銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

京都という風土、田中幸一さんのノーベル賞

2010-03-31 17:38:42 | Weblog
 前報で述べた島津製作所は京都に本部があります。その京都と言えば、独特な場所です。今は不況で、鎌倉日帰り観光に人気があるといっても、京都に比べれば底が浅いでしょう。今日の一文は京都という単語において、稲盛さんの一環とはなるが、またしても稲盛さんには、言及が発展しない見込みで、だから、タイトルは別のものになっています。

 「京都を爆撃しなかったのは、アメリカにも知識人がいて、京都の文化的意義を説いたからだ」と聞いています。それは、ありがたいことでした。木造文化だから、ドイツと違って、修復が困難だったと思います。西本願寺の改修(大修理)の、模様をNHKハイビジョンで見ましたが、自然素材(壁土まで、数ヶ月間、発酵をさせたものを使う)のつかい方の妙味には、驚き入りました。こういうことは爆撃を受けたら、再現不可能だったと思います。
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 その京都で、エコに関する国際会議が開かれました。そこでも、制限の数字に関して、アメリカのエゴイスティックな動きがでて、それには、日本もほかの国も悩まされましたね。だけど、私が特にいぶかしく思うのは、エコ優先主義は、結局のところ、原発容認につながる発想だから、アメリカ発というか、世界のコングロマリット発の発想だと思うのに、それを反対するということが、大きく矛盾しているということです。

 だけど、この点に関して考察を始めると、また、問題が大きくなるので、ここでは、そのエコの問題には、ストップをかけて、ノーベル賞の方に入りましょう。益川・小林理論という物理学・論文に対して、ノーベル賞が与えられて、益川さんが大いなる人気者になっています。今週では、『ようこそ先輩』(NHK)に出演なさったそうですが、私は残念ながら見ていません。それと、原子物理学の専門家の常として、核兵器廃絶に、努力をなさっておられるようです。

 立派な方のですが、しいていちゃもんをつけるとしたら、「核兵器廃絶運動は、すでに実質的に、力を持っていないのですよ』といいたいです。核兵器とは、もし落としたら、大変な後遺症が出ることがいろいろな側面ですでに証明をされており、したがって、死んだ兵器なのです。劣化ウラン弾という小さな兵器があります。それは、使用阻止されなければいけませんが、核燃料の問題は、別のところが痛切なのです。が、それについて、触れると、危ないのでしょう。だから、そちらも、ここでは、カットとさせていただきます。

 しかし、それらは、誰もが知っていることなので、お若い方がご存じない昔のことを申し上げましょう。湯川博士が戦後初めて、いえ、日本人として初めて、ノーベル賞をもらったときには、日本人は欣喜雀躍をしたものです。
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 ここで、大いに下世話なところに落としてしまいますが、それらの偉人の奥様についてです。

 湯川さんは上品な方でした。でも、奥様は濃い方なのです。お化粧も、それから、発言や態度も。それって、江藤淳さんご夫婦と、組み合わせが似ておられるらしいですね。瀬戸内寂聴さんの思い出によるとそうなります。私は鎌倉郵便局で、養老孟さんの奥様らしき人が、郵便物を出していらっしゃる時にたまたま後ろに並んで『あ、こちらのご夫婦もそのケースだ』と思いました。ものすごくきれいな方で、きちんと髪を結い上げて、高価な和服を召していらっしゃったから、ご主人のかもし出すムードとはまるで、異なった方です。でも、学者とか、知識人の夫へは、こういう妻が似合うのでしょう。

 うちなんか、見かけ上のカラーはそっくりです。中身も同じといったら、主人が怒るでしょうが、大体普通の人で、おしゃれでもない。ごく、普通の人どうしの夫婦ですが、夫が草食系で、奥様は現実世界の、勝ち組型というご夫婦もありえるのでしょう。大昔は「我輩は猫である」内で書かれた、夏目漱石夫妻が有名ですよね。タイプが違う人同士で、夫婦の組み合わせを作る。

 さて、上のことは単なる余談でした。
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 京都にノーベル賞が輩出して、どうして、東大から出ないのかという論が起きたときに、誰かが、「京都は規模が小さい都市だから、飲み会がしやすい町だから、会話の中から新しい発想が湧き出るのだ」といっていて、それにはなるほどと、思いました。
 つまり、午後、7時ごろから飲み会(お酒でもお茶でもよいが)を始めて、三時間程度連続すると、午後10時になります。銀座で、10時まで飲んでいる人は大勢いますが、その後で、帰宅すると、12時になります。猛烈サラリーマンは、五時間程度の睡眠でがんばっているのでしょう。でも、最新の理論を生み出す頭脳は、そういう生活では駄目なのです。

