前回、小池玲子さんが、30年以上前の当時には、本当に珍しかった、一カラット以上の大きさのチョーカーを、首に巻いて、無彩色(銀色のジャンプスーツ)で、現れたと、お話しました。なんと、美的に統一をされていたことでしょう。彼女は芸大卒で、仕事は、テレビコマーシャルを作ることですが、身に着けるもののおしゃれと、卓上カレンダーをデザインすることで、ご自分の美的感覚を、自由に、生かしていらっしゃったのです。著作を読むと仕事は厳しいもののようで、自由はあまりなさそうです。だから、遊びも必要でしょう。
私はその1980年の日に、これは、小池さんが買ったのだろうかと思いましたが、実は、著書を読むと、デビアースに対して、相当な貢献をされたそうですので、デビアースからのプレゼントかもしれません。どちらにしろ、誇りのこもった、アクセサリーです。
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これから先は、実は稲盛さんについて書くための前段となります。ちょっと、自慢げ(特にお金に贅沢な話も始まる)に聞こえるかもしれないのですが、自分を通して、世界を考えるのが好きなので、お許しください。お金以外のことには苦悩も多い私ですから。
小池さんのチョーカーに驚いた時の15年後ぐらいに、私は母に一カラットのダイヤモンドの指輪(チョーカーほど、斬新なデザインのものではない)を、例の京セラの、銀座のショップで買ってもらいます。このころには一カラットのダイヤを買うということは、普通になっていたのです。日本経済が順調だったし、株価も高いことでした。妹は、母によくついてそこへ行っていたらしいのですが、私は、あまり、興味がなくて、一度も銀座の鳩居堂の6階にあるというそこへは、行ったことがありません。
母がぽん、ぽん、ぽん、ぽん、ものを自由に買うことが出来るのは、株をやっていたからです。強欲とは思わないでくださいね。母の父は山口高商、母の兄は、長崎高商、母のおじも、長崎高商出身なので、そういう方面は、自家薬籠中のものでした。
それに、母は自宅で経理の仕事をしていましたが、それが、つまらなかったから、余計にあそびが必要だったのです。机に座りながらでも、出来るレジャーが、母にとっては株だったのです。
経理は。父の会社のことだから、義務でした。特にそのころは人材が払底していて、小さな会社には、よい人材がこない時代だったから、母の方がやったほうが確かだったのです。だけど、毎日同じことをやらなければなりません。進歩とか、工夫の入り込めない世界です。
だから、短波放送を聴いて、方眼紙で、チャートを作ることがレジャーだったのです。
方眼紙は、横に半分に切って、三頁分ぐらいの長さで、のりで貼り付けて、横長にし、三年分ぐらいの値を追っていました。毎日、毎日、上がり下がりを自分で書き込むのです。あれは、勉強になったと思います。几帳面なのです。そして、働き者。
厚さ三センチぐらいの本の形にしていて、それを何冊も持っていました。そして、女だてらに、信用取引まで許可されていました。信用取引とは、空売り、空買いができるもので、利潤だけを受け取れる仕組みです。三千万円の資金で株運用をしてた場合、600円程度の値段の株を千株単位(ふるいかな? 情報が)で、持つとして、三千万円だと、50種類しかもてません。で、各株が、一月に、10円ずつ値上がりをするとして、もし、全部うったら、50万円の儲けですが、
信用取引が許可されていると、運営資金が、用意されなくても、値上がりと値下がりのさがくだけで、よいので、上のケース、50銘柄、すべて、二倍ずつ空買いをしていたら、利潤が100万円になる仕組みです。資本主義よのう。そうなっているのか? へえ、お金があると、さらに得をするのね・・・・・というわけです。
某、民主党の大臣(しかし、頭がよい方なので、すでにおやめになっておられますが、その方)など、6000万円単位の、ファンドを、何口も申し込んでおられるそうです。母なんか、ほほえましい程度のものですが、ただ、単なるごみ株主でもなかったでしょう。
一週間に何回も証券会社の人が連絡に来ていました。
門前の小僧、習わぬ経を読むということわざがあります。私が作った家庭では、あれほどの会話がなかったので、子供にもうしわけなく思うのですが、父も母も会話の活発な人で、かつ、お客が、親戚や他人など、とても、多いうちだったので、大人の会話を耳に挟んでいたから、小さいころから、何の苦労もしないで、学校の成績はよかったのです。
母は、日本経済のことを、大きく考えていました。ある日、豪語していました。「私が、大根一本腐らせても、その間に、株のことを考えれば、100万円は違うのよ」と。そして、さまざまなことを教えてくれました。
その母が、8年前から老人ホームに入っていて、今の金融界の惨状を知らないのは、幸いです。ただ、50年近く株をやってきて、一度も愚痴ったことを聞いた事がないし、破綻を示したこともないので、相当に豪胆だったとは思います。
値嵩株というのがあって、その中に京セラは入っていました。だから、京セラは、ずいぶん前からその名前を知っていました。母は、相当な株数を持っていたらしくて、顧客向けご案内をよくもらっていて、アンテナショップへ出かけていきました。
最初に買ってくれたのが、ルビーです。高温、高圧の坩を使って、地球の内部と同じ様な状態にして、ルビーを作るのだそうです。その次に買ってくれたのが、サファイヤです。ごめんなさい。安逸な話ばかりしているようで・・・・・
でもね。これは、社会の分析の話なのです。ちょっと稲盛さんに疑問があるので、こういう導入になっていっています。私は、人工で作った宝石を、安くは売らない仕組みについて、母から説明をうけました。それを聞きながら、たとえ、高く売るとしても、やはり、儲かるのだろうなあと思いました。ちなみにそのサファイヤは、周りに小粒のダイヤモンドが散らされていて、16万円+アルファだったそうです。これが1980年だから、高いものです。
それで、もしかすると、京セラというのは、相当に利益率の高い会社なのではないかと考えました。その後、稲盛さんが、京都賞(後ほど、もう一回触れます)を創設されて、その年金が高いと聞いて、なるほど、儲かっているのだなあと思いました。
しかし、私は、母には、そういうことは言いません。だって、お金という価値が、高い世界では、私は、ランクが低い人間です。自分で稼げないので、発言力もありません。
その後、ダイヤモンドについて、まったく別の書物から、シンジケートがあり、値段が崩れないようにしていると、聞き、『ルビーやサファイヤは、どうなのだろう?』と内心で疑問をもちました。
そして、ルビーやサファイアだけでは、それが飽和状態になったときに京セラはどうするのだろうかと思いました。
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さて、本日は、稲盛さんについては、ほんの導入中の導入となります。昨日のもほとんど、同じだともいえます。そのことは恐れ入りますが、どうか、これにて、お許しくださいませ。