銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

現代のドラキュラ、銀座の仁義を無視する・・・・・・原発の56△

2011-05-25 04:21:47 | Weblog
 さて、これは、広義の意味で言えば、原発の#56です。

 本日、二号基と、三号基のメルトダウンが発表されましたが、それは、私は最初期から言っていることですから、今日は触れません。

 そして、本日は、この原発事故を小説化することへ取り組みたいと思います。それに慣れておられない方には、不評だと思いますが、突然に、文体を変えます。それは、たくさんの登場人物があり、小説として描いたほうが、自由に書けるかもしれないと、考えたからです。しかし、ここが、どっちがいいかはわからないところなのです。小説として書くと、政治家たちが反省しません。特に海外の大権力者が反省をしません。だから、元へ戻す可能性は、残しておきます。

 ただ、「小説として書きなさい」ということは大勢の知人から、しかも10年以上にわたって、すすめられてきていることなのです。でも、取り組みたくなかったのは、小説家というものへ、ある種の胡散臭さを長年にわたって感じてきていて、それを避けたいと思っていたからでもあります。私の持ち味は、ある種の一途さにあるわけで、それとも、合致しませんし。で、いろいろなことに慣れてはおりません。

 ただし、今回でも、第三章、六本木あたりから、『あ、こっちの方が、自由に大きいことを書けるかも』と思い始めました。長年の読者におかれましても、第一章、逗子と、第二章、銀座に書いてある話は、『あれ、これは、知っている話ね』とお思いになるでしょうが、三章目の六本木あたりからは、『あ、目新しい話ね』と思っていただけるでしょう。

 ところで、最近この世界へお入りになった方々に申し上げます。小説として書く場合には、常に主人公は百合子となります。そして、文体は、そっけないものになります。読者であるあなたと結びつこうとする気持ちが減るのです。つまり、手紙ではなくなって、客観化する方向が強くなりますので。
 では。
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第一章『元帝国海軍・陸軍・参謀たちの暗躍』(小説として書く、原発事故)その1

*1 -*□*-逗子

 母から電話がかかってきた。「あのね、有名な北山孟監督の、映画が、今日の午後、・東経テレビ・であるのよ。イタリアで賞を取ったの。見てごらん」と。

 母は未亡人になった後で、一人暮らし。百合子も一人暮らし。母はその2000年当時に、すでに、八十を超えている。百合子はまだ、五十六、未亡人ではない。ただ、創作に集中したくて、鎌倉の自宅を離れ、この逗子のアトリエでの、毎日24時間連続した一人暮らしを始めている。母が、百合子の将来を、心配しているのをびんびん感じるが、ありとあらゆることを捨て去って、ただ、ただ、文章を書き続けていた。テレビも見なければ、新聞も読まない。ので、こう言う風に教えてもらわなければ、何も気がつかなかったであろう。ほぼ10ヶ月ぶりに、テレビのスィッチを入れる。

 『あれっ』と、声が上がりそうになる。絵が出てくるが、それが、恐怖を与えるのだ。それが有名な動物学者・サメゴロウさんのそれにそっくりだから。

 百合子は、美術のことには、相当に打ち込んでいる。その中で、大切なこととして、オリジナリティの問題があり、誰かと似た絵を作ってはいけないと考えている。たまたま似たものを作ってしまった場合には、あとで、つくった人間の方が、引くべきだと考えている。発表をすべきではないのだ。それをしてしまったら、自分が、先人の作品に関する勉強をしてないことを、世間に向けて露呈をしてしまうことと同じだから、それは、まともな人間だったら、当然のごとく恥いるべきことだ。
 結果として、美術界の常識で言えば、ここでは、北山監督の方が引くべきだった。

 特に、北山監督は、・東経テレビ・で、美術のコンクールを娯楽化した番組を、主宰していた。だからこそ、この『オリジナリティへ対する尊敬が微塵もない態度』にぞっとしたのだった。
 特に個展として発表をする場合には、絶対に厳密にしないと、だめだと感じている。目の前にあるのはテレビの画面であり、銀座の画廊の壁ではない。『これが映画だから許されることなのかな?』とも考えてみる。ともかく、世間の人は誰も、これを叱らないのだ。

 なぜ、北山監督のほうが叱られないのかを、考えてみる。彼は、以前、出版社に殴り込みをかけたことで有名だ。そのことを怖がって、批評をするのを控えている人間が多いのだろうか。それとも、日本にはそもそも、正しい批評がないのが問題なのだろうか?

