銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

余貴美子(横浜1950年代、特に関内周辺)

2010-03-01 23:28:39 | Weblog
 余貴美子という女優さんがいます。この人が最近露出が多いのです。今はNHKの土曜日7時半からの時代劇で主人公のお母さんをしています。それは、しかし、脚本が甘いので、彼女のよさは別に出ていませんけれど。

 一般的な知名度としては、アカデミー賞外国語部門の賞を受けた『おくりびと』で、不思議な雰囲気の(=アンニュイきわまりない)女性事務員を演じていた、といえば、『あ、分かった』とおっしゃる方が多いでしょう。

 私が最初に注目をしたのは、再放送の『わるいやつら(松本清張原作、テレビ朝日版)』での悪役でした。全部見たわけではないのです。2、3回ぐらいでしたが、それでも、余さんにのリアルさというか、自然さにはびっくりしました。名前はどう読むのかな?と思ったり、興味を惹かれました。

 甘い上品な顔立ちなのに、金と色の欲に染まった中年女性を演じて、迫真の演技というか、ドキュメンタリーフィルムを見たかのごとき、存在感でした。

 彼女は何かの考えがあって、若いときに、大衆向けの露出をしていません。いとこにに有名な女優さん(すでに故人)がいて、そのいきざまを見ておられたから、『成功へ向けて、あせらなかった』ともいえるし、『テレビの世界などが、過酷なことも、よく分かっていて、ご自分が耐えられるまで待っておられた』ともいえます。前衛劇団で、修練を重ねておられて、・・・・・

 それで、たぶんですが、中年近くになってから大衆路線に転向されたのです。それゆえに顔を知られていません。そこが有利なのです。たいていの女優さんは若いときからテレビに出ていて、上手であれば、あるほど、主役をしますので、顔が売れてしまいます。となると、当たった役の印象が強くて、どうしても女優さんという雰囲気で見てしまいます。が、彼女は、あたかもそこにいる本当の社会人のごとく、演じられるのです。
 脇役から出発したということが大きいでしょう。
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 でもね、気になってインターネットサーフィンをしたら、面白いエピソードが出てきました。映画の初日に舞台挨拶というのがあるらしいです。そこで、司会者(多分、監督か製作者)が、「余さんは、美人演技派女優です」と紹介したところ、それを、受けて、「私は、美人・女優の、余貴美子です」と切り替えしたので、会場が大爆笑だったそうです。

『うーん。センスある』とうなった私はもっと調べたくなって調べたのです。すると、育った街が横浜、特に関内近辺です。『これで、分かったわ。なぞが解けた』という感じを得ました。特に台湾系、中国人(現在の国籍は不明)ということは、山手の丘から、桜木町までの間でしょう。
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 私は実は、1952年から55年に掛けて、学校帰りにそこらあたりを一人でよく散歩したことがあるのです。すごく美しかったです。特に人がいない。かつ、車がいない。静か極まりない。また、京浜東北線(当時は未だ無くて、運河だったが)の西側はまだ、米軍に接収されていて、関内牧場と言われた焼け野原でしたが、 
東側は、空襲を逃れたらしくて、古い味わいのあるたてものが多かったのです。

 同潤会アパート、明治屋、ホテル・ニューグランド、YWCA, 英国国教会、県庁(今キングの塔と呼ばれている)、税関、郵船本社ビル、などなど、美しい古い建物がいっぱいあって、しかも、人がほとんどいないのです。これは当時の横浜の経済活動が、沈滞していたおかげですが・・・・・大黒ふ頭も、未だ無いのでトラックもまったく通りませんし。車そのものも数が少なかったのです。普通の人はまだ、車を持っていない時代でした。

 あのころの横浜と似ている街には、その後、出会ったことがありません。今の横浜にも無いです。まあ、しいて言えば、パリの裏通りで、人のいないところの美が似ているかなあ? 
 私は・・・・・今、

 「予想より、はるかに、儲からなかった、市長中田さん(民主党の所属のはず)は、なぜ逃げたのか?」と、もめているY150博・・・・・

 などには、企画の段階から、『あほらしいなあ、そんな人工的なことはする必要がないのに』と、反対でした。だから、それが始まっても、切符も買ったことはありません。ただ、メルマガの世界でも、ブログでも何も、抗議や批判の発言をしなかったのは、今は、横浜の住人でもないし、運動を起こすなど大嫌いなほうだからです。『美とは、自分ひとりで、見つけるものだ』と感じます。『おせっかいな企画をして、「高い切符を買わされたが、ちっとも面白くなかった」と失望して帰り、横浜を嫌いに成る人が出ないといいけれど』、と思ったぐらいです。

 今、散歩がブームだとか、どこかに出ていましたが、散歩はいいです。詩人に、自然になっていきます。ものを見ながら考えますので。私は、学校が嫌いではなかったのですよ。中学では、誰からもいじめられてはいなかった。でも、夢見る夢子さんで、一人でいるのは好きだったのでしょう。当時、家には嫌いなタイプのお手伝いさんがいて、父に色目を使っていたし、それがいやで、母が帰るころ、家に到着をしたかったのかしら? 今では分かりませんが、しょっちゅう、横浜の、誰もいないとおりを散歩していました。

 そうか、余貴美子さんは、私よりずいぶん若いが、それでも、あの静かな時代の横浜、中心街・・・・・山手の丘から、桜木町までの間・・・・・育ちなのだ。それで、あれほど、洗練をされている人なのだ。脇役、悪役、汚れ役、どれをとっても、どこか、明るい上品な甘さがあるし、・・・・・と思い続けますが、台湾系の中国人であること(繰り返しますが、現在の国籍はしりません)も、また、何か、冷静な目というか、客観性を、ご自分にもたらし、女優という職業を遂行するのに役立っているとおもいます 

 なお、例の個展のことですが、その画廊は、天国(新橋近くのてんぷらやさん)の裏手、二本目の路地にあります。 exhibit Live & Moris gallery といい、日本語の通称を、『ライブ』といいます。 4月5日からなので、まだ、だいぶ先ですが・・・・
          では、2010-3-2              雨宮 舜
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