
赤瀬川さんは10年ぐらい前から徹底的に露出して、大人気者になりました。しかし、裁判直後は不遇でもあったらしい。それは、一般社会の人間からすれば、あたりまえのことです。常識的に言って、国を相手取り戦って、勝訴するなんて、考えられないことだからです。あのときの裁判長は言論の自由と言う意味では、立派だったと思いますが、それ以来裁判と言うものが政治的に利用をされ始めたので、それは結果としてはマイナスだったとも感じます。
その不遇の時代のすごし方ですが、氏はグループを作り、それらの仲間と一緒にすごすことで不安を取り除き、社会人として、ご自分を強化した模様です。
ビジネス社会に生きている人なら、社員仲間がいます。でも、内部告発をしたみたいな存在ですから、外で、自由な仲間がほしいと言うのは、誰にでもわかりますよね。
で、その仲間とは、学生時代の仲間でもない模様ですが、ともかく、表参道とか、原宿とか六本木とか、新宿や渋谷で、遊ぶような若者仲間です。私はそのことには気がついていて、今のマスコミセレブたちとは、そのての街のジャズ喫茶とか、バーとか、アングラ劇団で知り合った人々をさすと、みなしていますが、赤瀬川さんを中心とするグループはまさにそれです。
これは、『カッコウの巣の上で』を書いた作家が、コンミューンを作り若者に囲まれる生活を一時期送ったと言うようなエピソードと共通します。一緒に住むわけではないが、よく集まって、時間を一緒にすごし、最後は飲み会でおわる。
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野見山暁司さんは、街が違う。池袋から、パリ、そして銀座、世代も違うが、作風も絵であって、コンセプチュアルアートでもないし、赤瀬川さんよりも、ほかの一般的な画家とのお付き合いが多いかな?
赤瀬川さんは、画家同士の付き合いよりも、そういう手合い(といっては失礼だが・・・・目端の利く人たち)とのお付き合いが多い模様です。そして、それらの仲間からテレビや雑誌の世界等へ伸びていった人は多くて、お互いがお互いを紹介して、それぞれが、マスコミセレブとなっていった模様です。
私の記憶ではテレビのバライエティによく出ていた故・杉浦日南子さんとか、荒俣宏さんとか、篠原勝之さんとか、雑誌の世界で活躍した南伸坊さんとかです。
その中で、今でも活躍中なのが、藤森照信氏です。氏は、建築家で、私は直接の付き合いは何もなく、それゆえに、被害を与えられるといった向きもないのですが、藤森氏の新聞等への露出を見ていると、赤瀬川さんとの、交流を抜きにしては、これほどの、露出もあるまいと思えるわけです。
今の私はそういうことをやっかんでいるわけでもないのですよ。だけど、10年ぐらい前は、そういう方向でブレイクするかと思っていたのも確かです。そのことが重要な人物、日傘雅水女史と結びつくこととなりますが、
今日はそれは、おいておいて、
赤瀬川さんの立場強化に役立った、別のグループについても述べましょう。
村松友視さんの自宅で飲む会。
それが、後ほどの芥川賞につながり、赤瀬川さんの、いわゆるマネーロンダリング(大衆向けの立場浄化)に役立ったわけです。
それと、ライカ同盟(三人だけだが、秋山祐徳太子氏を含む)も結成されます。
上に述べた中で、日傘雅水女史の引越しの件と、秋山祐徳太子氏のあれこれの行動が、私にとっての直接の被害となります。それゆえに、赤瀬川さんの最近の役割についても気がついてしまったわけです。すなわち、彼が、一種の、日本人・支配向けの、道具として使役をされているのにも気がついてしまったわけです。
つまり、・・・・・大変な有名人で、国を相手に裁判まで起こした人が文章を書く場合、さりげないものしか書かない。つまり、実際の政治のあれこれを分析したり、批判をすることがないのだ・・・・・ということが、一種の重石になり、ほかの人が、まじめな発言をするのを抑える役割を果たしている・・・・・こととなります。赤瀬川さんほどの人が何も言わない、ということが、日本人を眠らせたままにして、そこから、利益を得ようと考えている人たちの、役に立っているのです。見事なまでに・・・・・・
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最後になりましたが、駄目押しみたいに付け加えると、この文章内でも、人間はすべて同じだとなります。不遇の時代は弱いのです。だから、工夫をします。有名人が、特別な人なのではないのです。利用されたりして、光が当たることもある。特にオピニオン・リーダーとか人気者として、より厳密な人間が出てくれば出てくるほど、政治的にあいまいな人(この章では赤瀬川さんを指す)は珍重されるということになります。いまね。三味線を押収されたホリエモン氏に対して同情が大きいそうですが、彼なんかも、新しいタイプのオピニオン・リーダーになっていく可能性があり、だからこそ、抑圧を受けます。
朝青龍は、やはり、その手の人である、細木和子女史の支援を受けていたので、徹底的につぶされました。だけど、大相撲の切符が売れないそうです。大相撲が衰退していくのなど、私でなくても誰にでも予想がついたことですのに、ヒステリックに、横綱審議委員会のメンバーとか、相撲協会の理事たちは、朝青龍を追い詰めやめさせました。「大きな判断ができる、英傑よ出よ」と願いますが、植民地であるがゆえに、英傑は出ません。今のこの国には、英雄は生まれません。だから、仕方がなくて、おとなしい普通の人である、私が政治について、発言をしたりします。
2010年3月14日、早朝、01:06分、これを書く。 雨宮舜
その不遇の時代のすごし方ですが、氏はグループを作り、それらの仲間と一緒にすごすことで不安を取り除き、社会人として、ご自分を強化した模様です。
ビジネス社会に生きている人なら、社員仲間がいます。でも、内部告発をしたみたいな存在ですから、外で、自由な仲間がほしいと言うのは、誰にでもわかりますよね。
で、その仲間とは、学生時代の仲間でもない模様ですが、ともかく、表参道とか、原宿とか六本木とか、新宿や渋谷で、遊ぶような若者仲間です。私はそのことには気がついていて、今のマスコミセレブたちとは、そのての街のジャズ喫茶とか、バーとか、アングラ劇団で知り合った人々をさすと、みなしていますが、赤瀬川さんを中心とするグループはまさにそれです。
これは、『カッコウの巣の上で』を書いた作家が、コンミューンを作り若者に囲まれる生活を一時期送ったと言うようなエピソードと共通します。一緒に住むわけではないが、よく集まって、時間を一緒にすごし、最後は飲み会でおわる。
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野見山暁司さんは、街が違う。池袋から、パリ、そして銀座、世代も違うが、作風も絵であって、コンセプチュアルアートでもないし、赤瀬川さんよりも、ほかの一般的な画家とのお付き合いが多いかな?