 でも、もう、ひとついやなことを思い出した。上記の番組内での、彼の発想とマナーが、いじめに近いものだったことを。
 コンクールというのは応募してくる方が弱い。何かの栄達を求めているから、必死で食いついてくる。それを見世物にしている。北山孟監督別名キースたけしは、出演者をいじるといって、いじめるのが好きだ。サディズムを感じる。それに、百合子は「僕はあの番組に出た後で、ノイローゼになっちゃいましてね」と言う声も聞いていた。そういうことを、言う青年の作品がすごくいい。改めて、その番組のことを『本当に、いやなものだな』と思った。創造という高貴な作業を、パンとサーカスの道具に供している。そして、それでお金をもうけて、自分の創作をする。それが、自分の映画を作ることなのだって。つまり、若い青年の命を削って、そこからエネルギーを吸い上げ、その血で、自分の方が賞を取っているのだ。現代の吸血鬼だとも思う。

 百合子は絵が気にかかり、筋もほとんど、頭に入らないし、映画そのものからも何の感動も与えられない。放映後、母から、感想を求める電話があったが、なんと説明してよいかを迷った。百合子が、気にしている部分は、美術の専門家ではない母には、ぴんと来ない複雑さだろうから。

*2 -*□*- 銀座

 どうしてこうなったのかを推理する。サメゴロウさんは、文庫本を連続して出していた。多才なひとで、専門は動物学だが、エッセイも書く。文章は人に読ませるに足るものだ。ユーモアもある。お笑いを専門とするキースたけしはどこかで、種本としてこれを読んだのだ。そして、その文庫に挿絵として入っている絵が、潜在意識の中に埋め込まれた。しかし、彼は超がつくほど忙しい。それで、右から左へいろいろなことを打っちゃり捨てながら前へ進むから、自分がサメゴロウさんに影響を受けたことなどすっかり忘れているのだ。

 背景が、マジックペンなどで、一色の平らな塗り方である。その前に、興趣の乗ったモチーフがぽんとひとつ置かれている。ゴッホの絵、ピカソの絵、そんな絵とはまるで違うのだが、サメゴロウと北山監督の、二人の作品に共通し、相似するニュアンスのあることは、顕著だった。

 その上、正当な形で美術を勉強をしたことがない北山監督だから、美術の世界にはそれなりの仁義があることがわからない。学問の世界と同じで、アイデアを先に出した方の後追いは恥だということを知らない模様だ。これは結構こっけいなことだった。だって、北山監督の映画には、仁義を尊ぶ、やくざがたくさん出てくるのだから。だけど、彼は主演もするのだが、自分はやくざではなくて、それを、追う警察の刑事だった。

 ともかく、勝ちたい人間なのだともわかった。上に立ちたい人間なのだともわかった。権威が好きなこともわかった。なんだ、普段は権威を破壊するお笑いで、庶民を煙に巻いているくせに、本人は権威好きで威張ることが好きなのだ。裏腹があるのだなあと、その映画を見て、二つ目のこととして感じた。長年にわたって抱いてきた嫌悪感がさらに強まっただけだった。

