銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

創価学会のすさまじい蓄財、(民主党の批判者弾圧とあわせて)

2010-03-19 15:04:37 | Weblog
 海外では、寺院というものが観光資源となっています。ノートルダム寺院(パリ)しかし、アヤ・ソフィア(イスタンブール)しかり。日本だって、伊勢神宮、東大寺、建長寺等、信仰の対象でもあるが、一方で、観光施設でもある。

 何かこの前、この件で、税金がどうのこうの、という裁判結果が出たそうですが。税金や土地の使料を取っていない村の鎮守さまに課税をする必要が出てきたそうです。憲法を遵守するとそうなるらしい。ちょっと、常識とは結びつかない結果で、馬鹿らしいことだと感じました。村の小さなおやしろの類から、市、とか、県、とか、国が使用料を取ることになるそうですが、そこに圧倒的な、文化破壊というか、不合理性を感じます。誰が、この時期において、そんなことを思いついたのでしょうね。

 ところが、現代のいわゆる、新興宗教については、その税制の優遇を利用して、さまざまな蓄財が行われている可能性があります。それが、度を越すと、目に余るというか裏が見えてくるという話をこれからやりたいです。

 30年ぐらい前、我が家で車を持っていたころ、(今は駐車場を借りなくてはならない山の上に住んでいるので、車を手放しました)伊豆の天城山へ出かけ、雄大な富士山をバックに二つの大・宗教施設があるのに気が付きました。それは、真光教の二つの大体の神殿です。ものすごく大きいもので、かつ、豪華なもので、びっくりしました。観光施設ではなくて、信仰の対象として、富士山をバックに設立をされているらしい。
 のちほど、オーム真理教というのがでてきて、それも、富士山がバックになるような場所に、拠点を設立したらしい。たしかに近くで見る富士山は雄大で、自然の権威を感じさせます。だけど、真光教については、その分裂を含めて、私は何も問題を感じません。その大神殿も、『信者の献金が多いのだろうなあ。病気を治してもらった人は感謝するのであろう』というぐらいのもので済んでいます。
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 ところが、創価学会については、相当に疑問があります。

 この間、巣鴨の駅にいたときのことです。駅員が、「帰りが混雑しますので、帰りの切符を今、買っておいてください」と放送します。『変だな? なにか、大きな公会堂がここにあったっけ?』と思います。北トピアとか、隅田トリフォニーホールというのは、合唱をやっていたころ、出演したり、聴きに行く場所として訪れたことがありますが、『巣鴨に、そういう類のホールがあったかなあ?』と疑問を持ちます。で、すぐ駅員さんに聞きました。「何があるのですか?」と。確かに駅構内には、普段はいない類の男性を中心とした大勢のお客さんが待ち合わせをかねて、集合しています。駅員さんは「駅が混雑するので、駅・構内では待ち合わせをしないでください」とまで、放送していますし。すると、「創価学会の大会があるのです」と答えてくれました。それで、「ホールがあるのですか?」と質問をすると、「ええ、戸田会館というのがあるのです」と駅員さんは答えます。「あ、そうですか?」と納得をしました、
 一般人は知らない大きなホールがあり、それは、戸田城聖という人の名前を関しているのだと、納得が行ったからです。
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 東京都内については、あまり詳しくは知りません。特に調べようとして調べたわけでもないのです。ただ、神奈川県については、相当に大きな物件を創価学会が保有していることには気が付いています。偶然に、モノレールを使ったときに大船近辺に大きな建物があることに気が付いていますし、山下公園前の、最高の立地条件のところに創価学会のホールや、会議室のビルがあるのには気が付いていました。

 そちらを見たときは衝撃を受けました。その場所は、戦前は誰の所有だったかは、分かりませんが、戦後は、アメリカ文化センターといって、私が、英語の本を読みに、しょっちゅう遊びに行っていたところだったからです。『もう自由には入れないのだ』と感じて、衝撃を受けました。

 昔、週刊誌に、創価学会が、全国通々裏々に、大変な数の不動産を持っていると、出ていた記憶があります。それを、神奈川県の住民として、用事で外出するたびに、気がつかさせられています。

 この件について、長い、かつ独自の文章を書くのは、ちょっとやめておきます。すでに、論が出ていると思いますから。国民の税金では無くて、信者さんの献金でできている施設ですから部外者は、何もいえません。ただ、過剰な蓄財をする人間を、私は疑うと言うことです。過剰な欲は、よくないです。ほどほどの、資産を持つのは、生活の安定のために役立つし必要なことです。が、過剰な蓄財をする人を、私は信用しません。
   2010年3月17日に、上のように書いたのですが、そのあとで、民主党の中のきわめいやな情報が外へ漏れ出しました。小沢幹事長と批判した人が解任されたそうです。生方副幹事長という人です。こういう、小沢一郎氏の、圧倒的に、独裁的な手法が、まさしく、創価学会の池田大作氏と同じです。

 それゆえに、この上記の創価学会の土地買占めを思い出すのです。小沢一郎幹事長も買い占めてて、そして、宮本書記長も買い占めていました。ただ、後者の二人は、信者さんだけの問題だが、民主党は国民の税金を使うわけだから、小沢幹事長の独裁傾向を、心配するのです。小沢幹事長の異常な手法は日本人の歴史的な感性とは、合致しません。だから、彼が外国から指令をうけているとすれば、納得がいきます。または、日本人を装っているが、帰化した人であるとすれば、各種の行動様式も手法も、私には、納得がいくこととなります。

 北野誠という芸人が逼塞をしましたが、それも、こういう件が絡んでいたのではないかと推察していますし、そんなことが平気で、まかり通って行くのが心配だから、こういう土地の所有の話題を今日は、載せます。では、2010年3月18日 いったん送り19日にさらに書き直す。  雨宮舜
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宮本百合子(顕治夫人)の鶏の水炊き

2010-03-17 19:06:04 | Weblog
 私は宮本顕治共産党書記長(または、委員長)がご自分の近隣の土地を、一区画、一区画買っていって、最後には、二十数区画(この数字は確かではないが)買いあさったという週刊誌の記事を読んだときに、怒ったのも怒ったのですが、それとともに、宮本家の家庭の中まで想像ができるような気もしました。
 この土地の買いあさりですが、宮本書記長(または委員長)が第二夫人と結婚なさって、お子さんができたのかな? で、こどものために、私有財産が欲しくなって、もっとも着実な貯金のひとつである、不動産を買い占めたと、なったのではないかと。

 詳しい真実はまったく知りません。だけど、ある個人にとって、子供とは大切なもので、特に晩年に得た子供はかわいいでしょう。だから、散歩のついでに駅前不動産屋によっては「掘り出し物は無いかねえ」なんていう会話とともに、一つ一つ買い占めていった。または思索のための散歩中に、お葬式でもあれば、組織を利用して、うわさを集め、後継者が誰であるかを確かめて、その人に適宜な金額を示して、譲ってもらうとか?

 ただ、無産階級の味方であるはずの人が、これほどの蓄財をしているのなら、それは、言葉とは裏腹な行動ですから、奇妙に思った人間が、いて、週刊誌の記事となって行ったのでしょう。ところで、ちょっとした挿入ですが、今は週刊誌の記事が面白くありません。予想外の情報を提示してくれるような記事が余りありません。独自の取材が無いみたいですね。発表されたニュースとかありきたりの大企画(たとえば、オリンピックとか、野球とか)を追うニュースが多いです。

 で、元に戻れば、こんなことは前夫人が生きていらっしゃる内には起きなかったと思われます。前夫人は、お育ちのよい人で、したがってお金には恬淡だったはずです。蓄財を目指したりはしないはずです。それにお子様もいなかったはずです。だけど、夫人のほうが年上だったかもしれません。で、早くなくなったのです。

 そして、その結婚話そのものが、大きな話題になったはずです。お嫁さんになった中條百合子は、美人作家として有名でした。お雛様みたいなふっくらとしたタイプです。しかも建築家の令嬢ですから、共産党のトップと結婚するのは、世間の予想を大きく裏切ったわけです。
 これは、赤瀬川さんが
「芥川賞をもらって、それで環境が変わった。前科者から急に英雄になったようなものだ」とおっしゃっていますが、ちょっと似ていて、
 それ以前の闘争者(外へ対する戦いもあるが、内部でも相当凄惨なことがあったとうわさをされている)が一挙に洗浄されたわけです。

 私は、その結婚が、宮本顕治氏側からだけでなく、百合子さん側からも分析できるような気もして、理解できるような気がします。戦後で、女性の解放が叫ばれていた時代です。だから、革命家と結婚するのが格好よかったのです。それと、宮本顕治という人が、どちらかというと、野性味のある、クラーク・ゲーブルタイプですから、そういう男性を選んだ、中條百合子さんは、経済的な自立という意味でも、そのほかの面でも、女性として、大きな自信がある女性だったのです。流行作家というほど面白いものを書いた人ではないのですが、収入は高かったと思われます。

 当時の普通の女性は、ちゃんとした勤務をしていて、お給料が入る男性で無いと結婚しても駄目だというよう感性で生きていたと思いますから、とても変わった選択だとみなされていました。

 ところで、そのお育ちのよさをほめた文章があって、『ほー、そういうことなのか?』と感心したことがあります。出典は、たぶんですが、付録です。筑摩書房の日本文学全集(黄色い表紙のもの)のなかに、パンフレット状の付録が入っています。その中に書いてあったエピソードで、書いた人の名前を、私は覚えてはおりません。
 それは、宮本夫妻に招かれて『鶏の水炊き』をご馳走になった際の話です。百合子さんの育ちがいいので、さらしの袋に、もち米を入れて、なべの中に入れたので、それを見ていて感心したという話です。「スープにとろみが付いておいしい」のだそうです。

 今の若い方なら、「なに、それ?」っておっしゃるかもしれないが、戦後すぐのころは食べ物自体が無くて、鶏の水炊きだけでも大ごちそうなのですが、それにもち米が入っているということがすごい贅沢なのです。お米も自由に買えない時代に、もち米さえも、別に用意されていて、それを、ただ、とろみをつけるために、さらしの袋に入れて、なべの中に入れるという行為の示す贅沢さに、そのお客の方は仰天したわけです。

 その付録用のエピソードを書いた人間は、批判的な書き方ではなかったのですが、誰か裁判官が闇米を買わないから、餓死したなどと言うこともニュースになる時代だったのです。

 私の直感では、共産党にしろ、何にしろ、トップになったり有名になったりする人に善人が少ないということです。

 人間一人が、がめる(=占有できる)範囲というのは小さいものだと感じます。それが社会の中で、装置を利用すると、拡大されて広範囲の人々に認知されて有名人になるわけです。その装置とは会社とか、宗教団体とか、政治団体とか、ともかく、ピラミッドを形成していて、トップの人間がしたの人を使役できる体制にあるところです。それを利用すると、ある個人に、お金と、名誉が集中するわけです。
 だから、有名でないということは、他人を利用していないということになり、健やかな生活を送っていることを、逆説的にですが、証明しているともいえます。

 私は前から、共産党とは装置の一つである。日本に言論の自由があるかのごとく、装う装置の一つであると、言い続けてきたのですが、そのトップは、生活態度は相当いかがわしいです。でも、この発言とは矛盾する贅沢な私生活というポイントは、海外でも言えることです。スターリンとか、金一族とか、毛沢東の実際の生活が後で、明らかになってくると、完璧に証明されてきていますね。
 そして、その装置としての共産党の利用は、さらに広まっていて、深化していると私は考えますが、その実例は今日は挙げません。

 ところで、話は変わりますが、生きているうちに、大変ちやほやされた有名人が死後、トンと省みられなくなったり、生きているうちは零落のうちにすごし、無名の人として、死んでいったにもかかわらず、死後名声を確立している芸術家(モーツァルト、石川啄木、宮沢賢治、田中一村など)もいます。「文章は、時代とともに色あせて、寿命が短い」とおっしゃった方もあるけれど、・・・・・だから、美術のほうがよいらしい面もあるのだけれど・・・・・

 今ほとんど省みられなくなった、宮本顕治夫人、宮本百合子女史は、私がこどものころは大変有名な作家でした。特に高校の先輩に当たるので、私は図書室で、筑摩の日本文学全集を借りて、播州平野というのを読みましたが、何も感動しませんでした。夫の故郷へ旅行する話です。一種の私小説+紀行文でしょう。もちろんですが、こどもには分からない心の機微が投入されていたのかも知れません。でも、その当時評価が高かったのは、有名人の私生活を見たいという庶民の欲望が反映していたのではないかなあ?