赤瀬川さんは、画家同士の付き合いよりも、そういう手合い(といっては失礼だが・・・・目端の利く人たち)とのお付き合いが多い模様です。そして、それらの仲間からテレビや雑誌の世界等へ伸びていった人は多くて、お互いがお互いを紹介して、それぞれが、マスコミセレブとなっていった模様です。
私の記憶ではテレビのバライエティによく出ていた故・杉浦日南子さんとか、荒俣宏さんとか、篠原勝之さんとか、雑誌の世界で活躍した南伸坊さんとかです。
その中で、今でも活躍中なのが、藤森照信氏です。氏は、建築家で、私は直接の付き合いは何もなく、それゆえに、被害を与えられるといった向きもないのですが、藤森氏の新聞等への露出を見ていると、赤瀬川さんとの、交流を抜きにしては、これほどの、露出もあるまいと思えるわけです。
今の私はそういうことをやっかんでいるわけでもないのですよ。だけど、10年ぐらい前は、そういう方向でブレイクするかと思っていたのも確かです。そのことが重要な人物、日傘雅水女史と結びつくこととなりますが、
今日はそれは、おいておいて、
赤瀬川さんの立場強化に役立った、別のグループについても述べましょう。
村松友視さんの自宅で飲む会。
それが、後ほどの芥川賞につながり、赤瀬川さんの、いわゆるマネーロンダリング(大衆向けの立場浄化)に役立ったわけです。
それと、ライカ同盟(三人だけだが、秋山祐徳太子氏を含む)も結成されます。
上に述べた中で、日傘雅水女史の引越しの件と、秋山祐徳太子氏のあれこれの行動が、私にとっての直接の被害となります。それゆえに、赤瀬川さんの最近の役割についても気がついてしまったわけです。すなわち、彼が、一種の、日本人・支配向けの、道具として使役をされているのにも気がついてしまったわけです。
つまり、・・・・・大変な有名人で、国を相手に裁判まで起こした人が文章を書く場合、さりげないものしか書かない。つまり、実際の政治のあれこれを分析したり、批判をすることがないのだ・・・・・ということが、一種の重石になり、ほかの人が、まじめな発言をするのを抑える役割を果たしている・・・・・こととなります。赤瀬川さんほどの人が何も言わない、ということが、日本人を眠らせたままにして、そこから、利益を得ようと考えている人たちの、役に立っているのです。見事なまでに・・・・・・
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最後になりましたが、駄目押しみたいに付け加えると、この文章内でも、人間はすべて同じだとなります。不遇の時代は弱いのです。だから、工夫をします。有名人が、特別な人なのではないのです。利用されたりして、光が当たることもある。特にオピニオン・リーダーとか人気者として、より厳密な人間が出てくれば出てくるほど、政治的にあいまいな人(この章では赤瀬川さんを指す)は珍重されるということになります。いまね。三味線を押収されたホリエモン氏に対して同情が大きいそうですが、彼なんかも、新しいタイプのオピニオン・リーダーになっていく可能性があり、だからこそ、抑圧を受けます。
朝青龍は、やはり、その手の人である、細木和子女史の支援を受けていたので、徹底的につぶされました。だけど、大相撲の切符が売れないそうです。大相撲が衰退していくのなど、私でなくても誰にでも予想がついたことですのに、ヒステリックに、横綱審議委員会のメンバーとか、相撲協会の理事たちは、朝青龍を追い詰めやめさせました。「大きな判断ができる、英傑よ出よ」と願いますが、植民地であるがゆえに、英傑は出ません。今のこの国には、英雄は生まれません。だから、仕方がなくて、おとなしい普通の人である、私が政治について、発言をしたりします。
2010年3月14日、早朝、01:06分、これを書く。 雨宮舜
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