 無名の庶民が、外部へ発表をしないで、ただ、ただ、楽しみのために描く絵が、棟方志功の女神たちに、どこか、似てしまったりするのはご愛嬌だ。だけど、こちらはお金をとる作品、映画なのだ。美術の世界に生きる人間にとっては、超がつくほど、いやなことだ。私だってこんなにいやな思いがするのだけれど、サメゴロウさんは気がつかないのだろうか。すでに銀座の『路地』という画廊では何度も個展をやっているのにと思う。

 『路地』は、日本では珍しく、売ることを主活動にしている画廊で、そこで、発表をすることは、プロであることと同義だった。ただ、それを対大衆社会へ向けて宣伝をしないのは、サメゴロウさんの深い教養の故だと百合子は見ていた。
 
 すでにテレビタレントの一種であり、四半期ごとに、二時間の特番を持つ有名人である。だが、だからこそ、ひとりの人間として、露出が過剰になってはいけないと思う、氏のスタンスがあるのでもあろう。戦前生まれの東大卒だ。どんなに大衆化しているといったって、一方では、哲学だって当然のこと、血肉に入るものとして、マスターしているはずだ。そして、自分の絵が、精進を重ねて、美術一筋に生きている画家たちから見れば、『素人のヘタウマ作品だ、有名人だからこそ、発表できるのだ』といわれかねない、ことも悟っていたであろう。恥を知る人なのだ。

 百合子は段々に怒りが増してくる。北山監督は、下駄をはかせてもらっているという認識が以前から百合子にはあった。出版社襲撃以来、それが顕著だった。『彼は、拾われた、かませ犬だ』というのが、百合子の彼に対する認識だった。それで、テレビ夕日では、政治をおちょくる番組も司会をやっていた。そちらこそ、日本の政治を悪くしている元凶だと思ったし。

 サメゴロウさんは、これまた一世を風靡したことのあるタレントでもある。子犬の映画があたっていた。ちょっと二人は似ていた。百合子はサメゴロウさんにも、批判ごころを抱いたことがある。北海道の原野に広大な土地を求め、牧場と、動物園が合わさったような施設を作っていたが、その中で働いている、若者には厳しくて、自分の子供には、甘いことをも、知っていて、それを、大衆に夢を与える人としては、思いがけないこととして、エッセイに書いたことはある。どうしてそれを描いたかというと、サメゴロウさんは、莫大なレベルで、常人を上回るエネルギーを発散する人で、その大量のエネルギーが生まれてくる秘密を探りたかったからだ。結局のところ、それは、子供に対する愛からきていると見えた。

 そのエッセイが後で悪人たちに、悪・利用をされることとなろうとは、夢にも知らずにだ。

 ところで後へ向けて、の伏線を、ここで、ひとつ入れておきたい。それは、百合子がアトリエをたたんだことの報告だ。その大・修行期に、百合子は実力をつけるという意味で大躍進をしたのだが、一方で、大病を得てしまい、三年未満で、一人暮らしをやめる。そして逗子のアトリエから、鎌倉の自宅へ、夕方には帰って、夫とともに朝まで、自宅で、暮らすようになる。いわゆる出勤という形でアトリエを使うが、それも、2005年で、終わる。家賃を惜しむという理由で、アトリエを返却し、朝から夜まで、すべての時間を鎌倉で、過ごすこととなる。56歳から急に一人暮らしをするのは、貯金はあるが、キャッシュフローとしての、収入も仕事もない身では、すべての面で無理だった模様だ。家族が待っていてくれたことはありがたいことだった。

 しかし、この行動は、『上に上げた現代のドラキュラ以上に甘い行動だ』として、世間のお叱りを受けるやも知れず、秘匿する方が得かなと一瞬は思う。出奔して修行三昧の生活を送り、金銭的な面でそれが、行き詰まったら、今度は暖かい家族の保護の下に入る。楽な選択だ。ただ、自分ではわかっていた。それほどの幸運を得たのも、日ごろやっていることが一種の奉仕だからだということは。誰にも認められないでも、『核燃料は輸入をしてはいけません』と、時々だが、必死になって、言って来た。それはこの国と国民に対する奉仕だったから。そして、その奉仕に伴って、すさまじい弾圧をも、受け続けてきていたから、天は必ずお返しを下さるのだと感じて、幸せな部分はそれは、それとして、単に受け止めていく。

