銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

赤瀬川氏にとって、一瞬のしかも永遠の女神であった日傘雅水さん

2010-03-14 15:19:55 | Weblog
 雑誌太陽の赤瀬川特集号があります。それは図書館ででもご覧をいただくとして、その中に、日傘雅水女史との対談頁があります。

 赤瀬川さんを『偉いなあ。なかなかの人物だ』と感じたのは、この頁を見た瞬間でした。ちょっと格好つける人だと、自分が占いに支援されたなどとは、公開しないものです。しかし、私は同じ人、手相鑑定師の日傘雅水さんとは、五回ぐらいあっていて、それゆえに、彼女がカウンセラーとしてどれほど、優秀であるかを知っているので、『なるほど、赤瀬川さんは、相当なレベルで勇気付けられたんだろうなあ? それが、今の成功を招いた事も、きちんと自覚をしていらっしゃる』と感じたものです。

 このときに日傘さんが、赤瀬川さんに何を言ったかを想像は出来ますが、それについて、例の見てきたようなうそを言いは、ここでは、トライしません。私も日傘さんに恩恵を受けているので、何も詮索をしません。

 ところで、日傘さんは、そんなに優秀な方なのに、住所を公開していません。ですから、そこを見つけて訪問するだけでも大変なのです。すでに、お金儲け第一主義ではない方です。また、知名度についても、アンアン(特集として時々登場される)とか、週間女性(だったと思うが、確かではない)に毎週の連載を持っておられるので、これ以上は必要ないと考えておられるでしょう。

 これは、日傘さんがインテリだからです。日大芸術学部の出身で、なり上がりではない人です。たまたまの時代のせいで、YMOのマネージャーを最初の仕事(?)として、やりました。YMOが解散したから、または、ほかの理由で、次の仕事を見つける際に、例の六本木あたりに住んでいるマスコミセレブ界の知り合い(もしかしたら、糸井重里さんあたり?)に
 「あなたの手相鑑定は、大変よく当たっているから、それをやったら」、と言われ
仕事としてお始めになったのではないかと感じます。

 人の人生の、幸・不幸に関係する仕事だから、顧客を選ぶし、始める際にも天河神社(芸能をつかさどる神社らしい。手相を観てもらおうとするお客の中に芸能人が多かったと推察もされるし、ほかにも理由があったかもしれない)におこもり(?)もなさったらしい。

 ところで、日傘さんは、人の情報(特に不遇の時代の弱点)を握っているという意味でも誰にでもわかる、重要性を持っている人ですが、もうひとつ、それとは別に、その人脈のすごさもすごいレベルの高さです。

 YMOの三人のうち、坂本龍一さんは、ハリウッドなどで、活躍をしておられますよね。その坂本さんは、ビートたけし氏と、付き合いがあるでしょう。そのビートたけし氏は、パリのカルティエの支援で個展をしていて、その際、レジオンドヌール勲章を授与されました。

 この文章の先頭にここで戻れば、赤瀬川さんのその後の人生は、まったく、日傘さんの予測どおりの展開で、好ましくも、うれしい方向へ進んでいったと考えられます。
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 さて、ここで、今日の文章が短いので、私の個展についての情報をあげさせてくださいませ。上の世界と比べると、まるで違った小さな世界ですが、そんなことはまったく気にしていない方で、堂々とお知らせをさせていただきます。

 最近のブログ(またはメルマガ)の文章がおっそろしい物が多いので、それを恐れて、お客が来ないとも思いますが、『それでも、いいのよ。人生はすべて、30%の達成でよろしい。準備段階だけでも、十分に30%にあたるわ』と、居直っておりますので・・・・・平静です。

 4月5日から10日、場所は、exhibit Live & Moris gallery (通称ライブ)銀座、8-10-7東成ビル地下二階 電話03-5537-0023 です。

 抽象画系統の版画と、上に上げたようなブログパーツの写真展示をいたします。
   では、2010年3月14日 16:20      雨宮 舜

ところで、今日は、16時間でこれを上げましたので、毎日夜開くかたは下もどうか、よろしく。
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赤瀬川氏の不遇の時代のすごし方と、藤森照信氏、

2010-03-14 01:17:52 | Weblog
 赤瀬川さんは10年ぐらい前から徹底的に露出して、大人気者になりました。しかし、裁判直後は不遇でもあったらしい。それは、一般社会の人間からすれば、あたりまえのことです。常識的に言って、国を相手取り戦って、勝訴するなんて、考えられないことだからです。あのときの裁判長は言論の自由と言う意味では、立派だったと思いますが、それ以来裁判と言うものが政治的に利用をされ始めたので、それは結果としてはマイナスだったとも感じます。

 その不遇の時代のすごし方ですが、氏はグループを作り、それらの仲間と一緒にすごすことで不安を取り除き、社会人として、ご自分を強化した模様です。
 ビジネス社会に生きている人なら、社員仲間がいます。でも、内部告発をしたみたいな存在ですから、外で、自由な仲間がほしいと言うのは、誰にでもわかりますよね。

