『今度は愛妻家』を渋谷TOEIで見てきました。
どうもなかなか評判が良さそうなので、足を運んでみた次第です。
この映画には、大きく言って問題が二つあるかもしれません。
一つめは、戯曲の映画化という点です。
映画の設定場所が雑司ヶ谷の鬼子母神近くと酷く具体的で、かつ沖縄の海岸をバックにしたエピソードが出てくるものの、わざわざそんな映像を出さずとも済みそうでもあり、また、写真家の家の中の場面が長く、人の出入りが2か所のドアを通じてなされるようなところから(上手と下手でしょう)、どうやら戯曲を映画化したものかなと思って見ていましたら、劇場用パンフレットにも、2002年に上演された舞台作品(作・中谷まゆみ)とあります。
もう一つの問題としては、評論家諸氏が指摘しているのですが、ストーリーをもっとシンプルにすべきではないか、という点です。
例えば、小梶勝男氏は、「どんでん返し以降の水川あさみと濱田岳の恋愛劇や、北見家に出入りするオカマ(石橋蓮司)らとのクリスマス・パーティーの場面がだらだらと長すぎて、せっかくの「喪失感」が薄まってしまった。豊川と薬師丸のカップルに若いカップルを対比させ、物語に重層性を持たせようとしたのだろうが、単純に夫婦の話に絞った方が感動は大きかったと思う」と述べ、渡まち子氏も同趣旨のことを書いています。
とはいえ、私にはそうした問題は欠点としては映らず、むしろこの映画のもたらす感動の方がずっと大きいものがあるのでは、と思いました。
まず、戯曲の映画化ですが、私は、セリフの言い回しに新劇独特の臭みさえなければ、問題ないのではと思っています。いわゆる新劇の場合、やたらと明瞭に発声したり、オーバーな身振りをすることが多いのですが、まるで小中学校の学芸会を見ているようで、眼を背けたくなってしまいます〔因果関係はむしろ逆で、新劇の舞台の雰囲気を小中学校の学芸会の方で取り入れているのでしょう!〕。
ですが、この映画では、主要な出演者が新劇関係者ではなく専ら映画人であることもあって、そうした新劇調はあまり見受けられませんでした。
ですから、あとはストーリーと出演者さえよければ、私にとっては戯曲の映画化でもかまわないことになります。
そのストーリーの要は、薬師丸が、「知らなかったな。私のことそんなに好きだったなんて。何で言ってくれなかったの」といったようなことを豊川に話すところにあると思われます(もう一つ、豊川が、「なんか新鮮なことを言ってくれよ」と言うと、薬師丸が「そんなことを言われても困るよ」と返事をする場面でしょうか)。
これ以上のことを書くと、この映画の良さの大半が吹き飛んでしまいますから控えますが、映画は映画なりに(暗室を使って)、実に巧みにこの場面に辿り着いたものだとホトホト感心いたしました。
そして、なによりこうした物語を演じる豊川悦司と薬師丸ひろ子とが、実にうってつけの役柄についているなと心底思わされました!
薬師丸ひろ子については、若い時はその類い稀な可愛らしさでファンを増やしましたが、現在でも驚くべきことにその可愛らしさは十分残っている上に、大人の風情も兼ね備わっていて、後姿の写真だけで感動してしまいます。
その上、豊川悦司も、芸術家の独りよがりなところと、思っていることと正反対のことを口に出してしまうという日本男性の良くありがちな特性とを実にうまく出して演技しているな、とこれまた感服しました。
なお、2つ目の問題であるサブストーリーの是非ですが、確かにメインのストーリーで足りるかもしれないところ、メインがかなり重いものである場合には、この映画のようなサブを設けて、息抜きを図るということも必要であって、決して余計なものではないと思いました。むしろ、こうした現実のドタバタがあるからこそ、メインの悲しみが一層際立つのではないでしょうか?
というわけで、この映画には大層感動し、結果として、新年になって早くも、洋画の方では『ずっとあなたを愛してた』が、そして邦画ではこの映画がいきなり本年のベスト1になってしまいそうな感じになってしまいました(前田有一氏には、「甘い甘い」と言われてしまいそうですが!)。
もっと良い映画が出現すれば、星5つの評価システムを星6つとか7つにしなくてはなりません!