*3 -*□*- 六本木

 ・テレビ夕日・は、後発のテレビ局である。しかし、急激に伸びてはいた。青山から赤坂、原宿、六本木一帯に事務所をもつ、いわゆる売れっ子業界人を、拾い上げ、使っていったからだ。その六本木にある高級会員制クラブでは、オークの壁で囲まれた豪華な部屋で、最高級のスーツを着た、しかし、顔に明るさのない紳士たちが集まって、謀議を凝らしていた。

 中心にいるのは、瀬山隆造である。彼は、執念を持って、村岡百合子を追い詰めようとしていた、絶対に抹殺してやると考えていた。特に最近の彼女は、目ざわりであると考えていた。

 まず、メルマガを運営し始めた。それの読者層が高い。そして、文章が面白い。そして、それをまとめた紙の本を一人で作るようになり、それが、また評判がいい。その次に雑誌の連載を始めた。こうなると、次から次へと発展をしていく可能性がある。

 もし彼女が、未出版・原稿として、すでに書き上げている、『元海軍参謀の陰謀』を世に出せば、自分たちの悪の一端が証拠つきで世の中に出回ることとなる。それは、ぜったいに阻止しないとだめだと、感じていて、それを、阻止する方法を部下に探らせていた。瀬山隆造本人も頭はよいと自負はしていたが、すでに、85を超えていて、面倒だと思う日もあり、作家の井上ひとしを、見出し、それようの、訓練を重ねて任務を課していた。井上ひとしは頭が結構よくて、その任務の二重性を見事に察していた。その上、結婚によって縛ってもいたので、さらに安心な相手でもあった。

 瀬山隆造は、国際的諜報機関と連携して、戦後40年をかけて、左翼党を骨抜きにしてあったが、その幹部の娘と、井上ひとしを結び付けていたのである。そして二人に、文化都市、鎌倉の山を開発して、400坪の土地を、取得をさせてやっていた。この小規模開発こそ、彼と、彼の友人、元海軍参謀、益田開の秘策だった。交通至便なところに、残されている峻険な山を、宅地用に開墾するのが、一種の隙間・産業なのだった。これは、普通にやったら、採算があわない。が、元の土地がただだったら、採算が合う。
 元の土地が、私有地でゃなくて、公共用地だったら、採算が合う。しかし、その秘密が『元海軍参謀の陰謀』の中で、村岡百合子によって、詳細に、書き表されてしまった。庶民がしらないところで、大金を生む手段のひとつが、公開されてしまった。それゆえに、瀬山隆造は全力を上げて村岡百合子をつぶそうと図っている。

 井上ひとしを、使うにあたって、彼を格上げしてやることが必要だ。鎌倉に豪邸を建てさせてやることは文士としては、格上げとなる。しかし、この企画が立ち上がった1980年代ごろには、土地はすこぶる高かった。それで、既存の土地を鎌倉で買うのは、彼には無理だったから、造成してやったのである。彼のための造成だから、敷地は山の突端一つで、400坪となる。

 元にもどろう。
 彼は、海外からも献金を受けていたが、金の威力は信じきっていて、大金が際限なく必要だった。

 特に社会派作家、山崎留子に、自分のシベリア抑留時代を、書かせていた。それを、テレビドラマ化するためにも、鼻薬として、関係者を銀座の高級レストランに招かないといけないので、すべては金が先である。

 井上ひとしも、その豪華な会員制クラブの部屋にその日は、招かれていた。村岡百合子を撲滅する案を彼は考え出してきているはずだった。今までも、何例か考え出してきていたが、今回は割りと本格的、かつ大げさで、長期に有効になるはずのものだった。

