ブログ「ART TOUCH 絵画と映画と小説」の4月27日の記事でも『喜多順子展』が取り上げられ、初めて耳にする画家なので行ってみることにしました。
会場は初台にある東京オペラシティーのアートギャラリー。そこなら簡単に見ることが出来ると思ったのですが、現在同ギャラリーのメインは『猪熊弦一郎展』であり、見てみたいと思った展覧会は、メインが開催されている会場の上の階で開かれている収蔵品展のもう一つ奥のコリドールで行われていて、探し出すのにやや骨が折れました。
それに、「コリドール」と言えば格好が良いのですが、実際のところは、主な展覧会が開催されているきちんとした会場の間を繋ぐ通路であって、その両側の壁に作品が展示されているのです。
ただ、廊下だからといって別段展示品の価値が下がるものでもなく、また通過する人が多いわけでもありませんから、比較的落ち着いた気分で絵を見ることが出来ます。
さて、今回展示された喜多順子氏の作品は、白地の布に水彩絵具で描いてあるものが多く、前々回取り上げた松井えり菜氏の作品と比べると、その淡泊さが際立ちます。
中で一番目を惹くのは、やはり「WH水原2009ブレンド(モンブラン、栂池、燕、白馬)」と題された作品でしょう。
会場で配布されているパンフレットには、「描かれている風景は実際にはありえないもの」で、この絵も、「ヨーロッパアルプスの最高峰と日本の北アルプス山麓の栂池周辺を組み合わせて描」かれており、「このように風景をいわば“ブレンド”することで、喜多の作品は、私たちの記憶の曖昧さに働きかけてくる」のであり、すなわち、「現実の情景の細部を合成して虚構の情景を構築」し、「場所と記憶を混交させることによって、一種の桃源郷を創出している」のだ、と述べられています。
さらには、「水彩絵具による今の喜多の作風にとって、布という素材がもつ独特の肌触りや風合いが最も相性がよ」く、結局、「喜多順子がさりげなく創出する仮構の桃源郷は、見る者の心の襞の奥深くに無意識のうちに沁み入ってくるよう」だと結論付けています。
ただ、下記のような「The Way Home」と題されたいくつかの作品も展示されていて、それらの背景となっている峻険なアルプスの風景は木炭などを使って描かれたりもしており、見る者には、その「心の襞の奥深くに無意識のうちに沁み入ってくる」というより、むしろ不気味な感じを抱かせます〔あるいは、最近映画『アイガー北壁』を見たせいでしょうか〕。
尤も、殆どの絵に渡り鳥の群れの飛翔が描き込まれていて、結局は、飛んでいった先が緑豊かな桃源郷だ、ということなのかもしれませんが(上記の絵のタイトルにある「WH」とは“Way Home”のことでしょう?)!
パンフレットによれば、喜多順子氏は1974年生まれの36歳。先に横浜美術館でその個展を見た「束芋」氏とは一つ違いであり、とすれば“断面の世代”ということになります。
束芋氏は、自分たちが属する「断面の世代」について、「個に執着し、どんな小さな差異にも丁寧にスポットライトを当て」ている世代だと述べていますが、その点からすれば喜多順子氏との共通性がヨク感じられるところです。
安積桂氏は否定的ですが(注)、この画家についても、松井えり菜氏と同じく私としては注目していきたいなと思っています。
(注)安積桂氏は4月27日の記事において、喜多順子氏について、「ブログ世界では喜多順子の評価が高いようだが、私には理解できなかった」と述べています。
ちなみに、喜多氏の絵画を絶賛しているブログとは、たとえば、「週刊『フクダデスガ』」あたりなのかもしれません。ただ、「展覧会レーティング&レビュー」のように、それほど評価していないブログもあるようです。
会場は初台にある東京オペラシティーのアートギャラリー。そこなら簡単に見ることが出来ると思ったのですが、現在同ギャラリーのメインは『猪熊弦一郎展』であり、見てみたいと思った展覧会は、メインが開催されている会場の上の階で開かれている収蔵品展のもう一つ奥のコリドールで行われていて、探し出すのにやや骨が折れました。
それに、「コリドール」と言えば格好が良いのですが、実際のところは、主な展覧会が開催されているきちんとした会場の間を繋ぐ通路であって、その両側の壁に作品が展示されているのです。
ただ、廊下だからといって別段展示品の価値が下がるものでもなく、また通過する人が多いわけでもありませんから、比較的落ち着いた気分で絵を見ることが出来ます。
さて、今回展示された喜多順子氏の作品は、白地の布に水彩絵具で描いてあるものが多く、前々回取り上げた松井えり菜氏の作品と比べると、その淡泊さが際立ちます。
中で一番目を惹くのは、やはり「WH水原2009ブレンド(モンブラン、栂池、燕、白馬)」と題された作品でしょう。
会場で配布されているパンフレットには、「描かれている風景は実際にはありえないもの」で、この絵も、「ヨーロッパアルプスの最高峰と日本の北アルプス山麓の栂池周辺を組み合わせて描」かれており、「このように風景をいわば“ブレンド”することで、喜多の作品は、私たちの記憶の曖昧さに働きかけてくる」のであり、すなわち、「現実の情景の細部を合成して虚構の情景を構築」し、「場所と記憶を混交させることによって、一種の桃源郷を創出している」のだ、と述べられています。
さらには、「水彩絵具による今の喜多の作風にとって、布という素材がもつ独特の肌触りや風合いが最も相性がよ」く、結局、「喜多順子がさりげなく創出する仮構の桃源郷は、見る者の心の襞の奥深くに無意識のうちに沁み入ってくるよう」だと結論付けています。
ただ、下記のような「The Way Home」と題されたいくつかの作品も展示されていて、それらの背景となっている峻険なアルプスの風景は木炭などを使って描かれたりもしており、見る者には、その「心の襞の奥深くに無意識のうちに沁み入ってくる」というより、むしろ不気味な感じを抱かせます〔あるいは、最近映画『アイガー北壁』を見たせいでしょうか〕。
尤も、殆どの絵に渡り鳥の群れの飛翔が描き込まれていて、結局は、飛んでいった先が緑豊かな桃源郷だ、ということなのかもしれませんが(上記の絵のタイトルにある「WH」とは“Way Home”のことでしょう?)!
パンフレットによれば、喜多順子氏は1974年生まれの36歳。先に横浜美術館でその個展を見た「束芋」氏とは一つ違いであり、とすれば“断面の世代”ということになります。
束芋氏は、自分たちが属する「断面の世代」について、「個に執着し、どんな小さな差異にも丁寧にスポットライトを当て」ている世代だと述べていますが、その点からすれば喜多順子氏との共通性がヨク感じられるところです。
安積桂氏は否定的ですが(注)、この画家についても、松井えり菜氏と同じく私としては注目していきたいなと思っています。
(注)安積桂氏は4月27日の記事において、喜多順子氏について、「ブログ世界では喜多順子の評価が高いようだが、私には理解できなかった」と述べています。
ちなみに、喜多氏の絵画を絶賛しているブログとは、たとえば、「週刊『フクダデスガ』」あたりなのかもしれません。ただ、「展覧会レーティング&レビュー」のように、それほど評価していないブログもあるようです。