先の指摘はあるものの、映画評論家の評判も総じて良さそうです。
小梶勝男氏は、「豊川と薬師丸はとても良かった。特に豊川は、表面的には軽薄に見えて、実は心に深い喪失感を抱えている男の役を、完璧に演じていたと思う。薬師丸もさすがに年はとったが、昔と変わらずチャーミングだった」として81点を、
普段はかなり辛口の福本次郎氏も、「長年連れ添った夫婦だけがたどり着くなれ合いという名の愛情を、ほとんど室内の限定された空間の中で、ふたりのベテラン俳優が芝居のせりふのような間の掛け合いを見せる。一見古いホームドラマのようで、重い喪失感と後悔を含蓄に富む物語にまとめている」として70点を、
また、渡まち子氏も、豊川悦司と薬師丸ひろ子の二人について、「本作でもピッタリ息があっている。特に健康オタクの妻・さくらを演じる薬師丸ひろ子の、可愛らしくて少し寂しげな雰囲気が印象的だ」などとして60点を、
それぞれ与えています。
ところが、前田有一氏は、「私がうんざりしたのは、本作のとてつもないスイートさ、甘さである。せっかくいいストーリーなのに、その舞台世界には毒がなく、善人ばかりの甘い世界があるだけ。光あふれる明るい映像も甘い甘い。隅から隅までほとんどファンタジーな恋愛至上主義が広がっている」として40点しか与えていません。
私には、先ほど触れた「知らなかったな。私のことそんなに好きだったなんて。何で言ってくれなかったの」という薬師丸の言葉の重さがあるだけで、「甘さ」など掻き消されてしまうのではと思えるのですが。
★★★★★
象のロケット:今度は愛妻家
どうもなかなか評判が良さそうなので、足を運んでみた次第です。
この映画には、大きく言って問題が二つあるかもしれません。
一つめは、戯曲の映画化という点です。
映画の設定場所が雑司ヶ谷の鬼子母神近くと酷く具体的で、かつ沖縄の海岸をバックにしたエピソードが出てくるものの、わざわざそんな映像を出さずとも済みそうでもあり、また、写真家の家の中の場面が長く、人の出入りが2か所のドアを通じてなされるようなところから(上手と下手でしょう)、どうやら戯曲を映画化したものかなと思って見ていましたら、劇場用パンフレットにも、2002年に上演された舞台作品(作・中谷まゆみ)とあります。
もう一つの問題としては、評論家諸氏が指摘しているのですが、ストーリーをもっとシンプルにすべきではないか、という点です。
例えば、小梶勝男氏は、「どんでん返し以降の水川あさみと濱田岳の恋愛劇や、北見家に出入りするオカマ(石橋蓮司)らとのクリスマス・パーティーの場面がだらだらと長すぎて、せっかくの「喪失感」が薄まってしまった。豊川と薬師丸のカップルに若いカップルを対比させ、物語に重層性を持たせようとしたのだろうが、単純に夫婦の話に絞った方が感動は大きかったと思う」と述べ、渡まち子氏も同趣旨のことを書いています。
とはいえ、私にはそうした問題は欠点としては映らず、むしろこの映画のもたらす感動の方がずっと大きいものがあるのでは、と思いました。
まず、戯曲の映画化ですが、私は、セリフの言い回しに新劇独特の臭みさえなければ、問題ないのではと思っています。いわゆる新劇の場合、やたらと明瞭に発声したり、オーバーな身振りをすることが多いのですが、まるで小中学校の学芸会を見ているようで、眼を背けたくなってしまいます〔因果関係はむしろ逆で、新劇の舞台の雰囲気を小中学校の学芸会の方で取り入れているのでしょう!〕。
ですが、この映画では、主要な出演者が新劇関係者ではなく専ら映画人であることもあって、そうした新劇調はあまり見受けられませんでした。
ですから、あとはストーリーと出演者さえよければ、私にとっては戯曲の映画化でもかまわないことになります。
そのストーリーの要は、薬師丸が、「知らなかったな。私のことそんなに好きだったなんて。何で言ってくれなかったの」といったようなことを豊川に話すところにあると思われます(もう一つ、豊川が、「なんか新鮮なことを言ってくれよ」と言うと、薬師丸が「そんなことを言われても困るよ」と返事をする場面でしょうか)。
これ以上のことを書くと、この映画の良さの大半が吹き飛んでしまいますから控えますが、映画は映画なりに(暗室を使って)、実に巧みにこの場面に辿り着いたものだとホトホト感心いたしました。
そして、なによりこうした物語を演じる豊川悦司と薬師丸ひろ子とが、実にうってつけの役柄についているなと心底思わされました!
薬師丸ひろ子については、若い時はその類い稀な可愛らしさでファンを増やしましたが、現在でも驚くべきことにその可愛らしさは十分残っている上に、大人の風情も兼ね備わっていて、後姿の写真だけで感動してしまいます。
その上、豊川悦司も、芸術家の独りよがりなところと、思っていることと正反対のことを口に出してしまうという日本男性の良くありがちな特性とを実にうまく出して演技しているな、とこれまた感服しました。
なお、2つ目の問題であるサブストーリーの是非ですが、確かにメインのストーリーで足りるかもしれないところ、メインがかなり重いものである場合には、この映画のようなサブを設けて、息抜きを図るということも必要であって、決して余計なものではないと思いました。むしろ、こうした現実のドタバタがあるからこそ、メインの悲しみが一層際立つのではないでしょうか?