 井上は話し出す。「結核予防キャンペーンを使いましょう」と。警察庁長官、元勝堂冬が、技術的な説明をする。「村岡百合子が、自宅やアトリエで、パソコンを使う場合はすべてを把握できています。インターネットをつないでいなくても内容の、把握ができています。大型無線ラン機能を使います。が、今は、彼女はネットカフェを使い始めました。一応は、ソフト・ワード(ジャパン)社に協力してもらっていて、キーワードから、どこで仕事をしているかを把握し、内容をつかんでいますが、これからさき、さらに、新しい手法を考え出されると困りますからね」と。さらに「つまり、ネットカフェには結核がはやっていることにするのです。結核を恐れるはずです。
 彼女がそれを恐れれば、ネットカフェを使わないはずです。図書館を使う場合はすでに、それを阻止する手法は講じてあります」と。

 井上がさらに補充をする。「室内盗聴の結果、彼女の夫は、子供のころ、結核をわずらっていたことがわかりました。ですから、それを怖がるはずです。暗くて、空気の流通が完璧ではない、ネットカフェには、結核菌が蔓延していることにするのです」と。

 メディア担当の成瀬勝は、「では、メディア用のキャンペーンには、キースたけし(北山監督)を使いましょう。彼なら非常に喜んでそれをやるはずです」と、さらに発展した企画を出す。その会議が開かれたのは、2008年の一月のことであった。

*4 -*□*- 鎌倉

 2008年の3月10日、百合子は、夜の11時半に帰宅をした。パソコンの調子が悪すぎた。どうしてこうなるかは、前の年の12月27日、横浜駅近くのネットカフェ・プルートーで、CD保存ができないことから、すでに、真実を察していた。

 百合子は思う。『相当に大掛かりな弾圧がかかってきた。だけど、今年出版しようとしている本は、芸術に関することだから、これを、妨害されてはたまらないわ。それじゃあ、日本には言論の自由なんて何もないと同じでしょう。
 まだ、政治に関する本は出版していない。本当は原発と、核燃料の恐ろしさを書くのなどが、私の独壇場なのに。それを控えているのに、こんなに弾圧を受けるのは理不尽よ。ぜったいに戦うわ』と臍を固めていた。

 東京の図書館は、当時、すべて、電源プラグが閉じられていた。そのことにも深い怒りと悲しみを感じた。もし笠原新太郎都知事が、氏の言論そのままに、この国を大切なものだと考えているのなら、百合子の仲間のはずなのに、・・・・・その本来は、味方であるはずの、大切な人、百合子を狙って、彼が弾圧してくる。そして図書館の吏員は何も考えないで、言われたとおりに行動する。それも切なかった。

 2008年ごろの百合子は、まだ重いA4のパソコンを使っていた。本の出版にはそれなりの自己資金が要る。倹約に努めていたので、最新型のB5のノートを買うお金を出したくなかった。で、古いがために、一時間半でバッテリーが切れるから、電源コードは必需品だった。せめて三時間ぐらい連続しないとまとまった仕事はできない。
 だから、ネットカフェでしごとをする。
 
 帰宅すると、夫からの、百合子を気遣うメモが食卓に、おいてあった。そこには、「遅くまで東京には、いないように。ネットカフェには結核菌がうようよだ・・・そうだよ。危ない」と書いてあった。百合子はそれが諜略だとすぐわかった。

 そんな情報をどこのメディアが出したのかが問題だった。新聞をチェックしてみる。東経新聞にも夕日新聞にも載っていない。
 百合子はその情報を流したメディアがどこなのかが、気になって仕方がない。夫の行為はありがたかったが、どこのテレビがそれを、放映したかが大問題だった。それで、夫を起こした。彼が言うには、テレビ夕日だとのこと。夕方のニュース番組で、司会の大宮悦子さんが説明したニュースだとのこと。