 やはり、きちんと、7時間程度寝る生活でないと駄目なのだと思います。私は一般的なレベルより、今は睡眠時間が少ないほうですが、前の日の睡眠によって、次の日の好調不調がはっきり分かれるので、睡眠時間は非常に大切だと思います。京都の中心街で、夜の10時まで飲んでも、電車やバスを使っても40分ぐらいで家へ帰り着く。タクシーを使えば、15分以内で、千円以内だというのは、暮らしやすいパターンです。パリだって、そういう感じですね。中心で飲んでも、地下鉄で、三十分で自宅まで帰りつけるでしょう。
 東京は違う。大きすぎます。特に住宅街が、周辺に広がっていますので、大変です。それで、山手線内側で、マンションに住むというのも一種の理想でもあります。特に働く夫婦には。

 その京都に島津製作所はあります。一種の精密機械の会社ですが、精密機械中の精密機械といってよいでしょう。これから先は例の私固有の見てきたようなうそをいいの類ですが、島津藩の中で、小ざかしい動きができなかった、士族階級が起こした会社のような気がするのです。京都にあった、島津藩の藩邸あたりを利用して始まった会社のような気がするのです。明治政府の元勲になれた人々はラッキーでした。そして、賢かったのは、確かですが、それ以前の生活が豊かだった人々は危機意識が少なく、動きも活発ではなくて、乗り遅れた可能性はあります。つまり、江戸時代は上士と呼ばれた人たちです。

 そういう人は同じ程度の頭脳を持っていても、動きが鈍いです。特に政治的に動くことが出来なかったかもしれません。したがって、いつの間にやら、廃藩置県となって、禄(つまり、月給)がもらえなくなっていたと仮定しましょう。それでも、食べて行かなくては成らないのですが、すでに政府へは、人材・満杯で入れません。別の道で生きて行かなければ成らないわけですが、『誇りのある人たちだから、単なる機械製作の工場では満足できなかった』と考えると島津製作所の成り立ちがうなずけます。以上は社史等には当たっていない考察なので、間違っているかもしれませんが、結構あたっていたりして・・・・・

 ともかく、結論を言えば、『私から見れば、とても素敵な会社だ』となります。そして、その会社が、仕手筋から狙われる投機の対象となるなど、失礼極まりない話だとなります。
 しかし、天はごらんになっていたと思われます。この地味な会社が突然の脚光を浴びることとなりました。
 そこに勤務する若い平社員である、田中幸一さんに突然にノーベル賞が授与されたのです。研究課題は、私には分かりませんが、ともかく、サラリーマンの星とうたわれ、会社も突然に大衆的に有名になりました。

 会社にとっての驚くべき、孝行息子です。もちろん、その年度2002年のノーベル賞を、『私がもらうはずだ』と思っていた、日本人の学者もほかに、おられるでしょう。だから、日本人のすべてが、納得して祝福をしたわけでも無いと思っています。ただ、北里柴三郎博士が、・・・・・同じ課題を、やっていた、しかも一種の部下として研究していた・・・・・外国の人へは、授与されたノーベル賞が、戦前には強い差別があって、『黄色人種だということでもらえなかった』・・・・・と聞いている、普通の日本人には、あっけにとられる快挙です。

 そして、うれしかったわけですが、ここで、またまた、下世話なポイントへ入ります。我が家って、だいたいが、エンジニアー系統なんです。それで、田中幸一さんのこともよくわかる雰囲気があるのですが、「あの人って、出世が出来ないタイプだろうなあ。他人を使役できないタイプだ。命令できないタイプだ。一生平社員か、部下の居ない課長だろう。それに、奥さんはきっと、うちのだんなの、どこが偉いのだろう、と思っているよ」と、主人が言いました。
 が、それは、あたっているかなあ。ただ、あれから、8年経っていますから、部下の居ない、役員にすでになっていらっしゃったりして(ふ、ふ、ふ)

 ただね。出世がどうあれ、田中さんにはノーベル財団から年金が出るのです。年間600万円程度と、どこかで小耳に挟みました。それは、派手に使えば、あっという間に無くなってしまう、月に当たって、50万円です。でも、死ぬときまで出るのですから、うれしい賞金ですよね。

 さて、さて、やっと、稲盛さんに戻って来ました。稲盛さんが創設して運営されている、京都賞は、年金が1000万円だそうです。ここにも大いに、こだわる私ですが、その件についての考察は、また、別の日にさせてくださいませ。では、2010年3月31日   雨宮 舜
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