というわけで、この映画には大層感動し、結果として、新年になって早くも、洋画の方では『ずっとあなたを愛してた』が、そして邦画ではこの映画がいきなり本年のベスト1になってしまいそうな感じになってしまいました(前田有一氏には、「甘い甘い」と言われてしまいそうですが!)。
もっと良い映画が出現すれば、星5つの評価システムを星6つとか7つにしなくてはなりません!
先の指摘はあるものの、映画評論家の評判も総じて良さそうです。
小梶勝男氏は、「豊川と薬師丸はとても良かった。特に豊川は、表面的には軽薄に見えて、実は心に深い喪失感を抱えている男の役を、完璧に演じていたと思う。薬師丸もさすがに年はとったが、昔と変わらずチャーミングだった」として81点を、
普段はかなり辛口の福本次郎氏も、「長年連れ添った夫婦だけがたどり着くなれ合いという名の愛情を、ほとんど室内の限定された空間の中で、ふたりのベテラン俳優が芝居のせりふのような間の掛け合いを見せる。一見古いホームドラマのようで、重い喪失感と後悔を含蓄に富む物語にまとめている」として70点を、
また、渡まち子氏も、豊川悦司と薬師丸ひろ子の二人について、「本作でもピッタリ息があっている。特に健康オタクの妻・さくらを演じる薬師丸ひろ子の、可愛らしくて少し寂しげな雰囲気が印象的だ」などとして60点を、
それぞれ与えています。
ところが、前田有一氏は、「私がうんざりしたのは、本作のとてつもないスイートさ、甘さである。せっかくいいストーリーなのに、その舞台世界には毒がなく、善人ばかりの甘い世界があるだけ。光あふれる明るい映像も甘い甘い。隅から隅までほとんどファンタジーな恋愛至上主義が広がっている」として40点しか与えていません。
私には、先ほど触れた「知らなかったな。私のことそんなに好きだったなんて。何で言ってくれなかったの」という薬師丸の言葉の重さがあるだけで、「甘さ」など掻き消されてしまうのではと思えるのですが。
★★★★★
象のロケット:今度は愛妻家
このセリフで決まり、という感じがしました。
しっとり泣かせていただきました・・。
若い二人のゴタゴタも、上記の薬師丸さんのセリフのパンチ力の前では、かすんで見えたほどです・・。
墨映画(BOKUEIGA)のde-noryと申します。
いい映画でした。
たくさん泣きました。
ちょっと考えてみて、「愛妻家」とはどういう意味なのでしょうか。そして、「愛夫家」とはなぜか言いませんね。健康食品好きで、夫を思いやる気持ちの強すぎる奥さまを薬師丸ひろ子が雰囲気たっぷりで演じますが、一緒に行った旅行先で交通事故に遭い、突然亡くなってしまいます。本映画はその後日譚なのですが、妻がまだ一緒に生活しているような錯覚のなかで、夫が亡妻を偲んで演じるものです。夫婦のお互いが依存性が強いと、こうしたことはありうることだと思いますし、いなくなって初めて、夫がすなおに愛妻家になったということでしょう。それまでは、煩わしい恐妻の面が大きかったのかも知れませんが、内心で感謝していれば、このときでも愛妻家であったと言ってよいのかも知れません。人生の機微をいろいろ考えさせる映画でもあります。
ただ、もとが舞台劇であったものを映画化したので、総じて場面がすくなく、出演者の行動半径が大きくないので、映画としては、この辺はあまり好みではありません。旅行先が沖縄という意味はなにかあるのでしょうか。日本の長寿地域といえば「沖縄」だということでしょうか。このところ、短命を招く現代食という表現も見られますが、それよりも交通事故や自殺がいまの日本社会では問題になりそうです。
薬師丸ひろ子さんも、若い時代はかなり可愛いという感じの方でしたが、さすがに中年になったという感じでもあり、それでも気持ちや行動の可愛らしさはよく出ています。監督の行定勲氏も、私の中では「北の零年」で評価が低かったのですが、やればできるじゃないかという感じでした。そうすると、全体として、脚本の出来がよいということかも知れません。出演者も、みな違和感なく、ストーリーの流れに沿っていると感じます。
この映画では、「沖縄そば」さんが「気持ちや行動の可愛らしさはよく出てい」るとされる薬師丸ひろ子が、走り去る姿がトテモ印象的でした。
特に、沖縄旅行の際に、ホテルに指輪を取りに行くと言って、背の高い草むらの方に走っていきますが、なぜか去年の夏に見た『たみおのしあわせ』で、皆が草むらの中に入っていってしまうラストシーンを思い出してしまいました。