 百合子はうめいた。「ああ、お願いだから、事情を正しく察して。これは嘘なの。騙しなの、私に仕事をさせないようにするために、こう言う嘘を流すの。だから、心配しないで。どうか、お願い。彼らのやるだろうことは、いつも裏側を詳しく、手紙で、説明をしているでしょう。それを飲み込んで、頂戴。そして、こう言うメモを、もう、これからは、残さないで頂戴」と。

 すると夫は怒り出した。「どうしてそんなことを言うんだよ。俺は好意で、心配してやっているんだ。どうして責められないといけないんだ。それに明日があるのに、起こしやがって」と。そうだった。眠いときと、おなかがすいているときはひどく怒りっぽいのだった。だけど、百合子も必死だった。「ね、いつも言っているでしょう。この家は盗聴をされているって。それで、夫婦喧嘩をすることは、とても不利になるの。相手方は、私をノイローゼにさせるのが目的のひとつだけど、夫婦喧嘩をして、離婚へもっていくのも、彼らの望む手の一つなの。だから、夫婦喧嘩にならないようにして。大声を上げないで」と頼んだ。

 が、眠いところを起こされて、きちんと事態が飲み込めない夫の怒りは収まらず、さらに大声を上げた。百合子は理解してもらえないまま、仕方なく、その問答を、終わらせた。
 深い悲しみと怒りに襲われた。百合子に、仕事をさせない(書かせない)とさせる彼らの工夫に負けそうだった。それも、もちろん悲しかったが、味方であるべき家族、と、こんな喧嘩をしなければならないことが、余計悲しかった。

 そして、この喧嘩が災いして、彼らが勝ったと思い込み、さらに、この悪辣な諜略が発達することを恐れた。後日、百合子の恐れは現実のものとなった。なんと、この結核予防キャンペーンは発展して、電車のドア付近にはステッカーが貼られる様になったのだ。そして、その主役の顔は、世界の北山監督だった。

 百合子は深い悲しみにとらわれたが、一方で、負けるものかと心に誓った。自分は悪いことは何もしていない。ただ、真実を話す数少ない存在だから、これほど、いじめられる。そして、『なんと悪辣な心だ。かれらは』と、それも思う。この国はいつの間に、『これほどの悪人が大手を振って闊歩するようになったのだろう』とも思う。

 『原発をこれ以上にこの国に入れてはいけない。それは、後始末が大変なもので、それを、これほどの数、日本に入れるということは、将来は、この国には住めなくなるということだ。それが100年後には必ずおきる。それを、世の中に広めていくのが私の役目だ』とも思い至る。戦わないとだめだ。戦うのよ。あらゆるものと。と、心に誓う。

 慎重に注意深くとも心に命令をする。すると、北山監督の行動と評価が突出している裏側の仕組みが明瞭に見えてくるのだった。そして、彼らが、サメゴロウ氏を、徹底的に弾圧する現場をも、目撃するにいたった。それは戦慄すべきことだった。一方でもてはやされきっている北山監督がいて、一方で、政治に関係がないがゆえに、貧乏くじを引いている、真の天才がいる。百合子は、心の中で深く誓う。薄紙をはがすように真実を書いていくわ。大げさではなくていいわ。成功とは無縁でもいいの。天と、神様だけを頼りに歩みます。

 2007年から、百合子の苦難は激しくなった。が、薄紙を一枚ずつ積み上げていくがごとくに、少しずつ、少しずつ戦いを重ねている。それは今も続いている。
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 読者の皆様へ、珍しくも結論(サメゴロウさんへの案圧の詳細)が出ていない段階で、次へ続くとさせてくださいませ。

 エッセイより小説の方が書くのがしんどいです。体力を消耗します。でも、週刊誌一冊分または、それ以上の字数を、ここに書いていますので、次回へ結論を譲るのを、お許しくださいませ。では、そして、丸二日かけて、さらに推敲を重ねていますので、三角を二つに増やしておきます。
 では。
    2011年5月25日    雨宮舜
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