 しかし、私がここで、こういう風に否定的な取り上げ方をすると、後に、すぐリヴァイバルとか、再評価の動きが出てくるかもしれません。それが私への間接的な言論弾圧に当たると、私は感じていますが、さてどうなるか? 私はこの初稿を、2010年の三月15日に書きましたが、その後どうなるかなあ?  
     2010年3月15日 早朝、4:10に書き、送るのは17日の夜21:00 雨宮舜 
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党のトップが、不動産を買い占めるとき(小沢幹事長と、宮本顕治委員長)

2010-03-16 13:26:28 | Weblog
 前々回の文章では、鉄道の駅『東海道線、村岡新駅』ができると、不動産価格が上がると述べました。そういえば、今はひっそりとしていますが、このお正月かなあ? 小沢幹事長の政治資金の疑惑に関して、マスメディアは、大騒ぎでしたね。私は一回だけ、『あれは、海外から導入をされた財源を、あたかも日本からドメスティックに導入されたがごとく、マネーロンダリングをするために行われているから、・・・・・(別に小沢幹事長逮捕には至らないはずだ)』と述べたと思います。ただし、カッコ内まで、明言したかどうか、今頭脳だけでは記憶がありません。過去ブログを検証すれば確かです。が、予想通り、すべては、沈静化しました。大山鳴動してねずみ一匹出なかったのです。週刊誌やメディアの右顧左眄というか大騒ぎには、振り回されないように、必死に気をつけています。

 ただね。そのとき、皆様に申し上げなかったことがひとつ残っていて、それは、不動産というものが、今なお、資産価値が十分にあるということでした。今は子供の数が減ってしまい、親の家を相続すれば、こども世代が、わざわざ家を買わなくても済みます。それゆえ、「不動産が売れなくて、資産価値が下がった」と、経済評論家たちが言います。「借りた方がよい」という説もよく出ています。だけど、金融資産の内、不動産はいまなお、安定していて、価値の高い資産だったのです。
 特に駅から、近い物件なら、吉祥寺とか、自由が丘などのブランド駅ではなくても、資産として価値があるのです。駅から五分以内なら、20~30坪でもかまわないが、10分を超える歩きが必要なら、50坪程度は欲しいところです。そういう物件を、手に入れれば大変な財産になるということです。
 安中榛名ではだめなのです。東京駅へ一時間で出られる駅から、歩いて、15分以内の土地。バスを使わないで、通える土地。これが、一番確かな貯金だということ。

 それを、一番知っているのが、小沢幹事長でした。その面では彼は賢い人です。ただし、個人資産を形成するのが上手な人が、日本という国全体を経営できるか、または、奉仕できるかどうかは疑問です。国民一人一人にとって、氏が幸せをもたらす政治家かどうかは、ほとんど、分からないというか、不動産をたくさん持っていることとは、関係が無いことです。その点に関する私の意見は、変わらない。
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 ところで、以前、週刊誌の記事が第一次情報として有意義だと申し上げました。すべての週刊誌を検証すれば、どの週刊誌だったか、検証できると思うのですが、今は、ただ、週刊誌だったとしか覚えておりませんが、共産党の宮本顕治書記長(または、委員長)の保有不動産が、氏の自宅の周辺に23区画ほど(この数は正確な記憶ではないが)あるという記事を見つけ、義憤に駆られたことがあります。

 というのも大学を中退して、共産党へ入党したという人の住まいを訪ねたことがあって、あまりの貧しさに仰天したからです。台所も風呂も無い、ただの四畳半で、私物はほとんどありません。洋服ダンスも、テレビも無い。別にほかのアパートを借りている雰囲気も無い。生計は、新聞配達で立てているという。そういう人々からの献金で、そのたくさんの不動産を宮本顕治氏は買い占めていたのです。
  それらの不動産が、のちのちに、共産党へ返されて、あの豪華な高層ビル(代々木の本部)を建築するのに役立てられたのか、それとも、単に宮本顕治氏の子孫の私有財産になったのかは、寡聞にしてしりませんが、青春の情熱に殉じて、労働者階級やらを、助けようとして、道を誤った(?、としか、私には思えませんでした)青年の体力やら労働・報酬を搾取して、不動産を、買い占めていた、宮本書記長(または、委員長)には、誠意とか、良心とか言うものはないように思えました。

 今過去の追憶、特に昭和回顧、は結構なされていますが、宮本顕治氏を追憶したり、リバイバルを図る動きはまったく知りません。それは、むべ成るかなと思います。内部の人間にも外部の人間にも実際には好かれていなかった。・・・・・それが真実でしょう。
 ところで、その青年の方ですが、彼はどういう風にして、この損失の補填をするのだろうと、私は不思議極まりない思いで、見つめました。親しくも無いので、

 私が、その土地を離れたら、それっきりの間柄でしたが、のちに、その一帯で、『三億円事件』というのが起こりました。その当時の三億円というのは巨額であり、しかも、白バイに変装して略奪した方法が、見事だったので、大騒ぎになりました。

 そのときに遠く離れた横須賀の地で『もし、あの不遇の青年が、計画したのなら、これは、ありだ』とさえ、感じました。どうか、警察さん、早合点をして、その青年を探さないでくださいね。時効も過ぎているから大丈夫だと思うけれど。
 『青春のいっときの判断ミスから、その後は、絶対に浮揚できなくなった人生を選んだ、あの青年の苦しみと怨恨(彼は他人には愚痴を言わない人間でしたけれど、見ていると、気の毒で)は、小説家にでもならないと、購えないだろう』と私は思いました。しかし、その後の40年、小説家となった有名人の顔写真を見ても、その青年のおもだちは一切見当たりません。気の毒に、その後、どんな人生を歩んだでしょうか? 
 ともかく、三億円を見事に略奪しきって逃げ延びたのなら、彼の人生は、プラスマイナス、ゼロとは、その時点では成るはずです。しかし、いまどき、三億円を持っていても一生は送れませんよね。特にあぶく銭だとすぐ使ってしまいます。月に百万円使うのなどあっという間でしょう。その青年は今は、70歳ぐらいです。どういう人生を送っただろう。想像するたびに胸が痛みます。

 ところで、ここで、また、長くなりそうなので、いったんきります。
また、一種の弁明ですが、上は、赤瀬川氏研究とはまったく離れている話題のようですが、一種のスピンオフであって、私の心の中の底流では赤瀬川氏研究に続いています。

2010年3月14日    22時20分送るのは、16日の13:30分   雨宮 舜
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続、安中榛名・・・・・60歳を越す失敗は、苦しいですよ

2010-03-15 15:47:45 | Weblog
 前報から、たった10時間で更新しますが、一種の連続ものなので、お許しください。JR東日本が、安中榛名という駅から、行くことの出来るリゾート地を自然満載の桃源郷として大宣伝をし続けていることに、昨夜疑問を呈したわけですが、

 その理由はそこが、一種の新興住宅地であり、しかも中流の上クラス向けの一戸建ての集合地であるので、心理的な側面で、きびしい状況が出来することが想像できるからです。
会社組織の中で出世してきた人たちは、上下関係の中で生きてきたのです。それから離れた社会を作ることができれば、それは、桃源郷となるでしょう。しかし奥さんのほうが未熟だったりします。ちょっとした立ち話で、隣のご主人は、あれこれと、聞いてきて、高飛車な態度をとったりするようになります。
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 その、現場みたいなものを鎌倉で発見したことがあります。座席数250程度の公民館で映画を見ていたときのことです。上映前の後ろの席で、馬鹿に話が弾んでいます。仲良し同士で、教養・映画を見に来たというところです。最初はほほえましいとしか感じなかったのですが、途中から、非常に耳障りになってきました。

 左の女性が威張りかえり、右の女性が立てに出まくっているのです。チラッと振り返ると相当な年です。あとで、質問をすると、80歳とのこと。ばんばんに元気なのはよいのですが、上下関係の構築が、これほど、はっきりと出来ている二人組みには過去に出会ったことがないほどの、上下が、あって、しかも上に立つほうが意地悪です。

 右の女性があれこれを、親戚に中元や歳暮として贈るといいます。相手は名士たちです。すると左側の女性が批判を始めます。中元や歳暮の仕組みがばかばかしいと。
 中元や歳暮を贈るのは、心やさしい人で、しかも経済的に余裕がある場合です。母なんていつも、腐心して挙句の果ては同窓会へ出席する友達にさえ、あれこれとこぎれいなものを、準備するのでした。あるとき、横浜高島屋内の、伊東屋(高級な文具を扱う銀座のお店)ブースで買い物をしていたら、ひとつ、1000円程度のこぎれいなプレゼントを、30個ぐらい買っているひとがいて、「あ、クラス会が近いんでしょう?」って私がいったら、「あたりです」と答えました。
 現代の日本でも、そういう風に経済的に余裕があり、昔ながらの心遣いをしているタイプはいるのです。

 ところで、私はやめました。あまり、プレゼントをしないようになりました。一時期は手づくりのクッキーを送ったりしていたが、体力も落ちてきたので、ご無礼をし続けています。でも、それは、自然なことであり、単純な話であり、やっている人を批判するような問題ではありません。

 私は映画が終わってから、ごくさりげなく、年齢を聞き、そして、80歳にしては活発な頭脳だと褒め、(私もワルよのお!)、「ところで、お二人はどういうご関係ですか?」と質問をすると、お隣同士だとのこと。

 私は内心で、『うわー大変だ。こんな関係を作り上げちゃって、本心では地獄でしょう』と思いながらも表面上はあくまでさり気なく、「鎌倉ではどちらにお住まいですか?」と質問を続けました。すると、○○とのこと。すぐ納得をしました。一種の新興住宅地だったのです。開発年度は知りませんが、ともかく、800年前から人間が住んでいたところではなくて松林を開発した地域でした。『なるほどねえ。典型的な例だわ』と思いました。

 上下関係というのは、構築し終わって、それになれてしまえば楽かもしれません。だけど、先生がよくない場合におきがちな中学校社会のいじめと似たようなものですから、そこから自由になった後の健やかな気分を味わっている私なんかには、『うわー、まだそんなところにエネルギーをとられて気の毒ねえ。この映画だって、一人で見に来た方がずっと、心にしみるでしょうに』と思ったりするわけです。

 ただ、どんな新興住宅街でも、15年を過ぎれば、落ち着くものです。だけど、安中榛名へ移住した人たちが、60代であることを想像すると、『これは、夢とは違っていた。失敗したな』と内心で思う人もきっと出てくると思うのです。

 ともかく、他人が金儲けのために企画したことに、乗っても、宣伝どおりの楽しみが手に入るとは、思えません。

 田舎暮らしを、夢とするのなら、別の方法で、広い土地を、安く手に入れるのをお勧めします。昔は都会の人間が田舎に入るのは難しかった模様ですが、

 今は田舎の人口が減ってしまったので、地域を明るくする存在として、本格的に菜園経営やら、花作りに励むのなら、喜んで迎え入れてもらえるはずです。それに、テレビの普及で日本全国が画一化されたところもあって、みなさん、衣服も言葉も東京と同じです。

 安中榛名で、やりたい程度の庭造りだったら、今すんでいる場所で、借りられる菜園をお借りになって、週末農業ででも楽しまれた方が得策のような気がします。

 ともかく、デヴェロッパーは夢を売るが、その影に一件の成立につき500万円か1000万円の儲けを得ているのです。もちろん、それが、必需品、たとえば八王子以東の駅の開発とか、マンション作りだったら、別に文句はありません。だけど、安中榛名のリゾート住宅(平均価格は、3500万円ぐらいだと思われる)を、やっているのが、昔の国鉄、今のJRであることに、大きな違和感を持ちました。

 3500万円ぐらい払ってしまうと、現金としては、老後の財産はなくなるのが普通の人ですからね。これは、リスキーな選択です。

 経済評論家は、それには触れないが、心理的な意味での財産も重要です。若いときから築き上げた生活スタイル、人間関係、これらは、財産です。東京に頻繁に出られない土地に引っ込んでしまって、そういう無形の財産を失うことは、マイナスだと感じます。
     2010年3月14日      雨宮舜
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武蔵小杉駅開通と、不動産の価値ーーー改稿後

2010-03-15 02:19:42 | Weblog
 横須賀線内に武蔵小杉駅が開通しました。今、とおりぬけたところです。ホームというか駅そのものが円形にカーブしているところに設定されているので、電車が傾いて止まります。
ところで、武蔵小杉という街は、40ねん前までは、非常に静かなところでした。商店街はとなりの元住吉と、新丸子が発達をしていて、駅は東横線、南武線ともにシンプルなもの。
 ただ、東横線のひがし側に大きなスペースの工場があって、そちらが、土地を売却し、その跡地に、高層マンションが数棟建ちました。で、人口が急増したらしい街です。これから、第二の町田になるかどうか? いまのところ、連絡は不便な模様です。

 で、この文章は前の日の赤瀬川関連分とまったく途切れているように見えますが、私の頭脳の中では関連していて、その部分には後段で入るとして、新駅と不動産価値のことについて、まずお話しをしたいと感じます。武蔵小杉の近辺が、急に値上がりするとも思えませんが、東戸塚駅が開通したときは、周辺は一気に値上がりをしたと思いますし、近々開通すると予測されている、東海道線の村岡駅(藤沢と大船の間)は周辺の地価を上げるだろうと、大いに予測をされています。

