銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

赤瀬川原平(尾辻克彦)・・・・・村松友視(二人の影の真実は?)1

2010-03-13 16:46:08 | Weblog
 今は2010年の三月です。私は2007年から毎日眼に見える形(と言うのはパソコンがおかしくなるということ)で、誰かから攻撃を受けていると感じました。直感で、小泉擁護メールと言う副題のついた文章(それは、現代日本政治+マスメディアの国民にとって、困るポイントやら傾向を分析すること)を、発表し続けてきたことと関連があると感じました。

 しかし、自分がそれほどの、大物でもないだろうと言う認識もあり、かつ、『その悪さが<ある個人がやっているか>のような偽装も、各種行われていた』ので、なかなか、本筋まで到達できなかったです。が、今では真相がほとんどわかっていて、そういう被害があるからこそ、はっきりと、小沢幹事長についても朝日新聞についても、発言をしたり分析をしたり出来るようになったわけです。

 で、こういうテクニカルに、文章を書けなくする攻撃も行われたのですが、生活上、困難をきたす攻撃も同時進行的に行われ始めたのです。私をうつ病にさせ、そして、結果として文章を書けなくさせるという目的で行われたのでしょう。

 それが三方向から行われました。一方向からとしては、ご近所からの、主に、音による迷惑行為にさらされること。いらいらするであろうと言う見込みの元に行われました。こういう行為の発案者が伊藤玄二郎氏、および、井上ひさ氏であろうと推察しているわけです。各種工事の推移、および、町内放送でそれは、確信させられていますが、詳細は別の日に。

 第二方向として、銀座を中心とした美術界において、風評被害にあうことも起こりました。ここが、今日の主眼です。

 第三方向として、本を作り始めたら、外のパソコンでさえ、使いにくい現象がおき始めたり、出版上のさまざまな規制の動きが強くなってきたこと。筑摩書房、および河出書房新社を含む八社協定とか、言うのが出来たのも、私がターゲットではないかと考えたほどです。
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 その、美術界における風評被害ですが、これもまた、幽霊が行う行為ではなくて、誰かが動くわけです。野見山暁司さんが、その一人である可能性も述べましたが、

 今日は赤瀬川原平さんが、その発信源のひとりであることにも、触れたいです。野見山さんについて触れるのは、その秘書である、山口千里さんと一時期親しかったということと、野見山さんの個展を独占的に行ってきたギャラリー山口のオーナーが自殺したと喧伝をされていること(15日の死亡日の、たった、一週間後の23日に、読売新聞が写真説明と言うたった、一行の中で、それを、発表しています。不思議極まりないが?)

 が、あって、書きにくくて、消耗のきわみでした。が、本日の赤瀬川さんは、被害は相当にあるものの、直接にであったり話し合ったりした過去がない人です。だから、相当に書きやすくなります。あっさりと、書けることも多いです。で、取り組んで行きたいのですが、ここで、ツイッター方式をとり、いったんアップしてしまいます。
 ご意見があれば、コメント、または、AtelierCK@aol.com へのメールと言う形でくださいませ。
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 さて、赤瀬川さんについて、私の知っていることは、前回に述べました、千円札裁判以外にももうひとつあって、尾辻克彦名義で、文章を発表しておられた時代です。それは婦人公論誌上では、結構読んでいます。前の夫人との間の、お嬢さんを、チチヤス(その飲料をお嬢さんが好んだので、仮名として)と呼び、そのお嬢さんと、自分と妻の三人の日常生活を書いたものです。しかし、たぶんですが、このチチヤスという呼び名は、芥川賞受賞後のもので、新人時代はお嬢さんは、別の名前で登場されているはずです。

 さて、それらを丁寧に読むと、赤瀬川さんは、善人の様でもあります。そして、私の実像など、まるでご存じなくて、言われるままに、悪い風評を他者に伝えて、私の被害を拡大なさっておられると感じますが、それでも、その結果は、日本人総体を裏切ることへつながります。

 浅田真央・キムヨナ対決、採点疑惑問題もそうですが、日々、大量のお金が、アメリカ側に日本から流れている事実、そして、シーシャパードの攻撃、アカデミー賞にいるか漁を残酷に撮影した、ドキュメンタリーが、受賞すると言う、精神的な方面でも、大いなる損失をこうむっています。

 その損失のよって来るところを、あっさりと単純明快に、お話をしてしまう私は、そちら側(つまり、日本人を、単に牛や馬のごとく考えて、使役することばかり目指している手合い)にとっては相当重要な人間であり、あらゆる手段を通じて、ぶっ壊したいわけです。

 その表れは各種ありますが、どうして、そこまで断定できるの? と、問われるといけないので、赤瀬川さんともっとも親しい、編集者でもあり、テレビタレントとしても有名な、村松友視氏が、ごく最近、伊藤玄二郎氏の編集するタウン誌、『鎌倉春秋』に連載を寄稿したと言う事実を挙げましょう。

 これは、歴史的に結構重要な証拠となるはずです。では、ここで、二回目として、きりましょう。どうか、この前篇に当たる、下の文章もご覧をいただきたく。
             2010年3月13日  午後、16時44分 雨宮 舜
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