代の底辺労働者の境遇」が改善されることになると言えるのでしょうか?
この議論は、大昔、アメリカなど西欧諸国が日本の低賃金労働を非難したのと同じ理屈を述べているに過ぎないように思われます。なにより、リカードの比較生産費説ではありませんが、どんなに中国の賃金が安かろうとも、すべての商品について相対的に安価に生産することなど出来る話ではないのですから!
★★★★☆
象のロケット:月に囚われた男