 ところで、この武蔵小杉駅の新設と新宿ラインの設定そのものが、東横線との競合が真因であると、ある人が言っていました。お客を奪われて、収入が少なくなることを恐れたJR東日本が急遽、開設した路線であると。『ふーん』と感心しますが、東横線が、延伸して相互乗り入れで、池袋の先まで続くらしいのです。それに対抗すると言う目的です。
 JR東日本は、この土地にもともとの貨物用の線路を持っていたので、軽く開設することができました。今はトラック輸送が発達したので、貨物列車といえば、石油のタンクローリーが走っているぐらいに思えますしね。うまい転進です。

 JR東日本は商売上手というかなりふりかまわないと言うか、昔の国鉄時代を思えば隔世の感があります。駅中商店街の開設など、既存の商店街を寂れさせる原因になっていると思いますが、(たとえば東京駅では八重洲地下街がさびれ始めている)、ホテルをはじめ、ルミネの運営等、あたるを幸いなぎ倒すという感じです。

 ただし、ここで、苦言を呈したいのですが、サービスが落ちている。しょっちゅう、トラブルが起きている。よく遅延します。それと、商売に走りすぎていて、顧客を、悲しませる将来が起因するのではないかと考える、ポイントもあります。

 車内の中吊りとして、しょっちゅう『安中榛名』のリゾート地売却のポスターが出ています。今日初めて、ホーム頁に入りましたが、118坪に、33坪の家がすでに建っている形の物件が、2900万円だそうです。

 一見すると、安く見えます。だけど、ディヴェロッパーとしては、十分に利益を上げているはずですから、もともとの土地はべらぼうに安く手に入れたところでしょう。問題は買った人の将来がどうなるかです。都会のマンションに住んでいる人が、『ああ、すばらしい自然が手に入る』と、夢を持って買ったとしても、土地が118坪で、平地ですと、隣はすぐそばとなります。一方向に窓が、整列されているマンションより、隣の家の窓が近いので、予測したほど、プライヴァシーの確保はできないと感じます。

 今、一番お金を持っているであろう、大企業を、部課長クラスで退職した年齢層を狙った金儲けの一種ですから、安易に人が乗って、退職金をはたいてしまって、そのあとで『ああ、都会のほうがよかったなあ』と思わなければよいが・・・・・・と心配します。
 安中榛名から都会に出るのは、交通費が掛かります。高いでしょう。簡単に都会へは、出られません。しかも隣に気に食わないタイプが引っ越してきたらどうします。いったん変えてしまった生活は、なかなか元へは戻せません。夢のような自然生活をまん喫するためには、一軒が、最低でも、500坪は無いと駄目です。それを見つけるためには、大規模開発に頼ってはだめです。

 私が60年近く前の大昔、船橋市の塚田というところに住んでいたころは、自分の家が300坪あって、しかも東、南、西は、田・畑・林の自然ばかりで、トトロの世界そのままでした。ただ一軒ある地境を接するお隣さんは、700坪の敷地を持っていました。東に畑や林を挟んで200メートル離れたところには、1000坪の敷地のあるお屋敷がありました。すべて、江戸時代以来の東京人が、戦時中の疎開地として開拓した住居だったのです。それを、二代目として戦後買ったのでした。今ではそこは、駅に3分という近さなので、まるで、にぎやかに成ってしまったという話です。私は10歳のときにそこから、日吉の東急の分譲地に引っ越してきて、お隣を近く感じるのに参ったのです。ひな壇で南側に家がないのに、人目を感じて窮屈で仕方がなかったのです。だから、真実の田舎暮らしをしようと思ったら、自分で探した、安い、しかも広い500坪ぐらいの土地がないとだめです。安中榛名みたいな、画一的な大規模開発地では、無理でしょう。

 その船橋市塚田の土地も、父が、一人で、こつこつ歩いて見つけたもののようです。今はパソコンの世界が発達したので掘り出し物を見つけるのが、かえって困難になったかもしれませんが、夢のような自然志向の暮らしを手に入れるためには、情報研究が大切です。時間と手間と努力を掛けて、お一人で、適宜な物件を、お見つけになるのをお勧めします。JR東日本の『安中榛名』の宣伝には、いつも、懸念を抱きます。ポスターのキャッチコピーが「おじいちゃんのうちって、素敵だね」となっていたので、特に、以上のような老婆心を、発揮しました。
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 土地って、今でも一番資産価値のあるものだと感じます。前報で述べた例の、赤瀬川さんの太陽特集号に、日傘雅水さんのオフィスの写真が載っています。白いカーテンが風に揺れ、日の光が燦燦と差し込む素敵な部屋でした。マンションではなくて、普通のオタクが開発したアパートを事務所にしておられたのです。しかし、場所がいい。表参道ヒルズの裏手当たりの、神宮前。抜群の環境の場所にありました。

 近所に好きな画廊もあり、日傘さんのオフィスを訪ねるのは、わくわくするような楽しみだったのです。とおりひとつ隔てて、区画の広さに差があり、(それは、開発された年度で違うのでしょう)より表参道に近い部分は、敷地が、各戸150坪以上はあるのか、ともかく瀟洒なマンションに建て替えられていて、しかも回りは静かです。

 こういう土地を戦前に手に入れた人たちは、東京の生まれ、または、地方の生まれを問わず、ラッキーでしたね。ところで、このあたりで、原稿用紙換算8枚を超えましたので、いったん、きりますが、この件は、「党のトップが不動産を買い占めるとき」に、続きます。
   2010年3月14日、21:30分これを書く、送るのは後で、雨宮舜
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赤瀬川氏にとって、一瞬のしかも永遠の女神であった日傘雅水さん

2010-03-14 15:19:55 | Weblog
 雑誌太陽の赤瀬川特集号があります。それは図書館ででもご覧をいただくとして、その中に、日傘雅水女史との対談頁があります。

 赤瀬川さんを『偉いなあ。なかなかの人物だ』と感じたのは、この頁を見た瞬間でした。ちょっと格好つける人だと、自分が占いに支援されたなどとは、公開しないものです。しかし、私は同じ人、手相鑑定師の日傘雅水さんとは、五回ぐらいあっていて、それゆえに、彼女がカウンセラーとしてどれほど、優秀であるかを知っているので、『なるほど、赤瀬川さんは、相当なレベルで勇気付けられたんだろうなあ? それが、今の成功を招いた事も、きちんと自覚をしていらっしゃる』と感じたものです。

 このときに日傘さんが、赤瀬川さんに何を言ったかを想像は出来ますが、それについて、例の見てきたようなうそを言いは、ここでは、トライしません。私も日傘さんに恩恵を受けているので、何も詮索をしません。

 ところで、日傘さんは、そんなに優秀な方なのに、住所を公開していません。ですから、そこを見つけて訪問するだけでも大変なのです。すでに、お金儲け第一主義ではない方です。また、知名度についても、アンアン(特集として時々登場される)とか、週間女性(だったと思うが、確かではない)に毎週の連載を持っておられるので、これ以上は必要ないと考えておられるでしょう。

 これは、日傘さんがインテリだからです。日大芸術学部の出身で、なり上がりではない人です。たまたまの時代のせいで、YMOのマネージャーを最初の仕事(?)として、やりました。YMOが解散したから、または、ほかの理由で、次の仕事を見つける際に、例の六本木あたりに住んでいるマスコミセレブ界の知り合い(もしかしたら、糸井重里さんあたり?)に
 「あなたの手相鑑定は、大変よく当たっているから、それをやったら」、と言われ
仕事としてお始めになったのではないかと感じます。

 人の人生の、幸・不幸に関係する仕事だから、顧客を選ぶし、始める際にも天河神社(芸能をつかさどる神社らしい。手相を観てもらおうとするお客の中に芸能人が多かったと推察もされるし、ほかにも理由があったかもしれない)におこもり(?)もなさったらしい。

 ところで、日傘さんは、人の情報(特に不遇の時代の弱点)を握っているという意味でも誰にでもわかる、重要性を持っている人ですが、もうひとつ、それとは別に、その人脈のすごさもすごいレベルの高さです。

 YMOの三人のうち、坂本龍一さんは、ハリウッドなどで、活躍をしておられますよね。その坂本さんは、ビートたけし氏と、付き合いがあるでしょう。そのビートたけし氏は、パリのカルティエの支援で個展をしていて、その際、レジオンドヌール勲章を授与されました。

 この文章の先頭にここで戻れば、赤瀬川さんのその後の人生は、まったく、日傘さんの予測どおりの展開で、好ましくも、うれしい方向へ進んでいったと考えられます。
~~~~~~~~~~~

 さて、ここで、今日の文章が短いので、私の個展についての情報をあげさせてくださいませ。上の世界と比べると、まるで違った小さな世界ですが、そんなことはまったく気にしていない方で、堂々とお知らせをさせていただきます。

 最近のブログ(またはメルマガ)の文章がおっそろしい物が多いので、それを恐れて、お客が来ないとも思いますが、『それでも、いいのよ。人生はすべて、30%の達成でよろしい。準備段階だけでも、十分に30%にあたるわ』と、居直っておりますので・・・・・平静です。

 4月5日から10日、場所は、exhibit Live & Moris gallery (通称ライブ)銀座、8-10-7東成ビル地下二階 電話03-5537-0023 です。

 抽象画系統の版画と、上に上げたようなブログパーツの写真展示をいたします。
   では、2010年3月14日 16:20      雨宮 舜

ところで、今日は、16時間でこれを上げましたので、毎日夜開くかたは下もどうか、よろしく。
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赤瀬川氏の不遇の時代のすごし方と、藤森照信氏、

2010-03-14 01:17:52 | Weblog
 赤瀬川さんは10年ぐらい前から徹底的に露出して、大人気者になりました。しかし、裁判直後は不遇でもあったらしい。それは、一般社会の人間からすれば、あたりまえのことです。常識的に言って、国を相手取り戦って、勝訴するなんて、考えられないことだからです。あのときの裁判長は言論の自由と言う意味では、立派だったと思いますが、それ以来裁判と言うものが政治的に利用をされ始めたので、それは結果としてはマイナスだったとも感じます。

 その不遇の時代のすごし方ですが、氏はグループを作り、それらの仲間と一緒にすごすことで不安を取り除き、社会人として、ご自分を強化した模様です。
 ビジネス社会に生きている人なら、社員仲間がいます。でも、内部告発をしたみたいな存在ですから、外で、自由な仲間がほしいと言うのは、誰にでもわかりますよね。

 で、その仲間とは、学生時代の仲間でもない模様ですが、ともかく、表参道とか、原宿とか六本木とか、新宿や渋谷で、遊ぶような若者仲間です。私はそのことには気がついていて、今のマスコミセレブたちとは、そのての街のジャズ喫茶とか、バーとか、アングラ劇団で知り合った人々をさすと、みなしていますが、赤瀬川さんを中心とするグループはまさにそれです。

 これは、『カッコウの巣の上で』を書いた作家が、コンミューンを作り若者に囲まれる生活を一時期送ったと言うようなエピソードと共通します。一緒に住むわけではないが、よく集まって、時間を一緒にすごし、最後は飲み会でおわる。
~~~~~~~~~~~

 野見山暁司さんは、街が違う。池袋から、パリ、そして銀座、世代も違うが、作風も絵であって、コンセプチュアルアートでもないし、赤瀬川さんよりも、ほかの一般的な画家とのお付き合いが多いかな?

