映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

「会田誠」展

2010年05月31日 | 美術(10年)
 ブログ「ARTTOUCH」の記事で、安積桂氏が、市ヶ谷のミヅマ・アート・ギャラリーで開催されている会田誠展「絵バカ」を取り上げているので、見に行ってきました。

 会田誠氏の絵画について直接目にしたのは、山口晃氏とのふたり展『アートで候。』(上野の森美術館、2007年)くらいで、作品の大部分は画集『Monument for Nothing』(グラフィック社、2007年)で見ました。
 今回は、久し振りにその絵を直接見ることができるということと、昨年11月に市ヶ谷に新たに開設された画廊スペースで展示されるとのことなので、興味がわいた次第です。

 JR市ヶ谷駅から外堀通りをしばらく飯田橋方面に向かって歩くと、1階がガレージになっている建物があり、外側に取り付けられている階段を上ってドアを開けると、そこがギャラリーです。
 入ってすぐの右手には、DVD作品「よかまん」の映像が、やや大きめの液晶画面の中で絶え間なく流れています〔東京芸術大の学生とおぼしき2人の女性が、全裸で、「一つよかまん、なんじゃろな」と踊っています〕(注1)。
 その奥の左手に「灰色の山」が、その右側に「1+1=2」(注2)が、もうひとつ右に回ると「万札地肥瘠相見図が展示されています。

 今回の個展の目玉は、何といっても「灰色の山」でしょう。
 


 制作中の会田誠氏の姿が見られます。

 全体の構図は次にようになります。



 今回の展覧会に関する産経新聞の記事によれば、「高さ3メートル、横幅7メートルの巨大キャンバス。遠くから見ると水墨の山水画の趣。近づくと手前のグレーの濃い山は、廃棄物が捨てられたゴミの山のよう。もっと間近で見ると、そこには無数の人間の屍がアクリル絵の具で描かれているのだ。スーツにネクタイ姿の典型的なサラリーマン。髪が金髪もいれば黒髪もいる。世界中のサラリーマンが集められた。彼らがパソコンなどOA機器とともに倒れ、ゴミのように堆積している。サラリーマンの屍の山」というわけです。

 同記事を書いた産経新聞記者は、この絵について、「むごたらしい光景だが、目を背けたくなるものではなく、かえって目を凝らして見てしまう」のであって、「一人一人の個性は尊重されず、全体の中に埋没する人生の悲哀や皮肉が込められているのだろうか」と述べています。
 朝日新聞にも、この展覧会についての記事が掲載され、その中で記事を書いた記者は、「今月13日の新聞に、自殺者が12年連続で3万人を超え、うち7割が男だという記事が載った。馬鹿馬鹿しいほどの数の死体の山は、そんな現状をも連想させるスケールの大きな作品になった」と述べています。
 同じ作品を見ても、二つの新聞の特色がそれぞれの記事から窺われるところで、特にどんな物事をも社会的・政治的な問題点に結びつけたがる朝日新聞の性癖が見出されるのは興味深いところです。

 なお、二つの記事とも、この絵と「ジューサーミキサー」(2001年)との繋がりを指摘しています。



その一部を拡大すると、以下のようです。



 
 驚いたことには、丁度同じ時期に、日比谷にある「高橋コレクション」では「会田誠+天明屋尚+山口晃―ミヅマ三人衆ジャパンを斬る―」展が開催されていて、会田誠氏については、他の絵に混じってこの「ジューサーミキサー」が展示されているのです。

 さて、今回の「灰色の山」ですが、「ジューサーミキサー」のインパクトに比べると、随分と大人しさを感じてしまいます。むろん、一方の、「ジューサーミキサー」の方は、無数の裸の若い女性が描かれているのに対して、モウ一方の「灰色の山」の方は、背広を着たサラリーマンですから、それだけでも大違いですが、なんと言っても前者は、人間が、こともあろうにジューサーにかけられるという「地獄絵」であり(注3)、「サラリーマンの屍の山」が実際にも山をなしている後者に比べたら、見る者に与えるインパクトは遙かに大きいと言わざるを得ません。
 それに、サラリーマンが「パソコンなどOA機器とともに倒れ」るというのは、映画『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』ではありませんが、あまりにありきたりのイメージではないかと思えてしまいます。
 それでも、なにはともあれ「人生史上最多の描写量」という点は、評価すべきだとは思われるところです。


(注1)朝日新聞の記者は、この映像作品について、「悲壮感はどこにもない。絵バカを受け継ぐ期待の星は、草食系男子ではなく、腹が据わった肉食系女子ということか」と述べています。
(注2)この絵については、安積桂氏が、ブログで「これは会田の初めての抽象画なのだ」と述べているところです。
(注3)高橋コレクションの展覧会の会場で配布されている「作家による作品解説」の中にある言葉です。