孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

チベット  消息不明のニマ氏(パンチェン・ラマ11世)19歳の誕生日

2008-04-27 11:51:12 | 世相

(世界で最も幼い政治的拘束者パンチェン・ラマ11世(ニマ少年)
“flickr”より By Philofoto
http://www.flickr.com/photos/cfortier/2437875978/)

インドに拠点を置くNGOチベット人権民主化センターは25日、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が95年に故パンチェン・ラマ10世の後継に指名したニマ氏が同日、消息不明・自宅軟禁下で19歳の誕生日を迎えたと発表しました。

最高指導者ダライ・ラマ14世から1995年にパンチェン・ラマの転生(生まれ変わり)と認定されたニマ少年(当時6歳)は、その発表の3日後、両親とともに中国政府により身柄を拘束され、以後消息は分かっていません。
中国政府は後に独自に別のギェンツェン・ノルブという6歳の少年をパンチェン・ラマと認定しました。

パンチェン・ラマは、ダライ・ラマ法王に次ぐ最重要の存在で、歴代のパンチェン・ラマは阿弥陀仏(無量光仏)の化身と信じられています。
パンチェン・ラマ10世は、ダライ・ラマのインド亡命後も、チベット自治区に留まってチベット仏教の保護に貢献した人物です。
文化大革命のときには9年以上投獄され、その後も北京で軟禁されましたが、周恩来首相とも親交があり、また、当時チベット自治区党委書記であった胡錦濤(現在の国家主席)とも親交あったそうで、中国政府とチベット族の間に立って、チベット仏教の振興に尽力しました。

そのパンチェン・ラマ10世が1989年に他界。
この死については疑惑も語れています。
公の場において、中国政府の用意した演説原稿を無視して「チベットは過去30年間、その発展のために記録した進歩よりも大きな代価を支払った。二度と繰り返してはならない一つの過ち」と自説を述べ、その発言のわずか5日後、寝室で「心筋梗塞」で倒れ、約15時間後に死去したとされます。

チベット仏教では、パンチェン・ラマの転生についてはダライ・ラマが、ダライ・ラマの転生についてはパンチェン・ラマが中心になってその転生者を探す慣わしになっており、ダライ・ラマはパンチェン・ラマ10世の転生者の探索を開始しました。

そして1995年5月14日にパンチェン・ラマ11世(ゲンドゥン・チューキ・ニマ少年 1989年4月25日生)発見を発表しました。
この転生者探しは占いによって行われますが、1回ではなく何回も“彼で間違いないのか?”というように行われるようです。
その過程は「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」のサイトに詳しく記載されています。
http://www.tibethouse.jp/panchen_lama/pl_dispute.html#02
恐らくこのような“占い”を何回も繰り返す過程で、その少年の適格性について実際的な検討が行われるのではないかと思います。

上述のように、このニマ少年を中国政府は拘束し、その消息はわからない状態が続いています。
中国当局は、失踪してから1年もの間、少年の拘留を認めていませんでした。
中国当局が少年と両親の拘束をようやく認めたのは、1996年5月28日のことで、発表は国連こどもの権利委員会が行った長期調査への返答という形でなされました。

これによると、中国政府は「ニマ少年が分離主義者に誘拐される危険があり、身の安全が脅かされているため両親の希望で拘束した」と発表しています。

その後、多数の国連代表団や政府議員団がパンチェン・ラマの拘留が継続していることに対し懸念を表明、少年の健康状態と生活環境を確認するため中国とチベット双方が容認できる第三者が少年に面会できるよう中国当局に許可を求めてきました。
しかし、中国政府は部外者による少年や少年の両親への接触を一切拒絶しています。

中国当局によれば、ニマ少年(すでに“少年”という年齢は過ぎましたが)の両親は国際的な著名人やメディアが少年の人生に入り込んで欲しくないと考えているそうで、ニマ少年も平和な生活を見知らぬものに邪魔されたくないと考えているそうです。
http://www.tibethouse.jp/news_release/2002/TCHRD_Panchen_Apr25_2002.html

恐らく中国政府はニマ氏の生命については、これを危うくするようなことはしないと思われます。
もし、ニマ氏(パンチェン・ラマ11世)が死亡したということになると、次の12世転生が再び問題になります。
このまま消息不明状態を続けるつもりなのでしょう。
そして、チベット仏教側がパンチェン・ラマ11世と認める人物がいない状況では、今後ダライ・ラマが亡くなった場合、その転生を探す取組みに支障が出ます。
中国政府はそのような形で、チベット仏教を実質的に抹殺していこうという考えなのでしょう。

チベット族と漢族との間に存在する不信感、それを克服していくための時間をかけた施策として“伝統文化への配慮”と“経済的格差是正”が必要であることを18日のブログでも取り上げました。
(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080418)

掛け違えてしまったボタンを今になって掛けなおすことは、面子を重んじる中国政府にとっては耐え難いことではあるでしょうが、このニマ氏(パンチェン・ラマ11世)の問題は、その“伝統文化への配慮”のために、どうしても越えないと先へ進めないハードルとなっています。

それにしても、拘束されたニマ氏が今何を思って生活しているのか?
身代わりに中国政府によって立てられたノルブ氏は何を考えているのか?
時代に翻弄された“ラスト・エンペラー”溥儀の人生もそうですが、世の中には“数奇な運命”というものがあります。

 
コメント
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