 赤瀬川さんは、画家同士の付き合いよりも、そういう手合い(といっては失礼だが・・・・目端の利く人たち)とのお付き合いが多い模様です。そして、それらの仲間からテレビや雑誌の世界等へ伸びていった人は多くて、お互いがお互いを紹介して、それぞれが、マスコミセレブとなっていった模様です。

 私の記憶ではテレビのバライエティによく出ていた故・杉浦日南子さんとか、荒俣宏さんとか、篠原勝之さんとか、雑誌の世界で活躍した南伸坊さんとかです。

 その中で、今でも活躍中なのが、藤森照信氏です。氏は、建築家で、私は直接の付き合いは何もなく、それゆえに、被害を与えられるといった向きもないのですが、藤森氏の新聞等への露出を見ていると、赤瀬川さんとの、交流を抜きにしては、これほどの、露出もあるまいと思えるわけです。

 今の私はそういうことをやっかんでいるわけでもないのですよ。だけど、10年ぐらい前は、そういう方向でブレイクするかと思っていたのも確かです。そのことが重要な人物、日傘雅水女史と結びつくこととなりますが、
 今日はそれは、おいておいて、

 赤瀬川さんの立場強化に役立った、別のグループについても述べましょう。

 村松友視さんの自宅で飲む会。
 それが、後ほどの芥川賞につながり、赤瀬川さんの、いわゆるマネーロンダリング(大衆向けの立場浄化)に役立ったわけです。

 それと、ライカ同盟(三人だけだが、秋山祐徳太子氏を含む)も結成されます。

 上に述べた中で、日傘雅水女史の引越しの件と、秋山祐徳太子氏のあれこれの行動が、私にとっての直接の被害となります。それゆえに、赤瀬川さんの最近の役割についても気がついてしまったわけです。すなわち、彼が、一種の、日本人・支配向けの、道具として使役をされているのにも気がついてしまったわけです。

 つまり、・・・・・大変な有名人で、国を相手に裁判まで起こした人が文章を書く場合、さりげないものしか書かない。つまり、実際の政治のあれこれを分析したり、批判をすることがないのだ・・・・・ということが、一種の重石になり、ほかの人が、まじめな発言をするのを抑える役割を果たしている・・・・・こととなります。赤瀬川さんほどの人が何も言わない、ということが、日本人を眠らせたままにして、そこから、利益を得ようと考えている人たちの、役に立っているのです。見事なまでに・・・・・・
~~~~~~~~~~~~

 最後になりましたが、駄目押しみたいに付け加えると、この文章内でも、人間はすべて同じだとなります。不遇の時代は弱いのです。だから、工夫をします。有名人が、特別な人なのではないのです。利用されたりして、光が当たることもある。特にオピニオン・リーダーとか人気者として、より厳密な人間が出てくれば出てくるほど、政治的にあいまいな人(この章では赤瀬川さんを指す)は珍重されるということになります。いまね。三味線を押収されたホリエモン氏に対して同情が大きいそうですが、彼なんかも、新しいタイプのオピニオン・リーダーになっていく可能性があり、だからこそ、抑圧を受けます。

 朝青龍は、やはり、その手の人である、細木和子女史の支援を受けていたので、徹底的につぶされました。だけど、大相撲の切符が売れないそうです。大相撲が衰退していくのなど、私でなくても誰にでも予想がついたことですのに、ヒステリックに、横綱審議委員会のメンバーとか、相撲協会の理事たちは、朝青龍を追い詰めやめさせました。「大きな判断ができる、英傑よ出よ」と願いますが、植民地であるがゆえに、英傑は出ません。今のこの国には、英雄は生まれません。だから、仕方がなくて、おとなしい普通の人である、私が政治について、発言をしたりします。

  2010年3月14日、早朝、01:06分、これを書く。       雨宮舜
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赤瀬川原平(尾辻克彦)・・・・・村松友視(二人の影の真実は?)1

2010-03-13 16:46:08 | Weblog
 今は2010年の三月です。私は2007年から毎日眼に見える形(と言うのはパソコンがおかしくなるということ)で、誰かから攻撃を受けていると感じました。直感で、小泉擁護メールと言う副題のついた文章(それは、現代日本政治+マスメディアの国民にとって、困るポイントやら傾向を分析すること)を、発表し続けてきたことと関連があると感じました。

 しかし、自分がそれほどの、大物でもないだろうと言う認識もあり、かつ、『その悪さが<ある個人がやっているか>のような偽装も、各種行われていた』ので、なかなか、本筋まで到達できなかったです。が、今では真相がほとんどわかっていて、そういう被害があるからこそ、はっきりと、小沢幹事長についても朝日新聞についても、発言をしたり分析をしたり出来るようになったわけです。

 で、こういうテクニカルに、文章を書けなくする攻撃も行われたのですが、生活上、困難をきたす攻撃も同時進行的に行われ始めたのです。私をうつ病にさせ、そして、結果として文章を書けなくさせるという目的で行われたのでしょう。

 それが三方向から行われました。一方向からとしては、ご近所からの、主に、音による迷惑行為にさらされること。いらいらするであろうと言う見込みの元に行われました。こういう行為の発案者が伊藤玄二郎氏、および、井上ひさ氏であろうと推察しているわけです。各種工事の推移、および、町内放送でそれは、確信させられていますが、詳細は別の日に。

 第二方向として、銀座を中心とした美術界において、風評被害にあうことも起こりました。ここが、今日の主眼です。

 第三方向として、本を作り始めたら、外のパソコンでさえ、使いにくい現象がおき始めたり、出版上のさまざまな規制の動きが強くなってきたこと。筑摩書房、および河出書房新社を含む八社協定とか、言うのが出来たのも、私がターゲットではないかと考えたほどです。
~~~~~~~~~~~~~~

 その、美術界における風評被害ですが、これもまた、幽霊が行う行為ではなくて、誰かが動くわけです。野見山暁司さんが、その一人である可能性も述べましたが、

 今日は赤瀬川原平さんが、その発信源のひとりであることにも、触れたいです。野見山さんについて触れるのは、その秘書である、山口千里さんと一時期親しかったということと、野見山さんの個展を独占的に行ってきたギャラリー山口のオーナーが自殺したと喧伝をされていること(15日の死亡日の、たった、一週間後の23日に、読売新聞が写真説明と言うたった、一行の中で、それを、発表しています。不思議極まりないが?)

 が、あって、書きにくくて、消耗のきわみでした。が、本日の赤瀬川さんは、被害は相当にあるものの、直接にであったり話し合ったりした過去がない人です。だから、相当に書きやすくなります。あっさりと、書けることも多いです。で、取り組んで行きたいのですが、ここで、ツイッター方式をとり、いったんアップしてしまいます。
 ご意見があれば、コメント、または、AtelierCK@aol.com へのメールと言う形でくださいませ。
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 さて、赤瀬川さんについて、私の知っていることは、前回に述べました、千円札裁判以外にももうひとつあって、尾辻克彦名義で、文章を発表しておられた時代です。それは婦人公論誌上では、結構読んでいます。前の夫人との間の、お嬢さんを、チチヤス(その飲料をお嬢さんが好んだので、仮名として)と呼び、そのお嬢さんと、自分と妻の三人の日常生活を書いたものです。しかし、たぶんですが、このチチヤスという呼び名は、芥川賞受賞後のもので、新人時代はお嬢さんは、別の名前で登場されているはずです。

 さて、それらを丁寧に読むと、赤瀬川さんは、善人の様でもあります。そして、私の実像など、まるでご存じなくて、言われるままに、悪い風評を他者に伝えて、私の被害を拡大なさっておられると感じますが、それでも、その結果は、日本人総体を裏切ることへつながります。

 浅田真央・キムヨナ対決、採点疑惑問題もそうですが、日々、大量のお金が、アメリカ側に日本から流れている事実、そして、シーシャパードの攻撃、アカデミー賞にいるか漁を残酷に撮影した、ドキュメンタリーが、受賞すると言う、精神的な方面でも、大いなる損失をこうむっています。

 その損失のよって来るところを、あっさりと単純明快に、お話をしてしまう私は、そちら側(つまり、日本人を、単に牛や馬のごとく考えて、使役することばかり目指している手合い)にとっては相当重要な人間であり、あらゆる手段を通じて、ぶっ壊したいわけです。

 その表れは各種ありますが、どうして、そこまで断定できるの? と、問われるといけないので、赤瀬川さんともっとも親しい、編集者でもあり、テレビタレントとしても有名な、村松友視氏が、ごく最近、伊藤玄二郎氏の編集するタウン誌、『鎌倉春秋』に連載を寄稿したと言う事実を挙げましょう。

 これは、歴史的に結構重要な証拠となるはずです。では、ここで、二回目として、きりましょう。どうか、この前篇に当たる、下の文章もご覧をいただきたく。
             2010年3月13日  午後、16時44分 雨宮 舜
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赤瀬川原平氏と、西山太吉氏

2010-03-13 12:46:09 | Weblog
 今日は土曜日です。しかも関東地方は春めいた陽気で、暖かです。本日は一種のツィッター方式で書きたいのですが、ご意見がありましたら、下のコメントか、AtelierCK@aol.comへお寄せください。

 赤瀬川原平と言うアーチストがいます。エッセイストとしても有名で、総売り上げ部数としては、野見山暁司さんを抜くかもしれません。老人力と言うヒット作を最後に、今、文章のほうで露出が少ないです。しかし、アート界での露出が多いらしくて、以前にあげた永井龍之介氏(何でも鑑定団に出演中、銀座に自社びるを建てた成功者)にお目にかかったとき、(数年前でしたが、)『今、最大の作家(アート系)は、赤瀬川さんでしょう」とおっしゃっていました。

 ところが、日本最大のアート発表の地である、銀座、京橋、日本橋にかけての赤瀬川さんの露出は少なく、『本当に、ちゃんと制作活動をやっておられるのかなあ?』と感じたりします。もちろん、有名人だからお金をかけて画廊でやることもなく、自治体の費用で、公的な美術館で、展示をなさっておられるのかもしれません。

 しかし、陰に回れば悪い評判もあります。誰がそういう風評を流しているとは名前は挙げないが、ある種の鼻をつまむ対象となっておられるのも確かなのです。実行している作業と知名度の高さにアンバランスがあって、それに対するやっかみといってもよい。私がやっかんでいるのではなくて、美術界全体に、『やりかたが、うまいね。だけど、成功している人だからあえて、何も言うまい』という雰囲気が満ち満ちています。

 お兄さんが有名な小説家ですから、出発点から、メディアに食い込むと言うか、かわいがられる傾向もあったでしょうし、次男ですから、勇敢でもある。ので、最大の売り出しポイントが、千円札・拡大・裁判なのです。お若い方はご存じないかもしれないが、作品として、千円札を拡大したものを作りました。詳しいことは知りませんが、手書き、もしくはコピーで一枚の千円札です。これが、偽札にあたるかどうかを、裁判で争われたのです。こういう作品はコンセプチュアル・アートといって、下世話な言葉で言えば、頭のよさで勝負と言う作品です。

 人間がいまだやったことのないことをやって、世間をあっと言わせるのが目的です。それが、悪いと言うことではないが、時間が少ない形で制作が出来ます。普通の絵よりも労力が少なくて出来上がります。それに対するやっかみもあるでしょう。

 赤瀬川さんの方は、『これは作品であり、これを、偽札といってもらっては困る』という論調で、国の方は、誰が原告なのかは知りませんが、ともかく、『偽札であるから、展示をするのはいけない』という論調だったと思います。赤瀬川さんの方は必死で戦い、大勢の同士を募って、証言をしてもらい、裁判を勝利しました。

 つまり、国家というものに対して争って、勝った人間なのです。ちょっと、似ているのが、今、急に再評価が高くなった、西山太吉氏です。こちらは裁判は敗訴となり、ご自分も逼塞をしたが、関係した(機密を漏洩したとされる外務省女性職員)も、その後は、散々な苦労をなさったことでしょう。もしかしたら、当時持っていたご家庭も崩壊した(言え、お子さんを守るために一種の偽装離婚をなさって、お子様の苗字を変えたりなさった、可能性はありますね。

 でも、急に今、日の光が当たっています。山崎豊子さんのおかげも大きいのですが、こちらについては、赤瀬川さんと似ておられると言う形で、取り上げただけで、ここで、いったん途切り、赤瀬川さんに戻ります。

2、この番号以下の文章は、つィッター法式で、いったん前半を公開した後での、加筆したものとなります。

 私は、常日頃、日本は植民地国家であると申し上げております。

 つまり、国際的な軍産共同体が、日本のすべてを、牛耳っている可能性を感じています。しかし、彼らは幽霊として活動できるわけでもありません。しっかりした日本人を使うのです。西山太吉さんも、いろいろな意味で、ご本人の意思とは別に、結果として、使われている存在となっています。氏は、当時は、彼らにとって迷惑な存在でした。 敵といってさえよい存在だったので裁判は、敗訴になり、すべてを、失われました。

 真実を告げる人であるから迷惑であったのです。しかし、なぜ最近、評価が高いかといえば、山崎豊子さんが不毛地帯で、瀬島隆三氏を取り上げたことに遠因があると思います。その山崎さんが、この西山太吉さんを取り上げたと言う、循環もひとつではあります。

 が、もうひとつあって、それは、今の国際軍産共同体にとって、民主党が一番大切な党であって、自民党はどうでもよくなっていると言うか、捨て去るべき存在となっているので、当時は、ノーベル平和賞さえ与えた佐藤栄作首相でさえ、叩きのめしてもかまわないという方針になっているのでしょう。

 最近の新聞報道のなりゆき、で、それを深く感じます。歴代の自民党総理大臣が隠していたと、朝日新聞も日経新聞も言います。国民がわがどう感じているかと言えば、「核なんてすでに、持ち込まれているでしょう。もちろん」という程度の認識です。だって、原発燃料と核兵器はほとんどのレベルで同じもので、その外装を如何の違いしかないのですから・・・・・・だから、大型の報道がなされても、一切動揺せず、無関心です。
 しかし、西山太吉さんが『情を通じて・・・・・』という大見出しで、悪人として敗訴したときは、国民は、ひそかに同情し、核の日本への持込に強いアレルギーを示したのでした。歴史は変わります。それについては感慨が深いです。

