尾道は小京都で、お寺が30位あります。昔は90近くあったそうです。何よりも坂の町で映画のロケ地にも良くなります。尾道は林芙美子の放浪記でも有名で、ほかにも志賀直哉の記念館があります。千光寺公園には「ゆとりが文学を生む」という記念碑が、労働基準監督署関連でありました。そこで一句「のどかさが創る尾道椿咲く」、下手な俳句を作ってみました。市立美術館は遠くから見たらお寺かと思ってしまい、レプリカなのか意匠としては納得がいきません。鉄道より海側の商店街は歴史的建造物もあり、行列のできるラーメン屋もありで楽しく、2度も歩いてしまいました。泊ったところは駅の近くで再開発も行われ、現代的なゾーンとなっていました。金沢市も歴史的保存地区と新興開発地区を分けたという市長の記事を、読んだことがありました。尾道は交通の要衝であり、気候は温暖、風光明媚で海の幸もあり、住んで見たいと思うところです。
神戸市の都市経営は山を削って海を埋め、開発利益で新規大型事業を行ってきました。しかし、インナーシティの問題が放置され、地震の被害を大きくしたといえます。まちづくり協議会も早くから立ち上げ、住民参加を先進的に勧めてきました。しかし、住民が不在のもとで復興の都市計画(区画整理)を強行決定したことは問題でした。
支援グループ「まち・コミュニケーション」は、阪神・淡路大震災により、約8割焼失という大きな被害を受けた神戸市長田区御蔵通5丁目を拠点に、御蔵通の町づくり協議会や御蔵通の自治会支援、共同化住宅再建支援、イベントの開催、勉強会の開催などの活動を行ってきたボランティア団体です。ボランティア自身も、地域と関わることにより、地域や社会を学び、成長することを理念としています。「よそ者であっても、地域の一員になれる」ことを実践している、団体・構成員に感動しました。鎮魂碑のコンクリート打ちを皆が参加し、共同化住宅の壁に住人が、コンクリート壁に手形を押すなど、徹底した参加の形態がみられます。狭い敷地の人が集まって共同化住宅を建てました。もっと高い共同住宅を造って床を転売することもなく、ヒューマンスケールの高さにしたことは感心しました。区画整理が終わって、ネットを張った空き地が多く残っていました。借家人や商売の多くの人は転出してしまいました。日常的にコミュニティを大事にし、住宅を診断し、壊れない住宅に改修すること。住宅を個人責任にしないで、「住宅は人権」であり生活保障の場として、社会的共通資本として政府の公的保障が必要であることを実感しました。
支援グループ「まち・コミュニケーション」は、阪神・淡路大震災により、約8割焼失という大きな被害を受けた神戸市長田区御蔵通5丁目を拠点に、御蔵通の町づくり協議会や御蔵通の自治会支援、共同化住宅再建支援、イベントの開催、勉強会の開催などの活動を行ってきたボランティア団体です。ボランティア自身も、地域と関わることにより、地域や社会を学び、成長することを理念としています。「よそ者であっても、地域の一員になれる」ことを実践している、団体・構成員に感動しました。鎮魂碑のコンクリート打ちを皆が参加し、共同化住宅の壁に住人が、コンクリート壁に手形を押すなど、徹底した参加の形態がみられます。狭い敷地の人が集まって共同化住宅を建てました。もっと高い共同住宅を造って床を転売することもなく、ヒューマンスケールの高さにしたことは感心しました。区画整理が終わって、ネットを張った空き地が多く残っていました。借家人や商売の多くの人は転出してしまいました。日常的にコミュニティを大事にし、住宅を診断し、壊れない住宅に改修すること。住宅を個人責任にしないで、「住宅は人権」であり生活保障の場として、社会的共通資本として政府の公的保障が必要であることを実感しました。
神戸の長田区で防災まちづくりの御蔵学校があることを、メルマガ「週刊まちづくり」で知りました。連休を利用して尾道、瀬戸内海へ小旅行を予定していたので参加しました。古民家の集会所で行うということに興味もありましたが、11年経過して防災まちづくりはどうあるべきか、現場から確認したかったからです。震災メモリアル5周年で塩崎賢明さんの話も聞きましたので、節目として現在の総括から何を教訓にするのか再考するためです。
塩崎さんの話で印象に残ったのは、冷静に今一度評価することの重要性、仮設住宅の建設と市営住宅の「弱者優先」策、仮設住宅でなく自力仮設の支援の可能性と効果、高速道路・神戸港の原型復旧を急いだ問題、被災者救済・生活再建を復興の基本にしなかった反省、都市計画(区画整理)決定システムとまちづくり協議会、など多くの教訓と示唆を学びました。現在では10年後の地域防災計画による行動計画の実行率の問題、耐震診断と津波の避難だけに特化していないかという指摘です。復興も考えておく必要について、仮設計画の小規模化、既存住宅との近接性などは考慮すべきだと思いますが、復興都市計画の課題は「次の次」(室崎益輝)としていることからどこまで準備すべきか、中座したので質問できませんでした。塩崎さんの書かれた手元にある文献で、「大震災と地方自治」(自治体問題研究社)、「「安全と再生の都市づくり」(学芸出版社)、「大震災と100の教訓」(クリエイツかもがわ)を改めて読み直しているところです。復興まちづくりは真の住民参加で、「日頃から住民参加のまちづくりを進め、まちの将来像について合意形成を進めておくことが必要」です。
尼崎市築地地区の山口憲二さんの報告で、「都市計画決定を市も強行決定しなかった。復興を区画整理、改良住宅の併合で液状化対策も行った」事例も大変参考になりました。日常のコミュニティ組織により、借家の人の対応なども旨くできた良い事例という評価もありましたが、それでもいくつかの問題がだされました。
