銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

つばえる・・・・CONJUGATION・・・・そして、友人の自殺を悲しむ

2010-03-12 03:31:41 | Weblog
 なお、下に五時間で更新してしまった記事『吐いたつば、のまんで置けよ・・・・・映画の中の名せりふ』があります。左のカレンダー青い字の11をクリックしていただけますと、出てきます。下の文章は、それの続きとなります。映画の名せりふの方は明るいシンプルな話で、こちらはちょっと、深刻な話となっております。では、よろしく。

 前の日に『つばえる』と言う広島弁をあげました。猫とじっと目を見合わせていると主人が「つばえるんじゃあない」と、冗談半分で怒るという話です。

 で、丁寧に質問をしたわけでもないけれど、つばえるとは、交わる、つまり、交合(セックスをすること)をあらわすと想像しているのです。これは、たぶんですが、あたっています。
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 さて、セックスという言葉は、本当は上品な人々の間では長い間、つかいませんでした。父や母なんかは使わない方で、色気があるということでさえ、「イットがある」といっていました。昔のことですが、私が親から、「絶対に二十五までに結婚をしなければだめだ」と命令に近く言われていたのは、「イットがないから」なのだそうです。母と父がそういう話し合いをしたと、母がいっていました。だから、ほうっておいてはだめで、早めに身を固めさせた方がよい(つまり、若さだけがとりえだと、親には、認識をされていたのです)と、決め付けられていました。

 ある意味で非常に晩生でした。だから、忘れられない失敗があります。大学で生物をとっていました。教授はアメリカ人。学問は英語で習うと、言葉が非常にシンプルです。日本語だと、学問用の言葉と、普通の言葉では違い、二重になっていますが、英語では同じものを使います。

 ただし、セックスだけは、さすがに、セックスするとは言わないのです。アメリカ人だって、上品な人は、その言葉を使いません。で、英語では、Conjugation というのです。

 しかし、私は帰国子女でもないので、その言葉を知りませんでした。

 先生は、その言葉を、生物の子孫を残す話の中でお使いになり、「水が非常に大切なものであり、その中でこそ、Conjugation が行われる」とおっしゃったのです。

 私は先生のおっしゃることはすべて、わかるのですが、そのConjugation だけがわかりません。それで、あっさりと手をあげて質問をしたのです。これは、アメリカナイズした世界ではまったくおかしくない話です。しかし、この言葉に関してだけは、先生が困った顔をなさって、もじもじとした感じで、なんとか、説明を始めてくださったのですが、私も途中からわかり始めて、とっても恥ずかしく、顔から火が出るような気がしました。

 特に実際の恋愛をすでにしていて、それこそ、セックスの経験もあるような人、もしくは、当時はとても有名な留学制度だったAFSの経験者たちは、きっとこの言葉を知っていたでしょうから、『うわあ、あそこに馬鹿な子がいる』と、彼らも恥ずかしく思ったであろうと推察できて、広い階段教室で、身の縮む思いがしました。
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 しかし、今日のお話は、その笑い話をご披露するのが主たる目的ではないのです。その階段教室での、もうひとつの忘れられない思い出を語りたいです。

 すでに、45年以上が過ぎていますので、ありとあらゆることを深く、そして、真実に近く書きましょう。

 そのConjugation を理解できないタイプの人がもうひとりいました。いえ、もっといたはずですが、のちに、自殺をしてしまった美少年がいて、その人を、ここで私は、あえて、『もう一人』と数えるのです。その人も晩生だったと思います。そして、自殺の原因は、きっと、その種の問題も含まれていたでしょう。だから、その言葉を質問した日が忘れられないものとなって思いだされるのです。

 その美少年と私は一切の個人的な交渉はありません。その美少年は、ちょっと背がひくいのですが、お顔がものすごくきれいで、上品で、私は近寄りがたく感じていて、そちらも、また、私とも、ほかの人とも交わろうとしませんでした。

 私が接触しなかったのは、彼が、あまりにも品がよいからでしたが、彼がほかの人と接触を持たなかったのは、二つ理由があって、ひとつには、『もしかしたら、東大を受験しなおすべきかなあ。母がそれを望んでいるし』という悩みがあったのと、

 背が低くて、どうしても、まだ、成人とも思えない全体の雰囲気からして、恋愛に踏み込む自信がないということが、彼を、ひとり、自らのうちへ閉じこもらせていたと思います。
 実は私が学んだ大学では、いいところのお嬢さんがいっぱいいて、それゆえに、男性も恋愛に熱心で学内で、カップルを形成する人が大勢いました。で、そういう組み合わせを作れない人は、ひそかに劣等感を抱いていたのです。

 私もその一人ではありましたが、そのころ、すでに主人から手紙をもらっていて、それは住所も教えなかったのにくれたので、私としてはうれしくて、誰にも言わないけれど、ある安心感があって、それで、おっとりと構えていたところもあるのです。だからといっては何ですが、大学内では、恋愛をしなかったほうです。だから、みかけ上はいわゆる負け組みの一人です。
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 今、草食系男子とか、理系男子と、よく言いますよね。少し前には、悪い評価をこめて『お宅』と言う言葉もありました。大学に入学する前に、お勉強ばかりしてきた青白い皮膚の品のよい少年で、活発ではないタイプが今日話題にしている主役の少年です。どちらかと言えば、蜷川幸雄に似ているが、もっと上品で美形です。

 後でお葬式に行って、わかるのですが、名門のご子孫だった模様です。本郷弓町教会で、牧師さんが「本当は自殺の場合は、葬儀を引き受けないのですが、彼はあまりにも純粋だったので、こちらで、葬儀を引き受けました」とおっしゃいました。