 では、このタイトルではいったん閉じて、新しい文章で、いろいろ、さらに深い観察を述べます。2010年3月13日   雨宮 舜
 
 ところで、話は変わりますが、そして、ここで、さらすのはマイナスかもしれませんが、私は、4月5日から一週間銀座のexhibit Live & Moris gallery というところで個展をいたします。その件もよろしく、ご記銘のほどを。 
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吐いた唾、のまんでおけよ、映画の中の名せりふ、二度目として、公開

2010-03-13 11:28:02 | Weblog
 皆様、本日は土曜日で。いかの文章は木曜日に真夜中、5時間程度さらし手次のものを挙げましたが、今日のものを書く、三時間程度、これにもお眼を通していただきたく、よろしくお願いいたします。

 この前、寺島しのぶさんにベルリン映画祭での賞が与えられたときに、私は何も彼女について知らないので、インターネットサーフィンをしたのです。母の藤純子さんに入っていって、それから、東映に入っていって、そして、

 その代表的な名作としての、実録『仁義なき戦い』へと入っていきました。

 これは、古い映画ですが、非常に緊迫した面白い映画だったと記憶しています。日本映画としては、海外に出しても面白いといわれるのではないかしら。

 この前、アンジェイ・ワイダ監督の、『地下水道』が、NHKで放映をされ、それを録画しておいたのですが、先に見た主人にどうだったと聞いたら、薦めるという風でもなかったので、時間がないから、将来とも見ることもないであろうし、これは名作だから、ツタヤ等で、発見することもあるだろうと、削除したのです。

 古い白黒映画では、『かくも長き不在』なども、名作として有名だし、『道』も有名ですよね。この『仁義なき戦い』はそれらとは、違って、感動を与えるというものでもないが、
緊迫感の高さと、リアリティの横溢と、展開の面白さという意味では、

 匹敵するのではないかと感じます。
~~~~~~~~~~~~~~

 どうして、それほど、面白いかというと、ある、やくざの人が、投獄をされて、6年間ほど、刑務所で過ごしたみたいですが、その経過と理由に納得ができず、獄中で、文章を書いたそうです。それを、当時の週刊誌に売り込んで、連載をされました。

 ただし、そのままでは、公表が出来ないということで、プロ飯干氏によってリライトされたみたいです。それが、終焉する前から、これは、面白い話だということで、映画化が企画をされた模様ですが、もっとも、苦労をなさったのが、脚本家の模様です。

 インターネットサーフィンをすると、そのお名前が出てきますが、大衆的にはお名前が知られておらず、私の記憶には残りませんでした。

 一番のご苦労は、関係者の命を守るということだったらしいです。それと、原作者との、関係。ある程度、裏切ったみたいな形ででも、映画化に持っていったみたいです。今はほとんどの方が鬼籍に入ってしまわれているので、こういう裏事情が公開されても、大丈夫なのでしょうか? 名作だと私が信じるゆえんは、大量の情報が、インターネットの世界で公開されているからでもあります。それほどの人気があるのでしょう。

 いろいろな事実が表に出てきています。

 群像劇で、それぞれが、思い出になるような、リアリティのある演技を披露しているのですが、せりふとして、有名なものに、「吐いた唾、のまんでおけよ」というのがあるらしいのです。

 これは、全国展開する大型、組織側の人間と、広島独自の活動をする、独立峰としてのやくざ組織が対立して、お互いに、体力と知力を尽くした戦いをする中で、言葉による威嚇の適切な例として、発せられたものらしいのです。

 映画の公開当時は、夏目雅子さんが発した、『なめんで、おくんぜよ』というのも、大変有名でしたが、今は、こちらの、『吐いた唾、のまんでおけよ』の方が命長く残っている模様です。

 ところで、話が飛びますが、そのせりふにことさら、私が気をとられたのは、主人が広島・呉の出身で、ときどき広島弁を使うからです。その中で最も印象が深いのは、

 「猫と、つばえるんじゃあない」です。つばえるとは、交わるという意味であるらしいのですが、私がストーヴの前で静かに猫と顔を見合わせていると、主人がこういうジョークを発します。

 もちろん、ただ、顔を見合わせているだけなのですが、非常に親密な気配をあたりに発しているのでしょう。それで、つばえるという独特の方言が出てきたわけです。

 この単語を聞いていると、「よばい」とか、『若衆宿』という言葉を思い出し、

 またまた、遠方へ発展しますが、今、ツィッターで人気があるらしいハマコーさんは、インターネットで検索すると、日本青年団組織で、ご自分を鍛えたらしいので、
 それこそ、そういう世界でしょう。ところで、繰り返しますが、私は流行おくれでもよいから、今はツィッターをやりません。時間やエネルギーをとられすぎる感じがある。
 
 ところで、人間の成長とこどものころの、ともだちづきあいの量との関係で、思い出すことがあります。私の場合は、小学校三年生まで、周りにほとんど家がないところで育ち、また、きょうだいも七つも離れているので、人付き合いをしたことがない育ちです。でね、言葉、特に捨て台詞の類は、発達していないので、上に上げた、二つの名台詞みたいなことは一切いえません。

 だから、気風とか、ボディ・ラングエージで、戦う場では、まったく不利です。

 ちょっと、例が遠いかもしれないけれど、その点では、辻井信行君とか、浅田真央ちゃんを心配します。天才的な立場になるためには、訓練の時間が必要で、それゆえに、こども同士の、自然で、しかも意味のない遊びの時間が、少ないというか、まったくないと思えますので。

 ご近所の小さいこどもと喧嘩ひとつしたことがない育ちでしょう。そろそろ、自立したいと辻井君の方はおっしゃっているみたいですが、真央ちゃんは、そんな発言もする余裕もないみたいで、かわいそうですね。ただ、ひたすらスケート漬けらしい。自由を与えてあげたいですが・・・・・

 でも、真央ちゃんの一生は、きっと守られていますよ。60や、70になったときにそれが、明らかになるでしょう。天がご覧になっておられるから。神様は見放さない。彼女の一生は、きっと恵まれたものとなるでしょう。恋愛とか、結婚とか、子育てとか言う意味で。または、コーチとしての仕事で、きっと恵まれたものとなるでしょう。

          2010年、3月9日に書き、送るのは、10日に。  雨宮 舜
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つばえる・・・・CONJUGATION・・・・そして、友人の自殺を悲しむ

2010-03-12 03:31:41 | Weblog
 なお、下に五時間で更新してしまった記事『吐いたつば、のまんで置けよ・・・・・映画の中の名せりふ』があります。左のカレンダー青い字の11をクリックしていただけますと、出てきます。下の文章は、それの続きとなります。映画の名せりふの方は明るいシンプルな話で、こちらはちょっと、深刻な話となっております。では、よろしく。

 前の日に『つばえる』と言う広島弁をあげました。猫とじっと目を見合わせていると主人が「つばえるんじゃあない」と、冗談半分で怒るという話です。

 で、丁寧に質問をしたわけでもないけれど、つばえるとは、交わる、つまり、交合(セックスをすること)をあらわすと想像しているのです。これは、たぶんですが、あたっています。
~~~~~~~~~~~

 さて、セックスという言葉は、本当は上品な人々の間では長い間、つかいませんでした。父や母なんかは使わない方で、色気があるということでさえ、「イットがある」といっていました。昔のことですが、私が親から、「絶対に二十五までに結婚をしなければだめだ」と命令に近く言われていたのは、「イットがないから」なのだそうです。母と父がそういう話し合いをしたと、母がいっていました。だから、ほうっておいてはだめで、早めに身を固めさせた方がよい(つまり、若さだけがとりえだと、親には、認識をされていたのです)と、決め付けられていました。

 ある意味で非常に晩生でした。だから、忘れられない失敗があります。大学で生物をとっていました。教授はアメリカ人。学問は英語で習うと、言葉が非常にシンプルです。日本語だと、学問用の言葉と、普通の言葉では違い、二重になっていますが、英語では同じものを使います。

 ただし、セックスだけは、さすがに、セックスするとは言わないのです。アメリカ人だって、上品な人は、その言葉を使いません。で、英語では、Conjugation というのです。

 しかし、私は帰国子女でもないので、その言葉を知りませんでした。

 先生は、その言葉を、生物の子孫を残す話の中でお使いになり、「水が非常に大切なものであり、その中でこそ、Conjugation が行われる」とおっしゃったのです。

 私は先生のおっしゃることはすべて、わかるのですが、そのConjugation だけがわかりません。それで、あっさりと手をあげて質問をしたのです。これは、アメリカナイズした世界ではまったくおかしくない話です。しかし、この言葉に関してだけは、先生が困った顔をなさって、もじもじとした感じで、なんとか、説明を始めてくださったのですが、私も途中からわかり始めて、とっても恥ずかしく、顔から火が出るような気がしました。

 特に実際の恋愛をすでにしていて、それこそ、セックスの経験もあるような人、もしくは、当時はとても有名な留学制度だったAFSの経験者たちは、きっとこの言葉を知っていたでしょうから、『うわあ、あそこに馬鹿な子がいる』と、彼らも恥ずかしく思ったであろうと推察できて、広い階段教室で、身の縮む思いがしました。
~~~~~~~~~~

 しかし、今日のお話は、その笑い話をご披露するのが主たる目的ではないのです。その階段教室での、もうひとつの忘れられない思い出を語りたいです。

 すでに、45年以上が過ぎていますので、ありとあらゆることを深く、そして、真実に近く書きましょう。

 そのConjugation を理解できないタイプの人がもうひとりいました。いえ、もっといたはずですが、のちに、自殺をしてしまった美少年がいて、その人を、ここで私は、あえて、『もう一人』と数えるのです。その人も晩生だったと思います。そして、自殺の原因は、きっと、その種の問題も含まれていたでしょう。だから、その言葉を質問した日が忘れられないものとなって思いだされるのです。

 その美少年と私は一切の個人的な交渉はありません。その美少年は、ちょっと背がひくいのですが、お顔がものすごくきれいで、上品で、私は近寄りがたく感じていて、そちらも、また、私とも、ほかの人とも交わろうとしませんでした。

 私が接触しなかったのは、彼が、あまりにも品がよいからでしたが、彼がほかの人と接触を持たなかったのは、二つ理由があって、ひとつには、『もしかしたら、東大を受験しなおすべきかなあ。母がそれを望んでいるし』という悩みがあったのと、

 背が低くて、どうしても、まだ、成人とも思えない全体の雰囲気からして、恋愛に踏み込む自信がないということが、彼を、ひとり、自らのうちへ閉じこもらせていたと思います。
 実は私が学んだ大学では、いいところのお嬢さんがいっぱいいて、それゆえに、男性も恋愛に熱心で学内で、カップルを形成する人が大勢いました。で、そういう組み合わせを作れない人は、ひそかに劣等感を抱いていたのです。

 私もその一人ではありましたが、そのころ、すでに主人から手紙をもらっていて、それは住所も教えなかったのにくれたので、私としてはうれしくて、誰にも言わないけれど、ある安心感があって、それで、おっとりと構えていたところもあるのです。だからといっては何ですが、大学内では、恋愛をしなかったほうです。だから、みかけ上はいわゆる負け組みの一人です。
~~~~~~~~~~~~~

 今、草食系男子とか、理系男子と、よく言いますよね。少し前には、悪い評価をこめて『お宅』と言う言葉もありました。大学に入学する前に、お勉強ばかりしてきた青白い皮膚の品のよい少年で、活発ではないタイプが今日話題にしている主役の少年です。どちらかと言えば、蜷川幸雄に似ているが、もっと上品で美形です。

 後でお葬式に行って、わかるのですが、名門のご子孫だった模様です。本郷弓町教会で、牧師さんが「本当は自殺の場合は、葬儀を引き受けないのですが、彼はあまりにも純粋だったので、こちらで、葬儀を引き受けました」とおっしゃいました。

 母君と、息子さん、両方ともそちらのメンバーだったのです。

 出席している人はすべて、品がよく、東大の関係者(明治、大正期はそうであったであろう)と思われるような学者タイプで、右最前列に座っているお母さんは、まだ、40代のキャリアーウーマンで、母一人子一人で、お育てになっていた模様で、

 非常に華奢で美しい人でした。私はお父さんが、戦死でもなさった可能性もあるが、この母君が、離婚をなさって、お一人で、育てておられた可能性も感じました。

 まさしく、『魅せられたる魂』の主人公のごとき、母上でした。参列者皆さんが、息子もほめるが、母上もほめます。

 戦後すぐ、女性の解放が叫ばれたのです。賢くてインテリで、経済的に自立できれば、・・・・・夫は要らない、特に欠点のある男性だったら・・・・・と、いう感じかなあ?