 で、その仲間とは、学生時代の仲間でもない模様ですが、ともかく、表参道とか、原宿とか六本木とか、新宿や渋谷で、遊ぶような若者仲間です。私はそのことには気がついていて、今のマスコミセレブたちとは、そのての街のジャズ喫茶とか、バーとか、アングラ劇団で知り合った人々をさすと、みなしていますが、赤瀬川さんを中心とするグループはまさにそれです。

 これは、『カッコウの巣の上で』を書いた作家が、コンミューンを作り若者に囲まれる生活を一時期送ったと言うようなエピソードと共通します。一緒に住むわけではないが、よく集まって、時間を一緒にすごし、最後は飲み会でおわる。
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 野見山暁司さんは、街が違う。池袋から、パリ、そして銀座、世代も違うが、作風も絵であって、コンセプチュアルアートでもないし、赤瀬川さんよりも、ほかの一般的な画家とのお付き合いが多いかな?

 赤瀬川さんは、画家同士の付き合いよりも、そういう手合い(といっては失礼だが・・・・目端の利く人たち)とのお付き合いが多い模様です。そして、それらの仲間からテレビや雑誌の世界等へ伸びていった人は多くて、お互いがお互いを紹介して、それぞれが、マスコミセレブとなっていった模様です。

 私の記憶ではテレビのバライエティによく出ていた故・杉浦日南子さんとか、荒俣宏さんとか、篠原勝之さんとか、雑誌の世界で活躍した南伸坊さんとかです。

 その中で、今でも活躍中なのが、藤森照信氏です。氏は、建築家で、私は直接の付き合いは何もなく、それゆえに、被害を与えられるといった向きもないのですが、藤森氏の新聞等への露出を見ていると、赤瀬川さんとの、交流を抜きにしては、これほどの、露出もあるまいと思えるわけです。

 今の私はそういうことをやっかんでいるわけでもないのですよ。だけど、10年ぐらい前は、そういう方向でブレイクするかと思っていたのも確かです。そのことが重要な人物、日傘雅水女史と結びつくこととなりますが、
 今日はそれは、おいておいて、

 赤瀬川さんの立場強化に役立った、別のグループについても述べましょう。

 村松友視さんの自宅で飲む会。
 それが、後ほどの芥川賞につながり、赤瀬川さんの、いわゆるマネーロンダリング(大衆向けの立場浄化)に役立ったわけです。

 それと、ライカ同盟(三人だけだが、秋山祐徳太子氏を含む)も結成されます。

 上に述べた中で、日傘雅水女史の引越しの件と、秋山祐徳太子氏のあれこれの行動が、私にとっての直接の被害となります。それゆえに、赤瀬川さんの最近の役割についても気がついてしまったわけです。すなわち、彼が、一種の、日本人・支配向けの、道具として使役をされているのにも気がついてしまったわけです。

 つまり、・・・・・大変な有名人で、国を相手に裁判まで起こした人が文章を書く場合、さりげないものしか書かない。つまり、実際の政治のあれこれを分析したり、批判をすることがないのだ・・・・・ということが、一種の重石になり、ほかの人が、まじめな発言をするのを抑える役割を果たしている・・・・・こととなります。赤瀬川さんほどの人が何も言わない、ということが、日本人を眠らせたままにして、そこから、利益を得ようと考えている人たちの、役に立っているのです。見事なまでに・・・・・・
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 最後になりましたが、駄目押しみたいに付け加えると、この文章内でも、人間はすべて同じだとなります。不遇の時代は弱いのです。だから、工夫をします。有名人が、特別な人なのではないのです。利用されたりして、光が当たることもある。特にオピニオン・リーダーとか人気者として、より厳密な人間が出てくれば出てくるほど、政治的にあいまいな人(この章では赤瀬川さんを指す)は珍重されるということになります。いまね。三味線を押収されたホリエモン氏に対して同情が大きいそうですが、彼なんかも、新しいタイプのオピニオン・リーダーになっていく可能性があり、だからこそ、抑圧を受けます。

 朝青龍は、やはり、その手の人である、細木和子女史の支援を受けていたので、徹底的につぶされました。だけど、大相撲の切符が売れないそうです。大相撲が衰退していくのなど、私でなくても誰にでも予想がついたことですのに、ヒステリックに、横綱審議委員会のメンバーとか、相撲協会の理事たちは、朝青龍を追い詰めやめさせました。「大きな判断ができる、英傑よ出よ」と願いますが、植民地であるがゆえに、英傑は出ません。今のこの国には、英雄は生まれません。だから、仕方がなくて、おとなしい普通の人である、私が政治について、発言をしたりします。

  2010年3月14日、早朝、01:06分、これを書く。       雨宮舜
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