写真はボランティアと住民参加で移築した古民家の集会所です。
塩崎さんの話で印象に残ったのは、冷静に今一度評価することの重要性、仮設住宅の建設と市営住宅の「弱者優先」策、仮設住宅でなく自力仮設の支援の可能性と効果、高速道路・神戸港の原型復旧を急いだ問題、被災者救済・生活再建を復興の基本にしなかった反省、都市計画(区画整理)決定システムとまちづくり協議会、など多くの教訓と示唆を学びました。現在では10年後の地域防災計画による行動計画の実行率の問題、耐震診断と津波の避難だけに特化していないかという指摘です。復興も考えておく必要について、仮設計画の小規模化、既存住宅との近接性などは考慮すべきだと思いますが、復興都市計画の課題は「次の次」(室崎益輝)としていることからどこまで準備すべきか、中座したので質問できませんでした。塩崎さんの書かれた手元にある文献で、「大震災と地方自治」(自治体問題研究社)、「「安全と再生の都市づくり」(学芸出版社)、「大震災と100の教訓」(クリエイツかもがわ)を改めて読み直しているところです。復興まちづくりは真の住民参加で、「日頃から住民参加のまちづくりを進め、まちの将来像について合意形成を進めておくことが必要」です。
尼崎市築地地区の山口憲二さんの報告で、「都市計画決定を市も強行決定しなかった。復興を区画整理、改良住宅の併合で液状化対策も行った」事例も大変参考になりました。日常のコミュニティ組織により、借家の人の対応なども旨くできた良い事例という評価もありましたが、それでもいくつかの問題がだされました。
写真はボランティアと住民参加で移築した古民家の集会所です。
名古屋の天白公園で、子どもが冒険など自由に遊べるエリアがあります。事故を起こした場合は自分の責任になります。土曜日に訪問した日は管理する人がお休みの日でした。プレーパークは世田谷で早くから取り組まれていました。ここでは自然を残して、里山を公園とする使い方はもっと広がって欲しいと思います。人口の貯水池には鴨もいましたが、自然景観としては周辺が開発されているため、ちょっとマッチしない感じです。
京都に行くなら前泊することにして、奈良に行くことにしました。古墳の発掘で沸き立つ明日香ですが、石舞台や酒船石は見たことがありましたので、重要伝統建築物郡保存地区の今井町にしました。パンフレットにあるように「江戸にタイムスリップ」した感じです。今井町は寺内町で保存状態も良いです。生憎の雨のためか、古墳発掘への説明会へ集中したためか、訪れる人は少なかったです。重伝健に指定されると勝手に家の改修ができず、嫌われる場合が多くあります。商家など内部が公開されている家もあり、当時の生活スタイルが想像されます。さらに、敷居や換気、排煙、特別者の別玄関など建築様式や間取りなど風俗、風習が偲ばれます。ボランティアガイドの方から、「その昔鉄道が敷かれた時に、汽車の煙が嫌で駅を今井町から離すように反対した」と説明されたのが、印象に残っています。
東京へは一昨年の「江戸探し」以来行ってません。表参道に新しい建築物ができました。同潤会のアパートの跡地で、その様子を息子に伝えてもらいました。
12日(日)午前11時頃、表参道ヒルズに行ってきました。日曜ということもあって、表参道や店内は、お客さんや見物人でにぎわっていました。中は、螺旋式の造りになっていて階段を使わずに、見ることができます。おもしろくて、新鮮なデザインです。角度があるので、一度エスカレーターで上まで行ってから、下るほうが疲れないだろう。店内のショップは、ブランド品や、服装類、飲食店と価格設定が高い店ばかりでした。Tシャツが1万円ほど、ヒルズ内のショップに入る人はそう多くはなかったです。みんな見学目的なのかと思いましたが、飲食店は、けっこうお客さんも入っていました。
12日(日)午前11時頃、表参道ヒルズに行ってきました。日曜ということもあって、表参道や店内は、お客さんや見物人でにぎわっていました。中は、螺旋式の造りになっていて階段を使わずに、見ることができます。おもしろくて、新鮮なデザインです。角度があるので、一度エスカレーターで上まで行ってから、下るほうが疲れないだろう。店内のショップは、ブランド品や、服装類、飲食店と価格設定が高い店ばかりでした。Tシャツが1万円ほど、ヒルズ内のショップに入る人はそう多くはなかったです。みんな見学目的なのかと思いましたが、飲食店は、けっこうお客さんも入っていました。
重森三玲、昭和期を代表する異色の造園家と言われています。大徳寺の「お寺団地」の中で、公開されている庭で最も好きな一つです。上流の山から川の流れ、そしてこの海で、砂も大粒で荒々しく表現されています。雪のちらつく午後に、差込む日差しを受けて、暫く座って眺めていました。重森は創作意図を「海洋の沖から孤島の連峰が続き、曲線を描いて高山の巨石に線が続くのであり、そこに巨石が天に向かって高く聳えている」と、述べています。
苔の庭園は季節柄余り美しくありませんでした。周辺を竹で囲い苔を守るために、日光や湿度・温度などの管理が大変だと感じました。参道は表門から鍵の手に唐門を望む自然石の敷石です。詩仙堂のアプローチも素敵ですが、さらにこちらの方が感動的です。庭園のもみじも紅葉の季節は綺麗でしょうが、、物語性としては龍源院や端峯院の方が好きです。
方丈(禅宗方丈建築)は重要文化財で、中襖絵の「竜の図」も素晴らしいですが、前庭が見学の目的です。丸い苔のある島がメインかと思っていましたが、これは亀島で右が鶴島です。真ん中の石組みが蓬菜山で、全体のバランスが大変いいと思いました。