 これは、私の想像ですが、その美少年が自殺をしてしまった最大の原因は、母君との関係にあり、自立の問題と、自立することで、母を悲しませることへの罪悪感、および、母の期待に添えていない自分への苛立ちと、不可能性への、絶望感・・・・・その様なものの、混合だったと、推定します。
~~~~~~~~~~~~

 私はもちろん、ものすごく残念です。何も個人的な会話は交わしたことがないものの、その例の階段教室で、目だけで、大きな会話を交わしていたからです。

 それは、その生物の試験の日のことでした。広い大きな階段教室に総勢、50人以内しか、学生はいませんので、みんな間を空けて、ばらばらに座っています。

 私は前から五列目ぐらいの右側で、答案を書いていました。英語で読み英語で、書く。
しかし、さっきも言ったように、学問を英語で学ぶのは意外と楽なのです。だから、すいすいと解いていきます。で、なんか余裕のある感じです。しかし、背中あたりがむずがゆいのです。なんとなく、おかしい。
~~~~~~~~~~~~

 で、後ろを振り返ると、左側の上の方に、その美少年が座っていて、顔を斜めにして、私の方を見ているのです。でも、私を注視しているのではなくて、一種の白昼夢に浸っているのです。

 私は、そのとき、一気にいろいろなことがわかってしまいました。『あ、この子も親に医学部に行けとか、言われていた子なのだ。そして、そちらに合格しなかった。で、この大学に来ているけれど、違和感を持っていて、自分はここに、居場所がないと思っている。

・・・・・これは、後で、お葬式に参列したときに、『彼は、哲学か文学でもやりたかったのではないか』と感じました。人々の哀悼の言葉を聞いているうちにそれを、感じました。でも、お母さんが「医者になってほしい」とか、「学者になってほしい」と願っておられて、それに反抗するのが、母一人だったがゆえに、純粋すぎて出来なかった模様です。子供も一人でしたからね。反抗が難しかったのでしょう・・・・・

 私は目顔で、彼を説得しました。『わかるわ。あなたの考えていること。だけど、今はこれに集中しなければだめよ。ともかく、この学校ってシヴィアーだから、ひとつ、ひとつ関門を潜り抜けないと前に進めないわ。あなたって、きっともっと難しいことを考えているのでしょう。わかる。この教科、生物って、やさしいものね。勉強してやろうと言う一種の闘争心も沸かないのでしょう。すごくわかる。わかるけれど、今は答案用紙に集中して』と言ったのです。

 彼は、なんとなく、わかったようでした。はっと目覚めたような顔をして下を向きました。で、私は安心して、そのことを忘れてしまいました。彼も、静かなひとで、私も控えめなタイプだから、試験が終わった後で、二人で、『さっきのこと、面白かったね。続きをラウンジ(学内カフェ)で、語り合わない』などと、提案するタイプでもないのです。だから、それが、二人の直接的な接触としては、最初で最後でした。

 本郷弓町教会のお葬式に参列した同級生は、大学では私だけだったと思います。中学や高校の友達については覚えておりません。そして、母君、ご親戚のかた、教会のメンバーのかた、誰も、私のことを知らず、私も自分がどういう意味でここに来ているかを語らず、

 ただ、後ろの方から、次から次へと述べられる、彼とお母様に対する賛辞を聞いていました。だけど、最後の日々の苦悩を一番、知っていたのは、私ではないかと、ふとですが、おもいました。そして、自分が、彼を生へと、引き止めて、引き返す力がなかったことを、本当に残念に思いました。
 実は、教会で、「私もある思い出を語りたい」と手を上げたいとさえ思いました。出席者は、総勢70人ぐらいだし、小さな教会でした。だけど、もちろん、当時の私はそんな冒険が出来るタイプでもなくて。そして、あれから、45年たった今では、あのお葬式が人生で、出会った一番素敵なお葬式だったと感じます。個人をいたみ、悲しむと言う意味ではあれほどすばらしいお葬式はありませんでした。
 親しく語り合えば、きっと非常に似ているタイプだったと思います。そして、『みんなおんなじなんだ。みんな悩んでいるのだ。僕一人ではない』ということを知らせて上げられたでしょう。

 もし、ギャラリー山口のオーナーが自殺(いえね、まだ、私は疑っています。上の美少年は、20才そこそこだったのです。だから、人生経験が少ない。だから、純粋すぎてきれい過ぎて弱かった。でも、山口みつ子さんは、67才まで生きていて、画廊の経営者を、三十年も続けてきたのです。ずいぶんと二人は違います)だとすれば、こちらも同じように、心打ち明けて、引き止めておきたかったと思います。残念で仕方がありません。二日前にあっているのに、気がつかなくて、何も出来なくて・・・・・

              2010年3月13日             雨宮 舜
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栄光と贖罪(桑田真澄、江川卓、キムヨナ選手たち)

2010-03-10 22:32:15 | Weblog
 桑田真澄氏が修士論文を提出したそうです。ほとんど、合格でしょうから、修士になられます。マスター取得、おめでとうございます。

 「桑田本人はとてもよい子なのよ」と、彼を直接知るひとから、25年前に聞きました。こちらのエピソードの詳細は後段に述べましょう。若い方はご存じないかもしれないが、桑田選手の巨人入団の時には、一種の黒い霧が頭上を覆いました。その当時の巨人軍とは、すごい力を持つ存在で、それゆえに、自軍補強のためには手段を選ばないところがあって、江川卓氏の入団の際にも世間から大いにたたかれたのに、性懲りもなく、こちらでも、似たような何かがあったと、世間では噂をされました。

 そのことは、桑田真澄氏を、どことなく、傷つけたと思います。一種の挽回と言うか、贖罪の気持ちを込めた勉学と、修士号取得だったと感じます。

 その悪い噂の対立者として上げられるのが、清原選手です。巨人軍が、清原と契約すると言っておいて、桑田は早稲田かな(?)大学へ入学をする予定であると、事前に宣伝をされていたのに、実際は異なっていたと言うことで、清原選手は、一気に人気を得ました。

 強者、巨人軍のサポートを得た、桑田選手がどことはない批判にさらされたのに、清原選手は、庶民の人気を得たのです。清原選手が西武の、一員として、巨人と日本一を争った際に、ベース上で、思わず落涙したエピソードも彼の人気を高めたでしょう。しかし、ちょっと軸がぶれてしまいました。後年、巨人軍へ入団するのです。これは、巨人サイドの、ロンダリングだったような気がしますが、断りきれなかった清原選手は、
 今の身を隠すような姿勢を、自ら招いたともいえます。

 桑田選手のほうが、ご自分の努力で、どんどん、澄んで来て、明快になってきた。
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 同じく、当時の大・権力者・巨人軍にかわいがられた人として、有名な江川卓氏は、まだ、ご自分の浄化が済んでいないうちに、対立者たる(と言うか、自分のために犠牲を払って損をした)、小林繁投手が、心臓の病(?)で、急死されてしまいました。だから、真実の人気回復が出来ていないです。

 桑田選手は引き比べて、よかったですね。ご自分の努力が間に合ったケースです。
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 さて、くどいでしょうが、話を浅田真央、キム・ヨナ対決に戻ります。キム選手側に意図した不正はありません。上の二人と同じく、自分の方は何も知らないうちにおきた現象です。金メダル取得に関して、ご自分には罪の意識はないでしょう。

 だけど、冷静になって録画等を見れば、何らかの罪悪寒にさいなまれるはずです。ご自分の実力だけではないものが味方をして、この金メダルが、生まれたということには気がつかざるを得ないでしょう。それに対してどうするか。

 頭のよい人で、実力のある人なら、贖罪の行動が生まれるはずです。ただし、相当な未来の話です。桑田真澄氏が、現在○○才ですから、その位の将来であるかもしれない。

 だから、真央ちゃんは、この件で、一見すると、不幸せそうになったように見えますが、実際には、そうでもないのです。この銀メダルによって、信じがたいものを得ました。知名度、というか、人気度です。これを粗末になさらないように、どうか、人生を大切に生きていってほしい。別に金メダルだけが、人生ではないです。勝つことだけが、立派なことでもないですよ。

 お勉強をなさりたいそうです。周りの人はそれを、サポートして上げてほしい。お母さんだけのサポートと、接触だけではだめだと思います。他人も真央ちゃんに影響を与えるべきです。すでに、19歳なのだから。自由な時間を与えてあげてほしいです。
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 さて、前半にあげた、「桑田選手はよい子なのよ」と言う発言は、25年くらい前にスポーツ新聞の記者をしている人から聞きました。

 この人は非常に勇敢な人で、後楽園の裏側の通路に入って、当時入団したばかりだった(?)長島茂雄選手の肩をぽんとたたいて、「おい、長島君」と呼びかけたそうです。
そのころ、まだ、卒業前の女子・高校生だったので、それを、聞いた人は、みんな仰天しました。そして、大学の卒業後、新聞社に入り、スポーツ担当で、スポーツ紙に回ったのか、それとも、最初からスポーツ紙部門に入社されたのかは、聞き漏らしましたが、ともかく好きなことを仕事にした人です。そして、その人が日常的に桑田選手を取材して、『ほんとうによい子だ』と感じたそうです。親孝行で、まじめだと。

 ここで、ちょっとした余談に入らせていただきますが、立花隆氏は、週刊文春の記者二年目にしてプロ野球の取材を命じられたので、退社したそうですね。プロ野球が大嫌いなのだそうです。世の中いろいろです。

 ここで、第二の余談に入らせていただきますと、このスポーツ紙の記者を、鎌倉地域の同窓会支部の講演者として招いた事があります。そのときの準備会や、打ち上げの際に話し合ったりしのですが、10人ぐらいの出席者の誰も「スポーツ紙は読んでいない」との、発言がありました。鎌倉夫人(?)には、スポーツ紙は縁遠い存在のようでした。

 私は違っていて、図書館が主ですが、すでに読んでいました。大宅荘一氏ではないが、こういう部分に、意外と面白い真実が載っていることがあるのには気がついていて、第一次資料として、有意義です。

 今では、タブロイド紙として、日刊現代と、夕刊フジが出来ました。それは、同じ趣旨で、大切です。毎日は買わないけれど、駅のキオスクで、その宣伝文はよく目にして、記憶しておくほうです。では、  2010年3月10日  雨宮 舜
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2010年3月9日朝日・朝刊・一面、の記事を批判する

2010-03-09 16:20:01 | Weblog
 昨日は日本で一番、読者数が多いと言われる(しかし、だいぶ前の情報ではありますが)、読売新聞を、批判しました。編集長がおかしいと言いながら。本日は二番目に購読者数が多いといわれる朝日新聞を批判します。

 今朝のことだから、大勢の読者の検証を得られますので、好都合です。ところで、昨日からたった12時間で、更新しますので、どうか、下もごらんをいただきたく。

 今朝、の朝刊の第一面です。最大のタイトルは津波のこと。第13版ですから違う記事の都市もあるかもしれませんが、鎌倉はそれである。

 ところで、一見すると何も問題がないようにも思えます。大事件がないから、古い現象を問題にする。それは、平和日本の象徴でもある。私自身平和が好きです。普通ならほっとする編成です。が、津波・・・・・これが、大問題なのです。

 実は真央・ヨナ採点・疑惑問題が、確かだったことを、こういう後追い現象が証明しています。それを、これから諄々と解き明かします。しかもツィッター方式で、10行程度かけたら、公開アップするという方式で書きましょう。

 真央ちゃんのショートプログラムの日のことでした。前後して、競技をする二人の間に、インタビューをいつ行うかを含め、いろいろな工作がなされたのですが、ヨナ選手の点が、安藤美姫選手(その時点で一位だった)との差、20点が出たときに、一瞬、会場も視聴者も凍りついたと思います。

 その点が出た後で、真央選手が滑ったのですが、その結果として、ヨナ選手とその時点で、10点の差がでました。これが『変だ』と思った私は、日本全国の人がどう考えているかを知りたくて、2チャンネルと、初めて接触をしたのです。特に、同時進行的に調べるために掲示板を明けたのは初めてです。そして、若者が中心でしょうが、みんなが怒っているということを知りました。

 それをブログ内で、書きましたが、わざと2チャンネルという用語は伏せました。「インターネットの世界で、人々が怒っている」とだけ書きました。その数日後、2チャンネルがダウンだとのこと。韓国からサイバー攻撃があって、日本から報復攻撃もあったとのことです。そして、その件に関して2チャンネルというサイトの裏にある、ビジネス上の背金会社(アメリカの管理引き受け会社)が、FBIに提訴したとのこと。