 母君と、息子さん、両方ともそちらのメンバーだったのです。

 出席している人はすべて、品がよく、東大の関係者(明治、大正期はそうであったであろう)と思われるような学者タイプで、右最前列に座っているお母さんは、まだ、40代のキャリアーウーマンで、母一人子一人で、お育てになっていた模様で、

 非常に華奢で美しい人でした。私はお父さんが、戦死でもなさった可能性もあるが、この母君が、離婚をなさって、お一人で、育てておられた可能性も感じました。

 まさしく、『魅せられたる魂』の主人公のごとき、母上でした。参列者皆さんが、息子もほめるが、母上もほめます。

 戦後すぐ、女性の解放が叫ばれたのです。賢くてインテリで、経済的に自立できれば、・・・・・夫は要らない、特に欠点のある男性だったら・・・・・と、いう感じかなあ?

 これは、私の想像ですが、その美少年が自殺をしてしまった最大の原因は、母君との関係にあり、自立の問題と、自立することで、母を悲しませることへの罪悪感、および、母の期待に添えていない自分への苛立ちと、不可能性への、絶望感・・・・・その様なものの、混合だったと、推定します。
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 私はもちろん、ものすごく残念です。何も個人的な会話は交わしたことがないものの、その例の階段教室で、目だけで、大きな会話を交わしていたからです。

 それは、その生物の試験の日のことでした。広い大きな階段教室に総勢、50人以内しか、学生はいませんので、みんな間を空けて、ばらばらに座っています。

 私は前から五列目ぐらいの右側で、答案を書いていました。英語で読み英語で、書く。
しかし、さっきも言ったように、学問を英語で学ぶのは意外と楽なのです。だから、すいすいと解いていきます。で、なんか余裕のある感じです。しかし、背中あたりがむずがゆいのです。なんとなく、おかしい。
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 で、後ろを振り返ると、左側の上の方に、その美少年が座っていて、顔を斜めにして、私の方を見ているのです。でも、私を注視しているのではなくて、一種の白昼夢に浸っているのです。

 私は、そのとき、一気にいろいろなことがわかってしまいました。『あ、この子も親に医学部に行けとか、言われていた子なのだ。そして、そちらに合格しなかった。で、この大学に来ているけれど、違和感を持っていて、自分はここに、居場所がないと思っている。

・・・・・これは、後で、お葬式に参列したときに、『彼は、哲学か文学でもやりたかったのではないか』と感じました。人々の哀悼の言葉を聞いているうちにそれを、感じました。でも、お母さんが「医者になってほしい」とか、「学者になってほしい」と願っておられて、それに反抗するのが、母一人だったがゆえに、純粋すぎて出来なかった模様です。子供も一人でしたからね。反抗が難しかったのでしょう・・・・・

 私は目顔で、彼を説得しました。『わかるわ。あなたの考えていること。だけど、今はこれに集中しなければだめよ。ともかく、この学校ってシヴィアーだから、ひとつ、ひとつ関門を潜り抜けないと前に進めないわ。あなたって、きっともっと難しいことを考えているのでしょう。わかる。この教科、生物って、やさしいものね。勉強してやろうと言う一種の闘争心も沸かないのでしょう。すごくわかる。わかるけれど、今は答案用紙に集中して』と言ったのです。

 彼は、なんとなく、わかったようでした。はっと目覚めたような顔をして下を向きました。で、私は安心して、そのことを忘れてしまいました。彼も、静かなひとで、私も控えめなタイプだから、試験が終わった後で、二人で、『さっきのこと、面白かったね。続きをラウンジ(学内カフェ)で、語り合わない』などと、提案するタイプでもないのです。だから、それが、二人の直接的な接触としては、最初で最後でした。

 本郷弓町教会のお葬式に参列した同級生は、大学では私だけだったと思います。中学や高校の友達については覚えておりません。そして、母君、ご親戚のかた、教会のメンバーのかた、誰も、私のことを知らず、私も自分がどういう意味でここに来ているかを語らず、

 ただ、後ろの方から、次から次へと述べられる、彼とお母様に対する賛辞を聞いていました。だけど、最後の日々の苦悩を一番、知っていたのは、私ではないかと、ふとですが、おもいました。そして、自分が、彼を生へと、引き止めて、引き返す力がなかったことを、本当に残念に思いました。
 実は、教会で、「私もある思い出を語りたい」と手を上げたいとさえ思いました。出席者は、総勢70人ぐらいだし、小さな教会でした。だけど、もちろん、当時の私はそんな冒険が出来るタイプでもなくて。そして、あれから、45年たった今では、あのお葬式が人生で、出会った一番素敵なお葬式だったと感じます。個人をいたみ、悲しむと言う意味ではあれほどすばらしいお葬式はありませんでした。
 親しく語り合えば、きっと非常に似ているタイプだったと思います。そして、『みんなおんなじなんだ。みんな悩んでいるのだ。僕一人ではない』ということを知らせて上げられたでしょう。

 もし、ギャラリー山口のオーナーが自殺(いえね、まだ、私は疑っています。上の美少年は、20才そこそこだったのです。だから、人生経験が少ない。だから、純粋すぎてきれい過ぎて弱かった。でも、山口みつ子さんは、67才まで生きていて、画廊の経営者を、三十年も続けてきたのです。ずいぶんと二人は違います)だとすれば、こちらも同じように、心打ち明けて、引き止めておきたかったと思います。残念で仕方がありません。二日前にあっているのに、気がつかなくて、何も出来なくて・・・・・

              2010年3月13日             雨宮 舜
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