孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

チベット  漢族・チベット族の間に横たわる深い溝

2008-04-18 15:37:01 | 世相

(“flickr”より By ~FreeBirD®~
http://www.flickr.com/photos/maniya/2344238039/)

チベットにおける中国の人権侵害の問題については、連日おびただしい報道がなされています。
ただ、その殆どが聖火リレー・オリンピック関係のもの、中国政府・チベット亡命政府・ダライラマから発信されたもの、各国の反応などです。
現地に入って取材活動をすることが制限されているためか、現地で生活する漢族・チベット族の双方が今感じていることを伝える記事はそれほど多くないようです。

そんななかで印象に残った記事が下記の【毎日】の記事。
全文を引用します。

****チベット 憎悪の連鎖に懸念*****
怖い、汚い、後進的。
暴動が相次いだ中国四川省甘孜(かんし)チベット族自治州で、取材した漢族の多くがチベット族にこんな差別感情を抱いていた。

 省都・成都から甘孜県まで小型バスで計18時間かかる。身動きが取れないほど乗客は詰め込まれ、凸凹道を揺られながら進む過酷な道のりだ。 バスにはチベット族14人が同乗していた。床には食べ残しが散乱し、ペットボトルに小便する男性も。みな強い体臭を放っていた。運賃109元(約1600円)。隣席の女性は「年収4000元(約6万円)」。都市部住民には耐え難いこの乗り物も、チベット住民には高額な交通手段なのだ。

 甘孜県では、食堂の漢族女性はチベット族を「ナイフを持つ習慣があって怖い。あまり入浴せず不潔」と嫌った。

一方、チベット族は「漢族は後から来た民族なのに威張っている」と怒る。中国語の発音が聞き取りにくく、何度も問い直すと「国語として学ばされた言葉だから下手なのは当たり前だ」と涙目になった。

貧困の町を高級車が横切った。裕福な漢族に仕えるチベット族の日本車だ。「15万元(約225万円)で買った」と流ちょうな中国標準語で答えた。町の横断幕は「漢族とチベット族は一つだ」と団結を呼びかける。
 
中国の中核をなす漢族と少数民族チベット族の生活格差は歴然としている。漢族に迎合するチベット族は富み、そうでない人は取り残されるシステムができあがっているように思える。漢族の抱く差別感情は、そのままチベット族の「反・漢族」に通じる。憎悪の連鎖が心配だ。【西岡省二】【4月13日 毎日】
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“チベット仏教”云々の“高尚”“文化的”な問題とは別に、一般生活者の間に横たわる“怖い”“汚い”“威張っている”といった“生理的嫌悪感”とも言えるような感情、うまく話せない中国語を無理しながら使う悔しさ、時代の波に上手に取り入って“うまい汁”を吸える者とそうでない者・・・差別と憎悪、屈折した思い、そうした両者の心の間に横たわる深い溝が窺われます。

恐らく中国政府は高齢のダライ・ラマが死ぬのを待っているのでしょうが、こうした人々の心に横たわる深い溝は、ダライ・ラマの生死に関係なく続くように思えます。
そしてコントロールの効かなくなった怨念は、過激な抵抗運動となって中国の暗部をえぐり続けるのではないでしょうか。

もうひとつは、今回の騒ぎの発端となった事件を紹介したもの。
該当箇所のみ引用します。

****チベットの声に耳を塞ぐ“親中”福田政権の過剰な配慮【週刊・上杉隆】****
※※日本では報道されないラサ暴動の発端となった事件※※
だが、今回の一連のチベット騒動も、過去の例と同じように、「ダライの扇動」によって始まったのではなく、中国の卑劣な行為が発端となっている。
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のラクパ・ツォコ代表が語る。
「日本ではまったく伝えられていませんが、今回のラサでの暴動のきっかけは、ある小さな事件が発端となっているのです」
3月10日、中国のチベット侵略49周年を迎えたこの日、ラサの町は比較的静かであった。確かに、一部でデモが行われるという噂もあったが、中国当局の警戒により、そうした動きは未然に封じ込められていた。そうしたことは例年のことでもあり、ラサ市民もそれほど神経質にはなっていなかったという。
ところが、その朝、バルコルのアーケード近くのラモチェ寺で異変が起こった。5、6人 警戒に当たっていた中国公安部の官憲が即座に僧侶たちを拘束すると、市民の目の前で暴行を加え始めたのだ。僧侶に対しては特別な敬意を抱くチベット人は、そうした光景には慣れていなかった。100人ほどの市民が集まり、固唾を呑んでその成り行きを見守っていたが、一向に暴行は止まない。
ついに激しい懲戒の末、僧侶の2人が意識を失い、微動だにせず地面に臥してしまった。官憲が去った後、市民が抱き起こすとすでに息は絶えていた。
ツォコ代表が続ける。
「この二人の僧侶の死がきっかけとなって、半世紀の間、ずっと我慢し続けていたラサ市民が、鬱憤を爆発させたのです。しかし、法王さま(ダライ・ラマ14世)は一貫して非暴力を訴え続けてきており、扇動など一度たりともしたことがありません。中国政府との関係では〈中道路線〉を採用し、対話を呼びかけ、『独立』ではなく『高度な自治』を求めているにすぎないのです。オリンピックに関しても、ずっと北京開催を支持してきています」
果たして、福田首相はこうした背景を知っているのだろうか。【4月17日 DIAMONDonline】
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ダライ・ラマサイドの情報ということで、どこまで信憑性があるかはわかりませんのでコメントは控えます。

いずれにしても、両民族間の溝を埋めて、中国政府が主張する“ひとつの中国”をつくるためには、“ダライ・ラマとの話し合い”云々を別にすれば、時間をかけた施策が必要です。
具体的には“伝統文化への配慮”と“経済的格差是正”でしょう。

現在も中国政府は“アメとムチ”の“アメ”として、青蔵鉄道を始めとする経済開発を行っているということなのでしょうが、その利益の相当部分がチベットに進出する漢族のものとなっている、チベットの人々になかなか行き渡らず、逆に格差を顕在化させている実態があるようです。

意識的に開発の利益をチベット族の人々に広く行きわたらせるような、必要に応じ漢族やそれと結託した一部の特権的チベット族を排除するような、そういった施策が必要ですが中国政府に可能でしょうか?

各国での抗議行動を見ていると、チベット問題そのものはさておいても、いろいろ興味深いものがあります。
パリのドラノエ市長は16日、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世を「平和と対話のチャンピオンだ」として、パリ名誉市民の称号を与える考えを明らかにしたそうです。
市長は五輪聖火が7日にパリを通過した際、市庁舎に「パリは世界中のどこの問題でも人権を擁護する」と記した横断幕を掲示したとか。
離婚・結婚で話題をまくサルコジ大統領といい、思ったことを表現・行動してどこが悪い・・・というところでしょうか。

個人的にはどうしても“できればことを荒立てないように・・・”という発想が先にたち、“ここまではっきり言うかな・・・”という印象を持ってしまいます。
全く別件ですが、17日、温暖化対応に関するブッシュ大統領の発表をドイツのガブリエル環境相が「ネアンデルタール人の演説」と酷評しています。
自分の主張は明確に表現するという文化・国民性の違いも感じます。
でも、「ネアンデルタール人の演説」という表現は、なかなか笑える表現でgoodです。
話がどんどん横道にそれてきたので今日はこれでおしまい。

コメント
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