 私はすべて、ふむ、ふむ、ふむと聞き流しながら、でも、フリー演技で、真央ちゃんが挽回することを期待していたわけです。日本中が同じ気持ちでしたでしょう。ところが、我が家のテレビがその日に限って、電波が入らないそうで、見ることが出来ません。
画面にそういう警告がでました。つまり、フリーの演技をライブで、同時進行的に見ることが出来ないのです。『やられたな』と瞬間的に思いました。私の意見やら、主張は相当の重みを持って把握をされている。だからこそ、こういうことをやられるのだと、も、思って。憤慨はしません。むしろ、こういう現象がおきるたびに誇りを高く、するほどです。
~~~~~~~~~~
 しかし、ひとつだけ救いがありました。私は真央ちゃんがかわいそうなので、実際問題として結果がでるまで、同時進行的に見るのがいやであって、外出の準備はしていたのです。東京のどこかの大型電気店で、街頭テレビを見るつもりだったのです。

 しかし、いろいろ思い惑って、結局は家のテレビで見ることにして、本当なら、テレビが嫌いだから、新聞の予告どおり、午後、一時半ごろにスイッチを入れるはずでした。たまたま、30分前にスイッチを入れてみて、それは、結果として、幸いしました。

 大木の下に存在する我が家のテレビがだめになった場合は、鎌倉ケーブルテレビに問い合わせるしかないので、すぐ電話をかけて画面に出ている警告のコード番号を伝え、対処方法を主人のオフィスへ教えてくれるように、そちらの電話番号を教え増した。直ちに外出するしかないし、かつ、ケーブルテレビからの回答ももらいたいからです。ケータイは持っているが、私の場合はほとんど、実用に役立たないのです。妨害が多くて。だから、カメラfunction以外は使いません。、

 そして、すぐ電車に乗って、大船でぎりぎり、真央ちゃんの演技を見ることが出来ました。

 このテレビが壊れる疑惑ですが、なんと、鎌倉ケーブルテレビから、36時間後に、返事があったのですよ。それは、午後遅い時間に私が外出するかどうかを確認したい、CIAが、何らかのビジネス上の電話をかけるように工作するので、その一環として、この36時間後の回答という,まことにへまな電話がかかってきたと感じました。

 だから、女子社員が、自分の住所を教える際に、「ご住所は、云々かんぬん」などと、自分に敬語をつけるようなへまをした際に、とっちめておきました。社長の責任ですけれど、ばかばかしいことに役立つ人間をとっちめておくのも、ひとつの憂さ晴らしですから。

 こういう所作も、CIAが背後にいることを、大いに感じ取らせる疑惑です。鎌倉の場合、実際に動くのは、伊藤玄次郎氏からの伝言、もしくは、警察署長からのケーブルテレビへの伝言として行われる所作でしょう。まるでからかっているみたいな対応ですね。こういう形で、外出の自由がないという、弾圧が行われます。外出すると、電車が事故で止まっていることも多いのです。私が四年以上前に書いた、『跨線橋上で、嵐に出会って、前にも進めないし、家にも帰れない』という文章を書いたとき以来の発想で、行われている電車事故多発問題です。

 これは、井上ひさし氏あたりの発想でしょうね。または、伊藤玄二郎氏との話し合いの機会に生まれたか? 今月のオール読み物に、直木賞の審査風景が載っていますが、その中に、井上氏がしゅっせきしていたら、上の読みはあたりです。今、急にグーブログの書き込みが、アルファベットでしか出来なくなったのですが、これは、井上ひさし、+伊藤玄二郎氏について書くときによくおきる現象で、したがって、この二人はCIAのA級のエージェントであると確信するしだいです。

 これは、雑誌『美術の窓』からも一回やられたことがあるので、すぐ、ピーんと来る話なのです。だから、野見山さんがCIAの手先になっているのではないかと自信を持って発言をするわけですし、彼が、1月31日の小さなしのぶ会を主役として、執り行わなかったことからも、山口さんが他殺ではなかったかと、考えるわけです。
~~~~~~~~~~

 ただ、今日の文章の主眼は真央・ヨナ採点疑惑です。真央ちゃんはフリーの演技で、ちょっとだけですが、体が揺らぎました。それで、金メダルが取れなかったのですが、そのゆらぎこそ、天の助けでしたね。国際的軍産共同体が、日本人の意識を、低めに、させて、半うつの状態にさせて、士気を落とすことを目的に、あらゆる計算と企画を立てているところの、犠牲者になってしまった真央ちゃんが、もし、完璧な演技ができて、しかも採点で、銀メダルにされたら、彼女自身もかわいそう過ぎるし、日本人もかわいそう過ぎます。

 で、不思議なことに、その競技は、録画でも再現されることが少なかったのです。普通だったら、メダルを取れるような演目は、何回も放映するのが普通です。でも、今回はなかったのです。普通の人がそれを見れば、見るほど、おかしいと感じるからです。

 そして、ニュースは、エキジビションの宣伝に方へ、入っていきました。
~~~~~~~~~~~~

 そのエキジビションですが、カナダの現場でも、キム・ヨナ選手を立てるための方策がありとあらゆる手段でとられました。照明のことひとつとってもです。

 私は総合一チャンネル(NHK)を午後四時から録画しておきました。ところが、ちょっと、目を通そうかなあと思ったら、びっくりしたことに、津波警報を延々と行っています。これですが、日本人の本当の気持ちとしては、津波警報は、二重画面にして、小さいウインドーで開いてもらいたいと思うところです。というのも満潮は、午後三時ですから、
午後、四時には、収まっているのです。

 海岸に実際にいた人々は直感があり、大丈夫だと、避難をしない人も数十パーセントに上ったとか、サーフィンをした人がいたとか、いわれていますね。

 そして、午後の六時からやっと、録画で、エキジビションが放映されました。ところが、午後六時になっても、右隅に津波の小さな日本列島が出てしまっていて、画面に集中が出来ません。

 しかも地上はでは、深夜例示からの放映だそうです。しかもそれは、新聞に予告が出ていません。ひどい話です。競技会本編も再放送がなくて、エキジビションも日本の普通の人たち、お勤めがあって、昼間テレビを見られない人たちは、それを見ることが出来ない時間帯での放映です。

 そして、帰国後の真央ちゃんの扱いです。

 六時から、東京のホテルで記者会見があるとのことですが、主役は真央チャンなのに、ひな壇にずらっと選手が並んで、(つまり、自由な取材を許さないということ)で、橋本聖子団長が長々と自画自賛の挨拶をして、時間を浪費します。

 夜の九時からのNHKニュースですが、青山アナが真央ちゃんの発言を「時間がないから」といって、とぎりました。そんなことはいくらでも工夫が出来ますが、素直な真央ちゃんの気持ちが外へ出たら大変だからです。

 日本国民の怒りがそこに集中して爆発するからです。真央ちゃんは隠されるべき存在となりました。

 それが、象徴的に現れたのが、夜10時からのニュースステーションです。新聞には真央ちゃんが出ると出ていました。しかし、新聞には載っていなかった、トヨタの豊田章夫社長が急に登場して、古館さんのインタビューをほぼ、45分以上も受けました。それゆえに、真央ちゃんを見たかった人も、途中、10時20分とか、30分まで見て、痺れを切らして、または、『終わったんだろう』と考えて、見ないことにした人も多かったと思います。

 そういうあらゆる工作をして、真央・ヨナ採点疑惑を、薄めていった、国際的、軍産共同体は、それをしながらも一方では、いつも、おびえているのです。卑怯で惰弱です。だから、日本人が忘れてしまったことでも、繰り返し攻め立ててきます。

 攻める・・・・イコール、責める・・・・となります。本日、2010年3月9日の朝日新聞、社会面(39面)のアカデミー賞の記事は、バンクーバーの女子フリー種目の当日の朝、この同じ面にキム・ヨナ選手のオマージュ記事を載せたことと、同じ発想で、制作をされている記事です。日本人が作っている新聞ですが、日本人を辱め貶めることを目的としています、

 そして、一面に帰っていきましょう。すると、津波の問題が出ています。これは、心理学的にいうと、正当化とか、投影現象というのにあたります。自分たち(朝日新聞だけではない。日本のマスコミそうじかけ・・・・・・ということは例の電通顧問成田豊氏とか、小沢幹事長とかが動いているかな? それとも、瀬島隆三クラスのあらたなCIAエージェントが生まれているのか?・・・・・の提案というか、命令で、日本人を裏切っておきながら、ちょっと、後ろめたく感じるところがあって、こういう記事を出します。

 そして、もし、私がこういう風に批判をすると、実は津波被害は大変なものだったのだ、と、毒入り餃子みたいに、背中を見せてマイクにお話をする庶民が現れ、ニュースステーションやら、NHKで、繰り返し、その同じ人の映像が使われることとなるでしょう。

 予告をしておきます。真央・ヨナ採点疑惑については、ずっとフォロー文を書きたかったのですが、真央ちゃんがかわいそう過ぎるので抑えておりました。しかし、津波時から、一週間以上は経っているのに、今日の朝日新聞の一面の構成を見て、ちゃんと発言をすることに決めたのです。では、今日はこれで。なお、下に、読売新聞の、ことし、2月23日の記事についての批判も載っております。では、ここで。        雨宮舜
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なぜ、大読売・新聞が、自殺と言う文字を出す。しかも写真説明だけで

2010-03-09 01:33:07 | Weblog
 いやあ、5時間前に、またもや、驚かされました。読売新聞の切抜きを見せられたからです。しかも見せてくれた相手は、今度私が個展をする予定になっている、画廊のオーナー森さんです。

 だから、今から書くことは、私自身の損になる可能性(個展をオーナーから支援をしてもらえないということ)は大いにあります。だが、驚ききったので、書かざるを得ません。

 森さんは、コンクールなども主催する大物のオーナーです。だから、若い人好き。川崎さん(=雨宮の本名で、67歳です)では、ない別の若い人の個展をやりたいところでしょう。それもはっきり言われました。が、急にあいている(借りる人がいなかった週である)ということで、穴埋め的な要素をも含む個展です。

 実際のところ、私にとっては、雑用期間を引くと、3週間しか準備期間がない個展で、非常に苦しいところです。だから、最初から40%の出来でよいと思っているし、すこし、借り賃を安くしてもいただいています。前にここで、個展をやっていますし、オーナーを尊敬していますので、魚心あれば水心と言うところです。
~~~~~~~~~~
 ところで、その森さんですが、大変なお勉強家で、しょっちゅう、さまざまな企画をしたり、画廊たちを糾合したりして、動きが大きいのですが、静かな時間もある人で、メディア探索も著しいのですが、それは、パソコンの世界ではなくて、印刷物であり、新聞とか、雑誌です。

 で、いつも、重要な記事を切り抜いているところは、あの日野原重明さんとそっくりです。で、私に、「ここにギャラリー山口が、でているよ」と今日、見せてくださったのが、読売新聞の、2010年の2月23日の記事とのこと。

 私は、今まで読売新聞と産経新聞は、いちども定期購読をしたことがないので、紙面構成になれていないので、切抜きをしてしまわれると、それが、朝刊の記事であるか、夕刊の記事であるかさえわかりません。

 ただね、むさぼるように読みました。今は、手元にないのですが、この文章を書くのは、2,3分の間でしたが、記事の内容はしかと、把握し他と感じて、そこから、起因するもん男鹿あるからです。
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 記事は、署名入りで、著者の上半身の写真も大きく出ています。また、ギャラリー山口の入り口のガラスドアーの写真も大きく出ていて、そこにキャプション(説明文)と言うのがついています。その説明文の中にオーナーが自殺したと出ています。

 あっけにとられて、中身を、さらっとに三度、読み間直しました。が、本文のほうには、一切山口みつ子さんの功績には触れていないのです。大体1000字前後の文章だと思いますが、「そこで、野見山さんとか、篠原さんが個展をした」とも書いていない。だけど、結構真剣な内容で、貸し画廊のシステムについても触れていて

 一日に五万円程度で貸している・・・・・とは書いてある。

 このお金の側面に関して言えば、私の方こそ、もっと詳しく知っています。だって、七回も今まで個展をしてきたのですよ。この文章を書いたひとよりも当事者だから、より詳しくわかっています。で、それは、後回しにして、

 大切な部分について述べましょう。

 「なぜ、自殺だなどと、ここに書くのですか? それも単に写真の説明としてだけで」と読売新聞に抗議をしたいです。

 『ひどいなあ?!?!?』と憤慨します。山口さんには、だんなさんがいなかった。子供もいません。だから、守ってあげる人がいません。だけど、関係者がいないからって、自殺したと言うことを、安易に、外へ、出してよいでしょうか? しかもドアの写真の説明だけで、自殺というのはひどいです。それが、大・読売新聞がしていることですよ。
 普通は、抑える言葉でしょう。

 特に、芸能人でも、作家(今では美術系も画家や、彫刻家をこう呼びます)でもないので、その人柄が、のちのちの、研究対象になるはずもない人です。しかも分野を限っての有名人です。一般庶民はその存在を知らないタイプの人です。
~~~~~~~~~~~

 一方で本文の中で、またもや、川島さん(有名な画廊である、村松画廊のオーナーだったが、2009年度いっぱいで閉鎖された)の名前が出てきます。京橋の画廊を閉鎖されているから暇人となった方です。そして、こういう記者やライター美術評論家と付き合いが深いはずで、携帯で、簡単に呼び出すことが出来るから、銀座や、京橋のレストランで、お食事を一緒にしながら、情報を流すことは出来ます。

 だけど、川島さんの話(画廊の経営は厳しいのだ)をメインにするのなら、別に山口さんの名前を出して自殺だと、いう必要はないです。名前を伏せて『自殺する人もある』ぐらいにしておくべきです。特に先ほども行ったように写真(顔写真も出ない、単なるドアーの写真です)に、説明文として、自殺と書くのは、私にとっては、心外という言葉を通り越しています。

 それこそ、人権侵害です。亡くなっているが、山口さんの人権は完全に無視されていますね。

 ご主人がいたり、お子さんがいたりしたら、訴訟問題に発展しかねない書き方です。
大・読売新聞社がどうして、そんな軽率なことをするのでしょう。

 私も、亡くなったと言う報に接してすぐ、自分ひとりの中で、山口さんについてかきました。が、私(つまり、とっても、勘の鋭いほう)が、他殺の恐れをメモとして書いたころに、この記事が出来ていますね。私はその初稿を、メルマガでもブログでも、公開は、していません。ただし、四、六時中ハッキングは受けております。

 それが、他に出ることを恐れて、他殺、自殺の言葉を、5日後に、わざと削ったぐらいです。

 そして、ずっと我慢をしていたのですが、案内状の印刷が遅れて、もしかすると、こういう裏工作の一環として、山口さんが、CIAに他殺をされたのではないかと思い当たったので、もう一回、心を移動して、書き始めたのです。

 ばん、やむを得ず、と言う感じで、書き始めましたが、原稿用紙換算、(非公開のものも含めれば原稿用紙換算)53枚程度以上を、書いていて、そのうち、48枚程度を公開していても、一回も自殺の言葉を使っていません。それが、礼儀だと思う。3月8日まではそうだったのです。

 なのに、公的な責任があるはずの大・読売新聞が、著者の署名もあり、ニュースソースも川島さんと明かしている記事の中で、写真のキャプションと言う、中途半端で小さいかたち、・・・・・換言すれば、故人に対してはまことに失礼なやり方・・・・・で、自殺と言う情報を開示する。これは、変だ。変だぞーと、私の第六勘が、私の心へ、ささやきかけます。

 ただし、今日はここで、文章を、中断いたします。特にしあがどうしたこうしたと言う部分については、これから、先も、書くかどうかも、今は決めておりません。ともかく、夜遅く帰宅をして、すでに、午前二時を回っています。ほかの家族に迷惑なので、ここで、いったん閉じますが、これ以上を書くかどうかは、決めておりません。それは、あしからずご了承をくださいませ。

 ただ、ヒントとして、あげますが、山口さんが、小説までは書かなくても、単にブログに申し込んだだけでも、それに青くなった人は多いかもしれませんよ。それは、感じます。推察できます。つまり、構築された上下関係をひっくり返す情報が出てくる可能性があったからです。政治でも文化でも、しっかりした階層社会にしておくことが、支配階級にとって有利だからです。えらい人、セレブの秘密はそれが、現代アートの世界であっても、守られないと困ると考えるのがCIAでしょう。

 私は、自分のケースとして、川島さんにひどい目に合わされた過去がありますが、

 今回のケースでは、もし、CIA等が後ろにいなかったとしたら、川島さんは、単に愉快犯の範疇に入ってしまいます。自分より、素敵だった女性の失墜を大喜びしている存在と堕してしまいます。それは、矮小化しすぎる言い方ですが、恥ずかしいことではないですか?

 川島さんご自身が、自分より山口さんが優れていて、魅力のある人だったことを、いわずかたらずのうちに露呈をしてしまっています。
 決して逆らわなかったであろう、山口さんでも、その雰囲気のよさは、誰にでも明らかだから、川島さんは、一種の敗北感を味わうときもあったのではないかなあ? それゆえに、今、大活躍で、山口さんに関して、「自殺だった」だの、「詐欺だった」だのとおっしゃっているのではないかと、推察をさせるところがあるからです。それは、川島さんご自身にとっても損ではないですか?
でも、私は直接のルートを持っていないので、彼女の耳にはこれは、入らず、川島さんはご自分の姿勢を変えることもないでしょう。これからも。
 
 だって、それって、自己存在証明の欲求のの満足であるからです。その快楽(自分が人より優れいていると、確認できたときの喜びを指す)の追求のために、すでに、亡くなった人を、道具として、利用することと同じですから、非常に下品なことですが、快楽の追求を、いったん、はじめた人には、それを、忘れるたり、捨て去ることが、なかなか、出来ないからです。

 その画廊・村松では、伊藤公象氏をはじめ、錚々たる作家が個展をしたのですよ。大画廊なのですから、今の態度はそういう作家をも、傷つける態度だと、私は感じますけれど、彼女にしてみたら、かえるの面に水でしょう。

 特に、何かのバックがあるのなら、ご自分で反省することが一切ないでしょう。大きなものが味方だと感じていれば、この態度も反省なしで続くでしょうね。しかし、その大きなものとは、日本人(普通の庶民を指す)を、裏切ってる存在かもしれないのです。そういうバックを背に、自信を持って、うわさをバラまいていらっしゃるとしたら、浅はか過ぎて悲しいです。

 真相は、わかりませんが、ともかく、今日は驚きました。あの大ビルの中で鎮座ましましている、読売新聞の編集長は、こういう構成の記事の公開を、簡単に許していらっしゃるのかなあ? 箱根駅伝と言うさわやかな企画をする一方で、こんな下品な構成の記事を、載せることを、タブロイド版でもないのに・・・・許していらっしゃるのかしら? 不思議極まりない。
  では、ここで、2010年3月9日    雨宮 舜
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英国映画は、面白かったのに、映画『優駿』が面白くないのはなぜか

2010-03-08 08:02:38 | Weblog
・・・・日本人の甘さよ。それは、どうして生まれるか?・・・・・

 ウォッカとという牝馬がよいお母さんになるために、引退したそうです。私の読者のみなさまは競馬に興味が無いかもしれないので、
 ごくごく、基本的なことをいうと、男の子だけの競争(日本ダービー)に、この女の子が入り込み勝ったのですが、それは、64年ぶりだったというほどの、強い馬なのだそうです。
 ウォッカに対しても競馬のことについてもいろいろ、お話をしたいことはありますが、今日は一点にフォーカスしましょう。

 それは、映画優駿がことさらにつまらなくて、それゆえに、競馬に興味を失ってしまったほどの、体験を過去に持っているという話です。そして、そこから、日本人の甘さとか、甘え根性とかを語りたいのです。
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 英国にすばらしい映画があります。『チャンピオン』というタイトルだったと思いますが、テレビ放映でみて、感動を受けました。それは、障害競走がテーマなので、それ以来、ディック・フランシスの小説に目覚めたほどです。映画とディック・フランシスが、直接・関係があるかどうかは、知りませんが、フランシスが、障害レースの騎手であったことは知っています。

 映画『優駿ができたころは、オグリキャップという人気のある馬がでて、競馬が世間の中で認知度が高かった時代です。私は、1986(?)年の皐月賞のテレビ放映を見て、ヤエノムテキという馬の美しさと、その感情の高ぶりに、打たれ、また、鞍上の、西浦勝一騎手の喜びの表情の美しさにも打たれ、突然に競馬の美しさと面白さにはまった人間です。競馬場にはいかず、もちろん馬券も買わず、ただ、馬の精神と美を追及するために、重賞レースは必ず実況を見る。かつ、JRAが出している雑誌『優駿』を買う。また、ディック・フランシスものを初めとする、競馬本を買うという生活の始まりです。それらの中に、宮本輝氏が書いた小説『優駿』もありました。

 それは、もちろん、読みました。そのうちに、それが、映画化されるということが升目デイ亜を中心にして大きな話題となり、私は相当に期待をしました。ポスターを見ると、四白(これは、四本足に白いソックスをはいているということ)流星(鼻筋が白いということ)の栗毛(黄色い毛並み)の馬が使われていて、それは、ヤエノムテキをモデルにしたと思われました。ですから、なおさら期待をして、わざわざ封切館に見に行きました。そして、真実裏切られてしまい、憤慨のみぎりでした。
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 今でも忘れられない場面があるのですが、仲代達也氏が、社長をしている家が移るのです。それは設定上は、鎌倉に在るいうことだそうですが、うしろに、キンコン、カンコンという踏み切りの音がするのです。それは、ひとつの象徴ですが、セットではない場所を使うからといって、リアリティが出るものでもない。映画にリアリティが、まったく無くて、タダ単に競馬好きな連中の、社交性を満たす、内側の馴れ合いが充満している映画だったのです。
 『こんなものに、お金を取ってはいけないわ』と、まず、憤慨しました。

 監督は杉田成道氏であって、名作『北の国から』を撮った人ですから、『どうして、これほどの、駄作を作ったのだ。観客は、北の国からのレベルを期待して、劇場に足を運んでいるのだから、これって、ほとんど、詐欺でしょう』と、それも、憤慨しました。

 この映画は、馬の育った環境を主に主題としていますので、ヤエノムテキが育った、小さな牧場のエピソードが大きく取り上げられ、そちらを写すために、杉田成道監督が選ばれたのでしょう。北海道に詳しいだろうということで。だけど、脚本がめっちゃくちゃ、甘くて、こういう映画に仕上げるのなら、ヤエノムテキ物語とでも、タイトルを変えなくては成りません。一応宮本輝原作の『優駿』だと、うたうのなら、こんな脚本では駄目です。
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 というのも、小説内では、もっとも大きなモチーフである、騎手同士のライバル関係と、それから、起因した落馬事故が描かれているのに、それが、すっぽり抜けているので、まったく内容が薄められているというか、なんというか、起承転結が無いというか、どうにも仕様が無いというか、本当に駄目になっているのです。それ以来、原作のある映画は見ないことにし始めました。特に日本映画の場合は駄目です。

 これは、理解はできます。競馬映画を撮影する場合、日本では、JRAに相談するというか、加担をしてもらわないと駄目なんでしょう。セットで競馬場を表現することはできないと、あきらめていて、また、馬の走る姿も、武者合戦映画でつかう乗馬用の馬では駄目だということなんでしょう。

 そのJRAですが、半官・半民ですよね。だから、問題を起こしたくないし、トラブルが起きて批判を浴びたくないわけです。英邁なトップがいないのです。それは、永田町と同じです。今の日本では、官庁でも政治の場でも、民間でも真実に英邁で、気骨のある人間は若いうちに芽を摘まれてしまい、過不足なく、安全運転をする人間しか上へ上れません。だから、騎手同士の遺恨で、落馬事故がおきる設定など、許されるべくも無いのです。

 比較して英国映画が、どうして、あれほど、リアリティをもって描けたかというと、競馬場が民間の運営らしいのです。そして、それらのトップは紳士であり、競馬に対して貴族のスポーツとして自信を持っているので、小さいことにはこだわらないのでしょう。

 そうですね。日本だって、もし、あの映画『優駿』が上手にできていたら、テレビの再放送やら、レンタルビデオや産での、人々の接触があり、競馬の世界の繁栄に役立つ、真の宣伝ツールの役を果たしたことでしょうに。反対の結果と成りました。残念ですが、

 ここで、こういっても、杉田成道監督を、個人的に責めているわけではありません。『日本が植民地であることが、こんな場面にも反映をしているなあ』と、そこを、残念に思うだけです。
 今の競馬会を、牛耳っているマスコミ陣の代表は、高橋源一郎氏だと思うけれど、彼だって、まったく魅力の無い人ですよね。ご自分では、天才のつもりであろうが、『競馬探偵団』というタイトルひとつだって、他人のものを盗んだ(27年前は、別の人のエッセイのタイトルでしたよ)感じだから、そこからして、何の魅力も感じさせない人物と成ります。勝負の世界は、毅然とした清潔さが無くては駄目です。

高橋氏の個人的な生活は、競馬の育成やら、騎手たちの世界とはまったく違う、理念や新年で出来上がっています。氏が朝日新聞の出版している小説雑誌で、活躍なさるのはどうぞ。それは、ご勝手にですが、評論家として、競馬界の、上に立たれれば、競馬界の現場の人たちは、意気も上がらないでしょう。すべての人々が、沈潜し始め、沈滞し始めています。

 もちろん、吉田牧場関係という一人勝ちの大。組織があることも、ひとつの理由だと思いますけれど。・・・・・競馬界に起きていることは、ほかの業界でも起きている現象でしょう。つまり、トップによい人材が少ないということ。相撲界が、どういう風に変化していくか、それも、沈滞していくような気がします。では、
               2010年3月8日  雨宮 舜
コメント
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